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10月31日、PC不調、所用、高木聖鶴展、日の入り

吉備路文化館で

パソコンを開けると、何と接続ができず、何度も悪戦苦闘して試みたのですがどうにもならず、議員時代のスタッフに助力をお願いしました。

13時過ぎに出て所用を済ませ、急に思い付いて総社市の総社吉備路文化館で開催中の「追悼 高木聖鶴展」に向かいました。15時過ぎに市営駐車場に着くと、実った稲やコスモスの向こうに国分寺五重塔が奇麗に見え、徒歩10分程度で文化館に到着しました。道中、アオサギが羽を休めていたり、青空に赤い柿の実が見事なコントラストを見せていたり、なかなかの田舎の散歩道でした。展覧会も見応えがありました。近辺には、旧山手村役場跡などの旧跡もあるのですが、時間がなく素通りしました。セグロセキレイも電線に止まって休んでいました。

国分寺五重塔
池の向こうに
旧村役場跡
お地蔵さん
アオサギ
セグロセキレイ

さらに所用を済ませ、17時過ぎに法律事務所に入りました。ちょうど夕日が沈むところで、西の空が真っ赤でした。

日の入り

 

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10月30日、ススキ、歯科治療、ももちゃんら

ススキ

午前中は自宅でゆっくりし、13時過ぎに出掛けて所用を済ませ、14時に法律事務所に入って、短時間だけデスクワークをしました。

直ぐに出て、15時前に予約した歯科医院に着くと、隣地に生い茂ったススキが斜めの陽光を受けて真っ白に光って実に綺麗だったので、ついカメラを向けました。その後30分弱、治療を受けました。

16時前に自宅に戻り、デスクワークをした後、17時半に妻と出て、久しぶりにももちゃん、一生君とママと一緒に夕食を食べました。孫たち2人は大変に元気で、大騒ぎでした。

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10月29日、曽我さん葬儀、県連常幹

曽我さん葬儀

午前中はゆっくりし、12時15分頃に妻と出て、一昨日急逝された曽我英二さんの葬儀・告別式に向かいました。今日も雨天の大渋滞で、13時直前に葬儀場に着いたのですが、既に会場は満室で、隣室でモニター画面を見ながら参列しました。高校入学時に書道部に入部して以来の1年先輩で、60年以上にわたりお世話になりました。生涯を書の美の探求に尽くされ、常に新境地を探求されました。行年78歳。合掌。

葬儀

岡山朝日高校関係者と書道関係者のほか、本当に大勢の人が参列され、懐かしい皆さんとも顔を合わせました。読経の後に弔電披露があり、私のものが最初に読み上げられました。親族の後に私たちの焼香があり、初七日法要に続いて喪主でご夫人の曽我しのぶさんが亡くなるときの状況などをお話し下さいました。全く突然の心臓近辺の血管異常だったようです。14時半ころに出棺を見送り、自宅に戻るころには、雲が切れて晴れ間が広がってきました。

遺影

16時半に再び出て、17時から1時間強、民進党岡山県連の常任幹事会に出席しました。総選挙直前に現職衆議院議員だった3人が離党して、1区の高井崇志さんは立憲民主党から、2区の津村啓介さんと4区の柚木道義さんは希望の党から、それぞれ立候補して当選し、民進党県連代表は難波奨二参議院議員に交代となったので、幹事長の高橋徹県議の司会で、まず3人が総選挙支援のお礼を含めた挨拶で所感を述べて退席し、難波代表の挨拶があって議事を進めました。党組織の現状の確認と今後の方針が議題で、不透明なことも多いので、取りあえず現在の党組織を維持し、今後の動向に対応することとなりました。終了後、私にもテレビのぶら下がり取材がありました。

常幹全景
難波代表挨拶
私も発言

 

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10月28日、曽我さん急逝、青山教授を偲ぶ会、通夜、高校同期会

高校同期会

午前中は電話連絡等に追われました。朝一番の電話で、昨日、岡山朝日高校書道部の1年先輩で私の前のキャプテンだった書家の曽我英二さんが急逝されたことを知り、連絡に追われました。「英丘」の号で在野精神旺盛に新しい書の境地を求めて活躍され、最近は東日本大震災の惨状をアンドロメダ星雲と重ね合わせた大作に挑戦していました。60年に及ぶご厚誼とご指導に、感謝するばかりです。享年77歳。合掌。

