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8月11日、親族霊前、墓参、玉龍会反省会

両親の墓参

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10時前に妻と出て、岡山市北区の北端にある私の両親の墓参に行き、途中で、親族の和田さんと岸本さんのところに寄り、仏前に線香を手向けて手を合わせました。和田さん方には、私の若いころの「龍翔鳳舞」の額が掛けられていました。隣の部屋には、浅野五牛さんの「月哉日哉」という額が掛かっていました。

和田さんの霊前で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岸本さんの霊前で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12時前に墓地に着くと、駐車場が車で一杯で、聞くと山の上流に砂防ダムを造るためにお寺のすぐ前に工事用の道路を作るので、その関係の車両だそうです。墓を掃除し、草を抜き、線香を手向けて手を合わせました。近所のうどん屋で昼食を取り、帰宅は15時前になりました。

17時半からの玉龍会展反省会に、ちょっと遅れて出席しました。3時間ほど、今回の作品制作に臨んだ覚悟や展覧会全体の感想などなどにつき、各自が話して皆で論評し合い、来年に向けて精進を重ねることを誓い合いました。と書くと堅苦しくなりますが、雰囲気はもちろん和気藹々でした。

玉龍会反省会

 

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8月10日、孫たち帰京、眼科、高井さん

孫たち帰京

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜明け前に降った雨がすっかり上がり、朝日が昇って来る中、娘と2人の孫たちが6時過ぎの在来線で「青春18きっぷ」で帰っていきました。妻とともに駅まで送って行き、また会う機会を楽しみに見送りました。今日中には、日野の自宅に着くのでしょう。

また来てね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自宅に戻って寝直し、11時に出て白内障手術の診療を受けました。左眼の経過は順調で、右眼の手術準備が始まっています。13時過ぎに法律事務所に入り、デスクワークや電話連絡をしました。15時半ころ、高井崇志さんが寄ら、暫時懇談しました。17時に出て帰宅し、さらにデスクワークをしました。

髙井さん

 

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玉龍会報~出品者コメント~「龍翔鳳舞」を掲載しました

「龍翔鳳舞」

今年の玉龍会展には、作品を書く合宿に参加できず、後神直子先生に頼み、岡山朝日高校書道部の練習時間に書道教室に立ち寄って、「鳳舞」と大画仙紙に揮毫しました。現役の生徒の皆さんの見ている前で、緊張しましたが、何はともあれ仕上げることができ、ほっとしています。

私の自宅は、間もなく築40年になります。1977年に、父・江田三郎の政治活動上の憤死で裁判官を辞し、国政に参画して暫くして、やはり自分の本拠を岡山に持たなければと、住宅ローンで建てたものです。その玄関には新築当時から、私の「龍翔」という全紙の作品を掛けています。私の国政進出直後の作品で、2007年12月の河田一臼先生の回顧展の際に出品させていただいたものです。

昨夏に参議院議員任期満了とともに足掛け40年に亘った国政の現場から去り、秋には桐花大綬章をいただいたので、この際、「龍翔」から始まった国政参加の締めくくりとして、「鳳舞」を選んでみたのです。しかし、作品の出来も不満足だし、この間の国政活動も決して満足できるものではありません。むしろ、恥多き政治家人生だったなと回顧しています。

桐花大綬章は最高位の勲章で、今春には森喜郎元首相に授与されました。私の場合は、2007年から10年までの参議院議長に対するもので、衆参で多数派の異なるねじれ状態だけでなく、参議院内でも私の出身母体の民主党は過半数に至らず、国会運営は苦労の連続でした。ガソリンの店頭価格が下がったり上がったりして、国民生活に混乱も起こしたりしました。政治が生活に直結しているのを実感できて良かったというのは、弁解になりません。

