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12月12日、寒波、事務所

定休日

大寒波で、岡山でも冷たい風が吹き荒れました。しかし空は雲一つなく、風邪のない日向は心地よかったです。一日、のんびりと過ごしました。

快晴の大寒波

13時過ぎに妻と出て、ご案内をいただいていた陶展を拝見しに画廊に行ったのですが、残念ながら定休日でした。その後、法律事務所に入って、分厚い民事訴訟記録に目を通しました。

記録読み

 

 

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12月11日、診察、事務所

デスクワーク

昨夜からずっと胃痛や咳込みが続いたので、妻に送って貰って、9時半過ぎから医療機関の診察を受け、腸炎の疑いで処置を受けました。

15時に法律事務所に入り、短時間、デスクワークや電話連絡をしました。暫くのんびり過ごそうと思います。

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12月10日、風邪、意見交換

ここ数日来の風邪が胃に来たらしく、朝から物が食べられなく弱りました。

 

東京からかつての同僚議員が来たので、15時から2時間ほど、友人ら数人で時事問題につき意見交換をしました。しかし体調は改善せず、17時半ころからの夕食懇談は私だけ欠席し、帰宅しました。

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12月9日、BSE、富士、帰岡

唐木理事長と

昨夜の雨から一転、奇麗に晴れ上がり、東京ドームの威容が朝日に映えていました。

東京ドーム

9時半過ぎにチェックアウトしてJR在来線で東京駅に行き、近くのホテルで10時半から1時間ほど、公益財団法人「食の安全・安心財団」の唐木英明理事長のインタビューを受けました。私とは1960年東大入学の同期生でした。1996年に英国で食用牛のBSE発症が大問題となり、その後米国などでも発生して、日本でも全頭検査などが行われました。食用に供しない延髄などを肉骨粉として飼料に使うことで伝播・拡大するのですが、現在では世界的にこの飼料の使用を禁止しており、BSE汚染牛はほぼ駆逐されているそうです。唐木理事長は20年にわたるBSEの経過を丹念に検証して論文にまとめようとしておられ、私は2002年3月の参議院予算委員会でこの問題を取り上げているので、当時の認識や問題意識を聞かれたものです。当時の記憶を掘り起こしながら、「共食い」の危険性、国境を越えた消費者連携の重要性、他の食用生物の安全性などにつき答えました。また、獣医学分野の貴重なお話も伺いました。

駅構内で昼食の後、12時半の新幹線で帰岡しました。よく晴れているのですが、富士は頂上付近に雲が掛かり、頭をやっと雲の上に出していました。16時前に着き、所用を済ませて18時前に帰宅しました。

富士

 

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12月8日、上京、会館理事会、寮生展、夕食懇談

会館理事会

9時半過ぎに妻に送って貰って出て、10時過ぎの新幹線で岡山駅を発って上京しました。備前平野から兵庫県との県境を越える辺りは、もともと雪のないところですが、すっかり冬景色でした。

県境の冬景色

13時半過ぎに着き、直ちに公益財団法人日中友好会館に向かい、14時から、理事会に出席しました。私は会長理事で、10名の理事と2名の監事が全員出席し、荒井克之代表理事が議長となって議事を進め、代表理事の職務施行状況報告と預金残高報告があり、了承されました。議事が終わって、宮本雄二副会長から近著の報告があり、数人から自由発言があって15時半前に終了しました。

発言

さらに30分弱、同会館美術館で開催中の「後楽寮生作品展(王玉紅俳画作品を中心に)」を鑑賞しました。「時空を越えて 詩と絵で綴る心」との副題がつけられており、日中文化交流の中で大きな役割を果たしてきた古今の留学生らの活動を振り返りながら、現在留学中の後楽寮生らによる交流作品を展示しています。会館の青樹明子理事もご一緒でした。

寮生作品展で

16時過ぎにチェックインし、17時半に出て、18時から2時間ほど、大学時代以来の親友らと少人数で年末の夕食懇談会を開き、鍋を囲んで談論風発、懇談を楽しみました。

夕食懇談

 

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12月7日、事務所、取材、楠原君

テレビ取材

午前中は自宅でぐずぐずし、13時前に出て法律事務所に入り、デスクワークをしました。

14時から1時間弱、地元テレビ局による時事問題に関する取材を受けました。現役引退からまだ1年少々ですが、あっという間に記憶が薄れている事柄も多くなってしまいました。さらにデスクワークをし、16時前に出て所用を済ませ、17時前に帰宅しました。