13時半前に出て、青山英康名誉教授を偲ぶ会に駆けつけました。岡山大学を卒業して医学博士号を取得後にジョンズホプキンス大学で学ばれ、岡大教授として公衆衛生学の教鞭を取られ、多くの後進を育てられたほか、公害対策や産業衛生の分野で被害者救済に手腕を発揮されました。享年82歳。合掌。大渋滞の上、駐車スペースがなかなか見つからず、14時の開会に数分遅刻し、主催者代表の挨拶中に着席して、来賓の冒頭に挨拶をし、県医師会の石川紘会長、奥津亘弁護士、片岡仁美岡大教授、青木佳之医師らが続きました。ご遺族代表の挨拶で閉会となり、参加者で故人をしのびながら歓談しました。

青山教授の遺影
片岡教授、
青木医師
高井、奥津、高原さんら

さらに18時から、曽我さんの通夜に駆けつけました。やはり大渋滞で、かろうじて開式に間に合ったのですがすぐに中座し、18時半から2時間強、岡山朝日高校昭和35年卒の同期会に出席しました。こちらもかろうじて開会に間に合い、黙祷から開会挨拶、乾杯と続き、近況報告もし、最後に全員で写真撮影をして、校歌斉唱とエール交換で声を張り上げました。21時前に二次会に移り、さらにカラオケに興じました。

久米田君の開会挨拶
私の近況報告
仲間たち
3年C組
校歌斉唱
二次会はカラオケ

 

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10月27日、城下、法律相談、小西市議ら

小西市議と

朝は自宅でゆっくりし、11時半過ぎに出てバスと路面電車を乗り継ぎ、12時半ころに法律事務所に入りました。暫くデスクワークをした後に、14時前に出て若干の所用を済ませ、城下公会堂で昼食を食べました。量もそれほど多くなく、お惣菜の味付けもあっさりして、私にはちょうど良いのです。

城下公会堂

15時半から17時前まで、所長の江田剛弁護士と一緒に、相続に絡む法律相談を受けました。私はこれまで細かな手続きとは無縁だったので、所長に頼りきりになってしまいました。

法律相談

17時から1時間半ほど、総社市の小西利一市議らが寄ってくれ、政治状況につき意見交換をしました。総社市は総選挙で岡山5区となり、3区とともに公示直前の落下傘候補で、その上に混乱を極めた希望の党からの擁立だったので、民進党系の皆さんに大変な苦労を掛けました。

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10月26日、上京、稲刈り、冠雪、中国青年、夕食会、帰岡

中国大学生歓迎会で

11時過ぎに自宅を出て法律事務所に入り、暫時デスクワークをした後、12時半前に出て所用を済ませ、岡山駅構内でうどんを掻き込んで、13時過ぎの新幹線で上京しました。雲一つない快晴で、岡山平野では稲刈りが始まっており、田はまだら模様になっていました。

稲刈り

15時45分頃には、少し霞掛かった青空に初冠雪の富士が浮かび上がっているのが、車窓から見えました。16時半過ぎに着き、参議院議員会館の難波奨二さんの事務所に行くと、難波さんが在室で、暫時懇談しました。

初冠雪の富士
難波さんと懇談

18時から1時間弱、日中植林・植樹国際連帯事業で訪日中の中国大学生訪日団第2陣の歓迎会に出席しました。中日友好協会の朱丹副秘書長を団長とする中国5省20大学の150人の皆さんで、東京の後に奈良県や佐賀県に行き、ホームステイも経験します。開会後、私が主催の日中友好会館の会長として歓迎挨拶をし、外務省担当者に続いて朱団長の挨拶があったところで中座しました。

控室で懇談
私の挨拶
朱団長の挨拶

19時過ぎから1時間、難波議員と事務所関係の皆さんとで、総選挙の慰労を兼ねた夕食懇談会に出席し、各自の貴重な経験を肴に盛り上がったところで、中座して最終新幹線で帰岡しました。

難波事務所夕食会

 

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10月25日、ジョウビタキ、高松地裁、電話取材

庭のジョウビタキ

10時半ころ自宅を出る前に庭に目をやると、秋明菊が満開で、さらに小鳥が一羽、小枝の間を飛び跳ねていました。慌ててカメラを向けると、奇跡的にうまく撮れていました。夜、東京の鳥博士の孫に聞くと、やはりジョウビタキでした。

庭の秋明菊

11時過ぎに法律事務所に入り、30分ほど、古くからの支援者からの相談を受けました。法律相談というよりも、法律無視の乱暴への対抗策相談でした。

法律相談

昼食後、JRの快速マリンライナー号で、瀬戸大橋を渡り高松に行きました。高松地裁の待合室で暫時待機し、15時から15分ほど、ラウンド法廷で民事受任事件の和解期日に臨みました。すでに事前の協議が整っており、若干のごく訂正で和解成立となりました。

