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6月10日、北京へ、長城、夕食会、自転車

 

ホストファミリー訪中団の関西グループと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5時過ぎ起床で出国準備をし、6時過ぎのものレースで浜松町から羽田空港へ。諸手続きを終えて7時半前に搭乗口前まで来て一息つき、8時ころに中国国際航空の機内に乗り込み、8時半にゲートを離れて9時前に離陸しました。3時間半の飛行と1時間の時差で、11時半に北京国際空港に着陸し、諸手続きを済ませて13時過ぎにバスに乗り込みました。私たちは1号車で20数名、そのほかに関空から来る各20数名の2グループがあり、全体で70名ほどの「日本ホストファミリー訪中団」の団体行動です。

 

羽田空港で、
北京空港で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バスの中でサンドイッチの昼食を食べながら1時間強、高速道を走って、14時半前に万里の長城の一角である居庸関長城に着きました。昨日は気温が37度だったそうですが、今日はそこまで熱くなく、おおむね晴れで空気もきれいで、快適な旅が始まりました。ここは壮大な長城の一角で、急傾斜の階段を400段以上登り、まさに絶景を眺めて、何とか足をなだめながら下りました。途中に毛沢東の揮毫した「不到長城非好漢」という碑がたっていました。日本なら、「日光を見ずして結構と言うなかれ」でしょうか。

 

居庸関長城で、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毛沢東揮毫の碑前で王占起さんと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長城の頂上へ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

15時半にバスに戻り、北京市内に戻りました。ほぼ半年ぶりの北京ですが、今日は交通渋滞もなく、さらに際立った変化は自転車が急増していることです。黄や青の同型の自転車があちこちに数多く見られ、聞いてみると、スマホで手続きをすれば格安に乗り降り自由に利用できるのだそうです。細かな問題はいろいろありそうですが、庶民の暮らしに密着した新しい試みだと思いました。17時にレストランに着き、3台のバスがすべて集合して、老壮青が総勢70余名勢揃いで北京家庭料理による大夕食会となりました。終了後、バスで移動して、19時半ころにホテルにチェックインしました。窓からの夜景が、実にきれいでした。

公共自転車

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北京オリンピックのレガシー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕食会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

別の関西グループ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホテルからの夜景

 

 

 

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6月9日、国の…、愛鳥講演会、取材、訪中壮行会

訪中団団長として挨拶

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝食後に訪中の荷物を出し、11時にチェックアウトをして衆議院議員会館に向かい、12時から1時間強、久し振りに国のかたち研究会の定例会に出席し、国会の状況などについて意見交換をしました。

その後、暫時休憩して、14時から1時間半強、愛鳥百人委員会の講演会に出席しました。日本鳥類保護連盟の室伏友三専務理事の進行で、先ず日鳥連の矢島稔会長に続いて私が百人委員会会長として挨拶し、樋口広芳教授の渡り鳥に関する講演を聞きました。発信機を取り付けた渡り鳥の個体の観測により、例えばハチクマの感動的な渡りが東アジアの地図上に動画で示され、見る者を魅了しました。集まりが少なかったのが反省点でした。終了後、矢島会長と室伏専務理事とともに、日鳥連の今後の運営に着き協議しました。16時半から1時間ほど、時事問題に付き雑誌記者らの取材を受けました。

 

愛鳥百人委員会会長として挨拶

 

 

 

 

 

 

 

 

 

樋口教授の講演

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日鳥連の協議

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雑誌の取材

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、中国大使館に急ぎ、明日からのホストファミリー訪中団の会合に遅れて18時前に着き、やっと薛剣公使の講演の最後だけを聞き、程永華大使と挨拶を交わしました。18時過ぎから1時間半ほど、訪中団壮行会に出席しました。まず程大使が、続いて私が団長として挨拶し、乾杯から懇談に入りました。老壮青すべての世代が揃い、西日本の皆さんは大阪に集まり、明日からの訪中の成功を誓い合いました。明朝は6時前に行動開始です。

薛剣公使の講演

 

 

 

 

 

 

 

 

 

程大使と

 

 

 

 

 

 

 

 

 

挨拶

 

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6月8日、上京、チベット訪日団、理事会、訪中説明、漆事業、夕食懇談