もともと叙勲制度は国民に序列をつけるもので、根本的な批判もあります。江田のやつはあんなものを貰って悦に入っていると、陰口も聞こえます。私が偉くなったわけではありません。地元に何の利益誘導もしないのに、終始変わらず私を支えてくれた皆さんがいてくれたからこそ、議長の職務を全うできたので、叙勲は皆さんがいただくものです。私が代表して、受け取らせていただいたと思っています。

龍ならんと欲して翔び立ったものの志を果せず、皆さんに鳳を舞っていただくのがせめてものお返しかと思っています。それでも、龍も鳳も形は一つではありません。最近はフローラという言葉が盛んですが、花園には、大輪のバラも片隅のカタバミも咲きます。多様な個性をすべて大切にし、鮮やかな「龍翔鳳舞」の風景を作りたいものです。

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8月9日、遠隔操作、電話期日、曾祖父母、NTT労組、焼肉

曾祖父母の仏前で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

携帯電話が、こちらからは掛けられるのに、相手からは呼び出しが出来ないという不具合となり、9時過ぎに遠隔サポートセンターに電話を掛けると、実に丁寧に対応してくれて治りました。たぶん私の操作ミスでしょうが、遠隔操作で治っていくプロセスには、仰天しました。

10時前に娘と孫2人を連れて出て、彼らを途中で下ろし、私は法律事務所に入りました。11時から15分強、受任民事事件の電話期日に対応しました。土地明渡請求事件で、和解の話し合いを進めています。その後、デスクワークをしました。

電話期日

 

 

 

 

 

 

 

13時過ぎに所用を済ませて帰宅すると、ももちゃんと一生君がママとともに来ており、15時過ぎにおやつの後にみんな揃って奥の曾祖父母の仏前に線香をあげて手を合わせました。曾孫らの供養を喜んでくれたでしょうか?

 

一生君もお線香を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、暫時休憩し、17時半に出て市内中心部のホテルで開かれたNTT労組中国総支部15周年「感謝の集い」に出席しました。到着が若干遅れ、来賓挨拶の途中で入ると、間もなく私が指名され、戸惑いながら40年の国政生活を振り返って不動の支援に感謝の言葉を述べました。中央本部委員長だった佐々森和男さんをはじめ、大勢のお世話になった旧役員の皆さんがお見えでしたが、30分強で退席し、孫たちと一緒に焼肉で夕食を食べました。明早朝、娘と孫2人は青春18きっぷで東京に旅立ちます。3歳の一生君は、「明日もまた会おうね」と別れを惜しんでいました。

NTT労組の集いで森本真治さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私も会場で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

佐々森元委員長

 

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8月8日、眼科、玉龍会展、取材、孫たちと花火

玉龍会展

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9時半に妻と娘と2人の孫と出掛けて眼科医に行き、昨日の私の白内障手術の経過を診察して貰いました。順調とのことでした。

 

孫たちと朝食

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眼科医で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11時から1時間ほど、みんなで今日が初日の玉龍会展を鑑賞しました。孫たちは、このような種類の書道展は初めてだったのでしょう、大変に興味深そうに見入っていました。さらに隣の福岡教育大学書道科瀬戸内県人会書作展を拝見しました。

 

玉龍会展で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

福岡教育大展

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12時半前から、みんなでうどんの昼食を食べ、空模様が急変しそうな中、私は法律事務所に入りました。若干のデスクワークをし、14時から1時間、時事問題につき報道の取材を受け、さらに電話連絡やデスクワークをしました。

 

取材

 

 

 

 

 

 

 

 

 

17時過ぎに妻の迎えが来て、若干の買い物をして帰宅すると、ももちゃんと一生君がママと来ており、19時から4人の孫と2人の娘と妻とともにカレーで夕食を済ませ、20時から1時間ほどみんなで花火をして遊びました。

夕食

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花火

 

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8月7日、台風、白内障手術、鍋

台風5号

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白内障手術の左眼の予約日で、誰に聞いても「簡単で、5分で終わる」というのですが、やはり緊張しました。午前中は電話連絡などをし、11時半前に妻とともに出て医院に向かいました。台風5号が襲来しているところで、土砂降りでした。

