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9月9日その1、上海へ

雲呑麺の朝食

荷造りをして9時に出し、麺と雲呑の朝食を取り、10時半にチェックアウトをして北京空港から上海に向けて出発です。今日の北京は厚い雲に覆われています。その後、漱石と魯迅の跡を訪ねるたびに合流します。

北京は曇り
ホテルの中

 

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9月8日その2、王副委員長、正常化45周年招待会

呉瑞鈞さんと

一度ホテルに戻って休憩し、17時に出て再び人民大会堂に向かい、待合室で暫時待機して、18時前から30分弱、全国人民代表大会の王晨副委員長との会談を行いました。日本側は、河野会長、横井大使、私と順次着席し、民進党から白眞勲さんも加わりました。王副委員長と河野会長が順次、正常化から45年を経過した両国関係の経緯を振り返って今後の課題を述べ合いました。

白眞勲さんと

次いで18時半前から2時間ほど、中日国交正常化45周年記念レセプションに参加しました。私たちが全員の拍手に迎えられて王副委員長を先頭に入場し、日中両国の子どもたちによる中国語の「茉莉花」と日本語の「四季の歌」の澄んだ綺麗な声の合唱があり、この子供たちのためにこそ両国の友好交流を途絶えさせてはならないと思い、思わず涙が出そうになりました。そして、中日友好協会の唐家璇会長と日本国際貿易促進協会の河野洋平会長が順次挨拶し、さらに45年前の主役の周恩来さんの姪にあたる周秉徳さんと田中角栄さんの娘にあたる田中真紀子さんが当時の思い出を語り、大きな感動を与えました。続いて中国人民対外友好協会の李小林会長の音頭で乾杯をして、夕食会が始まりました。

日中の子どもたちの合唱
レセプション会場
乾杯!
田中真紀子さんご夫妻

会場には、まさに「老朋友」が大勢ご参加でした。まず1978年の訪中から始まって何度も案内と通訳を務めていただいた呉瑞鈞さん、同じく陳学成さん、最近まで中日友好協会副会長を務めた王秀雲さん、日中友好会館役員を務めた劉智剛さんや呉従勇さんなどで、島根県に出向していた沈海婷さんや民主党の招待で日本留学した李博さんらもいました。呉瑞鈞さんは私の妻とも親しく、国際電話で話が出来ました。

陳学成さん
王秀雲さん
劉智剛さん
呉従勇さん

 

 

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9月8日その1、兪主席会見、李会長昼食

李会長主催昼食会

9時から朝食で、今朝も麺をいただき、10時半に出て人民大会堂に行き、11時前から1時間ほど、全国政治協商会議の兪正声主席との会見を行いました。待合室で暫時待ち、会見場に移って兪主席と順次握手をして言葉を交わし、40人弱が全員で記念写真撮影を行いました。今日は日本国際貿易促進協会の河野洋平会長がご参加で、中央に兪主席が、その右に河野会長、左に私が並びました。やがて会見が始まり、私は河野会長、横井大使の次に着席し、兪主席の挨拶に続いて河野会長が挨拶し、二人の間で国交正常化45年の歩みや相互交流の現状の評価と課題、北朝鮮をめぐる国際関係など、多方面にわたって意見交換が行われました。最後に、核兵器の拡大や武力衝突の回避で意見が一致し、会見終了となりました。

朝食は麺
会見前

その後、直ちに参加者全員で中国人民対外友好協会の建物に移動し、12時半から14時前まで、同協会の李小林会長主催の昼食会に出席しました。李会長の挨拶と乾杯に続き、経団連の榊原定征会長の挨拶と乾杯があり、美味しいお食事と活発な会話で楽しいひと時を過ごしました。

李会長と並んで

 

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9月7日その2、唐会長招宴

唐会長主催招宴で

暫く部屋でデスクワークや荷物の整理をし、17時過ぎに出てバスで釣魚台に移動し、18時から2時間ほど、中日友好協会の唐家璇会長主催の夕食会に出席しました。唐会長とは本当に長い付き合いで、例えば2002年5月20日の東ティモール独立式典(https://www.eda-jp.com/old-index.html)で、中国を代表して参加された唐さんと言葉を交わしたことがあります。

30人ほどの参加者の中には、園田、野田、北側各衆議院議員や経団連の榊原会長、田中真紀子さん、松山バレー団の森下洋子さんらもおられ、まず唐会長が歓迎の挨拶をして乾杯の音頭を取り、次いで私が日本側参加者を代表してスピーチをして乾杯の音頭を取りました。どちらもたとえば北朝鮮のことなどの具体的懸案には触れず、両国の人々の友好と交流の大切さを強調し、その後は唐会長が中国一と称する釣魚台の中華料理と紹興酒などで、楽しい会話とともに有意義なひと時を過ごしました。

唐会長挨拶
私の挨拶

 

