

所用はそれほどなく、昼食後に出て上野公園に行ってみました。昨日ほどでないとしても、今日も温かく、公園内は人で一杯、不忍池はボートで一杯で、カモメのほかキンクロハジロなどの水鳥が一杯でした。



大勢の人は、圧倒的多数派が外国人で、中国人やタイ人と思います。桜は満開を過ぎ、花弁が風に吹かれて雪片のように散っていました。西郷さんの銅像は、いつものように堂々として、セゴドンの威厳を示していました。


所用はそれほどなく、昼食後に出て上野公園に行ってみました。昨日ほどでないとしても、今日も温かく、公園内は人で一杯、不忍池はボートで一杯で、カモメのほかキンクロハジロなどの水鳥が一杯でした。
大勢の人は、圧倒的多数派が外国人で、中国人やタイ人と思います。桜は満開を過ぎ、花弁が風に吹かれて雪片のように散っていました。西郷さんの銅像は、いつものように堂々として、セゴドンの威厳を示していました。
午前中はゆっくりし、13時に出て参議院議員会館の難波奨二さんの事務所に伺い、13時半から30分ほど、日本鳥類保護連盟の名執芳博専務理事と懇談しました。常陸宮を総裁にいただく長い歴史を有する公益財団法人で、野鳥保護の分野で大きな業績を上げており、これからも一層の役割が期待されます。私は、河野洋平さんが会長の当時に理事を務め、河野さんと一緒に顧問も務めて、現在は河野さんの後を受けて愛鳥百人委員会会長を務めています。
14時15分頃から短時間、難波さんと懇談しました。難波さんは現在、民進党岡山県連代表で、私は同県連顧問を務めています。森友問題などで政局は緊張しており、野党のしっかりした姿勢が求められます。
東京は桜が散り始め、花びらが舞い落ちていました。車の窓を開けると、ズボンに一片落ちて来ました。
9時半過ぎに出て日中友好会館に行き、10時から2時間ほど、同会館会長として文化事業部の諮問委員会に出席しました。
同部は、会館の保有している美術館を活用した展覧会や公演として、2017年度は景徳鎮現代陶器作品展、貴州少数民族衣装展、同民族歌舞公演と上海現代竹彫刻精品展を主催したほか、他の展覧会開催に協力し、さらに美術館を貸与して多くの展覧会などが実施されました。これらの企画の際には、併せて来日した作家らと日本の関係者との交流会も行い、交流の実を上げました。さらに今年度は、美術館での各種展覧会のほか、景徳鎮中国陶磁博物館などで日本工芸展として九谷焼の展覧会を計画しています。貸美術館企画も多岐多彩にわたり、稼働率は78%となります。
諮問委員としては、中国大使館文化部の陳諍参事官、外務省大臣官房の山谷裕幸文化交流・海外広報課長、中国音楽、書、中国古代史などの専門家、日中文化交流経験者、ジャーナリズムや宗教の関係者など9人が集まり、開会後、私が会長挨拶をし、会館職員から映像を入れて報告と計画説明を行い、諮問委員全員からそれぞれの立場からの貴重なご意見をいただき、最後に開館の鄭祥林中国代表理事と私が発言し、趙平文化事業部長が締めの挨拶をして閉会となりました。
その後、14時前まで、参加者で昼食懇親会を行い、会館の荒井克之理事長の挨拶と乾杯の音頭の後に懇親に移り、美味しい中華料理と自由な会話で楽しいひと時を過ごしました。
14時15分頃から1時間弱、弁護士業務の関係で、袁暁娟税理士事務所に伺い、事務員の皆さんに挨拶して、袁所長らと協議をしました。
まず9時半から11時45分頃まで参議院の、さらに14時から16時15分頃まで衆議院の各予算委員会で、佐川宣寿さんの証人喚問が行われ、すべてテレビ中継され、所用を済ませながら見ました。
国会に最初に提出された決裁文書が、元のものを改竄したものであったことが明らかになっていますが、改竄の経緯については、刑事訴追を受ける恐れがあるとの理由で、証言を拒否しました。確かに証言拒否権は、憲法38条に規定された権利ですが、義務ではありません。証人に助言を与える補佐人は、証人の刑事責任につながるおそれに付き助言しますが、証人の人生観や、特に官僚幹部経験者としての矜持などに付き助言を与えるものではありません。そこで、証言拒否の助言を得た証人であっても、森友問題に起因する政治や行政に対する国民の不信感を払拭するために、敢えて自己の刑事責任のおそれを甘受して、証言することはできるのです。
佐川証人も認める通り、ご自身が証言拒否したことによって、文書改竄の経過の不透明さが解明されないまま残されました。佐川証人は、この闇を解明しないで国民の忘却に任せることが、結局は政治や行政の信頼を守ることになると思ったのか、それともそんなことよりも自己の刑事責任回避の方を重視したのか、問い質したいところです。この質問は、刑事責任と関係ないので、証言拒否権はないと思います。
本格的な春となり、全国で桜が満開となりました。9時からの参議院予算委員会のテレビ中継を見ながら、12時前から所用に取り掛かって15時過ぎまでかかり一休みして16時半過ぎに出掛けました。
17時半前に、「中国青年メディア関係者訪日団第3陣歓迎会」の会場に着き、まず団長の中共中央委員会宣伝部機関サービスセンターの劉玉春副主任らと懇談し、18時から歓迎会に出席しました。
まず来賓や主催者の紹介があり、冒頭に私が主催者である日中友好会館の会長として歓迎の挨拶をしました。科学と発明をテーマとする第1分団29人は仙台で魯迅の碑を参観し、スポーツをテーマとする第2分団29人は山形で最上川芭蕉ライン舟下りを楽しむろ言うので、魯迅の「藤野先生」と芭蕉の「象潟や…」をテーマにして日中間の人的交流の話をして激励しました。
