

午前中は自宅で、電話連絡に追われました。総選挙の公示が近づき、電話も頻繁にかかってきています。12時過ぎに出て法律事務所に入り、14時から短時間、受任民事事件の電話期日に対応しました。和解期日で、いよいよ細部の詰めの段階に入りました。その後も電話協議や電話取材、そしてデスクワークに追われました。

17時に旧知の小土井洋二さんがご子息の秀明さんと来られ、1時間弱、懇談しました。秀明さんは洋二さんの仕事を引き継いで、理美容関係の機器や薬品の販売を行っており、海外展開にも乗り出しています。
午前中は自宅で、電話連絡に追われました。総選挙の公示が近づき、電話も頻繁にかかってきています。12時過ぎに出て法律事務所に入り、14時から短時間、受任民事事件の電話期日に対応しました。和解期日で、いよいよ細部の詰めの段階に入りました。その後も電話協議や電話取材、そしてデスクワークに追われました。
17時に旧知の小土井洋二さんがご子息の秀明さんと来られ、1時間弱、懇談しました。秀明さんは洋二さんの仕事を引き継いで、理美容関係の機器や薬品の販売を行っており、海外展開にも乗り出しています。
11時前に妻と出掛けて、まず倉敷市に行き、12時過ぎから30分弱、高校時代の書道部一年先輩の曽我英丘さんと織物の中村えい子さんの作品展ENを鑑賞しました。織物と書のコラボで独特の世界を作り出しており、単純な色彩と複雑で周章度の高い造形が生み出す美の世界を堪能しました。
岡山市に戻って「城下公会堂」で昼食を食べ、そこで行われているフラワー作家のSai Sai Kaさんの個展「群緑」を鑑賞しました。植物に特殊な成分の水を吸わせて処理した素材の造形で、生活の中で生きる空間を作り出していました。次いで林原美術館で、特別展「金重陶陽 没後50年展」を鑑賞しました。備前焼が廃れかけた時代に再びこれに生命を吹き込んだ中興の祖で、初期の細工物から茶器や食器類など、陶陽芸術が一堂に会していました。
15時から30分弱、岡山5区で総選挙に挑む樽井良和さんと会って激励しました。急遽の出馬で準備が何もなく、想像を絶する大変さですが、持ち前の陽気さで大胆に挑戦しようとしています。さらに法律事務所に入った後に、16時から30分ほど、民進党岡山県連の総選挙選対本部長事務所を訪ねて暫時懇談して労働組合関係の皆さんのところを回ってみました。
その後、買い物をして自宅に帰り、電話協議と津村啓介さん関係のデスクワークに取り組みました。今日は終日、妻と一緒でした。
午前中は相変わらず、自宅で電話連絡やデスクワークをしました。昼前に、以来された色紙の揮毫に取り組みました。年末のチャリティーに出品するためです。
13時過ぎに出て法律事務所に入り、電話連絡の続きやデスクワークをしました。16時過ぎに一度自宅に帰り、また出て18時から2時間弱、法律事務所で羽場頼三郎市議らと打合せをしました。終わって、幼馴染の山本美奈子さんが経営するお好み焼屋の「番町文庫」で夕食を取りました。子どものころからの親友たちのたまり場なのです。
21時過ぎから、選挙準備の手作業をしている皆さんのところに寄ってお茶を飲みながら雑談し、22時半ころに帰宅しました。中天に満月がかかり、月光に浮かぶうろこ雲が綺麗でした。
午前中は自宅で、電話連絡はデスクワークに追われました。野党側の再編の動きが急で、しかも極めて目まぐるしく、判断が困難なようです。私は、政党再編の初期微動に続く本格的地殻変動なので、たじろぐことなく前に進むべきだと訴えました。その場合に大切なことは、魯迅が短編小説「故郷」の最後の節で言っているように、「希望」はもともと有るというものでもなく、無いというものでもないのであって、ちょうど地上の道のように、初めから有るのではなく、皆が歩けば道になるのです。みんなで歩くことが何より大切で、排除や選別は希望にふさわしくありません。現実に誕生しつつある「希望」は、当初の期待感をうまく生かすことが出来るかどうか、ちょっと不安なようです。枝野さんの「立憲民主党」と相補って、相乗効果で目前の相手に立ち向かえればよいのですが。
