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7月24日、コンサート、立憲事務所、黒岩さん

暖ちゃんと

相変わらず疲れが取れず、ゆっくり起きて電話連絡などをし、13時半に妻とともに出て岡山大学医学部構内のホールに音楽を聞きに出掛けました。レインボーコンサートで、今日は三好朝香さんのピアノ独奏でショパンのポロネーズ第6番「英雄」など、青山暖ちゃんのヴァイオリン独奏でフランクのヴァリオリンソナタ、そして三好さんと暖ちゃんのサラサーテのツィゴイネルワーゼンでした。暖ちゃんの演奏はを最初に聞いたのはまだ小学生のころで、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲で、今は中学3年になり、演奏にもますます磨きがかかって来ました。2時間ほど休憩なしで二人とも素晴らしく、元気を貰いました。

三好さんと暖ちゃん

終了後、16時半ころに立憲民主党県連事務所に行き、妻は早速電話掛けに取り掛かりました。

立憲県連で

私は帰宅して一息つき、親友の黒岩徹さんが19時半からのBS番組に出演するというので、妻を迎えに行き、やっと放映開始に間に合いました。 テーマは、英国保守党のボリス・ジョンソン新党首の首相就任とその後のEU離脱の行方で、英国政治に通じた4人のゲストが登場し、それぞれの切り口から新首相の人物像をあぶり出し、今後の行方を占うもので、一口に言えば何が起きても不思議でないという話で、極めて興味深く聞きました。そのため、夕食は21時過ぎになりました。

黒岩さんテレビ出演

なお、テレビで吉本興業の件が盛んに取り上げられています。識者のコメントの中で、諾成契約だから書面が無いというものがありましたが、これは間違いです。意思表示の合致によって成立するのが諾成契約で、ほとんどすべての契約は諾成です。これに対し、物の移動がないと成立しない契約を要物契約と言い、例えば消費貸借がそうです。吉本と芸人との契約は諾成契約だから書面が要らないというのは、誤魔化しです。

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7月23日、投票率、白鷺

初収穫のスイカ

久し振りに妻ともども特別の予定がなく、夕方まで自宅でゆっくり電話連絡などをして過ごしました。新聞で選挙結果を見ながら、あれこれと考えを巡らせました。岡山県の全体の投票率は45.08%と過去最低で、18歳選挙権実現の立役者である原田謙介さんが個人名投票の選択肢に入っているのに、県選管の抽出調査では10歳代は27.74%で前回の39.53%より下がり、18歳は24.69%、19歳は31.08%だと報じられました。深刻です。

17時に妻とともに出て、選挙期間中に私の運転手を務めてくれた友人のお宅を訪ねました。4畳半ほどの広さの畑にスイカが実っており、初収穫のものを一ついただきました。この広さで苗は一本だそうで、びっくりしました。

熟したかな!

稲がすくすく育つ田を見渡すと、白鷺がたくさん並んでいました。夜になって東京の孫に聞くと、くちばしの付け根の色の違いでダイサギとチュウサギがいるのがわかるそうです。感心しました。

白鷺の群生
ダイサギとチュウサギ

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7月22日、歯科、芥子山、法律事務所、選挙事務所

選挙事務所の寂寥感

昨夜はテレビの開票速報を見ていて遅くなり、妻が9時にコーラス発表会に出掛けるので、眠い目を擦りながら市の中心部まで送って行きました。帰宅して電話で予約を取り、11時から短時間の歯科治療を受けました。参院選最終段階で、奥歯の詰め物が取れたのです。帰りに百間川の土手で車を停めて、梅雨空に霞む芥子山を眺めていると、やっと日常に戻った感じがしました。

百間川と芥子山

その後、自宅で目をつぶると直ぐに寝てしまう不思議な時間を過ごし、16時前に出て妻を拾い、16時半から短時間、法律事務所でデスクワークをしました。

法律事務所で

直ぐに出て、17時前に原田謙介候補の選挙事務所を訪ねました。既に概ね片付けが終わっており、寂寥感を漂わせていました。参院選は、個別の開票結果も大切ですが、低投票率も見逃すことはできません。憲法12条の「国民の不断の努力」が忘れられ、日本の民主主義は老境の域を過ぎて老衰に近づいていると、本当に心配になります。

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7月21日、参院選投票、ピアノ、同開票

敗北報告

午前中は町内の所用や来客応対などがあり、12時過ぎに妻とともに参院選の投票に行きました。報道によると、全国的に朝の投票率は前回よりもかなり下がっているようで、心配です。

投票

13時に妻と出て、14時から2時間ほど、孫のももちゃんのピアノ発表会に行きました。小中学生でかなり弾ける子どもたちばかり10人で、ブルグミューラーからショパンまで、立派に弾きこなしている子もいて、感心しました。最後に指導に当たってくれた寿明義和さんのベートーベンのソナタ第23番「熱情」を最前列で聞き、素晴らしい演奏に体も心も震えるようでした。

