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12月8日、柚子収穫、ドウダン、開戦記念日

柚子の収穫

特別な日程が無く、終日ゆっくり過ごしました。15時過ぎに庭に出て、柚子を収穫したところ、60数個もありました。

60数個の柚子

ドウダンの紅葉は、そろそろ終わりです。

ドウダンの紅葉

今日は日米開戦の記念日でした。忍び寄る戦争の気配に警鐘を鳴らしていた武者小路実篤が、いざ開戦となると戦意高揚に身を任せたと、新聞が報じています。同じ過ちを繰り返してはいけません。

18時過ぎに妻と出て、JR西大寺駅で所用を済ませ、夕食はその近くで外食となりました。

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12月7日、映画「主戦場」

映画「主戦場」上映会

13時前に出て岡山弁護士会館に行き、13時半からの映画「主戦場」上映会に出席しました。岡山弁護士会の憲法委員会が取り組んでいる憲法講演会シリーズの一環で、第二次世界大戦中の日本軍による「慰安婦」を巡る論争を、日系アメリカ人のミキ・デザキが取り上げ、多様な論点につき吉見義明さん、櫻井よしこさんなど数多くの日・韓・米の論者を訪ね、それぞれの主張を見事に噛み合わせながらドキュメンタリーに仕立て上げた映画です。

会場に入ると超満員の大盛況で、大講堂の机を全て出して会館内の椅子を全て運び込んで、辛うじて来客全員を大講堂内に入れることが出来たようでした。画面はやや小さく、音声は全て原語のままなのに前の人の頭で翻訳の字幕が見難いという悪条件でしたが、みな集中して見ていたようでした。私も長く岡山弁護士会に関わっていますが、このような盛況は初めてでした。

終了後の主催者挨拶

15時半過ぎに終了し、小林裕彦会長や河原昭文さんらと言葉を交わして、帰宅しました。

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12月6日、岡山市議会傍聴、羽場議員ら、柚子

岡山市議会傍聴

午前中は自宅でゆっくりし、13時半過ぎに出て岡山市議会に行き、14時過ぎに着いて傍聴手続きをして本会議場に入りました。バリアーフリー対応に付き改善があったかどうか気になっていたのですが、以前と全く変わらず、長い階段を歩いて上らなければなりませんでした。特に申し出れば、エレベーターで途中まで上がることは可能だそうです。 傍聴席に座ると、ちょうど熊代昭彦議員が最後の質問をしているところで、さらにもう一人の質問があって15時ころに休憩となり、15時25分に再開されて羽場頼三郎さんの個人質問が始まりました。

岡山市議会本会議場
羽場議員質問

20分の質問時間のうち10分ほどを使って、中央卸売市場の件や学校の制服の件など、具体的な質問をしましたが、教育長らの答弁が今一つ歯切れが悪く傍聴席からも失笑が漏れるほどで、残余の10分程度は一問一答で迫りましたが官僚答弁に終始しました。

一問一答になり
大森市長ら

16時過ぎに終わり、羽場議員に案内されて市民ネットの控室で暫時懇談しました。鬼木のぞみ議員が来週の質問作成作業の最中でした。

市民ネットの控室で

さらに浦上雅彦議長を表敬し、帰宅しました。

浦上議長を表敬

庭に出てみると、柚子が鈴なりでした。

庭の柚子

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12月5日、立憲2区集会、事務所、電話取材

2区集会で

13時から岡山市議会で森山幸治議員の一般質問があったのですが、14時からの日程と両立しないので見送り、13時45分ころに出て近くの公民館に行きました。

14時から、立憲民主党岡山県連合の第2区パートナーズ集会を行いました。様々な事情で出席者は10人弱でしたが、中身の濃い協議が出来ました。私が15時ころまで、「桜を見る会」を巡る最近の情勢や11月のご即位関係の諸行事などにつき話をし、質疑を受けて意見交換し、続いて原田謙介さんが最近の活動状況につき報告しました。

2区集会で

15時過ぎに妻が別の公民館でのコーラス練習を終えて合流したので、交代して私は中座しました。 次に法律事務所に入ると、16時過ぎに東京の報道関係の記者から電話が入り、最近の政治情勢につき取材を受けました。