昼過ぎに出て法律事務所に入り、14時から30分弱、民事受任事件の当事者と打合せをしました。その後、さらに事件処理のためにデスクワークや電話連絡などをし、17時ころに出て、岡山駅前を通過すると、高井崇志さんが街頭活動をしていました。妻は夕方から、町内の役員の仕事で歩き回っており、私が食材を買って帰宅しました。
10時過ぎに出て法律事務所に入り、若干のデスクワークをして、11時半前に出て所用を済ませて、12時前の新幹線で上京しました。今回も日帰りで、昼食はいつもと同じ岡山名物の握りずしでした。
15時過ぎに着き、国会周辺の会議室に駆けつけて、16時から2時間、少人数の研究会に出席しました。政治課題としての改憲論議を離れて、腰を低く落として、国家機関の現実の運営につき、具体的で細かな事実の確認から議論を始めようというものです。
終わって外に出ると、すっかり日が落ち、今にも降り出しそうな空に、照明を受けた国会議事堂が浮かび上がっていました。その後、東京駅で夕食を取り、19時半の新幹線で帰岡しました。今日の東京滞在時間は4時間足らずでした。新幹線は岡山止まりで、到着前に気が付くと、私のほかは誰もいないがら空きでした。
早朝から学区連合町内会のクリーン大作戦で、妻は7時半に出掛け、私も8時半前から近所の草取りをしました。9時半に終わった後も更に自宅の草取りを続け、くたくたになりました。
自宅で暫時休憩し、11時半ころに岡山市長選挙と市議会中区補欠選挙の投票に行きました。見るからに投票率が低そうでした。その後、昼過ぎまで自宅でゆっくりしました。
14時半に出て、15時から1時間ほど、民進党岡山県連の常任幹事会に出席しました。総社市議選で推薦と支持の候補が4人全員当選した報告があり、初挑戦当選の山田雅徳さんが挨拶をしました。さらに、衆議院解散を受けた選挙戦への対応につき、突っ込んだ協議をしました。大激動への対応なので、意見は多く出されましたが、現職3人の当選に向けて、さらに残りの選挙区での活動も含めて、全力で一致した行動をとることを確認しました。その後、2、3社からぶら下がり取材を受けました。
続けて17時過ぎから18時まで、県連幹部と連合岡山三役とで意見交換会を開きました。総選挙への対応につき積極的な協力をしていくことで意思統一が出来ました。
その後、帰宅して夕食を食べ、22時過ぎに妻とともに出て岡山市議会中区補欠選挙の下川倫史候補の選挙事務所に行きました。市長選挙の方は20時の投票終了と同時に、民進党などの推薦した大森雅夫候補が2期目の当選確実となりました。しかし市議補選は、22時半で開票率50%余で相手候補の当確が出て、下川候補の落選が決まりました。直ちに候補がご夫人とともに事務所に来て、選対本部長の津村啓介さんに続いてお礼の挨拶をし、思わぬ大差で無念の涙を呑みました。30%余という低投票率とともに、反省材料を次に生かさなければなりません。
9時前の新幹線で岡山を発ち、12時半前に東京駅からJR在来線で新橋に着き、13時から1時間強、東京華僑総会主催の中華人民共和国建国68周年祝賀会に出席しました。
まず役員の皆さんらに挨拶して懇談し、開会となって主催者挨拶に続いて中国大使館の王軍総領事の挨拶の後に来賓紹介があり、合唱団に合わせて出席者の国歌合唱がありました。次いで来賓挨拶で、私が日中友好会館会長として指名されて「中国の赤い星」や魯迅の「故郷」を引いて挨拶し、海江田万里さんが中国語で挨拶、さらに山本太郎さんの挨拶があって、長老の音頭で乾杯をして、懇談となりました。