12時前に着いて受付を済ませ、12時過ぎから点眼薬投与が続きました。14時過ぎに呼ばれ、いよいよ手術室に入りました。覚悟はしていたものの、やはり緊張する中、違和感こそあれ痛みなどは全くなく、およそ5分程度で「無事成功しました」という声で終了しました。多焦点レンズをカバーする先進医療保険に入っていなかったので、単焦点レンズです。隣室で説明を聞き、妻の運転で15時前に自宅に戻りました。東京から娘と孫2人が来ていますが、今日はおとなしくしています。

白内障手術

 

 

 

 

 

 

 

 

 

というわけで、その後は小6、中2の孫たちとゆっくりと過ごし、夕食は総勢5人で鍋を囲みました。

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8月6日、大森市長開所式、総社市議選、事務所、孫たち

総社市議選状況点検

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9時半に自宅を出て、10時から1時間強、10月1日投開票の岡山市長選挙に2期目の挑戦をする大森雅夫市長の後援会事務所の開所式に出席しました。前列の来賓席でなく、一般の参加者席に座るのは、久し振りです。生田後援会長の挨拶で始まり、津村啓介さん、高井崇志さんら自公民の国会議員が次々と登壇して挨拶し、代理出席の秘書の皆さんも紹介されました。さらに高原俊彦さん、高橋徹さん、中川雅子さんら県議の皆さんが登壇してマイクリレーで挨拶し、連合岡山の金澤稔会長ら推薦団体代表が激励挨拶し、大森市長が決意表明をしました。さらに羽場頼三郎さんら岡山市議の皆さんが登壇し、小林寿雄さんら会派代表の皆さんの激励挨拶があって、全員で頑張ろう三唱をして締めくくりました。支援者勢揃いの大型選対ですが、それだけに選対の緩みや投票率の低下が心配です。

大森後援会開所式

 

 

 

 

 

 

 

 

 

県議の皆さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

連合岡山金澤会長

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頑張ろう三唱

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11時15分に隣のホテルに数人で集まり、1時間ほど昼食を食べながら、9月24日投開票の総社市議選の情勢の点検をしました。私の最後の秘書だった山田雅徳君が民進党推薦で初めての立候補をすることになり、現職で民進党推薦の小西利一さんと萱野哲也さん、さらに現職で民進党支持の名木田正昭さんと、連合系候補も含めて全員当選を果たさなければなりません。劣勢の民進党ですが、前向きに頑張っています。

13時前に法律事務所に入り、1時間ほどデスクワークをしました。鍵の開け方は判ったのですが、エアコンの付け方が判らず、あまりの暑さに遂に音を上げてしまい、15時前に自宅に戻りました。妻が町内会の会合に出るので東京からの孫たちは県立図書館に行き、いつもの自宅環境でぐったりしていると、一生君がママとパパと来て急に賑やかになりました。17時前に皆で出て、岡山駅で東京から帰岡した娘をピックし、18時から2時間ほど、私たち夫婦、娘と二男と三男、パパ、ママとももちゃんと一生君の9人で、賑やかな家族夕食会となりました。外は岡山市のうらじゃ総踊りで、これも思いっきり賑やかでした。

家族夕食会

 

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8月5日、6条展、清明上河図、ドコモ、孫たち、岡山花火

日野市の孫たちと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゆっくり起きて、若干のデスクワークをし、13時半ころ妻と出て、展覧会めぐりをしました。まず14時ころから天神山文化プラザで、岡山9条美術展を鑑賞しました。岡山9条の会の有志の皆さんによる作品展で、なかなか見応えがありました。次いで14時45分頃から林原美術館で、企画展「『清明上河図』と中国絵画の至宝」を鑑賞しました。「清明上河図」は中世中国の人々の生活が詳細に活き活きと描かれており、楽しい作品です。会場では、折り紙教室も開かれていました。

