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8月31日、死刑廃止、作田明賞、夕食会、帰岡

作田明賞受賞者と審査委員ら

ゆっくり起きて朝食を済ませ、11時にチェックアウトして妻とともに東京駅に行って荷物をロッカーに預けて昼食にし、別れて私は13時ころに明治大学リバティーホールに行き、13時半から30分間、「死刑をなくそう市民会議」の設立総会に出席しました。定刻に開会となって共同代表世話人の平岡秀夫さんが冒頭の挨拶をし、来賓として日弁連の菊地裕太郎会長が挨拶をし、私も思いがけず出席者として紹介されました。次いで前日弁連会長の中本和洋さんが講演を始めたところで、時間切れで中座しました。

平岡さんの冒頭挨拶
菊地会長の来賓挨拶
中本前会長の講演

次に新宿に向かい、14時半過ぎに第10回作田明賞授賞式の会場控室に着いて関係者と暫時懇談しました。犯罪者や非行少年の更生と矯正への功労者を顕彰する賞で、精神科医の作田明さんが9年前に始め、他界された後もご夫人の作田美緒子さんが代表理事となって続けてきたもので、私は当初から審査委員として関わって来ました。 今回は、最優秀賞に小澤輝真さん、優秀賞に副島勲さんと三浦一広さんを選びました。

最優秀賞の小澤さんと
控室で懇談

開会後、作田代表理事の挨拶に続いて賞状と賞金の授与があり、審査委員として私、髙野覚さん、飛松五男さん、丸山久美子さんと吉永みち子さんが講評をし、受賞者が順次挨拶をし、第1回の最優秀賞受賞者の山本譲司さんが来賓挨拶をして閉会となり、記念写真を撮りました。

作田代表理事より授与
私の講評
山本譲司さんの来賓挨拶

17時過ぎから、関係者による夕食懇談となり、美味しい料理と楽しい会話で賑やかに1時間強を過ごし、18時半にお開きとなって東京駅に急ぎ、妻と落ち合って19時過ぎの新幹線で帰岡しました。

夕食懇談
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8月30日、市場、帰国

市場の赤パプリカ

朝食とチェックアウトを済ませて10時過ぎにホテルを出て、広場にテントで設営された市場に行きました。良く賑わっており、魚肉類も野菜や果物も花卉も、品揃えは十分にあるように見えました。さらにスーパーマーケットにも寄り、小物を買いました。

花卉
市場全景
スーパー内

移動のバスの中で簡単に解団式をして団長解任の挨拶をしました。12時にユジノ・サハリンスク空港に着き、搭乗手続きをして、14時の便で成田国際空港に向かいました。2時間半の飛行と2時間の時差で日本時間の14時半ころに着き、入国手続きなどを済ませて15時半過ぎの成田エクスプレスで東京駅に行き、ホテルにチェックインして寛ぎました。

搭乗
関東平野へ
成田エクスプレスに乗って
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8月29日、セミナー、昼食会、散策、教会、夕食

セミナー参加者で記念写真

9時15分からバスでユジノ・サハリンスク市の市立図書館に向かい、10時から日ロクラブ主催による日ロ関係の展望に関するセミナーに出席しました。

訪問団のほか、ロシア側からサハリン州、ロシア地理協会サハリン支部、サハリン国立大学などの要職の皆さんが20人ほど参加しました。 パネリスト側に日ロクラブ会長の私、初岡昌一郎副会長、地理協会支部のセルゲイ・ポノマリョフ会長らが着席し、ポノマリョフ会長の挨拶に続いて私が主催者を代表して挨拶と問題提起をし、多くの参加者から多角的なアプローチで様々な意見発表が行われました。