テレビ取材

19時半からNHKの「日本人のおなまえっ!」という番組に、高校クラスメートの楠原佑君が登場しました。苗字の由来を取り上げ、川とか田とか土地と関連のある名前につき、蘊蓄を傾けていました。若いころから地名研究に没頭し、住居表示を改めて無味乾燥な呼び名にすることに強い異議を唱えていました。飄々とした風体は変わらず、久しぶりに元気な姿を見ました。

「日本人のおなまえっ!」
楠原君

 

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12月6日、所用、コココ、事務所執務

事務所で執務

昼前に妻に送って貰って、岡山市中心部でいくつかの所用を済ませ、城下公会堂で昼食を済ませて、13時過ぎに法律事務所に入りました。道中、桃太郎大通りで、桃太郎が従えた犬の像に出会いました。わが家で以前に飼っていたココちゃんの子どもが貰われて行き、この像のモデルになったので、コココと呼んでいます。わが家で唯一の像になった出世頭です。

コココ像

14時から1時間弱、刑事被疑事件の示談の話し合いをしました。無事に合意が成立し、書面を作成して、検察官に届けました。その後、デスクワークや電話連絡をし、17時過ぎに事務所を出て帰宅しました。寒い一日でした。

事務所で

 

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12月5日、法律相談、政治協議

法律相談

午前中は自宅でゆっくりし、12時半過ぎに出て法律事務所に入りました。

暫時デスクワークをし、14時から1時間半ほど、所長の江田剛弁護士とともに、民事相談を受けました。高度成長期に海外で手に入れた不動産の処理案件で、曖昧なところが多く、事案の解明自体が困難です。

法律相談

その後、デスクワークや電話連絡をし、17時から2時間ほど、政治活動につき協議をしました。帰宅時には、気温がどんどん下がってきました。

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12月4日、日展、帰岡

国立新美術館で

11時前にチェックアウトして、妻とともに東京駅に荷物を預けて国立新美術館に行き、ご案内いただいていた日展を鑑賞しました。改組して第4回となります。まず3階の書道の部に行くと、道文会の小野玲華さんは仮名の巻物で「山ふかみ」、高木聖雨さんは墨痕鮮やかに「乗機」。篆刻の師村妙石さんは「無法にして而も有法」と、皆さん元気いっぱいでした。

次に2階に降りて、洋画を拝見。石田宗之さんはいつもの愛らしい乙女の「遊於樹下世界」、河内八重子さんも埴輪の「祭司のいる棚」、寺坂公雄顧問の木立は「山麓冬木立」でした。彫刻も意欲的な作品が無数に並び、日本画や工芸美術も興味をそそられました。見逃した作品もたくさんあったと思います。

石田宗之さん
河内八重子さん
寺坂公雄顧問

13時半に妻と別れて、私は東京駅に戻って昼食に「九州の豚汁セット」をいただきました。おいしかったです。15時前の新幹線で帰岡し、19時前に岡山駅で妻と落ち合い駅構内で一緒に夕食を取って、21時前に帰宅しました。

九州の豚汁セット

 

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12月3日、上京、GLA、菅邸訪問、お点前、夕食懇談

菅邸の茶掛け

8時過ぎに妻とともに出て、9時前の新幹線で一緒に上京しました。雲一つない快晴で、駅前の桃太郎が朝日を浴びて光っていました。年末の桃太郎のイルミネーションが今年から変わり、二つに開いて桃太郎が閉じ込められなくなりました。百間川の水も青く、備前平野はすっかり稲刈りが終わりました。姫路に着くと、姫路城が朝日に照らされて、白鷺城らしく天下を睥睨していました。暫くうとうとして目が覚めると、浜名湖を通過中でした。ずっと雲一つない快晴が続きました。

桃太郎像
百間川
姫路の白鷺城

12時過ぎに新横浜に着いて昼食を取り、13時前から1時間半強、GLAの感謝の集いに出席しました。高橋佳子さんの活動紹介などのビデオを見た後、岡山の上月恵さんも加わった弦楽器によるクラシック音楽とGLA合唱団も加わった演奏に心を洗われました。

弦楽合奏
合唱団も加わり

中座して新幹線とJR中央線で三鷹に行き、16時過ぎに菅直人さんの自宅を訪ねました。旧宅を建て替え、床暖房、徹底した省エネと茶室を備えており、まず菅さんからエコ機能の解説を聞きました。次いで茶室で藪内流のお点前をいただきました。掛けられた軸は、私の揮毫した「人間是非一夢中」の茶掛けでした。96歳のご母堂も、会話に加わってくれました。18時から近くのお店に移って、最高のフランス料理と会話を楽しみました。

エコ機能の解説
ご母堂も加わり
夕食懇談