に投稿

12月18日、上京、所用、議員会館、帰岡

議員会館で

妻の送りで7時半過ぎに出て、いつもの朝の渋滞を掻い潜って岡山駅に急ぎ、8時半前の新幹線に滑り込んで上京しました。ホームでやっとお握りと飲み物を買って、朝食にしました。

霧の百間川
朝食

静岡を過ぎる辺りまで、窓の外はずっと霧が続いていました。

多摩川では青空も

11時半過ぎについてJRと都バスで移動し、12時過ぎから3時間ほど、所用に没頭しました。その後、地下鉄で参議院議員会館まで移動し、スタッフと暫時打合せをして東京駅に行き、17時半の新幹線で帰岡しました。駅前広場はイルミネーションが鮮やかで、巨大な掲示版がオリンピックまでの秒読みを表示していました。

東京駅前広場

に投稿

12月17日、法曹協議会、懇親会、「憲法くん」

坂手洋二さんと

昼過ぎまでゆっくりし、14時半に出て岡山弁護士会館に行き、15時から2時間弱、法曹協議会に出席しました。在岡の法曹3者の全機関、例えば裁判所なら広島高裁岡山支部、岡山地方裁判所、同倉敷支部等、岡山簡裁、岡山家裁、同津山支部等、広島高検岡山支部、岡山地検、同倉敷支部等及び岡山弁護士会並びに岡山地方法務局及び岡山刑務所の各代表的役職者と弁護士が一堂に会し、各部署から提出された事項につき協議をするものです。岡山では長く続いており、昨年は続行に疑義が出されましたが、今回は規約を整えて継続することになりました。各種書類提出時期、記載内容などから通訳人の整備状況、法廷でのマイク使用要請など、多岐にわたる協議がなされました。

終了後に一度帰宅し、妻に送って貰って、18時から30分ほど、同協議会の忘年懇親会に出席しました。

忘年懇親会

中座して19時から2時間強、妻とともに、燐光群による演劇「憲法くん」を鑑賞しました。私の高校恩師、坂手得二先生のご子息、坂手洋二さんの台本と演出によるもので、原作は松元ヒロさんです。日本国憲法を高く評価する立場から、憲法が蔑ろにされている状況を次々と演じて行き、憲法の最良のパートナーとしてマルクスまで登場する問題提起型の傑作で、異論があったり一般にはちょっと難解な部分もあると思いますが、来春には政権交代が起きるという未来志向もあり、ぜひ多くの人に見て貰いたいものです。

終了後に

終了後には坂手洋二さんと言葉を交わしました。

に投稿

12月16日、法律相談、取材依頼

法律相談

昼過ぎまで自宅でゆっくり電話連絡やデスクワークなどをし、14時半前に出て法律事務所に入りました。15時から1時間強、法律相談を受けました。3年強に亘たる男女関係に関するもので、民事・刑事と幅広く検討しました。

その後、18時前までデスクワークや取材依頼の電話連絡などをしました。この間だけは、目の回る忙しさでした。

に投稿

12月15日、高井さん報告会

私の来賓挨拶

妻は昼前に所用で出かけ、私はテレビでのど自慢などを見ながらのんびりしました。14時半ころ、帰宅した妻とともに出掛け、15時から2時間強、高井崇志さんの国政報告会に出席しました。

後援会の清水副会長の開会挨拶に続き来賓挨拶となって、冒頭に私が指名され、天皇即位の諸行事や川崎市のヘイトスピーチ禁止条例などに触れながら、5分程度の激励挨拶をしました。

清水副会長の開会挨拶

さらに高原俊彦県議、鬼木のぞみ市議、下市このみ市議、原田謙介さんと羽場頼三郎市議の挨拶があり、15時半過ぎから高井さんの報告となりました。

高原県議
鬼木市議
下市市議
原田謙介さん
羽場市議

高井さんは1時間ほど、歴代最長となった安倍政権の酷さとして、憲法違反の安保法制のほか数多くの強行採決、原発再稼働と後ろ向きの温暖化対策、米国言いなりの外交、権力の私物化、隠蔽・忖度の行政、マスコミへの圧力等民主主義の崩壊に触れ、アベノミクスや幼児教育無償化の危うさ、そして消費増税の悪影響を指摘し、次期総選挙への決意を述べて大きな拍手を受けました。

