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5月28日、上京、山田村、所用、森美術館、帰岡

「建築の日本」展

7時に妻とともに出て、所用で上京しました。この時間なら渋滞はなく、20分強で駅に着き、パーク&ライドに車を止め、朝食に山田村のおにぎりを買って、7時40分過ぎの新幹線に間に合いました。山田村は、高校時代からの友人でお米屋さんの山田君が遺したお店です。彼は建築屋をしていた当時、私の自宅を建ててくれました。

山田村のおにぎり

11時過ぎに着いて所用に取り掛かり、時間はかかりましたが順調に済み、16時過ぎから1時間弱、ご案内をいただいていた森美術館開設15周年記念の「建築の日本」展を鑑賞しました。古い時代の日本建築のすばらしさをしっかりと受け継いで進化させている現代彫刻の挑戦に、目が覚める思いでした。その後も妻とともに、東京駅で夕食を食べ、19時前の新幹線で帰岡しました。

「建築の日本」展で

 

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5月27日、賣茶流茶会、ピクニック、道文会、髙橋さん通夜

道文会練成会

妻は10時過ぎに、私は10時半に、それぞれ出て、11時半前から岡山市北区郊外の煎茶道三癸亭賣茶流岡山津島支部の藤川敏代さんの米寿祝賀茶会に出席しました。緑に囲まれた純和風の建物で、活けられた多くの春の野の花の間を爽やかな晩春のそよ風が吹き抜ける中で、お煎茶を美味しくいただきました。

野の花に囲まれ
お煎茶をいただき
「龍翔雲起」
皆さんと

12時過ぎにお別れして、近くの木立の中でお土産のお弁当をいただきました。思いがけないピクニックでした。

森のピクニック

そこで私は一行とお別れし、自宅に戻って若干の用意をして、14時半から16時過ぎまで、道文会練成会に出席しました。参加者は皆、仮名書道の練習をしていましたが、私はその場所をお借りして「春雲出谷」と漢字の行書作品を書き、皆さんの合評会にも参加して若干の意見も言わせていただきました。

「春雲出谷」
合評会

自宅に戻って着替え、17時半前に妻とともに出て、18時から30分ほど、髙橋徹県議のご尊父の通夜に参列してお焼香をしました。髙橋浩さんで、今日が84歳の誕生日でした。一日走り回ると、疲労困憊となりました。

髙橋さん通夜

 

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5月26日、孫教授講演会、昼食会、帰岡、番町文庫

 

孫教授講演会

8時過ぎにチェックアウトして、東京大学法学部の研究室棟に行きました。学生だったころに、丸山真男教授などをしばしば訪ねた懐かしいところです。

8時45分頃に着き、暫く100人ほどの参加者と言葉を交わしながら待つうち、北京大学経済学院院長の孫祁祥教授が到着し、9時過ぎから講演会が始まりました。まず主催者の亜洲(アジア)友好協会の徐迪旻理事長が開会挨拶をし、さらに東京大学大学院の小原雅博教授と同協会会長の私とが挨拶をして、孫教授の講演が始まりました。

孫教授と握手
小原教授の挨拶
講演会全景
私の挨拶

孫教授は、李克強国務院総理と同時期に北京大学で学び、文化大革命で下放された経験もあり、120年の歴史を持つ北京大学の経済学院初の女性院長で、注目を集めています。講演は、日中平和友好条約40周年と亜洲友好協会設立20周年を記念し、「新型グローバル化を推進し、日中経済貿易関係を発展させる」と題するもので、9時半から2時間にわたり、中国の改革開放政策の回顧と展望、一帯一路によるグローバル化の考え方と確信等、長い歴史を回顧して将来を語り、多岐にわたって見識を披露され、さらに30分間の質疑も行われました。最後に花束と記念品の贈呈があり、赤門前に移動して記念写真も撮影しました。

孫教授講演
記念品贈呈

その後、13時過ぎから協会関係者らと昼食会にも参加いただき、乾杯に続いて英語でざっくばらんな懇談をしながらおいしい料理をいただきました。私は14時半過ぎに中座し、15時過ぎの新幹線で帰岡しました。

歓迎昼食会
懇談

18時半前に着き、19時前から2時間ほど、恒例の番町文庫月例会に遅れて出席して、気の置けない旧友らと鍋を突きながら懇談しました。今日は総勢14人で、皆元気一杯でした。

番町文庫

 

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5月25日、事務所、高松へ、50年表彰、遅れ、上京

法曹50年の仲間たち

14時過ぎまで自宅でゆっくりし、14時半過ぎに法律事務所に入って、ほんの短時間だけデスクワークをして岡山駅に行き、パーク&ライドで車を止めて、15時過ぎの瀬戸大橋線マリンライナーで高松に行きました。曇り空に霞がかかったような瀬戸内海の景色も、穏やかで良いものです。

