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4月22日、帰国

張主席らに見送られて

中国硬筆書法協会の張華慶主席らが見送りに来てくれ、7時にホテルを出て北京国際空港に向かいました。8時前に着き、ロビーで朝食にありついて、50分遅れで10時40分発予定の成田便を待ちました。

空港で朝食

離陸は11時となり、飛行中に昼食をいただき、「めぐりズム」という40℃の蒸気浴で目も気分も休まるアイマスクで休養しました。初めての経験でした。3時間の飛行と1時間の時差で、遅れをかなり取り戻して15時に成田国際空港に着陸しました。直前に窓外を見ると、水田に既に水が張られていました。入国手続きも順調に進んで、16時前に空港を出て、東京都江東区の清澄庭園に向かいました。離日以来接続できなかったフェイスブックが、やっと戻りました。

「めぐりズム」で
目の休養
田には水が張られ

 

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4月21日、雨、昼食会、書道展開幕式、夕食会

書道展開幕式で挨拶

朝から雨で、昨日の大気汚染もきれいになっており、この時期に特有の柳絮も治まっていました。8時過ぎに朝食を食べ、ャワーを浴びて、11時に出発して今日から始まる中国硬筆書法協会主催の大書法芸術作品展開幕式などの行事に臨みました。

雨の長安街

まず会場について12時から1時間強、役員や来賓の皆さんとの昼食会となりました。協会の張華慶主席の挨拶があり、続いて韓国の李寿成元国務総理と私が挨拶し、乾杯から食事となりました。13時過ぎに終わって、会場の壁面に展示された作品群を見て回りました。私の「乾坤煇」が早い順番で架けられており、恐縮しました。その後、控室で暫時休憩をし、14時前から500人ほどの参加者が整列しているところに私たちが入場して握手をしながら整列し、全員で記念写真撮影をしました。

昼食会で挨拶
展示作品を拝見
会場全景
習首席がテーマ
来賓らと
記念写真撮影

それからすぐに会場に入ったのですが、開会が14時半ころまで遅れ、まず張主席が挨拶し、次いで李元総理と私が、それぞれ挨拶に続いて張主席から海外栄誉顧問に就任の盾を授与されました。さらに台湾から参加の張炳煌さん、師村妙石さんと許由さんの挨拶がありました。そこからはくだけて、歌あり詩の朗読あり、手品あり楽器演奏ありで、「アリラン」や「北国の春」もありました。また揮毫した扇の披露があり、私も一本いただきました。その間に各種の表彰も続きました。演壇上での全紙に2文字の揮毫実演もあり、最後に私たちが呼ばれて、テープカットの代わりに数多く取り付けられた色とりどりの風船割りを行って、閉会となりました。

私の挨拶
続いて海外栄誉顧問に就任
韓国の横笛
子どもの歌
揮毫実演
風船割り

そこで昼食会と同じ会場に移動し、19時から夕食会となりました。みな草臥れたのか、乾杯だけで黙々と食事をいただきました。20時過ぎに散会となり、外に出ると、まだ雨が降り続いていました。

夕食会
帰りも雨

 

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4月20日、朝食、面談(呉さん、馬主任、横井大使)s、夕食会

呉民先さんと

うつらうつらしていたら朝になり、8時半過ぎから朝食に降りると、ちょうど師村妙石さんたちと一緒になりました。10時から、14時から、14時半からと面談予定が入り、さらに夕食会から中国硬筆書法協会の公式行事が始まります。

師村さんらと朝食

10時に、師村さんらが呉昌碩の直系子孫である呉民先さんと来室され、ブドウとカミキリムシの水墨画の色紙をいただき、30分ほど懇談しました。カミキリムシは中国語では「天牛」というそうです。呉昌碩の作成した家譜を、安吉の記念館に寄贈したそうで、9月に岡山県高梁市の成羽美術館を訪ねる際に、再会することを約束しました。

呉さん、師村さんと懇談

11時半過ぎに師村さんたちとともに出たのですが、北京は車が大渋滞で移動に時間が掛かり、ホテルで麺の昼食を掻き込んで、13時から30分弱、中国国際青年交流中心の馬主任と曹長河副主任と懇談しました。書道を通じての日中交流で大変にお世話になっています。その後、敷地内に移設された師村さん作成のモニュメントを拝見しました。「中日人民世代友好」と刻まれていました。