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9月7日その1、野田会長ら、北京へ、「北京秋天」

「北京秋天」

7時前にチェックアウトして8時に羽田空港で航空便のチェックインをし、暫く待合室で、同行の日中協会の野田毅会長らと懇談しながら待機しました。一緒に北京に向かい、夜の中日友好協会の唐家璇会長らとの夕食会と明日の日中国交正常化45周年の記念行事などに、それぞれ日中友好7団体を代表して参加します。私は、公益財団法人日中友好会館の会長です。フェイスブックは中国では使えません。

野田会長と

9時半過ぎに離陸し、4時間弱の飛行と1時間の時差で、現地時間の12時過ぎに北京国際空港に着陸しました。機内では、経団連の榊原定征会長や日中友好議員連盟の園田、北川両副会長も一緒でした。空港で暫く待ち、高速道を北京入りして、14時前にホテルにチェックインしました。眼下に長安街を眺める部屋で、雲一つない青空が広がっており、かつての「北京秋天」が戻って来たそうです。

北京空港で

 

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9月6日、県展、上京

県展(洋画)へ

午前中はゆっくりと、明日からの訪中の荷造りをしました。13時に出て法律事務所に入り、若干の打合せの後、14時半前から1時間ほど、県展のⅠ期を鑑賞しました。毎年この時期に開催される県内最大の岡山県美術展覧会で、今回は第68回となります。

まず、洋画と彫刻が展示されている岡山県立美術館に行きました。石田宗之さんの「云何遊此娑婆世界」は、これまでの繊細なタッチの可憐な少女の絵から一変した新しい境地を模索しているようでした。河合京子さんの「櫻」は、大胆な筆遣いが印象的でした。

次に、書道の前期作品が展示されている天神山文化プラザに行きました。小野玲華さんの流麗なかなと松嶋碧山さんの淡墨の「天聲」が並んで引き立て合っていました。時間がなく、日本画は見損ないました。

県展(書道)

その後、法律事務所に戻ってデスクワークをし、16時半過ぎの新幹線で上京中でました。

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9月5日、打合せ、取材、電話期日

電話期日に対応

9時半に自宅を出て法律事務所に入り、10時から1時間ほど、受任事件の当事者と打合せをしました。不動産を巡る民事紛争で、話し合いでの解決を探っています。

民事事件の打合せ

11時半から30分ほど、地元の報道記者の取材を受けました。今月は、下旬に投開票となる総社市議選、下旬に告示される岡山市長選と同市中区の定数1名の市議補選があり、民進党は補選に公認候補を、総社市議選には3名の推薦候補と1名の支持候補を、それぞれ擁立する予定で、岡山市長選でも候補予定者を推薦決定しています。

記者の取材

昼からはデスクワークや電話連絡をしました。16時から15分ほど、受任民事事件の電話による準備期日に対応しました。最終的には、電話だけで和解成立まで行えるそうで、私の現役時代とはずいぶん変わっています。17時に出て、自宅に戻りました。民進党の前原新代表の執行部が決まりました。出足の躓きは残念ですが、健闘を祈ります。

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9月4日、神経発達症、緑ヶ丘美術館、帰岡、下川さん

緑ヶ丘美術館で

ホテルで朝食を取って8時半過ぎに出発し、9時過ぎからNPO法人神経発達症研究推進機構の事務所に十一元三理事長を訪ね、暫時懇談しました。一般に「発達障害」と呼ばれていますが、この呼称は的確性を欠くというので、「神経発達症」と表現しており、発足から数年の間に活動が大きく拡大してきました。その後、ご一緒に近くの下鴨神社前にあるマンションの一室を見学し、梅原龍三郎の絵などを鑑賞しました。

神経発達症研究機構十一理事長らと
下鴨マンションで

10時ころに京都を出て、京大教授でもある十一理事長とともに車で移動して、生駒市に創立された菅野一夫さんの「緑ヶ丘美術館」を訪ねました。まだプレオープンで、11時に着いて2時間ほど見学させてもらいました。100平米ほどの洒落た造りの美術館で、隠崎隆一さんの備前焼、徳田八十吉さん、理節さん、福島武山さん、米田和さんと山田義明さんのいずれも個性的な九谷焼など、菅野さん個人の所蔵する陶磁器を展示してあります。まず映像で生駒市と美術館の紹介を見た後、作品群で暫く目を楽しませていただき、頼まれて「美感遊創」と揮毫して、お昼のお弁当をいただきました。

九谷焼の美
揮毫
美術館応接室で、
同玄関で、

13時過ぎに出て新大阪に行き、14時半過ぎの新幹線で岡山に帰りました。15時半前に着き、法律事務所に入ってデスクワークや電話連絡をし、18時前に自宅に帰りました。20時ころ、妻と夕食を食べているところに、今月後半に告示となる岡山市議の中区補欠選挙に民進党公認で立候補予定の下川倫史さんが打合せに来たので、激励しました。33歳の若さで頑張っています。

下川倫史予定候補を激励

 

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9月3日、下川後援会集会、高井さん集会、京都へ、美術館祝賀、泊