通訳も必要なのであっという間に予定の3時間が過ぎ、それでもまだ発言予定者が終わらず、14時前になってやっと意見発表と問題提起に区切りをつけ、質疑応答と意見交換は次の機会に譲ることして、初岡副会長が締めくくりの挨拶をして終わり、全員で記念写真を撮りました。敢えて結論を出すと、新しい時代の国際間の展望を切り開くためには、国境を越えた人々の交流を活発にすることが何より重要ということでしょうか。

14時半ころからロシア側参加者の幹部の皆さんとともに、ジョージア料理の昼食会を開き、乾杯をして賑やかな時を過ごし、16時ころに記念品交換をしてお開きとしました。

その後、郊外のスキー場にロープウェイで登って散策し、ロシア正教会を訪ねて荘厳な雰囲気を味わい、若干の買い物をして16時ころにホテルに戻って一息つきました。さらに17時半ころに出て18時から21時まで日本料理で夕食をいただき、忙しいスケジュールを終わりました。

ロシア正教会
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8月28日、公園、博物館、広場、州政府、市役所

サハリン州庁で

7時半、つまり日本時間の5時半に起き、朝食を取って、9時に街に飛び出しました。広大なガガーリン公園で朝の空気を胸一杯に吸い込みました。

次いで10時から1時間半ほど、日本時代の建物を活用した郷土博物館を見学しました。

次に12時から1時間ほど、団長の私ほか数人でサハリン州政府を表敬訪問し、州幹部の皆さんと懇談しました。私が参加者を代表して挨拶した後、活発に意見交換し、最後に記念品交換をしました。

13時過ぎからウクライナ料理の昼食を食べ、レーニン広場を散策しながら市役所に向かいました。街は至るところ道路工事で、聞くと冬が始まる前に精一杯の工事を進めるそうです。街は人も車も結構多く、なかなか活気がありそうでした。

15時から1時間強、ユジノ・サハリンスク市の役場を表敬訪問し、市幹部の皆さんと懇談しました。日本の自治体との友好都市縁組もあり、私が日本側代表として挨拶した後に、市民レベルでの交流の在り方に付き突っ込んだ意見交換をし、記念品交換をしました。

ユジノ・サハリンスク市役所

17時にホテルに戻って一息つき、18時過ぎからロシア料理の夕食会となりました。

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8月27日、サハリンへ、不都合

雨の中を知人に送って貰い、妻とともに7時半過ぎに出て渋滞の中を岡山駅に急ぎました。いつもより酷く、8時半過ぎにホームに上がったらちょうど新幹線が到着したところで、辛うじて間に合いました。道中はずっと重苦しい曇天で、富士もやっと姿が見えるだけでした。

12時前に品川に着いて昼食を食べ、13時前の成田エクスプレスで成田空港へ行き、14時半の集合に間に合いました。しかし、岡山にカメラを忘れ、大急ぎで買い求めました。15時半過ぎにサハリン訪問団13人が全員揃って、私を団長として結団ミーティングをし、搭乗しました。

17時前に出て、2時間の飛行と2時間の時差で、利尻・礼文上空を過ぎると直ぐに21時にユジノ・サハリンスク空港に着陸。迎えていただいてホテルにチェックインし、パソコンの接続を確かめると、何とフェイスブックは繋がるのですが、ホームページが私のところだけ接続出来ません。さらに何と新品のカメラのデータを、パソコンで読み取れません。そんなわけで、暫く写真無しで、フェイスブックだけの報告となります。夕食が終わると既に、現地時間の24時半でした。

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8月26日、自宅、旅行準備

旅行準備

秋雨前線の切れ目で好天でしたが、まだ雨模様は続きそうです。民事受任事件の準備などがあったのですが、電話連絡で済み、結局終日自宅でゴロゴロしていました。

夜になって、明日からの海外旅行の準備を始めました。私が会長を務める日ロクラブのみんなと妻とともに10数人で、3泊4日でサハリンを訪ね、さらに東京で一泊します。ネット環境が心配です。

