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11月28日、庭、原田さんご両親

原田さんご両親と

シルバーの皆さんにお願いして、朝から庭の剪定と清掃をしていただきました。昼前にはすっかり見違えるようになり、手入れをしていなかった黄菊や白菊が可愛らしい花を見せてくれました。雲一つない青空に、南天の実が赤く光っていました。

庭の黄菊
白菊
南天

妻は朝から公民館のコーラス練習でしたが、昼過ぎには帰って来て、夕方まで二人とも自宅でのんびり過ごし、17時半ころに一緒に出て、18時から3時間ほど、原田謙介さんのご両親と夕食を食べながら懇談しました。天下国家のことから身辺雑事まで、とりとめのない話題に花が咲きました。

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11月27日、事務所

事務所で

天気が崩れて来ました。寒暖の差がまさに乱高下です。

昼過ぎまで自宅でゆっくりし、14時半に出て法律事務所に入り、デスクワークをしました。東京で勾留中の被告人から刑事弁護の依頼がきましたが、既に国選弁護人が付いており、私自身の公判の日程調整は困難なので、お断りのハガキを書きました。

17時半ころに出て、小雨が降り始めた中、若干の所用を済ませて帰宅しました。

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11月26日、事務所

事務所で

妻は朝から旭川荘のおむつたたみボランティアに出掛け、私はゆっくり起きて10時半ころにやっと用意してくれた朝食を済ませました。昼からも妻は立憲民主党県連のボランティアに出掛けるというので、私は13時半ころに出掛けました。

14時半ころに法律事務所に入り、まず電話連絡と事務員との打合せを済ませた後、パソコンに向かって原稿書きに取り掛かりました。私が会長の書道グループ「玉龍会」の会報に載せるもので、17時前に仕上げてメールで送り、若干の所用の後に帰宅しました。

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11月25日、紋加ちゃん、共産党県委員会、未済箱

植本さんと石井さん

このところの過密日程で疲れが溜まったのか、昼過ぎまでうつらうつらして過ごしました。13時過ぎに、下川倫史ご夫妻が生後5か月の紋加ちゃんを連れて寄ってくれました。一昨年9月に岡山市議補選で惜敗し、これから郷里の鹿児島に帰るそうで、これからの活躍を楽しみにしています。

下川夫妻と紋加ちゃん

14時半に出て法律事務所に入ると、15時に日本共産党岡山県委員会の植本完治委員長と石井ひとみさんが来られ、先日の赤旗に載った私のインタビュー記事のことなどに付き、暫時歓談しました。私もつい学生時代のことなどを思い出して、長い思い出話をしてしまいました。

16時前から、山になっている未済箱の整理を始め、18時半ころまで掛かりました。外に出ると、突風が吹き荒れていました。

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11月24日、立憲民主党県連大会

執行部席に着席

早めに昼食を済ませて12時半に妻とともに出て、市内中心部に向かいました。ところが駐車場がどこも満車で、13時からの立憲民主党岡山県連合の第2回大会に10分ほど遅れてしまいました。

堀井進さんを議長に選出し、高井崇志代表の挨拶に続いて来賓挨拶となり、国民民主党の髙橋徹県議に続いて社会民主党の宮田好夫さんの挨拶のところで執行部席に着席しました。

次いで柚木道義さんと連合岡山の金澤稔さんの挨拶を受け、祝電披露に続いて党本部来賓の長妻昭選対委員長が約30分の講演をしてくれ、現在の日本社会の病理を働き方の分析から解明してくれました。質疑応答もありました。

金澤連合岡山会長
長妻本部選対委員長

続いて議事に入り、幹事長の鳥井良輔県議の提案で、まず活動報告、決算報告と監査報告があり、若干の質疑の後に拍手で了承となり、さらに活動方針と予算案に移って拍手で了承されました。