高井さんの集会で

9時半に妻とともに出て、何人かを誘って、10時から1時間弱、下川倫史さんの後援会事務所開きに出席しました。10月1日投開票の岡山市長選に合わせて、同市中区の市会議員補欠選挙が行われ、定数1名のところに下川さんの民進党公認での立候補が決まって1か月半で、大車輪の準備でやっとここまで来ました。鹿児島出身で飛び込みで津村啓介さんの秘書になり、地元で精力的に活動してみんなに好かれ、その間に出会った詠子さんと結婚して満を持しての決断をしました。会場は参加者が溢れて立ち見もでき、熱気にあふれた集会で、高橋徹県議の司会で、津村さん、高井崇志さんが激励挨拶をし、各級議員に交じって私も紹介され、下川さんが33歳らしいフレッシュな決意表明をして政策を語り、詠子さんも初々しい挨拶で会場を盛り上げました。最後にインターンの若者たちの音頭で頑張ろう三唱をしました。

下川さんの熱弁
私も前に並んで
頑張ろう三唱

自宅に戻ってデスクワークをし、13時半前に出て、高井崇志さんの後援会の主催の企画に出席しました。まず14時から1時間、江田憲司さんの講演会で、用意された椅子をはるかに超える人が集まり、高井さんの挨拶に続いて江田さんが、北朝鮮の核開発問題や代表選が終わったばかりの民進党の課題など時事問題について、出身の岡山アクセントも交えながら、解りやすく話されました。

江田憲司さんの講演

続いて15時から、「志のつどい」というパーティーとなりました。まず後援会の尾崎博副会長が開会挨拶をし、金澤連合岡山会長、伊原木岡山県知事、大森岡山市長と友實赤磐市長からそれぞれ激励挨拶があり、高井さんが熱く岡山を故郷と定めた経過を話して決意表明をしました。そこで私が乾杯の音頭を取り、アルコールなしで大盛会の出席者全員で「完勝!」と大声を挙げました。その後、津村啓介さんら各級議員の皆さんと民進党県連役員が登壇して挨拶し、下川さんも決意を述べたところで、16時前に出て岡山駅に急ぎ、16時過ぎの新幹線で京都に向かいました。

来賓の皆さんと
高井さん熱弁
「完勝!」

17時過ぎに着き、夕暮れの京都タワーの見えるホテルにチェックインした後、18時半から3時間ほど、旧知の菅野一夫さんが所蔵の美術品を展示した美術館を建てたので、海江田万里さん、岸田夏子さんら古くからの友人らとプレオープン記念の会食をしました。海江田さんの漢籍に対する造詣の深さに感嘆しました。彼は今日、美術館を鑑賞しましたが、私は明日になるので、京都泊となりました。

京都の夕暮れ
乾杯!

24時前に、窓から外を見ると、京都タワーが見事でした。窓を開けると、秋の涼気が吹きこんできました。

京都タワー

 

 

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9月2日、山田後援会、津山囲む会

囲む会at津山

9時半過ぎに妻とともに出て、まず同行をお願いしている河原昭文さんをご自宅に迎えに行き、11時から1時間ほど、間もなく始まる総社市議選に民進党推薦で立候補する山田雅徳君の後援会事務所開きと決起集会に出席しました。地元で生まれ育った40歳の好青年で、私の最後の秘書を務めました。100人に迫る皆さんがお集まりで、奥さんで総社高校の1年先輩の恵さんの司会で始まり、父親の山田徳裕さんが開会挨拶をして成育歴を紹介し、私と三宅和広岡山県議が激励挨拶をしました。ほかに鳥井県議、森山岡山市議、藤原倉敷市議、川上矢掛町議も駆けつけ、数多くのメッセージもいただきました。そして山田予定候補が決意表明をし、選挙当事者としての初挨拶で政治に臨む初心を述べました。最後に鳥井県議が閉会挨拶をして頑張ろう三唱の音頭を取り、必勝を期しながら閉会となりました。

山田後援会事務所開きで
候補予定者として初心を
夫妻合作
頑張ろう三唱

そのまま高速道を津山まで上り、14時から2時間強、「江田五月さんを囲む会」に出席しました。昨秋の私の叙勲をきっかけとして、長くご支援をいただいた懐かしい皆さんが数十人お集まりくださり、柿本真庭市議の司会で、本干尾さんのサックス入りのバンド演奏で私たち夫婦が入場し、小野陽子さんが開会挨拶、宮路昭範津山市長と中村連合地区協副会長が挨拶、織田さんが経過説明をしてくれ、私と妻が登壇して順次挨拶をしました。さらに私たちに花束贈呈があり、河原さんの音頭で乾杯をして、賑やかな懇親となりました。その間にもバンド演奏があり、その伴奏で私の「昴」、河原さんらの「若者たち」と全員での「青い山脈」の合唱と続き、最後は森本栄さんが檄を飛ばして終幕となりました。別れがたい握手が続き、17時前に出て帰宅しました。

小野陽子さん開会挨拶
花束をいただき
夫婦で挨拶
乾杯!
本干尾さんのサックス
大合唱
森本さんの檄