昼食を掻き込み
曹副主任と
馬主任と
モニュメント

14時半から日本大使館を訪ね、30分ほど、横井裕大使と懇談しました。師村さんも大変にご支援いただいており、私も若干の報告事項もあり、あっという間に時間が経ちました。そこからホテルに戻り、一息ついたところで、16時半に中日友好協会の若い職員が訪ねてきてくれ、打ち合わせをしました。

師村さんの作品
横井大使と懇談

次に17時半前に集合して出て、18時から3時間ほど、明日からの中国硬筆書法協会主催行事の前夜夕食会に出席しました。天安門広場を眺めながら由緒ある北京ダック店に移動し、控室で懇談した後に開会となり、まず協会の張華慶主席が主催者挨拶を、続いて韓国の李寿成元国務総理と私が来賓挨拶をし、乾杯から夕食懇談となりました。途中で、多くの参加者から次々に記念のスナップ写真を頼まれてしまいました。最後に出てきた当店の1億9,655万6,312番目の北京ダックは、さすがに超美味でした。

薄暮の天安門広場
北京ダック群
韓国の李元国務総理と
張主席の冒頭挨拶
私の挨拶
乾杯!
スナップ写真
北京ダック

 

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4月19日その2、富士、夕食会

遅い夕食会

日本時間の17時半前に離陸し、少し春霞に隠されたきれいな富士を見下ろしながら飛び、3時間半の飛行と1時間の時差で、北京時間の20時に北京国際空港に着陸しました。

機窓の富士

空港では花束に迎えられましたが、暫く師村妙石さんたちの到着を待ち、中国硬筆書法協会の幹部の皆さんとともに西の郊外まで移動し、22時から1時間ほど、夕食会となりました。大変なご馳走でしたが、機内食を完食していたため、とても食べきれませんでした。24時前にやっと宿舎の北京飯店にチェックインしました。

北京空港で
豪華夕食会
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4月19日、上京、龍門展、大学クラス会、北京へ

大学クラス会総会

タクシーの迎えで7時に出て、7時半過ぎの新幹線で上京しました。まだ4月半ばなのに、旭川も百間川もすっかり春でした。

百間川

11時過ぎに着き、短時間ですが龍門展を鑑賞しました。戦後の書道界を背負った一人である豊道春海さんのご子息の豊道溪峻さんが主宰する書道会で、春海さん所蔵の拓本がたくさん展示され、溪峻さんにご案内いただきました。

龍門展で

12時前に次の場所に着き、大学入学時のクラス会総会に出席しました。東京大学教養学部の昭和35年入学文科1類6組bという55人のクラスで、物故者が13名となり、13名が出席でした。私が音頭を取って乾杯した後、記念写真を撮り、暫くおいしい食事をいただきながら歓談し、各自が順次近況報告をしました。大多数が既に現役を退き、さらに体調に問題を抱えているものも多く、それでも皆さん意気軒昂で、世相を嘆く言葉も次々に飛び出しました。

乾杯!

14時過ぎに、全員の近況報告が終わったところで中座し、浜松町からモノレールで羽田空港に行き、出国手続きをして一休みしているところです。17時20分の便で、北京に向かいます。

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4月18日、ツルキキョウ、所用、事務所、県書道連盟展、絵画展

書道連盟展で

午前中は自宅でゆっくり過ごしました。昼前に裏庭に出てみると、ツルキキョウがきれいに花を開いていました。雑草の一種で、茂りすぎると困ります。

裏庭のツルキキョウ

13時半過ぎから妻とともに出掛け、所用を次々と済ませて回り、15時にやっと法律事務所に入って、何件か電話連絡をしました。

デスクワーク

16時に出て、天神山文化プラザで開催中の岡山県書道連盟展を鑑賞しました。全展示室を使って、力作を数多く展示していました。時間を気にしながら、17時前に出て次の横田素行絵画展に向かったのですが、着いたのが17時を過ぎ、既に閉店となっていました。残念。