デスクワーク
霞む瀬戸内海

16時過ぎに着き、駅前のホテルに直行して、16時半開式見込みの日本弁護士連合会による法曹在職50周年等感謝・表彰式の受付を済ませ、控室に通されました。私たち司法研修所の第20期修習生の場合は、修習終了後直ちに裁判官・検察官または弁護士の職に就くと、途中で法曹3者間の移動があっても、法曹の職務開始から今年でちょうど50周年となり、日弁連が表彰してくれるのです。今回の在職50年被表彰者は217名で、36名が出席予定でした。控室では、久しぶりに会う同期生で賑やかに話が弾みました。

同期で待機

開式時間はあくまで見込みで、その前に行われる定期総会の終了を待たなければなりません。ところが、私も総会を覗いてみましたが、議論百出で予定がずれ込み、1時間半は開式が遅れる見込みとのこと。私は今日中に上京しなければならず、最終のJR線に間に合うには、仮に開式が間に合っても私が居られるのは超短時間となり、それも危ういことになりました。

定期総会

そこで、大変恐縮ですが僅かでも早く上京の途に就く方が得策と決断し、18時前に退出して瀬戸大橋線で岡山に戻り、駅構内で夕食を済ませ、20時前の新幹線で上京し、24時前にチェックインすることができました。

JR高松駅

 

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5月24日、車検、事務所

デスクワーク

私の乗っている車が車検となり、10時過ぎに取りに来ていただき、諸税公課で5万円余を支払いました。代車が同じ車種ですが年式が新しく、立派なので恐縮しました。11時過ぎには妻が公民館のコーラス発表会に出掛け、私もぐずぐずしながら13時前に代車で出かけました。

城下公会堂で昼食をいただき、14時過ぎに法律事務所に入りました。予約の日程はないのですが、デスクワークがたまっており、2時間ほど電話連絡などをしました。

17時前に帰宅し、暫く庭の草取りをしていると、17時過ぎに車検の済んだ車が届き、オイル交換などの諸費用が10万円余とのことでした。安心料です。その後も薄暮まで、草取りをしました。

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5月23日、人民日報、行政事件相談、憲法委

人民日報に揮毫

昨日とは一転して、朝から雨の一日となりました。隣地の建物新築工事では、朝から雨の中で作業を進めていました。中国の人民日報が創刊70周年を迎えるので、祝電・メッセージの類を求められ、昼前に色紙に揮毫しました。中国では、こうした機会には、どういうことをするのでしょうか。

13時半に出て法律事務所に入り、14時から30分ほど、行政事件相談を受けました。当事者としては釈然としない思いでいるのはよく分かりますが、訴え提起の切り口がうまくつかめません。その後、デスクワークをし、さらに所用を若干片づけました。

行政事件相談

17時から1時間半ほど、岡山弁護士会憲法委員会に出席しました。安倍首相の目指す憲法9条加憲の企図に対し、批判の意見書を発出しようと、文案につき詰めた検討をしました。弁護士会は弁護士全員による強制加入団体ですから、勢いだけで行動するわけにはいきません。

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5月22日、五月晴れ、誕生日、三郎偲ぶ会、立憲本部、帰岡

三郎さんを偲ぶ会

素晴らしい五月晴れの朝となりました。今日は私の父・江田三郎の没後41年目の命日で、併せて私の喜寿の誕生日です。フェイスブックをはじめ様々な手法で、多くの皆さんから祝意をいただきました。個別の返信はしませんが、ここで心からお礼を申し上げます。11時にチェックアウトし、所用をすませて東京メトロで「江田三郎さんを偲ぶ会」に駆け付けました。

五月晴れ

12時前に会場に着くと、妻が岡山から、さらに長女も日野市からそれぞれ駆け付け、父のすぐ傍で政治に関わっていた総勢20名ほどで12時過ぎに開会となりました。山田高さんの司会で、まず黙祷を捧げ、初岡昌一郎さんの音頭で献杯をし、昼食をいただきました。

黙祷
献杯

13時前から、欠席の皆さんの近況報告が読み上げられ、次いで出席者が順次挨拶で所感を述べ合いました。日本社会党本部で関わっていた人から取材で関わった人、没後に研究者として関わった人まで、関わり方は様々ですが、今の政治や政治家に対して根源的な不満足感を抱いている点は、皆に共通しているように思いました。最後に私が締めくくりの挨拶をし、妻の発案で父が実に正確に記憶して歌っていた「からたちの花」を合唱し、全員で記念写真を撮ってお開きとなりました。

妻が挨拶
長女も
私の挨拶
全景

終了後、田中悦子さんの案内で、近くの立憲民主党本部に寄ってみました。こじんまりした事務所で、職員の皆さんが何人か仕事中で、激励しました。そこから東京駅に行き、妻と長女とお茶をして、16時半の新幹線で妻とともに帰岡しました。

立憲民主党本部で

 

