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12月21日、帰岡、事務所忘年会

事務所忘年会

朝はホテルでぐずぐずしていました。10時過ぎにカーテンを開けると、快晴の空に真っ白な東京ドームが浮かび上がり、銀杏の黄も鮮やかでした。11時前にチェックアウトをし、東京駅でブランチを食べて、12時半の新幹線で帰岡しました。

ホテルの窓から

15時前に着き、遅い昼食を少しだけ食べ、16時に法律事務所に入り、デスクワークをしました。18時前にみんなで出掛け、18時から21時前まで近くのお寿司屋さんで事務所忘年会を開きました。この一年、いろいろなことがありましたが、何とか事件処理も前に進んでいます。事務員さんたちの努力のおかげです。

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12月20日、生駒へ、美術館、昼食、上京、日中忘年会

美術館の菅野さんと

8時前に妻と出て、予想をはるかに超える大渋滞の中を抜け道を探して岡山駅に急ぎ、パーク&ライドで車を止め朝食を買って、9時前の新幹線で一緒に新大阪に向かいました。朝食を終えるころに、姫路城がきれいに見えました。

朝食
姫路城

9時半過ぎに着き、地下鉄と近鉄を乗り継いで生駒に行き、「緑ヶ丘美術館」に伺いました。旧知の菅野一夫さんが開設して1周年となり、その記念展として九谷・赤絵細描の福島武山展を開催しており、高い評価を受けているのでぜひ拝見したいと時間を取りました。

11時前に着き、まず映像による15分ほどの紹介を見ました。武山さんは1944年生まれですが、目も腕もしっかりして、白磁の大皿に極細の赤い線で微妙なグラデーションなどもしっかりと表現していました。その後、特別展示の作品群を順次拝見ました。いずれもただ驚嘆するばかりで、ご尊父の刺繍作品のほか、娘さんやお孫さんの作品もあり、歴史のある九谷焼が新しい命を得たと思いました。12時15分ごろに菅野さんとお別れし、昼食を取って近鉄西大寺駅に移動し、特急で京都に行き、妻と別れて15時前の新幹線で上京しました。

菅野さんと
見事な赤絵の大皿
作品を見て回り

17時過ぎに着いてJR在来線で移動し、18時前に日中友好会館の役職員忘年会会場に着きました。私は今夏に顧問に退いていますが招集が掛かり、暫く前理事長の武田勝利さんと懇談している内に18時となって全員が揃い、開会となりました。まず現理事長の荒井克之さんが、続いて私が挨拶し、佐藤常務理事の音頭で乾杯をして、賑やかで楽しい懇親の宴となりました。やがて二人の新人と一人の退職予定者の挨拶があり、2時間半ほどが過ぎたところで鄭祥林中国代表理の音頭で一本締めをして、閉会となりました。総員50人程度の役職員ですが、職員の8割は女性で、来年から活発化してくる日中の青少年交流をはじめ託された仕事は多く、成果が期待されます。

武田前理事長と
私の挨拶
乾杯‼
一本締め

 

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12月19日、寄贈、相談、事務所

「『黄帝内経』を読み解く」寄贈

朝はゆっくり起き、13時前に妻とともに出て岡山県立図書館に行き、「『黄帝内経』を読み解く」上下2巻を贈呈しました。先日と異なり、贈呈申込みの書面に必要事項を記入しました。

その後、所用を済ませて法律事務所に入り、14時から1時間45分ほど、法律相談を受けました。親族間の紛争ですでに事件化しており、相談を受けるだけで終わりました。

法律相談

16時前から1時間半ほど、デスクワークや電話連絡をしました。議員定数配分の最高裁判決や地裁での死刑判決など、裁判に関するニュースが続きました。

電話連絡

 

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12月18日、上京、日中美術展、佐藤理事、楊公使、夕食、帰岡

日中美術展でテープカット

朝食後、10時過ぎに出て岡山駅のパーク&ライドに車を駐車し、11時前の新幹線で上京しました。初冬ですが小春日和のような温かな日差しで、旭川も穏やかに流れていました。駅構内でサラダとスープを買って、昼食にしました。朝が遅かったので、取敢えずこれで十分でした。

穏やかな旭川
ささやかな昼食

14時過ぎに着き、15時ら日中友好会館美術館で行われた日中美術展の開幕式に出席しました。まず尺八の演奏があり、会場が文化色になったところで開会となりました。会館は、夏まで私が会長でしたが、私の代で作った定年制の内規に従って、顧問に退きました。しかし次期会長が決まらず、前官礼遇で私が挨拶の後に表彰状授与も行い、テープカットや来賓の記念写真にも加わりました。美術展は、両国の意気盛んな作家たちの元気な作品が並び、大勢の観客で賑わいました。