マリンライナー
坂出を通り
城址

15時半過ぎのJRで帰岡し、所用を済ませて17時過ぎに法律事務所に戻りました。すぐに報道の電話取材が入り、今回の総選挙と立憲民主党につき30分以上、質問に答えました。低投票率の下での与党圧勝ですから、限定された国民の審判でしかないこと、私の国政関与40年に続いて、次の世代による真の政権交代体制の胎動が始まり、市民の自発的な動きがこの原動力となっていること、現に立憲民主党に相当額の資金提供があったこと、最少の野党第1党のために国会運営では苦労するが、その苦労を通じて他の野党議員の資質が見えてくること、野党議員間の連携と再編はこれを見極めてからでも遅くないこと、市民参加の政党作りのためには、全国の市民派地方議員とのネットワークが大切であること、立憲民主党は自らに課せられた歴史的使命をしっかりと自覚し、国民もこの党をそういう意識で育むことが、実は憲法12条の不断の努力にかかわることなどを指摘しました。

18時過ぎに法律事務所を出て所用を済ませて帰宅し、夕食は19時半を過ぎてしまいました。

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10月24日、海江田さん、国の…、憂楽会、帰岡

海江田さんと昼食

7時ころに目が覚めてしまい、ぼんやりとテレビを眺めて起き出し、朝食後に11時のチェックアウトタイム直前にホテルを出て所用を済ませ、参議院会館の難波奨二議員の部屋に辿り着きました。

飯田橋交差点の朝

12時前から、海江田万里さんと連絡を取って、昼食をご一緒しながら懇談しました。海江田さんの近著「人間万里塞翁馬」の話などで、盛り上がりました。その後、再び難波事務所に戻り、デスクワークをしました。

難波さんと

15時から16時前まで、国のかたち研究会の緊急会合が行われたので、顔を出してみました。OBは平岡秀夫さんと私で、暫く再起を期して臥薪嘗胆を続けていた皆さんも大勢復帰し、新しい顔ぶれも集まっていました。

17時半から、大学時代からの友人たちの憂楽会に出席しました。会員の紹介でトヨタカローラ徳島の北島義貴会長が地域経済や企業活動につき講演してくれ、自由に意見交換しました。19時に中座し、19時半の新幹線で帰岡しました。

久間さんの音頭で乾杯
北島会長の講演
野田さんも顔を見せ

 

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10月23日、開票、魯迅基金会、昼食、対談、訪日団歓迎、夕食会

古賀誠さんと対談

総選挙の開票が進む中、4時ころに目を覚ましてテレビを見たりして、すっかり超寝不足になりました。私は13人の応援に回りましたが、10勝3敗でした。当選は北から、荒井聡さん、海江田万里さん、菅直人さん、山花郁夫さん、枝野幸男さん、ずっと飛んで尾辻かな子さん、桜井周さん、高井崇志さん、津村啓介さんと柚木道義さんで、惜敗が湯原俊二さん、樽井良和さんと佐藤広典さんです。どこも大激戦、大接戦でした。

9時前に目を覚まして朝食の後、9飛40分ころから1時間ほど、訪日中の魯迅基金会の周令飛会長を団長とする18人の訪日団の皆さんの表敬を受けました。周会長は魯迅の孫です。まず日中友好会館の会長室で懇談し、会館事務所を訪ねて荒井克之理事長に挨拶し、会館美術館で開催中の中国民族衣装展を覗いて記念品を渡しました。10日間ほど日本各地を訪ねて明日は帰国で、台風まで経験することになりましたが、今日は台風一過の秋空が広がって来ました。

魯迅基金会の皆さんと
懇談
記念写真
会館事務局へ

その後、参議院議員会館に入り、昼食を食べて、13時半前に出て地下鉄で移動し、14時から1時間半ほど、月刊誌の企画で古賀誠さんと対談を行いました。司会は御厨貴さんで、総選挙の感想から始まって政党政治のあり方や憲法、財政再建などにつき、大所高所からの議論を行ってみました。地下鉄で議員会館に戻るころには、台風は風だけ残してすっかり去り、夕日を受けて国会議事堂が鮮やかに浮かび上がっていました。

議員会館食堂で
対談中
古賀さん
御厨教授
台風一過の国会

18時から、JENESYS2017の企画による中国青年メディア関係者代表団第2陣の歓迎会に出席し、日中友好会館会長として歓迎の挨拶をし、魯迅の「藤野先生」や「故郷」に言及して両国の若手民間交流の大切さを訴えました。次いで外務省担当者の歓迎の言葉があり、団長の中央精神文明建設指導委員会の王小何副局長が挨拶し、芭蕉の「若葉もて 御目の雫 ぬぐはばや」を引用されたのにはびっくりしました。乾杯を終えて懇談になったところで中座し、19時前から知人との夕食懇談を行いました。

控室で
私の挨拶