玲華さんや碧山さんの作品
横田展は閉店で

 

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加藤宣幸さんお別れの会 偲びの言葉を掲載しました。

加藤宣幸さんのご逝去は、本当に突然でした。文字通りの急逝でした。前日まで仲間との活動
に奔走し、亡くなった時には手に原稿用紙を持っていたそうです。

私が初めて加藤さんに会ったときは何時か、往時茫々として記憶は甦ってきません。1960年春、
私は郷里岡山の高校を卒業して、東京にある父・江田三郎の参議院宿舎に同居して大学生活を始め
ました。建て替え計画の進む清水谷の宿舎になる前の、古い宿舎でした。その年の初めに、日本社
会党は鈴木茂三郎さんの後任に浅沼稲次郎さんを委員長に選び、浅沼さんが右派だったからか、左
派グループから若手代表として父を書記長に送り込みました。「アメリカ帝国主義は日中両国人民
共同の敵」と言った浅沼さんが右派、日本の目指す社会主義は「高いアメリカの生活水準、ソ連の
徹底した社会保障、英国の議会制民主主義と日本の平和憲法」と言った江田三郎が左派ですから、
かなりいい加減です。

父はその前は、組織局長を務め、全国の党組織を掌握していました。そして、その仕事をオルグ
面で支えていたのが加藤さん、森永栄悦さん、理論面が貴島正道さんでした。この3人は同世代で、
戦後の社会党の出発時からの同志で、若い夢と志を共有してひたすら党活動に専念していました。
逆に言えば、議員になることは彼らの夢からは遠く、むしろ社会党議員が議員に安住することに批
判的でさえあったと思います。そんな思いが、彼らを私の父に引き付けていったと思います。

その年の秋、浅沼さんが刺殺され、その後の党大会で父が委員長代行に選ばれ、総選挙をたたか
います。その大会で、委員長刺殺の悲しみの中で、活動方針が決定されました。その中に構造改革
路線が含まれていたことが、つまり冷静な議論を経る余裕がないまま、その時の政治情勢の勢いに
押されて採択されたため、その後の厳しい党内議論に晒されることになりました。しかし、講革論
を確信する勢力は江田派を立ち上げ、この3人は本部書記局の「江田派三羽烏」として活躍すること
になりました。私が彼らにあったのは、間違いなくその頃のことです。

加藤さんのご尊父は、戦前の無産運動の指導者の一人である加藤勘十さんです。勘十さんは、江田
派の精神的支柱の一人で、父も大変にお世話になりました。勘十さんの奥さんは加藤シヅエさんです
が、宣幸さんのご母堂ではありません。しかしシヅエさんも父を応援し、父もまたシヅエさんの参議
院全国区選挙の選対責任者を務めたりしました。そんなことで、宣幸さんの妹の大森さんもシヅエさ
んのお子さんの加藤タキさんも、私たちは大変にお世話になってきました。

60年代から最近に至るまでの年月は長く、この間の思い出を書き出すと切りがありません。また、
多くの人がそれぞれの切り口でいろいろ書かれると思うので、省略します。「現代政策総合研究所」
のころ、松前重義さんを中心の江公民路線を進めた「新しい日本を考える会」のころなど、いろいろ
あります。そして1977年の父の社会党離党から社会市民連合提唱となり、三羽烏の動きも様々となり
ます。そして森永さんに続いて貴島さんが世を去られ、今また宣幸さんが他界されて、あの時代は去っ
たとの思いが頻りです。あの時代に私たちを燃え滾らせたものも、一緒に雲散霧消した感じがして、
寂しさは一層募るばかりです。

加藤さんは、いつも穏やかでした。人を論難するという姿を思い出すことはありません。今、遺影
を見ると、何か仙人の風情を湛えています。しかし、仙人には、内面に強い信念をしっかりと持って
いることが欠かせないのだと思います。そして加藤さんこそは、単に写真写りが仙人なのではなく、
全人格が仙人だったのだと思います。そして文字通り仙人のごとく、私たちを残して旅立たれました。
加藤さん、本当にありがとうございました。安らかにお眠り下さい。

