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2月3日、羽場市議事務所開き、柚木さんシンポ等、宗忠神社、高井さん懇親会、道文会、豆まき

高井さんのつどいで挨拶

集会が目白押しで、大童の一日でした。まず9時15分ころに出て立憲民主党公認で春の統一地方選で市議7期目を目指す羽場頼三郎市議の事務所に行き、10時から30分強、後援会事務所開きに出席しました。初登場の木原桜子さんの司会で、後援会長の挨拶に続いて私と高井崇志さんが挨拶し、夏の参院選に岡山選挙区から立憲民主党公認で初挑戦の原田謙介さんが、さらに南区から立憲民主党公認で県議に初挑戦の鈴木一史さんが挨拶をしました。そこで私と原田さんは中座して、次に向かいました。

羽場市議事務所開きで
高井さんの挨拶

11時前に倉敷市内で、10時開会の柚木道義さんの「初心からの柚木道義のゆずれないチャレンジ」という企画に駆け付け、第1部のシンポジウムの終了時に私から挨拶をして原田謙介さんを紹介し、原田さんが超満員の皆さんに初めての挨拶をしました。残念ながら山口二郎教授の話は聞けませんでしたが、レジメを読み全く同感で意を強くしました。その後、第2部の懇親会となり、松田忠和後援会長に続いて柚木さんが、さらに原田さんが挨拶をし、乾杯から懇談となったところで12時過ぎに中座しました。

柚木さんシンポジウム全景
私の挨拶
原田さん挨拶
懇親会でも原田さん
乾杯!

岡山に戻って、13時半前から黒住教の宗忠神社の節分祭に参加しました。天候が崩れて時々小雨が降る中でしたが大賑わいとなり、まず拝殿での祭典に出席しました。七福神に扮した県内の重鎮らが居並ぶ中、黒住宗道教主による祝詞奏上などがあり、14時過ぎから豆餅まきとなって第1回目に出場させていただきました。その後、お直会で大元鍋をいただきました。原田謙介さんも友人の伝手で参加できました。

宗忠神社式典
福餅まき

ここも中座して、15時15分ころから高井崇志さんの「志のつどい」に第2部の懇親会から出席しました。第1部の長妻昭さんの話は聞けませんでしたが、原田さんを高く評価してご紹介いただいたそうです。開会後、高井さんが挨拶し、連合の金澤稔会長や自治体代表の岡山市の大森雅夫市長に続いて、私が若干の挨拶をして乾杯の音頭を取り懇親となりました。原田さんの挨拶もあり、出席地方議員が全員壇上に登りリレーで一言挨拶をしました。

高井さん集会全景
私の挨拶
次いで乾杯
各級議員さんの挨拶

16時半過ぎに中座し、17時から道文会の新年懇親会に出席しました。総会で議題の採択等を行った後なのでリラックスした雰囲気で始まり、小野玲華会長に続いて顧問の私が挨拶して原田さんを紹介し、原田さんのコンパクトな挨拶も聞いていただきました。

道文会で挨拶
原田さんも
受賞者に

孫の一生君から節分のお誘いをいただいていたので、18時前に中座して、百花邸で鍋で節分の夕食会をし、最後に豆まきをしました。ももちゃんと一生君が鬼に扮し、大はしゃぎでした。

鬼になった孫たち
私も鬼に

 

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2月2日、吉田綾舟書展、会陽前

 

 

吉田綾舟書展で

昨日に続き、何も日程のない一日でした。昼過ぎまでゆっくりして、電話連絡などをしていましたが、我慢できず、15時ころに妻とともに出掛け、ブルーラインを東に走って黒井山グリーンパークに行き、玉龍会会員の吉田綾舟さんの個展を鑑賞しました。お土産品売り場の一隅に展示された「書の世界」と題した小品主体の展覧会です。吉田さんの思いが凝縮され、楽しく拝見しました。

「書の世界」展

会場の黒井山グリーンパークは山の中にあり、猪と出会ったときの注意事項などもある楽しい場所で、若干の買い物をしました。

黒井山グリーンパーク
猪の注意書き

次いでブルーラインを西大寺まで走り、JR西大寺駅で切符を買いました。駅前は間もなく観音院で開催される裸の男たちの祭典「会陽」の飾りつけで賑やかでした。

JR西大寺駅前
「会陽」の看板

 