チベット自治区訪日団の皆さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨は上がったものの厚い雨雲が垂れ込める中、7時50分に妻に送られて、明後日からの訪中のために大きめのスーツケースを引きずって、岡山駅に急ぎました。この時間は大渋滞なのですが、8時30分前に駅に着き、8時半過ぎの新幹線に間に合って、上京しました。

 

訪中荷物を引きずって

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12時前に東京駅に着き、ホテルに直行してチェックインし、昼食を食べて、13時過ぎから40分ほど、中国大使館の田培良参事官が同行してきた中国チベット自治区の訪日団の皆さんと懇談しました。同自治区人民代表大会の多吉次仁常務委員を団長とする10数人の一行で、大勢の中国メディアの皆さんの取材もあり、通訳は後楽寮出身の李博君が立派に務めました。最後に、チベット特産のお土産をいただき、全員で記念写真を撮りました。

 

中国メディアに囲まれて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

訪日団と懇談

 

 

 

 

 

 

 

 

 

14時から1時間半ほど、公益財団法人日中友好会館の理事会に出席しました。私は理事で会長で、議事は荒井克之理事長の進行で進み、計算書類と事業報告等の議事がすべて了承されて終了した後に、私から先日の楊潔篪国務委員歓迎夕食会の模様を報告し、さらに自由にご意見を伺いました。さらに16時から30分ほど、会館理事長室で、明後日からの訪中の概要の説明を受けて、打合せをしました。

 

日中友好会館理事会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

発言

 

 

 

 

 

 

 

 

 

17時前から1時間ほど、旧友の大高英昭さんの紹介で、日本漆の再興に取り組んでいるNPO法人麗潤館の矢崎孝子理事長らから事業の説明を聞きました。漆器は日本の伝統工芸の代表のひとつですが、漆自体の国内での生産量は極めて少なく、この保存と再興と、さらに日中友好会館の行う植林・植樹関連事業との連携可能性の有無が課題です。その後、18時半から2時間ほど、数人で夕食懇談を行いました。

漆事業について

 

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6月7日、梅雨入り、所用、事務所、坂手先生の絵

坂手先生の絵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中国地方をはじめ日本列島が広範囲に梅雨入りし、岡山でも朝からかなり強い雨が降り続きました。遅い朝食に続いて、13時過ぎに昼食を食べて妻とともに出掛け、明日からの長期外出に備えて、所用や買い物を済ませました。

15時に法律事務所に入ると、高校時代の恩師の坂手得二先生の絵が、しっかりと壁に架けられていました。参議院議長の時にいただき、議長公邸の議長執務室に架け、議長退任後は議員会館の私の部屋に架かっていました。瀬戸内市牛窓の先生のご自宅付近からの瀬戸内海の景色で、日本のエーゲ海との異名を持つ瀬戸内海の眺めを遠景にしたオリーブの樹林が描かれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暫時デスクワークをし、妻とともに所用を済ませながら帰宅しました。

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6月6日、石田画伯、泰山木、事務所、所用

法律相談

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10時半過ぎに妻とともに出て、11時過ぎから、私の参議院議長の肖像画を描いていただいた石田宗之画伯をご自宅に訪ね、短時間懇談しました。その後、自宅に戻って昼食の後、出る際に庭を見ると、泰山木が清楚な純白の大輪の花を付けていました。

石田画伯と

 

 

 

 

 

 

 

 

 

庭の泰山木

 

 

 

 

 

 

 

 

 

13時半過ぎから法律事務所で、1時間強、江田剛所長と二人で法律相談を受けました。私と同年代の人には、当事者の都合で真実と異なる身分関係が戸籍謄本に記載され、相続関係が分かりにくくなっていることも稀ではありません。関係者のほとんどが死亡していると、真実の身分関係を明らかにするのは大変です。

16時から自宅に帰って電話連絡を取り、再び出て民進党県連事務所や岡山朝日高校を順次訪ね、それぞれ若干の所用を済ませました。

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6月5日、世界平和、墓参、取材、水撒き

両親の墓湾

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼まで自宅でぐずぐずし、12時前に出て昼食を取り、13時過ぎに事務所に入って1時間強、神戸から来られた皆さんと、世界平和構築につき意見交換しました。「世界平和維持軍」を創設して各国の軍隊をこれに集中させ、次第に争いを減少させて軍備全廃を目指そうというご主張で、その実現のために面会活動をしておられます。

