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12月31日、大晦日、ゴーン事件、買い物等、年越しそば

大晦日の麦畑

いよいよ大晦日。よりによってその早朝、大事件のニュースが飛び込んで来ました。保釈中のカルロス・ゴーン被告人がレバノンに居るというのです。直ぐに、彼がレバノンで声明を出したという続報と、声明の内容が届きました。詳細はまだ分かりませんが、保釈条件に違反し、出国管理を掻い潜ったことは確かなようで、司法権と行政権とに真正面から公然と挑戦状が突き付けられました。保釈取り消しと保釈金15億円の没収で済ませることは出来ません。日本の刑事司法に対して「人質司法」との批判が寄せられる中で、国家主権を振りかざして国際社会からの声に耳を貸さない時代は過ぎたと思いますが、具体的な事件として提起されると、対応は非常に難しいと思います。

12時前にやっと朝食を済ませ、妻と買い物に出ました。麦の若い芽で田が奇麗なのに、何だか感動しました。

年初の上京の切符を買おうと思ったら、既に満席が続いており、びっくりしました。車に給油して洗車も済ませ、15時半ころに帰宅し、昼食後に玄関にお飾りを付けてカレンダーを取り換え、元旦の準備を終えて19時過ぎに年越しそばを食べながら紅白歌合戦を見ました。

洗車

最初が子どもたちのパプリカで、何だか胸が熱くなりました。来年こそ、子どもたちにとって良い年にしたいですね。

紅白トップはパプリカ

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12月30日、定岡さん葬儀、両親墓参、金一さんら弔問

両親墓参

新見市で私たちの先輩として活躍された元市議会議員の定岡正一さんが亡くなりました。10時前に妻と生君とともに出て、まず生君を岡山駅まで送り届け、山陽道、岡山道と中国道を経由して新見市の葬祭場まで走り、12時からの葬儀・告別式に参列しました。池田市長、小林県議をはじめ大変大勢の参列者で、故人の人徳が偲ばれました。

定岡さん葬儀

読経に続いて焼香となり、親族に続いて私も指名焼香をさせていただき、私の弔電までご披露いただきました。故人は、旧国鉄に職を得て、30歳で市議会議員となり、以来30余年にわたり市議を務めました。私の父・江田三郎の支援者で、1963年の父の総選挙の際にはこの地方の責任者で、学生で手伝いをしていた私も手取り足取りで指導していただきました。私の政治活動でも、中心的に支えてくれました。2014年7月17日にお目にかかった(https://www.eda-jp.com/old-index.html)のが最後でした。享年93歳。合掌。

指名焼香
参列者と

13時半過ぎの出棺を見送り、中国道と岡山道を南下して賀陽インターで降り、山道を通って建部町に行き、16時過ぎに両親の墓参りをしました。どの墓もきちんと掃除されていて、私たちの墓の花が最後となりました。

一般道を南下して、17時ころに父の兄の故・江田金一さんのお宅に寄りました。孫の泰治君が帰省しており、江田家のルーツの話をし、金一さんの長男で亡くなった健七さんらの仏前に手を合わせました。

泰治君と
金一さんらの仏前に、

18時過ぎにお別れして自宅まで走り、19時前に帰着しました。延べ6時間ほど、私一人で運転し、いささか疲れました。ちょっと無謀だったかなと反省しています。

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12月29日、買い物、生君、鍋

孫の生君と夕食

12時前に妻とともに出て市の中心部に行き、正月を迎えるための食材等を買い、14時半過ぎに戻って一息つくと、長女の長男の松浦生君が到着しました。私たちの一番上の孫で、今春に大学を卒業して環境学士となり、地方自治体の地域おこし研究員の職を得て、同時に関東の大学院の修士課程に進学して二足のわらじで頑張っています。

暮の買い物

一緒に遅めの昼食を食べ、私が生君を手助けしながら、材料を買ってきて高いところの電球の取り換えなどの仕事をしました。長く放置されていた猫車の車輪も取り換え、使えるようになりました。

19時過ぎから夕食で、現職時代によく行った東京の鍋屋さんが送ってくれた「魔法のすーぷ」と鳥団子の鍋を囲みました。

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12月28日、小人閑居、森安・山田両君ら、デスクワーク

森安君と山田夫妻

終日自宅で、不善もなさずにひたすら閑居していました。小人の域にも達しません。

12時前に森安章文君と山田雅徳君、恵さんご夫妻とが来て、13時過ぎまでパソコンの調整などをして貰いながら、あれこれ四方山話をしました。彼らは今のところ国民民主党所属で、県連職員や総社市議をしていますが、年明けには変化があることを期待しています。

昼食後はデスクワークで、ひたすら資料を読んでいました。私が学生時代に憲法を習った芦部信喜教授の関係資料や日本共産党の綱領改正案と解説です。

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12月27日、仕事納め会食、事務所、年の瀬

事務所の仕事納め

12時過ぎから2時間強、江田剛所長、佐野京子弁護士、私と二人の事務員とで、江田法律事務所の仕事納め昼食会をしました。超デラックスなご馳走で、大満足でした。

14時半ころ、みんなで事務所に戻り、さらに若干のデスクワークをした後に、16時半ころにけりを付けて出て、所用を済ませて帰宅しました。

事務所で

今年も残り4日ですが、桜を見る会とIR疑惑に郵政の件まで加わり、政府・与党の不行跡は留まるところを知らず、おまけに年末のどさくさに紛れて、自衛隊の中東派遣や死刑執行まであり、まだ大晦日まで目が離せません。慌ただしい年の瀬です。