高井さんの国政報告

さらに大塚愛県議の来賓挨拶があって、会場からの質疑応答に移り、5人の質疑者に丁寧に答えました。17時に、後援会の尾崎会長の挨拶があって、閉会となりました。その後、懇親会に移ったのですが、私はそこで退席して妻とともに帰宅しました。

大塚県議
尾崎後援会長の閉会挨拶

に投稿

12月14日、おかやまいっぽん、神伝流游泳会

神伝流岡山游泳会

朝からのんびり過ごし、15時ころにやっと腰を上げて出掛けて14時からの集会会場に向かいました。ところがどこも大渋滞で、16時過ぎにやっと労働福祉事業会館に着き、おかやまいっぽん主催の「地域のチカラをひとつに~ぎゅっとつかむ市民による衆院選」に参加しました。

既に滋賀県から来られた斎藤敏康さんの講演が終わり、おかやまいっぽん津山の活動報告の最中で、続いて各党からの挨拶となり、立憲民主党から高井崇志さん、社会民主党から野崎保さん、日本共産党から大平喜信さん、国民民主党から津村啓介さんが挨拶し、最後に岡山いっぽんの大坂圭子共同代表が閉会挨拶をして、17時前に終了となりました。野党の本気の連携が進むことを願っています。

津山からの報告
高井さん
津村さん

その後、岡山駅で所用を済ませて次の会場に向かったのですが、やはり大渋滞で、18時過ぎにやっと到着という有様でした。18時半から21時過ぎまで、神伝流岡山游泳会の総会と懇親会に出席しました。私はなかなか活動に参加できていないのですが、まず乾杯の音頭を取って気合を入れ、今年度の活動報告、会計報告と監査報告、さらに来年度の活動予定と予算案の提案があり、全て意義なく承認されました。その後は懇親で、私も質問に答えて上皇さまと神伝流のこととか私が旭川の水泳場で活動していた時の昔話など、あれこれ思い付くことを話しました。現役の皆さんの活動を切に願っています。

まずは乾杯!

に投稿

12月13日、お礼記帳、帰岡、歯科

常陸宮邸で

10時半にチェックアウトして日本鳥類保護連盟の名執芳博専務理事らとともに常陸宮邸に行き、昨日のご臨席のお礼記帳をしました。都心にとって貴重な緑地で、鮮やかな橙色のカラスウリが数個実り、野鳥が突いた跡が見られました。

お礼記帳に

そのまま東京駅に急ぎ、昼食に蟹すしのお弁当を買って、12時前の新幹線に飛び乗りました。西に向かうに従い雲が切れ、晴れ間が見えてきました。

蟹すし

15時過ぎに着いて帰宅し、17時半前に出て予約してあった歯科の処置を済ませました。2時間強掛かりました。

に投稿

12月12日、上京、中島さんら、落葉、日鳥連、泊

総裁賞の小林さんと

久し振りに上京中しました。8時半に出て順調に走れたのですが、岡山駅西口までに40分弱、さらにパーク&ライドに駐車してホームに上がるまでに10分ほどかかり、売店でお握りを買ったところに電車が入って来て、ホッとしました。見事な快晴で、旭川も百間川もうららか、ひと眠りして覚めると雪を被った富士が奇麗でした。

師走の旭川
雪を被った富士

東京駅から徒歩で次の会場に行き、13時前から中島義雄さん、武田勝年さんらと昼食を食べながら懇談しました。どちらも大学の大枠同期で、中島さんは私が自治会委員長の時の副委員長で一緒に処分を受け、以来仲良く歳を重ねて来ました。武田さんは私が日中友好会館の会長の時に理事長を務めてくれました。最近の政治や社会の状況につき、専ら嘆き節に終始してしまいました。

中島さん、武田さんらと

14時半前にホテルにチェックインして一息つき、夕方からの日程に出掛けました。 途中で日比谷公園を通ると、イチョウがほぼ落葉を終わって、木陰も道路も真っ黄色になっていました。

日比谷公園のイチョウ

17時から30分弱、愛鳥百人委員会に出席しました。私は会長ですが、ご出席は10人ほどで活動が活発とは言えず、率直に事態の深刻さを指摘して協力を求めました。

愛鳥百人委員会

17時半から愛鳥懇話会の会場に移り、まずご臨席いただく常陸宮さまを玄関でお迎えし、17時50分に出席者全員の拍手で宮様を会場にお迎えしました。続いて来年度の愛鳥週間用ポスター原画コンクールの総裁賞授与式となり、シマフクロウを描いた受賞作品の紹介に続いて受賞者の静岡県の中学2年生の小林日愛里さんがグレタさんを彷彿とさせるような素晴らしい挨拶をし、私が代読して総裁賞の賞状を授与しました。次に同じくシマフクロウのステッカーコンテストの最優秀賞授与式に移り、桐谷衣以奈さんに私から賞状を授与しました。その後、宮さまと出席者全員とで記念写真を撮りました。