開会前に尺八を聞き
私の挨拶
表彰状を渡し

来賓の記念写真

16時15分ころに中座して、日中友好会館の事務室に行き、30分ほど佐藤常務理事と懇談しました。佐藤さんは、タイの日本大使を最後に外務省を退官した外交のベテランで、青少年交流を活性化など今後の会館業務にとって大いに活躍が期待されます。

佐藤常務理事と懇談

17時半から近くのホテルで、30分ほど中国大使館の新任の楊逸公使参事官と面談しました。公使は、中国の王毅外相からの私宛の年始カードを託されており、恐縮しました。これからの会館業務につきいろいろと助言などをいただかなければなりません。その後、東京駅に移動し、構内で徐迪旻さんや東京大学の陳昱教授らと夕食を取り、20時前の新幹線で帰岡しました。

楊逸公使参事官らと懇談
大きなクリスマスツリー
みんなで夕食

 

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12月17日、「黄帝内経」、事務所、電話

「黄帝内経」を贈呈

相変わらず午前中は、ゆっくり起きて自宅で電話連絡などをしました。

12時半に妻とともに出て、13時前に岡山大学附属図書館の鹿田分館に行き、「『黄帝内経』を読み解く」の上下2冊を贈呈しました。「黄帝内経」は、3000年ほど昔から中国で伝わる最古の書物で、甲骨文字なので解読が困難でしたが、研究者が解読して中国の学問、特に医学の必読書となっており、専門家の王寅さんが多くの協力を得て日本語版を出版したもので、私も寄贈を受け、さらに余部を託されたものです。

その後帰宅して昼食を食べ、15時に法律事務所に入り、電話連絡やデスクワークをしました。19時前に帰宅すると、さらに関係者から来年の各種選挙関係の電話が入りました。良い話、頭の痛い話と、いろいろです。

高梁市の広報誌

 

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12月16日、太郎君のカレー、ももちゃんたち

太郎君のカレー屋さん

午前中は自宅で、電話連絡などをしました。

12時前に妻とともに出て、JRの切符の購入などの所用を済ませ、13時から故・高原勝哉さんの長男の太郎君が経営しているカレー屋に行きました。小さなお店ですが、入りきれない客が外で行列を作っており、注文するとなかなか美味しくてカラフルなカレーが出てきて、満足しました。インスタグラムでも話題を呼んでいるそうです。

カラフルなカレー

その後、帰宅してデスクワークや電話連絡をし、17時半に妻とともに出て、18時から3時間ほど、ももちゃんたちと夕食を食べカルタで遊びました。一生君は明日が幼稚園の2学期終業式で、暮れにはママの実家に行くため、その荷物の整理に余念がないようでした。カメラが気に入り、一杯写真を撮ってくれました。小学2年のももちゃんはずい分大きくなってきました。

夕食風景(一生君撮影)
伸びたじーじ(一生君撮影)

 

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12月15日、道文会忘年会、則武さんを偲ぶ会、立憲県連常幹&忘年会

道文会忘年会で挨拶

12時半に出て大渋滞の中を時間ギリギリに着き、13時から1時間45分ほど、道文会の「小野玲華会長の日展13回目入選祝賀会&平成最後のさよならパーティー」に出席しました。まず会長の挨拶があり、来賓として同会顧問の私などの挨拶と来賓紹介、会長への花束贈呈、そして今年の各種展覧会での受賞者の発表がありました。皆、大変に頑張りました。

玲華会長挨拶
花束贈呈
受賞者発表&拍手

そこに津村啓介さんが到着して来賓挨拶をし、さらに賑やかにクイズや景品交換などが続きました。私もクイズを出題し、来年の干支である「己亥」の訓読みと、西大寺が上道郡西大寺町から岡山市西大寺になる間の自治体名とを出題しました。前者は「つちのとい」、後者は「西大寺市」ですが、前者は難しかったようです。

津村さん挨拶
景品授与
私もいただき
私たちのテーブル

そこで中座をし、やはり渋滞の中を市の中心部に行き、15時半過ぎにやっと「則武真一さんを偲ぶ会」に着くと、ちょうど終わったところで、ご子息の則武透弁護士や武田英夫さんらと写真を撮りました。則武さんは私より10歳年上で、私が参議院全国区の議員当時に旧岡山1区で共産党公認で衆議院議員を務められました。