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12月25日、初お泊り、歯科、事務所、カメラ

昨夜は一生君は結構頑張りましたが、ババ相手に大運動会をした後、食後に風呂も一人で入り、22時ころにはジジババと一緒に寝る体制に入り、直ぐに寝息を立て始め、朝は8時ころまでゆっくり寝ました。一人お泊りが成功し、皆ホッと一安心でした。

朝は、妻が9時には公民館のコーラス練習に出掛けるので、私が交代で子守役になりました。テレビを見せている間に私が朝食を取り、10時過ぎから短時間だけボールの投げ合いをしているところに、ママがももちゃんと一緒に迎えに来て、無事に引き渡すことが出来ました。

ももちゃんが迎えに

私も10時半前に出て、11時過ぎから1時間半ほど、歯科の処置を受けました。 13時過ぎに帰宅して一息つき、15時半前に出て法律事務所に入り、2時間弱、デスクワークをしました。

事務所で

ところがそこでカメラを置き忘れてしまい、取敢えず今夜は写真無しで、翌日に追完しました。

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12月25日、取材、帰岡、一生君

一生君は大盛り

朝食後、10時過ぎにチェックアウトし、10時半前から1時間ほどホテルのロビーで報道の取材を受けました。来年は60年安保から60年の節目で、当時のことを体験しているものの生の言葉を聞こうというものです。

私は、60年4月に地元・岡山の高校を卒業して東京大学教養学部に進み、まだ18歳で初めての東京生活のまま安保の激動に飛び込んだのですが、高校生徒会も経験しているのでクラスの自治委員の選挙に手を挙げて選ばれ、以来何も分からないまま自治会活動に関わっていました。有意義な体験だったと思っています。

60年安保の取材

その後、東京駅で昼食用の弁当を買ってホームに上がると、子どもたちの憧れのドクターイェローが停車しており、思わず写真を撮りました。

ドクターイェロー

道中はずっと快晴が続き、ゆっくり昼食をいただいて、15時過ぎに岡山駅に着きました。

昼食の蟹弁当

迎えに来てくれた妻の車には、一生君も乗っていて、感激でした。一生君は、ももちゃんのクリスマスパーティーの事情で、今夜は初めての一人お泊りとなるのです。夕食は、一生君の希望で、近くのうどん屋となり、彼は一人で大盛りをぺろりと平らげ、天プラも食べました。驚くべき食欲です。

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12月24日、上京、所用、会食、泊

小林さんの忘年会

9時前に妻に送って貰って出て、岡山駅に行きました。わずか30分ほどの違いで、朝の渋滞は全くなく、9時半過ぎの新幹線に乗ることが出来、順調に上京しました。穏やかな年の瀬で、旭川も百間川ものんびりと流れている風情でした。

年末の旭川

13時前に着き、JRや都バスで移動して、13時半過ぎからまず所用に取り掛かり、16時前にやっと終わりました。そこでタクシーで移動してホテルにチェックインし、一息つきました。

ホテルから見た東京駅

17時過ぎに出て、18時から、学生時代以来の友人の小林哲也さんのお誘いで、一流料亭で忘年会をしました。小林さんの知人らも加わり、途中からはお座敷バンドも入ってカラオケに興じ、23時前の散会まで楽しく歌い、飲み食いしました。

バンドも入って歌を
プロと一緒に
ダンス?

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12月23日、所用、事務所

事務所で

10時半前に出て、11時前から13時半ころまで、市内中心部で所用に没頭し、一度帰宅して遅めの昼食を食べ、15時前に妻とともに出て、さらに所用を続けました。

16時ころにやっと法律事務所に入り、短時間でしたがスタッフと打ち合わせをし、夕食の食材を買って帰宅しました。

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12月22日、揮毫、番町文庫五月会

私の冒頭挨拶

夕方まで日程が何もない日曜日で、午後までのんびりしていて、ハッと思い出しました。今日の景品に出す色紙の揮毫をすっかり忘れており、15時から書き始めました。5枚の揮毫を仕上げ、印を押して乾くのを待ってたとうに納め、やっと間に合いました。

色紙揮毫

17時過ぎに妻と出て、18時から2時間強、番町文庫五月会の忘年パーティーに出席しました。司会の挨拶で、今年が40回に当たることを初めて知りました。お好み焼き屋の「番町文庫」の店主である山本美奈子さんの油絵の具購入資金集めに、竹馬の友や店の常連らで忘年パーティーを始めたのがスタートで、何時のころからか私の後援会に変身して継続してきました。100人弱が集まり、河原昭文会長の開会挨拶に続いて私が挨拶をし、桑原一さんの音頭で乾杯をして、懇親会となりました。

河原会長挨拶
津村さん挨拶
大塚県議はお子さん連れ
原田謙介さん

政治関係では、高井崇志、津村啓介各衆議院議員、高原俊彦、大塚愛、髙橋徹、中川雅子各県議、羽場頼三郎、森山幸治、鬼木のぞみ、高橋雄大各岡山市議に原田謙介さんが参加してくれ、羽場さんの司会で全員が1分挨拶をしました。さらにサキソフォン、尺八、琴などの演奏もあり、持ち寄った景品の抽選会をし、私も色紙のくじを引きました。最後の景品は山本店主の油絵の抽象画で、続いて山本さんが締めの挨拶をして、今年も和気藹々のうちに無事に閉会となりました。

琴と尺八
山本画伯の抽象画