2018.4.16                                     江田五月

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4月17日、おにぎり、帰岡、家事調停事件、事務所

家事調停事件打合せ

8時に出て東京駅に向かい、朝食におにぎりを買って、八時半過ぎの新幹線で帰岡しました。12時過ぎに着き、パーク&ライドの駐車場から車を出すと、代金6200円が0円になりました。

朝食はおにぎり

昼食後に法律事務所に入り、13時前から短時間、家事調停事件の当事者らと打ち合わせをし、岡山家庭裁判所に向かいました。13時半からの期日で、申立人と相手方を別々にして、本人も出席で調停委員の皆さんとじっくりと協議し、14時過ぎから別室で、家庭裁判所調査官による離婚と子についてのDVD付ガイダンスを受けました。15時過ぎからさらに個別に協議し、宿題を残して次回期日を決めました。

岡山家庭裁判所

16時前に法律事務所に戻り、電話連絡やデスクワークをし、16時に出て帰宅しました。今日一日で、結構くたびれました。

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4月16日、所用、加藤さんお別れの会、王毅外相歓迎夕食会

王毅外相と握手

7時過ぎに起床し、窓から外を見ると、緑の森の中に東京ドームが巨大な恐竜のように威厳を見せ、反対側のグラウンドではサッカー少年たちが早朝練習の真っ最中でした。

東京ドームの威容
サッカー早朝練習

8時に出て所用に取り組み、13時半まで掛かりました。その後、大急ぎで学士会館に駆け付け、14時から1時間強、「加藤宣幸さんお別れの会」に出席しました。私の父・江田三郎が1960年代初頭に、日本社会党内で講革論を掲げて派閥を立ち上げたとき、書記局内で「江田派三羽烏」と言われた活動家の一人で、93歳まで大変にお元気で、全く予告なく突然に逝去されました。100人ほどもお集まりだったでしょう。初岡昌一郎さんの司会で開会し、まず黙祷を捧げた後、私が呼びかけ人を代表して挨拶し、さらに2人の挨拶があって、司会を山田高さんに交代し、竹中一雄さんが献杯をして思い出を語ってくれました。

加藤さんお別れの会全景
加藤さん遺影
私の挨拶
献杯

その後、皆さんと言葉を交わした後に、中退して昼食を食べ、所用の続きに取り掛かると意外に長引き、次の会場のホテルに着いたのは18時になっていました。18時半から2時間、日中友好7団体の会長らによる訪日中の中国国務委員兼外交部長の王毅さん歓迎の夕食会に出席しました。中国側は王毅さんご一行に程永華中国大使らが加わり、日本側は日本国際貿易促進協会の河野洋平会長、日中友好協会の丹羽宇一郎会長、日中文化交流協会の黒井千次会長、日中経済協会の宗岡正二会長、日中友好会館会長の私と日中友好議員連盟の竹下亘、北側一雄両副会長と日中友好会館の荒井克之理事長ら主要役員です。程大使の司会で、王外相と河野会長が代表挨拶をし、報道陣はそこで退席を願い、丹羽会長の音頭で乾杯をして懇談に入り、各会長らが順次発言して考えを述べました。王外相も積極的に発言して中国側の考え方や事情を述べました。王毅さんは本当に長く日本関係を担当し、日本にも友人が多く、有意義なワーキングディナーでした。

王毅さんと握手
夕食会全景
王毅さん挨拶
河野会長挨拶

 

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4月15日、上京、北岡さんら

北岡さんらと

明け方には雨は上がり、温かな朝になりました。朝食後、つい庭に出て草取りを始めましたが、妻に急かされて上京の用意をし、12時前に出てパーク&ライドで車を止め、岡山駅構内で昼食を取って、13時過ぎの新幹線で上京しました。旭川も吉井川も、すっかり春の景色でした。

旭川風景
吉井川風景

17時前に着き、北岡和義さんと待ち合わせ、神田のお寿司屋さんで若いジャーナリスト2人と合流し、4人で20時過ぎまで夕食懇談をしました。と言っても北岡さんの頭の中に若い人たちに話したいことが詰まっており、私が時々口を挟み、若い2人は専ら聞き役でした。

北岡さんと

その後、JR在来線で移動して、21時前にホテルにチェックインしました。