世界平和を目指して

 

 

 

 

 

 

 

 

 

14時半ころに妻が迎えに来て、一緒に岡山市北区建部町の私の両親の墓参りをしました。父の命日に墓掃除が出来なかったので、ちょっと遅れた墓参でした。この時期に草を取っておくと、お盆の清掃作業がずいぶん楽になります。16時に切り上げて、法律事務所に急いで帰りました。

17時半から1時間強、鳥井良輔県議が記者の案内をしてくれて、時事問題に付き取材を受けました。19時過ぎに自宅に戻り、遅い夕食を食べた後に、庭の植物に夜中の水遣りをしました。アジサイが息も絶え絶えになっていました。

取材

 

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6月4日、誕生祝

誕生祝ケーキ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼過ぎまで、デスクワークや庭の草取りをして無為に過ごしました。

14時過ぎに妻と出て昼食、所用とケーキ購入を済ませ、16時過ぎにももちゃん邸に行って、6月が誕生日の妻とももちゃんの早めの誕生祝をしました。子ども二人のケーキの上には、大人の分のフルーツなどがすべて飛んでいきました。ももちゃんは、立派な小学生になりました。一生君も坊やになり、大人に反抗するようになりました。

その後、しばらく遊んで、18時半から外で、二人の誕生祝会食をしました。

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6月3日、ガクアジサイ、草取り

娘のプレゼントの「ダンスパーティー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

妻は朝からお出掛けで、一人で11時前に遅い朝食を食べ、さらに13時過ぎから昼食にしました。ゆっくり食べていると15時近くになり、それから庭に出てみました。最後のアマリリスが一輪、華やかに咲き誇っていました。

最後のアマリリス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

娘が贈ってくれた鉢植えのガクアジサイが庭で大きく育ち、花をいっぱい付けました。ダンスパーティーという品種だそうで、小さく愛らしい花が楽しげに咲いていました。まだ色が変わってくると思います。

 

ダンスパーティー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

15時過ぎから草取りを始めると、アッという間に18時になり、妻が帰ってきました。19時半から外で夕食を済ませました。

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6月2日、取材、書道部、揮毫、草取り

全紙作品「鳳舞」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午前中は自宅の整理などをし、12時に出て昼食を取り、13時過ぎから1時間強、時事問題につき取材を受けました。長く議員をしていると、関わった問題も様々で、記憶を呼び起こすのも大変です。

 

取材

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、若干のデスクワークをし、15時半に出て母校の岡山朝日高校の書道教室に向かいました。玉龍会展のための作品作りなどで、本来の練成会や合宿などに日程の都合で参加出来ないのです。

16時前に着き、2時間ほど、書道教室で部活中の書道部の生徒たちの臨書を見てアドバイスをし、さらに私も作品作りをしました。玉龍会展の出品用に「鳳舞」と、さらにもう一品「繋」と、いずれも全紙に大きく揮毫し、落款を押してホッと一息つきました。その後、自宅に帰って若干の草取りをしました。

部活の生徒らと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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6月1日、真っ白、天神山、年金者、事務所、草取り

フォト楽友展で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11時に妻とともに自宅を出て、市内各地で所用を済ませて回りました。竹馬の友の弁護士事務所を訪ねると、きれいな真っ白の花が咲き乱れていました。デュランタとサツキバイだそうです。

デュランタ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サツキバイ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに昼食を挟んで、展覧会を見て回りました。まず、天神山文化プラザで、いずれもご案内をいただいた「フォト楽友展」と「筍影会写真展」を、さらに美術展「花のことづて」を鑑賞しました。檜尾久瑠美さんの絵画は、何とも形容しがたい不思議な魅力に溢れており、そこに久瑠美さんが来場されたので、一緒に写真を撮りました。14時ころに、県生涯学習センターで開催中の全日本年金者組合岡山県本部の皆さんの作品展を拝見しました。絵画や写真、川柳や刺繡、生け花と、多種多様でした。

 

筍影会写真展

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「花のことづて」展

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年金者組合展

 

 

 

 

 

 

 

 

 

街中で妻を下ろして15時過ぎに法律事務所に入り、デスクワークをして、17時過ぎに妻と合流して自宅に戻りました。まだ明るいので、1時間ほど庭の草取りをしました。裏庭が草茫々で、まるで空地のようになっていました。