シマフクロウ
名執専務、野田会長らと
記念写真その1
同その2
私の挨拶

続いて、恒例の愛鳥懇話会となり、私が日鳥連会長として開会挨拶をし、来賓として環境省自然環境局の鳥居敏雄局長の挨拶を受け、鳥類保護議員懇話会の野田毅代表に挨拶と乾杯の音頭をいただいて歓談に移りました。18時45分に宮様のご退席となって私が玄関でお見送りをし、さらにプレゼント抽選などがあって、日鳥連の岡本圭祐理事の中締め挨拶で閉会となりました。

小林さんご家族と
中締め

に投稿

12月11日、岡弁総会、全員協議会、岡山駅

江田剛副会長

13時半に出て岡山弁護士会館に行き、14時から2時間弱、同弁護士会の臨時総会に出席しました。東隆司会員が議長席に、水田美由紀会員が副議長席に着き、冒頭に逝去された長谷川修会員と田淵浩介元会員に黙祷を捧げ、小林裕彦会長が活動報告を兼ねた挨拶をし、会員の異動の報告と新会員挨拶があり、近藤幸夫日弁連副会長の活動報告の代読と定足数確認がありました。現在の会員数は400名、本人出席が159人、委任状出席が64名で、特別決議に必要な過半数出席も満たしていました。

小林会長の挨拶

次いで議事に入り、会則改正と委員会等5会規の改正が順次提案されて質疑討論の後に、いずれも虚数多数で可決されました。第5号議案は委員会の定足数を下げようとするもので、様々な議論が出ました。第6号議案はハンセン病被害者サポートセンターの法律相談に関するもので、江田剛弁護士が担当副会長でした。

江田副会長

終了後、若干の休憩があって、16時前から全員協議会となりました。まず、いわゆる谷間世代に対する経済的支援策につき説明があって活発な議論が行われました。

暫時休憩

続いて育児期間中の会費等免除につき議論があったのですが、私は1時間ほどで中座し、岡山駅に行って所用を済ませて帰宅しました。駅前のイルミネーションが奇麗でした。

岡山駅前のイルミネーション

に投稿

12月10日、相談、夕食会

夕食会

妻は午前中は公民館のコーラス練習に出掛け、私は留守番をしながらゆっくりしました。14時ころに一緒に出て法律事務所に入り、私は15時から1時間弱、法律相談を受けました。日常生活に精神的不安を抱えた高齢者の相談ですが、具体的な紛争案件が見つからず、心配しなくていいというアドバイスしか出来ませんでした。その間、妻は年賀状作りをしていました。

相談

その後、一緒に帰宅し、17時半前に一緒に出て、18時から2時間半ほど、長く私を応援してくれた皆さんとの夕食会を行いました。会話の大部分は四方山話ですが、安倍政権の問題点や日韓問題などのほか、立憲民主党に対する厳しい声も聞かせて貰いました。日常活動の不足という指摘は、私にも返す言葉がありませんでした。

に投稿

12月9日、白松、中村医師、事務所、訓練、夕日

事務所で

雲一つない快晴で、窓際で陽光を浴びながら、のんびりとデスクワークをしました。庭の白松にハトが体を丸くして暖を取り、その周りをスズメが飛び交っていました。

庭の白松
日向ぼっこのハト

中村哲医師のご遺体が帰国しました。アフガンでは大統領が先頭で棺を担ぎ、帰国した空港には大勢の在日アフガンの皆さんが集まって弔意を表したとのニュースに、思わず涙が出ました。私は、2002年2月7日の参議院本会議での代表質問(https://www.eda-jp.com/old-index.html)で中村医師に触れましたが、首相答弁はまさに通り一遍でした。

14時に妻と出て法律事務所に入り、電話連絡やデスクワークをし、16時半ころに出て夕食の食材を買いました。向かいの消防署前では、署員が訓練をしていました。

消防署の訓練

帰宅途中に見ると、旭川に架かる橋の向こうに、真赤な夕日が沈んでいきました。

旭川の日没