電話取材

「桜を見る会」を巡る一連の事態に対し、国民の失望と批判はかなり深いと思います。ここで憲法12条の国民の不断の努力を促し、次の国政選挙で国民の政治的意思を国会の議席数で具体的な形に仕上げるのが、この段階での野党の最大の役割であり、その認識を共有する野党は連携する責任を負っていると思います。

その後、デスクワークをし、17時半ころに出て帰宅しました。

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12月4日、所用、こよし、事務所、平和センター、番町文庫

平和センターで挨拶

妻は朝から旭川荘のおむつたたみボランティアに出掛け、私の10時過ぎに出て午前中の所用を済ませました。12時半ころ、妻たちと「和ダイニングこよし」で落ち合い、14時過ぎまで一緒にゆっくりと昼食を食べながら懇談しました。

こよしで昼食

その後、法律事務所に入り、18時前まで依頼されていた原稿書きなどのデスクワークに取り組みました。

事務所で

ハッと気が付くと、18時からの「平和・人権・環境労組会議(平和センター)」の年末懇親会が始まる直前で、大急ぎで飛び出し、数分遅れて会場に飛び込みました。既に来賓挨拶になっており、高原俊彦県議と奥津亘弁護士の挨拶を聞き、森本榮さんの音頭で懇談となりました。暫くして関係団体や各級議員らの挨拶となり、冒頭に私も指名されて挨拶しました。

平和センター懇親会
私の挨拶

19時過ぎに中座し、妻が中国語講座に出席している番町文庫に行き、夕食を食べました。私の小学校以来の友人の山本美奈子さんが店主のお好焼き屋で、店の裏に座敷があり友人らの教室になっているのです。

番町文庫で

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12月3日、鳥井議員質問傍聴、事務所、個人情報

民主県民クラブの皆さんと

岡山県議会本会議の代表質問が始まり、鳥井良輔県議が民主県民クラブを代表して質問するので、10時半に出て傍聴に行きました。エレベーターでの傍聴席へのアクセスは良くなったようですが、傍聴受付は相変わらず裏口のようなところにあり、傍聴者本位ではありません。

鳥井議員の質問は今日の2番手で、11時前に始まっており、25分ほどの時間で県の産業や海運から学校現場の問題まで広範囲にわたって質問しました。答弁は伊原木知事のほか、教育長と県警本部長が行い、11時半過ぎに休憩となりました。

県議会本会議場
鳥井議員の質問
伊原木知事

直ぐに鳥井議員がやって来て、JR連合の皆さんなど応援に駆けつけてくれた皆さんと記念写真を撮り、さらに鳥井議員と一緒に民主県民クラブの控室を訪ね、在室の議員の皆さんと暫時懇談して記念写真を撮りました。

傍聴の皆さんと

その後、帰宅して一息入れ、15時過ぎに出て所用を済ませて16時に法律事務所に入り、1時間ほどデスクワークをして帰宅しました。

事務所で

「桜を見る会」の招待者リスト登載者の氏名は個人情報だから、漏洩防止のために直ちに元から廃棄したと説明されています。しかし、住所や年齢などなら別論、氏名は行政情報でもあり、この最終的帰属主体は国民です。さらに、これは一般的には名誉になる情報であって、決して不名誉な情報ではありません。これらの法益を総合勘案して廃棄の是非や必要性を判断すべきものであり、個人情報だからというだけで廃棄が正当化できるものではありません。本件の場合、氏名の帰属主体にとって廃棄が必要だったとは到底考えられず、必要性は誰かほかの人のためだったと思われます。

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12月2日、決算質疑、事務所

事務所で

参議院本会議での安倍首相に対する質疑の模様を、テレビ中継で見ました。決算重視の参議院では、決算審議の立ち上がりを本会議質疑から始めることにしており、そのために冒頭に麻生財務相の決算報告があり、質疑者も決算に触れますが、時が時だけに質問の最重要テーマは「桜を見る会」問題になりました。しかし安倍首相の答弁は、型通りに終始しました。衆議院の予算審議の間にも参議院の決算審議を行えるよう、これまで月曜日を決算委員会の定例日にして来たので、これを踏襲すれば今後の決算委員会質疑は厳しくなると思います。