その後、外務省担当者と劉団長の各挨拶があり、中国大使館の張梅参事官の音頭で乾杯をして、懇談となりました。若い皆さんと暫く歓談し、19時に中座して夕食を食べ、21時前に宿舎に帰り着きました。
所用のためしばらく東京に滞在することになり10時前にホテルを出て、滞在地に向かいました。
用件自体は午後早くに終わり、その後はテレビを見てのんびり過ごすことになりました。久しぶりに大相撲の千秋楽の中継をゆっくり見ると、聞きなれた四股名の力士は休場ばかりでしたが、物言いの付く場面が続き迫力がありました。結びの取組みは鶴竜対髙安で、鶴竜に軍配が上がったものの、鶴竜の踵が先に出たと物言いがつき、同体取り直しで、髙安の勝ちとなり、その後の表彰式では負けた鶴竜が優勝杯を受けるという面白い展開となりました。
気温がぐんと上がり、春らしくなって、桜も一気に満開となりました。そこで妻とともに11時前にホテルを出て、外堀近辺を市谷まで歩いて桜見物をしました。見事な大輪の八重椿があったり、桜にカメラを向ける人が大勢いたり、なかなか楽しい散歩でしたが、12時の集合時刻を若干遅れてしまいました。
12時過ぎから15時過ぎまで、妻の両親である深谷克海さんと比呂さんの十七回忌ということで、6人の子とその配偶者、26人の孫とその配偶者、さらに19人の曾孫の大集合となり、亡くなった飯島一玄さんを除く合計56人のうち35人が集まりました。二男の深谷晋さんの司会で、長男の昭夫さんが両親の紹介をして開会挨拶をし、献杯をして懇談に入り、食事を取りながら、順次近況報告などをしました。家族毎の写真や曾孫大集合写真も撮り、最後に万歳をして盛り上がり、なかなか散会できませんでした。
15時半ころから1時間ほど、長女の飯島典子さん、二女の江田京子、四男の深谷貞治君とその一家の10人余が集まってお茶をし、さらに盛り上がりました。別れ難いのを断ち切って、私と妻は東京駅に行って夕食を食べ、妻は帰岡の旅に発ち、私は明日からの所用のためにホテルに戻りました。
9時前に妻と出て、所用を済ませながら岡山駅に行き、10時前の新幹線で一緒に上京しました。岡山駅には例の新型のこだま号が停車していました。昼食は、岡山名物の鰆などのにぎりとなりました。
13時過ぎに着き、ホテルにチェックインして、14時から1時間半ほど、日中友好会館の評議員会に陪席しました。厳格な法令順守が求められる公益財団法人の最高意思決定機関で、私は理事で会長ですが評議員会のメンバーではなく、陪席に留まります。議長の決定などの後、議題の来年度事業計画、収支予算などを荒井克之理事長らが説明し、出席評議員全員の賛成で了承され、さらに常勤役員の報酬も同様に承認されました。そこで評議員会は終わり、引き続き出席評議員の懇談会に移って、次期理事の選考方法に付き荒井理事長が方針を説明し、私も発言して活発な意見交換をしました。
15時半過ぎから1時間ほど、出席者で懇親会を行いました。冒頭に私が会長として挨拶し、乾杯から懇談となり、多岐にわたって自由な意見を交わしました。
17時に終わって、18時前に妻と落ち合い、19時前に衆議院議員宿舎の高井崇志さんの部屋に集合して、奥さんの手料理による夕食会をしました。難波奨二さんも加わり、総勢で8人となり、おいしいお料理と楽しい会話で21時過ぎになりました。
氷雨はすっかり上がり、午前中から暖かい陽が射し、それでも時々寒い強風が吹いたりしました。昼前に朝食を食べ、庭の草取りをしていると、カンゾウの新芽がずいぶん伸びていたので、少しだけ摘まみ、胡麻和えにして昼食のおかずにしました。ヤブサンザシが花盛りでした。
14時半過ぎに出て、15時過ぎから1時間、法律事務所で議員事務所のインターン生3人の訪問を受けて懇談しました。高井崇志事務所の女性1人と中川雅子県議事務所の男女各1名で、岡山大学とノートルダム清心大学の学生たちです。何事にも興味を持って、どんどん吸収していって欲しいものです。
その後、18時過ぎまでデスクワークをし、岡山駅で所用を済ませて19時過ぎに帰宅しました。明日からまた上京です。
11時前にホテルをチェックアウトし、「中国留学経験者同窓会」の設立記念レセプションの会場に行き、まず来賓控室で、同窓会会長に就任した近藤昭一さん、程永華中国大使、中国から参加した中華人民共和国教育部の陳宝生部長、そしてそのカウンターパートに当たる日本の林芳正文科大臣らと懇談しました。
11時半に会場に入り、まず近藤会長が決意を込めた挨拶をし、陳部長が日中間の留学の歴史を振り返りながらその大切さを強調した挨拶をし、さらに林大臣、程大使と続いて、私が戦時下での中国生活経験に触れた挨拶をして乾杯の音頭を取りました。すべて通訳も入るため、ここまでで1時間が経過し、懇談に移りました。教育関係者らが大勢ご出席で、暫く皆さんと言葉を交わしました。
13時過ぎに中座して、お彼岸には全く不釣り合いの氷雨の中を東京駅に行って昼食を済ませ、切符変更ができないので時間を潰して、15時半の新幹線で帰岡しました。妻の迎えで、夕食を外で済ませ、帰りにスーパーに寄って「えだまりこ」を探したら、何と「さつまりこ」があり、びっくりしました。言うまでもなく、私と長女の名前の合成です。