鳥井幹事長の提案

最後に役員改選が拍手で了承され、私は引き続き顧問を務めることになりました。最後に議長解任で議事を終わり、新役員を代表して副代表の森本榮第3区総支部長が閉会挨拶をして終了しました。帰宅は16時ころになりました。

森本さんの閉会挨拶

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11月23日、「オリバー・ツイスト」、帰岡

主役の航と

8時に起床すると、既に娘の真理子と三男の航は出掛けており、夫の松浦信平君の手作り朝食をいただいて、9時前に妻と三人で東京賢治シュタイナー学校に出掛けました。

9時半から8年生の演劇発表があり、航が主役で「オリバー・ツイスト」が始まりました。チャールズ・ディッケンズ原作のものをかなり縮めて脚本にしており、8年生10人が8月末から取り掛かって舞台装置や衣装もすべて手作りで仕上げました。役が多いので一人が数役を掛け持ちし、航も主役のほかにヴァイオリン演奏も受け持っていました。 「アグネスに捧ぐ」と彫られた金細工を持った母が、オリバーを産み落として直ぐに亡くなるところから始まり、次の舞台は泥棒仲間に引きずり込まれるところと、速い展開です。15分の休憩を挟んで、莫大な遺産を残した父と母違いの兄が企んだ隠れた筋書きが明らかになっていく展開で、感激のフィナーレとなりました。最後に10人が舞台上に並んで歌いながら自己紹介をする場面では、思わず感動して涙が出て、大きく拍手をしてしまいました。出演は全員が14歳ですからセリフの出し方などは改善すべきところが大有りですが、彼らのこれからの人生にとって大きな体験となったと思います。ただ感謝するのみです。

終了後

妻ともども信平君に送って貰い、立川からJRで東京駅に戻り、昼食を食べて15時過ぎの新幹線で帰岡しました。

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11月22日、日展、松浦家夕食、泊

松浦一家と

私の女性後援会「アゼリア会」の有志が38年間続けている社会福祉法人旭川荘でのおむつたたみボランティアが、厚労大臣表彰を受けることになり、今日が全国大会での表彰式なので、妻は10時に出て行きました。

私は11時にチェックアウトして、地下鉄を乗り継いで12時に国立新美術館に着き、日展を鑑賞しました。私の参議院議長の肖像画を描いていただいた石田宗之さんの洋画や、道文会の小野玲華さんや寺谷和子さんの書、さらに師村妙石さんの篆刻などを1時間ほど拝見して、館内のレストランで昼食を食べました。何と大行列で、注文が14時過ぎになりました。

石田さんの洋画
玲華さんの書
寺谷さんの書
師村さんの篆刻
聖雨さんの書
松嶋さんの書
レストランから会場を見る

15時半ころに出て、地下鉄千代田線、小田急線、井の頭線と京王線を乗り継いで、17時ころに高幡不動に着き、娘の夫に迎えて貰って松浦邸に着き、娘一家と夕食会になり、泊めて貰いました。たまたま長男、二男とも不在で、私たちが泊まれる部屋が出来たのです。

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11月21日、初岡さん、後楽会

後楽会で懇談

11時過ぎに妻とともにホテルを出てJRと地下鉄で移動し、12時過ぎに銀座のフランス料理店に着きました。初岡昌一郎さんご夫妻にお招きいただいた昼食会で、手の込んだ洒落た料理と素晴らしいワイン、それに楽しく弾む会話で時の経つのを忘れ、気が付くと15時半ころになっていました。

初岡さんらと昼食

その後、妻と別れて地下鉄でホテルに戻って一息つき、17時半から中華料理店で「日中友好後楽会」の会員総会に出席しました。私が顧問を務める日中友好会館に縁の繋がる者らによる親睦団体で、中国留学生による後楽寮の寮生委員らも来賓として呼ばれ、40余人が集まりました。私の発声による乾杯で懇親に移り、19時ころに日中友好会館の鄭祥林中国代表理事の中締め挨拶で閉会となりました。