見終わって、15時過ぎに出て法律事務所に入り、デスクワークや電話連絡をしました。17時半に帰路に就くときには、西の空は真赤になっていました。間もなく冬至です。

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12月1日、カラオケ大会、GLA、ももちゃん宅

「越後獅子の唄」を

いよいよ今年も師走となり、年末企画が立て込んできます。10時過ぎに妻と出て、玉野市荘内で行われた住吉良久県議後援会主催のカラオケ大会に行きました。住吉県議とはかれこれ40年近くも友好関係を続けており、カラオケ大会も可能な限り出席してきましたが、今日も11時過ぎに飛び入りで、没後30年となる美空ひばりの「越後獅子の唄」を歌いました。

熱唱

12時過ぎに帰宅して、いただいたお弁当で昼食を済ませ、14時半ころに再び妻と出て、「GLA感謝の集い」に出席しました。高橋佳子さんが横浜で行う講演をテレビ中継で聞くもので、15時半過ぎから始まり17時半ころまで続きました。活動開始から50周年となり、「魂の学」を仕上げてきたので、いよいよこれからその実践に入ると述べられました。フランシス・ベーコンが提唱した人間の外的世界に達成する理想郷「ニュー・アトランティス」に対し、内面の充実によって湧き出る作用を波及させることにより真の理想郷を目指そうというもので、内面の空疎化が著しい今の日本などにとっては特に大切な視点だと思います。

GLAで

食材を買い求めて18時ころからももちゃん宅にお邪魔し、みんなで鍋を囲みました。小学三年生のももちゃんはずい分成長し、一生君も来年はいよいよ一年生です。食後は百人一首で坊主めくりをし、大興奮の一生君の叫び声で窓ガラスが割れるかと心配になるほどでした。

ももちゃん宅で

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11月30日、玉龍会例会、LEC祝賀会

LEC合格祝賀会

12時半過ぎに出て、13時からの玉龍会例会に出席しました。私が会長を務める書道のグループです。冒頭に私が挨拶をし、先日の皇居での諸行事の参加報告をしました。さらに、夏に行った第50回の展覧会の作品集を作るために相談をし、概ね見えてきたところで、15時半過ぎに中座しました。

玉龍会例会

次に16時半からのLEC東京リーガルマインド岡山本校の各種試験合格祝賀・交流会に出席しました。司法試験、司法書士試験、行政書士試験などの資格試験と公務員試験の合格者が30余名集まり、東京から反町雄彦社長も参加しました。まず合格者を拍手で迎え入れ、反町社長の挨拶に続いて来賓紹介がり、私と岡山弁護士会の小林裕彦会長が挨拶し、全員で記念写真を撮り、乾杯から懇親となりました。

反町社長の挨拶
私の挨拶
合格者と懇談

合格者と各資格の先輩との交流が進む中、各資格ごとに記念写真を撮りました。

中小企業診断士試験
司法試験
司法書士試験
行政書士試験
キャリアコンサルタント試験
土地家屋調査士試験
社会保険労務士試験
公務員採用試験

概ね撮影し終わったところで1時間強が経過し、中座しました。

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11月29日、中曽根さん逝去、事務所、歯科

事務所で

今朝からテレビのトップニュースは中曽根康弘元首相の逝去が続いています。私も中曽根さんの思い出は数多くありますが、2点だけ記しておきます。

まず、1982年3月18日の参議院予算委員会の総括質疑(https://www.eda-jp.com/satsuki/kokkai/830318.html)のことです。私の最初の参議院議員任期後半のことで、小会派のため在任5年目で最初の予算委総括質疑でした。首相に憲法改正につき質したのですが、「政治日程にのせない」と明言されました。

次は2008年5月27日の日韓協力委員会創立40周年祝賀レセプションでの私の参議院議長としての挨拶(https://www.eda-jp.com/satsuki/2008/0527.html)です。その日は中曽根会長が卒寿の誕生日に当たるとのことで、冷戦終結の直後に中曽根さんが「世界史が新しい時代を迎えた」と述べたことに触れて、世界史的視点の確かさに賛辞を送りました。当時は政治家も歴史家も、米ソの勝敗にしか目が向いていませんでした。享年101歳。合掌。

妻は朝から出掛け、私は一人で昼食を食べて、15時過ぎに出て法律事務所に入り、電話連絡やデスクワークをしました。17時半に出掛けに西の空を見ると、細い月と宵の明星が奇麗でした。

18時から歯科治療で、傷みが酷く2時間以上かかりました。