則武さんを偲ぶ会で

暫時休憩の後、17時から2時間強、立憲民主党岡山県連合の常任幹事会に出席しました。主な議題は、22日の岡山県連のパートナーズ集会の持ち方と来春の自治体選挙の候補者選考ですが、いずれも議論百出でした。その後、常幹メンバーで忘年会を開き、ざっくばらんな意見交換で賑やかなひと時を過ごしました。

立憲県連常幹
忘年会で乾杯

 

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12月14日、帰岡、岡弁総会、事務所

小杉弁護士

8時に目を覚まし、ゆっくり準備をして9時半にチェックアウトをし、JR在来線で移動して10時過ぎの新幹線で帰岡しました。道中はずっと快晴でしたが、東京では遠方にきれいに見えていた富士が、近付くとそこだけ雲で隠れてしまいました。

13時半前に着き、若干の所用を済ませて14時開会の岡山弁護士会臨時総会にちょっと遅れて到着すると、会規改正の審議の最中で、間もなく採決となって異論なく賛成多数で可決と決まりました。大会議室が参加者で溢れ、近年の会員数の増加を示していました。

岡弁総会

15時に法律事務所に入り、デスクワークや電話連絡をし、17時に出て帰宅しました。司法研修所同クラスの小杉丈夫弁護士から、雑誌の抜き刷りが届きました。慌ただしい一日でした。

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12月13日、事務所、上京、愛鳥百人会、懇話会、打合せ、泊

総裁賞の美羽さんらと

公民館でのコーラス練習の妻が出掛ける前に用意してくれた朝食を食べ、12時に出て法律事務所に寄って若干のデスクワークをしました。

デスクワーク

直ぐに出て、13時前の新幹線で久しぶりの上京です。寒さは続いており、備前平野の旭川も百間川も、日差しはあるものの寒さに身を縮めているようでした。

寒さの旭川

16時過ぎに着き、JR在来線で有楽町に行き、思いがけず小雨が降り出しましたが、日比谷公園内の松本楼まで歩きました。17時前に着き、まず公益財団法人日本鳥類保護連盟主催の愛鳥懇話会の会場に行き、お集まりの皆さんと懇談しました。特に、来年の愛鳥週間用のポスター原画コンクールで総裁賞を授与される鈴木美羽さんを祝福しました。美羽さんは山形市の小学5年生で、祖父母とご両親とお兄さんと一緒にご出席で、素晴らしいたくさんの雀を元気一杯に描いてくれました。

美羽さんと

17時から30分、愛鳥百人委員会に出席しました。私は会長で冒頭に挨拶し、出席の皆さんから近況報告などをいただきました。最近は小鳥を飼う子どもたちが極めて少なくなり、小鳥屋さんがお手上げになっているという報告があり、考えさせられました。

愛鳥百人委員会全景
同挨拶

17時半から愛鳥懇話会に移り、50分に連盟総裁の常陸宮殿下をお迎えし、まず殿下の代理として連盟会長の私から美羽さんに総裁賞を授与し、美羽さんが清々しい挨拶をしました。次に出席者全員で2組に分けて記念写真を撮り、懇親会となりました。冒頭に私が会長として開会挨拶をし、来賓として環境省の正田自然環境局長が原田環境相の挨拶を代読し、田中真紀子さんの音頭で乾杯をして懇談となりました。18時45分に殿下がご退席になるのをお見送りし、19時前に私も中座しました。

19時過ぎから2時間半ほど、夕食を食べながら、東京での受任事件の打ち合わせを行い、22時半過ぎに、やっと宿泊先に到着しました。

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12月12日、庭、事務所、「災」

デスクワーク

寒さは少し緩みましたが、やはり寒い一日でした。昼過ぎまで自宅でゆっくり電話連絡やデスクワークをし、庭に出てみました。侘助がひっそりと清楚な花を開き、レンギョウが一輪、早すぎる花を付けていました。ロウバイのつぼみが開くのは、もう少しかかりそうでした。

庭の侘助
レンギョウが一輪
ロウバイはもう少し

14時過ぎに出て法律事務所に入り、さらに電話連絡などをしました。17時前には出て帰宅しました。今年の漢字は「災」と決まりました。自然災害多発の年でしたが、その中には人災の要素が強いものもあり、政治に目を転じると強者による人災そのものでした。