14時半前に中座し、東京滞在時間2時間余で15時前の新幹線で帰岡しました。18時過ぎに岡山駅に着き、岡山市議会中区補欠選挙の民進党公認初挑戦の下川倫史候補の選挙事務所に直行して街宣に合流し、私も1時間弱マイクを持って最後の流し街宣をしました。あちこちで町内会の秋祭りが行われていました。19時45分から選挙事務所前で、マイク納めで最後の激を飛ばし、下川候補が最後の訴えをして締めくくりました。その後、21時から1時間強、数人で夕食を食べながら懇談しました。
10時ころに妻とともに出て、長くご支援いただいていた女性の弔問に伺いました。農家で働き続け、ご高齢で要介護状態が続きましたが、数日前に他界されました。ご主人とご子息夫妻がおられ、思い出話をしました。享年85歳。合掌。
その後、妻とともに車に給油して洗車し、クリーニング店に預けていた合服を山ほど持ち帰りました。昼は外食で済ませ、自宅で若干のデスクワークや電話連絡をした後、15時から2時間、岡山市議会中区補欠選挙に公認で下川倫史候補を擁立している民進党の確認団体政策宣伝車に乗り込み、運転は元市議の近藤昭さん、ウグイス嬢は東区の中川雅子県議と倉敷の藤原薫子市議という豪華メンバーで、私がほとんどマイクを持ち、ご近所を流し街宣で回りました。いよいよ明日が最終日ですが、私は日帰りの東京日程で参加できません。
17時半前に出て、18時から、下川候補の個人演説会に参加しました。高橋雄大市議の司会で、私が冒頭に10分ほど、国政の大激動について私の見方を述べながら、市議補選の意義を強調して下川候補への支援を訴えました。
そこで中座して、東欧音楽家支援の国際親善交流特別演奏会として開催された日本・ブルガリア文化交流演奏会のゲオルギ・ボイキンさんのピアノ・リサイタルに駆けつけました。18時半から開会で妻は間に合いましたが、私は第1幕のショパンのマズルカ2曲が終わったところで入場し、さらにショパンのノクターン3曲を聞き、休憩後にモーツァルトのピアノ・ソナタ第11番といずれもショパンの練習曲第7番とポロネーズ第1番を聞きました。アンコールはベートーベンの月光第1楽章でした。日本音楽文化交流協会代表で指揮者の及川光悦さんが取り組んでいる企画で、今日もご夫人らとともに入口でご挨拶しておられました。ボイキンさんは、ブルガリア生まれで24歳と若く、これからの活躍が期待されます。終了後、妻と友人ら数人で夕食を食べました。
朝から電話連絡が忙しく、11時ころに出掛け、所用を済ませて12時に法律事務所に入り、昼食と若干のデスクワークや電話連絡を済ませて、13時半に出ました。
14時から1時間、岡山市議会中区補欠選挙の民進党公認初挑戦の下川倫史候補の街頭宣伝活動に合流しました。下川候補と下市市議とともに、同区北部地域を選挙カーで回り、スポット演説を3か所と流し街宣を行いました。至る所で人が出てきてくれ、反応上々と思います。
15時半に事務所に戻り、野党再編につき電話取材を受けました。私の国政40年を振り返れば、1977年から20年間は政権担当可能な政党づくりで、これが出来る前に政権交代が起きて細川連立政権を経験し、やっと民主党結党まで行き着きました。1997年から20年は政権交代で、2009年に民主党政権が誕生した後に瓦解し、次の時代への移行期に入りました。今、これらの経験を経て次の世代にバトンタッチし、序奏というべき初期微動があった後に、本格的政権交代構造の構築のための大きな政界再編の地殻変動が始まりました。後を向いても何もないので、前に進むしかありません。雁の群れが空を渡るように、先頭は次々と交代しながら、どの一羽も脱落することなく、分担して役割を担って長期的視野で進んでほしいものです。先場所前半の日馬富士というところでしょうか。
16時に出て所用を済ませ、16時半過ぎの新幹線で新大阪に行き、JRを乗り継いで大阪城公園に行って、18時半から1時間弱、近くのホテルで中国の大阪総領事館主催の中華人民共和国建国68周年レセプションに出席しました。李天然総領事が冒頭の挨拶をし、来賓の挨拶があった後に、私も日中友好会館会長として紹介されました。帰りも同じルートで、帰宅は21時半を過ぎました。