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2月1日、デスクワーク、統計数値、庭の花

自宅でデスクワーク

今日は何の日程も入っておらず、終日自宅から一歩も出ませんでした。しかし、25日からの外回りで自宅を空けていたため、郵便物などのデスクワークが溜まっており、参議院代表質問のテレビ中継を見ながら、午後からはデスクワークをしました。

官僚による偽装統計数値に浮かれ、官僚の掌で有頂天になっていた安倍首相は、この事態になってもまだご自身が官僚を掌握できていないことに無頓着で、口先答弁に終始しています。国民は怒りを通り越して、呆れているのではないでしょうか。

夕方外の空気を吸いに庭に出てみると、白梅は満開、紅梅もかなり花を開き、寒アヤメがこれほど数多く開花したのは見たことがありませんでした。

庭の白梅
庭の紅梅
庭の寒アヤメ

 

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1月31日、風邪、住吉県議と原田さん、事務所、羽場市議と鎌田さん

住吉県議と原田さんと

風邪が本復せず疲労も溜まっているので、午前中は自宅で電話連絡などをしながらゆっくりしました。12時15分に出て、13時前に立憲民主党岡山県連合の事務所に着き、夏の参院選岡山選挙区に立憲民主党公認で出馬予定の原田謙介さんと打ち合わせをし、電話連絡をした後、13時に出て、14時前に玉野市で4月の県議選に7期目の挑戦をする住吉良久市議の事務所に着きました。選挙直前で一刻の休み時間もない県議が待って居り、短時間でしたが原田さんを紹介し県議選準備の打ち合わせをしました。

14時過ぎに出て15時に法律事務所に入り、未済箱に溜まっていた会合案内などに目を通してデスクワークと電話連絡をしました。

事務所で

17時過ぎに出て帰宅すると、タイミング良く羽場頼三郎市議が鎌田桂輔さんと寄られ、初対面の挨拶を交わして懇談しました。大学卒業後、沖縄問題に強く魅かれて沖縄県庁に就職して児童自立支援施設などを担当してきましたが、政治への強い志を持つに至り、32歳で立憲民主党で頑張ろうと郷里の岡山に帰ってきました。元気な若者がまた一人増えました。

羽場市議と鎌田さんと

 

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1月30日、ノージィさん、漆画展、20期2組、帰岡

司法研修所クラス新年会

10時半過ぎにチェックアウトし、11時前から1時間強、オーストラリアから上智大学のグローバル・スタディーズ研究科に来ている研究生のジェイク・ノージィさんのインタビューを受けました。テーマは1990年代初頭の政策集団シリウス立ち上げのころのことで、私の記憶はかなり朧になっていますが、内部で関わっていたものにしか分からないことを、おぼつかない英語で絞り出しました。

ノージーさんのインタビューに
英語でやり取り

その後、日中友好会館美術館で開催中の「漆×絵画のハーモニー」という蓮福美術館所蔵の中国漆画展を拝見しました。短時間でしたが、なかなか迫力のある漆画が多数展示されていました。

漆画展

次に12時半から2時間ほど、司法研修所20期2組の新年会に出席しました。刑事裁判の石松竹雄教官が昨年他界され、クラスの全ての教官が幽明異にすることとなりました。クラス仲間も既に20人ほどが逝ってしまい、弁護士登録を抹消したものも多く、それでも10人が集まりました。冒頭に石松教官に献杯をし、和やかな時間を共にしました。

石松教官に献杯

最後に記念写真を撮り、井上哲夫さんと一緒に東京駅に行き、15時過ぎの新幹線で帰岡しました。

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1月29日、民事事件、医務室、国のかたち、仙台へ、研究会、帰京

平岡秀夫さんと

咳が酷くて眠りの浅い一夜を過ごし、9時半過ぎに出て10時から1時間強、民事受任事件につき依頼者や相代理人と打ち合わせをしました。相続関係ですが、なかなか複雑です。