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8月25日、鍋、対立

自宅で鍋

咳がまだ完治せず、終日自宅でのんびりしてしまいました。夕食は相変わらず、自宅で鍋を突きました。

のんびり寝っ転がっていると、頭の中を妄想が駆け巡ります。世界中で分断と対決の機運が緩慢に且つ着実に広がって来ている中、わが国では国粋気分まで強まって来ているように思えてなりません。日韓の対立は、水も漏らさぬ理論と骨の髄まで染みついた感情との対立だという人がいました。忘れてならないことは、正しいことを言うときは、しばしば人を傷つけるものだということです。隣国間に紛争はつきもので、紛争こそ両国が仲良くなるための試験問題なのです。立腹はやめましょう。

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8月24日、無為、世界史的転換、憲法完全実施

デスクワーク

終日、無為に過ごしてしまいました。朝はゆっくり起きて、12時前にやっと朝食を食べ終わり、テレビを見ながらうとうとして14時過ぎに昼食となり、その後もうとうとして19時過ぎから夕食となり、その後にやっと僅かばかりのデスクワークをしました。

私が生きてきた20世紀後半は、世界を二分した大戦争が終わって世界中が新しい理念の実現に燃えたぎった時代でした。日本は敗戦となりましたが、単に負け組というだけでなく、世界史の流れから逸脱した日本が苦闘しながらその流れに戻ってしっかりとした立場を築く時代でした。その間に冷戦とその終結があり、植民地独立と民族解放があり、これに先進国と途上国の凌ぎ合いも加わって、なかなか心躍る時代でした。 当時は、時代の流れを見る座標軸がいくつかあり、いずれもなかなかしっかりしていたと思います。今はどうでしょうか。

私たちが普遍的だと評価している価値観に対し、超大国指導者が公然とこれを嘲笑する態度を取り、普遍性への確信が揺らいでいるように見えます。私は、この普遍的価値観を単なるお題目に終わらせず、これに内実を形成していくことがこれからの課題で、その主体はやはり「地球市民」だと思います。日本の政治課題でいうと、「憲法改正」ではなく「憲法完全実施」なのです。

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8月23日、事務所、日韓関係

デスクワーク

秋雨前線がしつこく居座り、はっきりしない天気が夕方まで続きました。決してそのせいではないのですが、何となく風邪気分が抜けず、その上日韓関係の混迷をはじめとする国際関係の不透明さもあり、夕方まで自宅でもそもそしていました。

15時半過ぎに出て法律事務所に入り、18時半ころまでデスクワークをしました。夏季休暇は終わっているので、そろそろ動き始めなければと思いながら、ぐずぐずしてしまいました。

私の安全保障観は、極めて甘く曖昧であることは自覚しながら、一分の隙も無い鉄の団結というのはあまり好きになれません。そういう論理は却って危険なのではないかと思ってしまいます。敵対する双方がそういう論理で対決すると、必ず敵のどこかに隙を見つけ出すでしょう。それを防ごうとすると、際限なき対立の激化になります。だから例えばスパイなどは、敵対する双方が時々交渉して捕獲したスパイの交換をするくらいの対立関係でちょうどいいのだと思ってしまいます。

今回のGSOMIA破棄にしても、発端が徴用問題の扱いにあることは忘れてはいけませんが、破棄で日韓間の、さらに日米韓間の、軍事的連携関係に隙間が開くとすれば、軍事とは違う哲学や論理でその隙間を活用する知恵がないものでしょうか。テレビに出てくる論者の強面解説はその程度でよいとしても、現実に事態を動かしている人々の中には、鉄の団結論理を超越した哲学や知恵を持つ人がいてほしいと願うばかりです。

今一番大切なことは、発生したばかりの病変部分の熱を取って包み込み、これを小さな塊に封じ込めることです。それが出来るのは軍事でも外交でも、国家でさえもありません。両国の市民だけが出来ることです。民間のあらゆる場面での交流を、今こそ活発化させるべきだと思います。国家はその邪魔をしてはいけません。