乾杯
懇談

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11月20日、江田三郎を偲ぶ会、太極拳交流大会

江田三郎を偲ぶ会

11時前に出て地下鉄で麹町に行き、11時半から14時ころまで、「江田三郎さんを偲ぶ会」に出席しました。約20人が集まってくれ、三郎家族からは私たち夫婦と長女に私の実弟の拓也も参加しました。

江田一族

学生時代から出入りしていた山田高君の司会で、黙祷と献杯をし、食事を食べながら、青年時代から三郎門下生として活動している仲井富さんが国会登場前後の父の話をしてくれ、時々私も注釈を加えました。久しぶりに自宅に戻って若い県議さんらと酒を飲んでいた時、父が烈火のごとく怒って茶碗を手で握り潰し、手が切れて血まみれになり、私を連れて銭湯に行った時のことを、私の記憶と突き合わせてみました。私は子どもではっきりわからなかったのですが、仲井さんの説明で、怒った理由は日本社会党の左右分裂の原因となった全面講和か単独講和かの違いだったとはっきりしました。私は、何か外交安保関係のことだとは思っていたのですが、それ以上は知りませんでした。父は、現実論に対して妥協的になる地方議員の皆さんに対して、あくまで全面講和で筋を通す左派の立場を主張し、ついに怒りが爆発したのです。

献杯
仲井さんの話

その後、全員から一言ずつ話をしていただき、記念写真を撮りました。参加者は高齢化し、幽明境を異にしたものも次々ですが、今回は1981年生まれで立憲民主党で練馬区議に当選した富田けんじ君が参加してくれました。

羽かい富田区議
私の挨拶

その後、調布市の武蔵野の森総合スポーツプラザに急ぎ、2019太極拳全国交流大会に出席しました。私は日中太極拳交流協会の会長を仰せつかっています。簡化24式太極拳が周恩来、古井喜実のお二人の努力で日本に紹介されて60周年となる第34回大会で、全国から3000人を超す皆さんが参加し、最年少は中学生、最高齢は95歳でした。私も最後の2時間弱を拝見しました。

表演を鑑賞
表演
最年長は95歳

17時過ぎに終了し、直ちに閉会行事となり、まず私が会長挨拶を行い、続いて中国老師講評、成績発表と表彰となり、私も表彰状授与を行いました。さらにまだ残っている参加者全員による表演、個人種目最優秀選手の表演、中国老師による表演と続き、18時半に終了となりました。

私の挨拶
全員参加で

そこでお別れして都心に戻り、19時半に妻と合流して夕食を食べ、寒風に晒されながらホテルに戻りました。

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11月19日、上京、憂楽会、泊

憂楽会で乾杯の音頭

今日から4泊5日で上京なので、荷造りをして10時に出て、まず所用を済ませました。次いで法律事務所を経由して岡山駅に行き、構内で昼食を食べて、13時半前の新幹線で上京しました。道中は次第に雲が消えて快晴となり、富士山がきれいに見えました。雪はありますが、冠雪まではいかないと思います。

晩秋の富士

16時半過ぎに東京に着く直前、太陽が西に沈みました。まるで大火事のような風景でした。

東京の日没

16時半過ぎに着いてひとまずチェックインをし、17時半から大学の政治コースで同期だった友人らで続けている「憂楽会」の定例会に出席しました。私はずい分ご無沙汰して久し振りだったので、指名されて乾杯の音頭を取りました。

ゲストスピーカーとして松富かおりさんが来てくれ、まず1時間ほど、「『ニュー・ノーマル(新しい常態)の時代』の俯瞰」というテーマで、世界史の新展開の中で現在を理解し、その中で日本の役割を理解しようと問題提起をし、さらに新著「エルドアンのトルコ」を基にトルコ情勢を判り易く解説してくれました。

松富かおりさんと

その後、参加者からの発言が続き、的確に答えていただいているうちに、20時が迫って来て閉会としました。

閉会へ