11時過ぎに終了し、近くの医務室で風邪に対するアドバイスをいただきました。12時から1時間、国のかたち研究会の定例会に出席して、一言挨拶をしました。通常国会が昨日召集され、今日は各会派とも会合があって、集まるのが極めて困難な中での新年初顔合わせでした。

13時半過ぎの東北新幹線で仙台に行き、14時から2時間ほど、法律問題をテーマに研究会を開き、さらに18時から2時間ほど夕食懇談をし、20時半過ぎの新幹線で帰京しました。仙台の気温はやはりかなり低めでした。

東北新幹線

 

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1月28日、長女、中国-7団体新年会、大使会議、鶏だんご

程永華大使と

風邪と疲れで、午前中はホテルでゆっくりしました。妻は午前中に出て新宿で長女とウィンドー・ショッピングをしており、私は13時に出て落ち合い、イタ飯のコースで昼食を食べました。久しぶりの団欒でした。

妻・長女と昼食

16時ころに私だけホテルに戻り、暫時休憩の後、17時半に出て、18時過ぎから「中国大使館・日中友好団体・新年会」に出席しました。まず控室で、程永華大使や来賓の皆さんと懇談し、18時半に会場に移って開会となりました。

野田会長ら
芹洋子さんと
河野洋平さんと

まず程大使が包括的な新年挨拶をし、友好7団体の代表が設立順に順次挨拶をしました。日中友好協会の丹羽宇一郎会長、国際貿易促進協会の河野洋平会長、日中文化交流協会の黒井千次会長、日中友好議員連盟の林芳正会長、日中経済協会の宗岡正二会長、日中協会の野田毅会長まで終わったところで、芹洋子さんが素晴らしい歌声で「四季の歌」を歌ってくれました。そこへ河野太郎外相が到着して日本政府を代表して挨拶をし、一番若い7番目の日中友好会館顧問の私の番になりました。すでに会場は賑やかな懇談となっており、簡単に挨拶をして「乾杯!」と大声を出して杯を上げました。

程大使の挨拶
芹洋子さんの歌
私の挨拶
乾杯!!

その後、会場の皆さんと短時間言葉を交わして中座し、同じく18時半から始まっている「アジア大洋州・国際機関大使会議」のレセプションに駆け付けましたが、既に終了時刻の20時近くになっており、直ぐに退席して20時過ぎから妻らと鶏だんご鍋で夕食としました。

鍋で夕食

 

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1月27日、奄美和光園、愛加那、大島紬、昼食、打田原、羽田へ、春節祝賀会

和光園納骨堂で献花

9時に朝食を食べてチェックアウトをし、10時から1時間ほど、妻や難波奨二さんらとともに国立療養所奄美和光園を訪ねました。私は現職中に、全国で13園ある国立ハンセン病療養所のうち12園を訪ね、ただ一つ残っていたのがここで、やっと念願が叶いました。一時は360人ほどもいた入所者は、現在では24人と減少しており、平均年齢は86歳です。

磯部室長、山口相談役と

磯部武嗣福祉室長と入所者自治会の山口相談役にお会いし、園の状況につき説明を受けました。入所者にはカトリック信者が多く、かつて他の園で断種や堕胎が行われていた時代にも、これを行わずに折角授かった小さな命を守っていました。今では、入院施設の一部には地域の皆さんも受け入れ、地域に開放された施設を目指しているそうです、さらに納骨堂を訪ね、献花を行いました。他園との違いは、ここでは遺骨を引き取る親族らが比較的多いそうです。あちこちで緋寒桜がきれいな花を開いていました。