ももちゃんのピアノ
寿明さんの「熱情」

その後、自宅に戻って夕食を食べ、19時半前に妻とともに出て立憲民主党公認・野党統一候補の原田謙介候補の選挙事務所に行き、開票を見守りました。20時に投票が終了するや否や、開票速報が始まり、直ちに岡山で自民候補の当確が出ました。目を疑いましたが、これが現実で、間もなく原田候補が到着して報告会が始まり、石田篤史後援会長、高井崇志選対本部長に続き原田候補がマイクを持って、力不足の結果をお詫びし、ここでこの取り組みを終わるわけにはいかないと、引き続きの支援をお願いしました。続いて多くのテレビカメラの砲列の前で共同記者会見があり、原田候補が皆と握手をして回った後に津山事務所にむけて出て行きました。

テレビカメラの砲列
高井本部長
ここで止めるわけにはいかない
共同記者会見

参院選の結果はまだ全ては出ていませんが、何より問題なのは大変な低投票率で、5割を大きく割り込み、日本の民主主義の危機的状況を示すことになりました。

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7月20日、選挙最終日、揮毫、GLA、原田事務所、街宣、マイク納め

原田候補のマイク納めで

午前中は、妻に手伝って貰って揮毫に取り組み、11時ころに妻が立憲民主党公認・野党統一候補の原田謙介さんの選挙事務所に出掛けた後も、さらに揮毫の仕上げをしました。14時半前に出て妻と落ち合い、15時から1時間強、GLAの集会に出席し,さらに所用を済ませて17時前に原田候補の選挙事務所に寄って、最後の踏ん張りを見せている皆さんを激励しました。

原田候補の選挙事務所で

18時前に妻を残して選挙事務所を後にし、法律事務所に瞬間だけ立ち寄り、街角ライブを横目に見ながら、岡山駅東口の原田候補の野党統一候補としての最終街宣スポットに着きました。さすがに選挙戦の時間切れ寸前の岡山市中心部で、選挙区の相手候補や比例区候補の選挙カーが入り乱れ、街宣スポットにも他の候補者が来て街宣を始めましたが間もなく終わり、19時15分過ぎから原田陣営の街宣を始めました。まずおかやまいっぽんの吉岡康祐さんで、各党代表の挨拶と続き、立憲民主党の高井崇志さん、国民民主党の津村啓介さん、日本共産党の植本完治さんと社民党の宮田好夫さんがそれぞれ短く勢いよくハイテンポで話し、最後に原田候補が元気一杯に若さを際立たせました。

街角ライブは横目で
原田候補到着
おかやまいっぽんの吉岡さんから
原田候補の挨拶と各党代表

その後、駅西口に移動して直ぐに、19時半から原田候補の選挙カーが到着して、最終街宣とマイク納めが始まりました。既に薄暮を過ぎて周りを確認できませんが、これまでのその最終街宣よりも多い人が集まり、二階広場の手すりも人で埋まっていました。まず高井さんから始まり、津村さん、柚木道義さん、連合岡山の金澤稔会長と続き、私も指名されてかりゆし姿で憲法12条の「国民の不断の努力」を引用して檄を飛ばして原田候補にマイクをバトンタッチしました。

まず高井さん
津村さんに柚木さん
私も憲法12条を

原田さんの最終挨拶は、17日間の活動を締めくくるに相応しく、固い決意に溢れ迫力に満ちた演説で、大きな共感を呼びました。最後に全員でハラケンコールを行い、余韻を残しながら20時を迎えました。その後、原田候補は24時まで肉声で訴え続ける決意で、倉敷の天領祭りへと向かいました。

原田候補の決意
ハラケンコールへ
頑張るけん‼
余韻を残して

妻と私はその後、私の竹馬の友らの溜まり場となっているお好み焼き屋「番町文庫」で夕食を済ませました。

番町文庫で夕食

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7月19日、選挙16日目、揮毫、街宣s、中区演説会

雨の街宣

妻は10時過ぎに立憲民主党公認・野党統一候補の原田謙介候補の選挙事務所に出掛け、私は夕方まで自宅でデスクワークや電話連絡をしました。依頼されていた揮毫に取り掛かりましたが、少し残りました。

16時半に出て、17時から30分弱、隣接学区のスーパー前に、原田候補の街頭演説を聞きに行きました。ここは野党統一候補としての街宣で、立憲民主党から高井崇志さん、国民民主党から津村啓介さん、共産党から氏平三穂子県議と市民団体のおかやまいっぽん共同代表の吉岡康祐弁護士が応援の挨拶をし、私も自治体議員らとともに紹介され、雨の中をお集まりの皆さんに原田候補が思いを熱く語り、短時間でしたが聴衆の皆さんの大きな拍手を受けました。

いっぽんの吉岡さん
私も紹介され
原田候補の叫び

次に18時から私の居住町内の一角で原田候補の街宣を行い、まず津村さんが、次いで私もマイクを持ってご近所の皆さんに支持を訴え、最後に原田候補が思いを語りました。ここでも雨の中を多くの皆さんが出て来てくれました。