9条美術展

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「清明上河図」展

 

 

 

 

 

 

 

 

 

待つことを覚悟しながら、15時半ころにドコモショップ西市店に行くと、直ぐに対応してくれ、1時間弱で手続きなどがすべて終わりました。次は東京から来る孫たちの迎えですが、今日は岡山市の花火大会で街は大混雑、大渋滞で、自宅に戻ると次に中心部まで来るのは無理なので、そのまま中心部に車を駐車して備前焼の風鈴で賑やかな路面電車で移動し、17時半前に岡山駅で孫たちを待ちました。

ドコモショップで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

路面電車の風鈴

 

 

 

 

 

 

 

 

 

孫の中2の二男と小6の三男が、早朝に日野を発って青春18きっぷで乗り換えを繰り返して無事に着き、合流して駅構内で夕食を食べ、さらに路面電車と徒歩で移動して、19時にももちゃんと一生君たちのお宅に着きました。やがて19時半ころから花火大会が始まると、南東の空によく見え、これもなかなかの迫力で、1時間ほど大騒ぎで楽しみました。その後、お食事をつまみながら孫たちはカルタ取りなどをし、21時過ぎにお別れして孫2人と帰宅しました。なかなか重労働の一日でした。

岡山花火

 

 

 

 

 

 

 

 

 

孫たちのカルタ
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8月4日、山古志、植樹、取材、市長、JA、帰京、鳥、難波さん、帰岡

山古志の米山支所長と

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7時に起きて温泉大浴場で朝風呂を浴び、8時から朝食。9時過ぎに出て、長岡市山古志支所に米山支所長を表敬訪問しました。中越大震災で壊滅的な被害が出たところで、今も復興課題が残っています。震災の模様が、パネルのほかに山岳地帯の模型でも分かりやすく表示されており、復興への努力に思いを馳せました。色紙に揮毫を頼まれ、この地の名産の錦鯉の水槽を見ました。

朝食

 

 

 

 

 

 

 

 

 

米山山古志支所長と懇談

 

 

 

 

 

 

 

 

 

錦鯉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次に山古志の中を見て回りました。棚田に水を張ったところは錦里池で、餌は自動で与えるようになっています。芝桜やユリ、コスモスなどを育てている地区に行くと、6月に日中青少年交流の一環として来日した女性の皆さんが植林・植樹国際連帯事業として桜の苗を植えたところがあり、今後の育樹をお願いしました。

錦鯉池

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日中交流事業の植樹

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11時半ころ、長岡市役所に磯田市長を表敬訪問しました。ユニークな庁舎で感心しながら、着くと直ぐに地元紙の取材を受け、さらに30分ほど磯田市長と懇談しました。花火のほか、火焔土器の出土が地域の特色です。12時半ころから、名物のへぎそばで昼食となりました。花火客の流れで長蛇の列ができていました。13時半過ぎに長岡駅に着き、JA越後ながおかの鈴木会長と懇談し、14時過ぎの上越新幹線で帰京しました。

 

市役所に着くと取材

 

 

 

 

 

 

 

 

 

磯田市長と懇談

 

 

 

 

 

 

 

 

 

火焔陶器

 

 

 

 

 

 

 

 

 

記念写真

 

 

 

 

 

 

 

 

 

へぎそばで昼食

 

 

 

 

 

 

 

 

 

JA越後ながおか会長と

 

 

 

 

 

 

 

 

 

16時前に着き、16時半から参議院議員会館で、環境省の皆さんから鳥類保護関係の取り組みにつき説明を聞きました。その後、難波奨二議員とお盆前からご一緒する中国旅行などにつき若干の打合せをし、東京駅で妻と落ち合って夕食を食べ、20時半の最終新幹線で帰岡しました。

環境省の皆さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

難波さんと