ガジュマル
緋寒桜
きれいな庭園

その後、島内の見学に出掛けました。まず、西郷隆盛と関係のあった愛加那さんの住居を訪ねました。西郷の遺品も展示されていました。

石の塀
元郵便局長ら
愛加那邸
西郷の遺品等
きれいな庭

次に、大島紬の作業所を訪ねました。気が遠くなるような作業手順を細かく教えていただきました。

大島紬資料館
泥染め
細かな作業

13時になったので、ご当地名物の「けいはん」で昼食にしました。鶏出汁の茶漬けのようなもので、美味しかったです。

「けいはん」の昼食

さらに打田原海岸に立ち寄って亜熱帯の海の青さを堪能し、空港に向かいました。

打田原海岸

15時過ぎの便で2時間弱掛けて羽田空港に着きました。ちょうど太陽が沈むところで、タクシーで都心に向かい、18時に日中友好会館に着くと、後楽寮に入寮している学生たちによる春節祝賀会がちょうど終わったところで、満員の観客らに一言挨拶をしました。その後、出演者や来賓らとともに記念写真を撮り、18時半から30分ほど、後楽寮食堂で開かれた祝賀懇親会に出席して、皆さんとお話をしました。

日没の羽田着
盛況の春節祝賀会
記念写真
乾杯!
懇談

 

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1月26日、沖永良部へ、訪問、鹿児島経由奄美へ、夕食

沖永良部の西郷流刑の地で

欠航で空港近くのホテルに泊まり、6時過ぎに起き朝食を食べてバスで空港に向かい、7時半前のプロペラ機で日の出を見ながら沖永良部に行きました。

鹿児島空港の日の出

強風に揺られながら9時前に着陸すると、親族の吉近夫妻や旧知の池野家の皆さんと親しい友人らが迎えてくれました。昨夜は大勢の皆さんが歓迎会を用意してくれていたのですが、残念ながら流会となり、それでも集まってくれた皆さんと記念写真を撮り、西郷隆盛がこの地に流されて着いた地の碑を見て、池野さん宅に向かい、地元の食材をふんだんに使ったお料理を美味しくいただき懐かしい写真を見ながら懇談しました。

沖永良部に着き
池野さんのお宅で
吉近夫妻と
地元料理
懐かしい写真もあり

そこでお別れした後、吉近夫妻の案内で島内を見て回りました。いたるところにサトウキビ畑があり、大きく白い穂が出て完熟を示していました。妻の叔子ちゃんの勤め先に寄り、夫の広之君が調理長をしているホテルを見て、西郷像のある南州神社を通り過ぎ、空港近くの食堂で11時半過ぎから昼食をいただきました。

サトウキビ畑で
叔子ちゃんの職場
広之君の職場
南州像を横に見て
昼食会

12時半過ぎに空港に着き、痩せた西郷さんの写真などを見ながら手続きをし、13時過ぎのプロペラ機で鹿児島空港に戻り、一瞬の待機もなく14時半過ぎのジェット機便で15時半過ぎに奄美大島空港に着き、既についていた難波奨二さんらと合流して綱渡りでホテルにチェックインしました。

痩せた西郷さんと
プロペラ機で鹿児島へ
桜島を見ながら

ホテルで暫時休憩しながら難波さんの所用が終わるのを待ち、19時過ぎから3時間ほど、地元料理のお店で夕食をいただきながら楽しく懇談していると、あっという間に22時過ぎとなっていました。

奄美で夕食

 

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1月25日、旅へ、鹿児島着、欠航

旅は道連れ

今日から30日まで、5泊6日の旅に出ました。8時半過ぎに妻と出て岡山駅に行き、早めに着いたので朝食を食べて、9時半過ぎの新幹線で鹿児島中央に向かいました。

岡山駅で朝食

12時半過ぎに着くと、コート不要で、下着も着替えたいほどの温かさでした。バスで鹿児島空港に移動し、15時前の沖永良部便へのチェックインと昼食を済ませて、バス移動で機内に乗り込もうとしたところで、ストップが掛かりました。何と使用機材の不具合で対応を検討中とのこと。ターミナルに戻って待機していると、16時前になって欠航と告知されました。機材変更による対応もできないとのことでした。

バスで空港へ
鹿児島空港
プロペラ機

今夜は沖永良部の親戚や知人らと懇親を深め、明日に鹿児島に戻って奄美大島に飛び、ハンセン病施設訪問などの懸案を済ませて、さらに上京する予定が、第一歩から躓きました。愚痴っていても仕方がなく、明朝早く沖永良部に飛んで午後に鹿児島に引き返し、当初の旅程に復帰することとし、同じ運命に見舞われた親子連れと夕食をともにしました。