雨の中を出て来てくれ
雨の街宣

最後は19時から1時間、妻とともに岡山市中区のホテルで開かれたこの選挙最後の原田候補の個人演説会に出席しました。演壇を真ん中にして椅子を円形に並べた会場で、椅子をどんどん追加して400人ほどとなり、高橋雄大市議の司会で時間通りに開会し、応援弁士のトップが石田篤史後援会長、二番手が金澤稔連合岡山会長、そして三番手は19歳の女子学生が初めての選挙応援で初々しい挨拶をしてくれました。次に私、津村啓介さん、髙橋徹県議と下市このみ市議が演壇に上がり、マイクリレーで一言挨拶をし、私もかりゆし姿で支援を訴えました。

会場全景
19歳で初めての選挙応援
マイクリレーで

そこに原田候補が到着して近くの人と握手をしながら登壇し、力強く思いを込めて最後の屋内での決意表明をし、満場を共感の渦に包み込みました。最後に高井さんが情勢報告をして最後の支援を訴え、国民民主党のキャラクター人形も加わって津村さんの音頭でハラケンコールをして締めくくりました。

握手をしながら入場
400人の聴衆
高井さんの情勢報告
ハラケンコール

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7月18日、選挙15日目、原稿書き、玉島演説会、選挙事務所

かりゆし姿で挨拶

妻は13時に立憲民主党公認・野党統一候補の原田謙介候補の選挙事務所に出掛け、私は夕方まで自宅でデスクワークをしました。依頼を受けている原稿の締め切りが迫っており、参院選後まで待てなくなってしまいました。

やっと一区切りつけて、18時前にお迎えをいただき、倉敷市玉島の原田候補の個人演説会の会場まで行きました。途中で妻と合流したのですが、その間ずっと土砂降りで大渋滞となり、19時開会には十分間に合う筈が、何と20時前まで掛かってしまい、会場に入った時には原田候補の決意表明が始まっていました。いつものように椅子を円形に並べた会場は、雨の中を集まってくれた聴衆が200人ほどで埋まり、原田候補の心からの叫びに皆心を打たれました。

原田候補の決意表明

その後、私が指名され、かりゆし姿で短く原田候補への期待を述べて支援をお願いし、鳥井良輔県議が情勢報告をし、東京から応援に来た原田候補の友人たちを中心にハラケンコールをして全員の決意を固め、20時過ぎに閉会となりました。

かりゆし姿で
東京から友人らが応援に
ハラケンコール

21時ころに原田候補の選挙事務所に戻り、夜遅くまで頑張っている皆さんを激励して帰宅しました。

選挙事務所に戻って

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日本経済新聞「色紙とノートが語る無念」の取材を受けました

日本経済新聞のコラム「風見鶏」に「色紙とノートが語る無念」と題して取材を受けました。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO47344910T10C19A7SHA000/
上記URLをクリックしていただくと記事を参照していただくことができます。
※ 記事利用申請の手続き上、掲載された記事をHPにあげることができません。
  何卒ご了承ください。

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7月17日、選挙14日目、法律事務所、真庭演説会

かりゆし姿で一言挨拶

妻は10時過ぎに出て立憲民主党公認・野党統一候補の原田謙介候補の選挙事務所に行き、私は昼過ぎまで自宅で電話連絡などをし、14時半ころに出て法律事務所に入り、受任事件の電話連絡などをしました。

法律事務所で

15時半過ぎに出て帰宅し、16時過ぎにお迎えをいただいて原田候補選挙事務所で妻と合流して、高速道を北上して真庭市久世に行き、18時過ぎから原田候補の個人演説会に出席しました。円形に並べた椅子をどんどん追加して200人を超える皆さんが集まって立ち見も出、真庭市の柿本健治市議の司会で、選対本部長の高井崇志さんが冒頭に総括的な挨拶をし、連合岡山の鳥越範博副会長が応援弁士として檄を飛ばし、小野陽子さんが医療現場からの声を述べた後に私を壇上に呼び出し、私が飛び入りで市民政治の継承を訴えてマイクを原田候補にバトンタッチしました。

高井さんと満員の会場
鳥越副会長
小野陽子医師
原田候補にバトンタッチ

原田候補はいよいよ最終盤となってやや緊張した面持ちでしたが、声はほぼ治り、元気一杯に若さを爆発させて新しい政治への渇望を訴えました。最後に選対顧問の森本榮さんが情勢報告で檄を飛ばし、ハラケンコールで必勝の決意を新たにしました。終了後、原田候補は出口で皆さんと握手をしました。

いよいよハラケンの出番
熱を込めて
森本さんの情勢報告
ハラケンコール

私たちは高速道を南下して20時半に原田候補の選挙事務所に到着し、遅くまで仕事をしている皆さんを激励して、帰宅は21時半になりました

原田選挙事務所で