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5月21日、事務所、上京、田植え、中国青年、誕生会

中国青年研究者歓迎会で

12時前に出て法律事務所に入り、若干の電話連絡とデスクワークをしました。依頼されていた相続相談事件が、やっと最終段階にたどり着きました。

デスクワーク

13時前に出てパーク&ライドで岡山駅付近に駐車し、駅構内で昼食を済ませ、14時前の新幹線で上京しました。車窓から見える田は、どこも田植えの準備が進んでいました。

田植え準備

17時過ぎに着き、日中植林・植樹国際連帯事業の一環の青少年交流として中国からで訪日した若者たちの歓迎会場に直行しました。中国社会科学院青年研究者代表団第1陣の24名で、昨日から27日まで、東京のほか仙台、石巻、気仙沼などを回ります。団長の同院国際合作局の田徳文副局長や外務省や中国大使館の担当者らの紹介の後、私が主催の日中友好会館会長として挨拶し、さらに記念品贈呈を受けました。

田徳文団長と
主催団体会長として冒頭挨拶
記念品をいただき

そこで中座し、19時から地元出身で私の事務所でインターンをした若者の誕生祝夕食会をしました。最近結婚もし、未来の希望に溢れてまばゆいほどです。ホテルのチェックインは22時となりました。

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5月20日、用水掃除、弔問s、墓参、玉龍会

墓参

気温の変化が激しい中で、やっと普段の五月晴れになってきました。早起きして、8時から町内の用水掃除に参加しました。心無い人が物を捨てたりするほか、水草が生えたり風で物が飛び込んだり、多種多様な異物が出てきますが、今回は少なかったようでした。

用水掃除

その後、妻とともに着替えて欠礼となっている町内の方の弔問に出掛けました。私たちがここに越してきて以来、何かとお世話になっており、奥さんと話をしていると、さらにもうお一人の訃報を聞くことになり、弔問の連続となりました。奥さんしかいなくなったお宅に、ウツギの一種が見たことのないきれいな花をいっぱい付けていました。

山口さん弔問
難波さん弔問

自宅に戻って昼食の後、13時前に妻とともに出て、岡山市北区建部町の私の両親の墓参に出掛けました。父の命日が明後日なので、墓掃除をしておこうと思い立ち、途中で花屋できれいな芍薬を求め、完璧に墓地の草取りをし、花を活けて墓前に手を合わせました。境内の草地では、アザミが満開でした。

芍薬を活けて
境内のアザミ

思わず時間が掛かり、次の玉龍会の練成会に大幅遅れで、終了時刻の16時直前にやっと到着しました。ちょうど片付けをしている最中で、皆さんに中国雲南省の玉龍雪山への旅の土産話をしました。私の作品作りは、今日も未遂に終わりました。

玉龍雪山の報告

 

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5月19日、総会(協同組合、岡弁)、法曹50年祝賀会

法曹50年表彰の5名

9時に出て、9時半から岡山弁護士協同組合通常総会に出席しました。松井健二理事長の挨拶に続いて昨年度事業報告と決算、次いで今年度の事業計画と予算の各提案があり、いずれも満場一致の拍手で可決され、20分程度で終わりました。

岡山弁護士協同組合総会

続いて10時から、岡山弁護士会定期総会に出席しました。会員は総勢402人となり、本人164人と代理70人の出席でしたが、大会議室は出席者で溢れ、補助椅子がずらっと並びました。議長選出などの手続きに続いて、安田寛会長の挨拶と退会者の紹介と新入会員の挨拶があり、昨年度の会務報告と決算が提案され、挙手多数で承認されました。そこで前年度執行部の大土弘会長らの退任挨拶があり、今年度予算が提案され、活発な質疑があってこれも挙手多数で承認されました。さらに綱紀委員会及び綱紀手続きに関する会規の一部改正案が提案され、質疑の後に挙手採決をし、3分の2以上の賛成で可決されました。最後に在職30年表彰が行われ、12時過ぎに閉会となりました。

岡山弁護士会総会
安田会長挨拶
佐々木会員の監査報告
30年表彰

その後、所用を済ませて次の会場に急ぎ、昼食を取って、13時半から2時間強、岡山弁護士会による私、奥津亘、近藤弦之介、田淵浩介、平松掟の会員5名に対する法曹在職50年表彰祝賀会と吉岡康祐会員に対する日弁連副会長慰労会に出席しました。安田会長による私たちの紹介と祝辞に続いて各自に対する花束等贈呈と乾杯があり、さらに横田弁会員による祝辞があって私たちがそれぞれ謝辞を述べ、吉岡会員は自らのギター伴奏による歌を披露しました。さらに田淵浩介会員の歌もあり、対象者が多いせいもあって時間がどんどん経過し、最後に河原昭文会員によるエール交換で締めくくりました。

旭川を見下ろして昼食
記念品贈呈
乾杯!
私の謝辞
吉岡会員のギター伴奏と田渕会員の歌
河原会員の音頭でエール