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7月4日、うどん、ももちゃん邸

熊本や鹿児島で大雨が大被害を起こしていますが、岡山は雨天というだけで済みました。12時前に友人が訪ねて来て、パソコンを調整してくれ、13時半ころに妻も一緒に出て昼食を食べました。讃岐うどんに席巻された岡山ですが、ここは地元の味が残っていました。

昼食は地元のうどん

自宅で一休みし、17時半前に妻とともに出て、18時から3時間ほど、ももちゃん邸で鍋の夕食となりました。やっと学校が始まり、ももちゃんは4年生、一生君が晴れの一年生となりました。

ももちゃん邸で夕食
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7月3日、雨、事務所、香港

終日雨が降り続き、時々驟雨となりました。午後まで自宅で電話連絡などをし、15時半に出て法律事務所に入り、1時間半ほどデスクワークや電話連絡をしました。

事務所で

香港が一国二制度の下で中国に返還される直前に、私は妻とともに香港を訪れ、歴史の大きな歩みを実感した思いでした。東西冷戦の終結を、西側の東側に対する勝利という捉え方ではなく、歴史が新しいステージに進んだと捉え、その象徴的な構造が香港に実現したと受け止めたのです。そして、この構造の中で次第に二つの制度がお互いに良い影響を及ぼし合い、新たな理念の下で絆を強めた一つの国際社会が実現することを期待したのです。しかし、少なくとも現在の段階は、「一歩前進二歩後退」というほかありません。残念です。香港の市民には、地球市民の理解と共感が自分たちに寄せられていることを、信じ続けるように願っています。

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7月2日、日中会館、所用、帰岡

9時半過ぎにホテルをチェックアウトし、妻とともに(公財)日中友好会館の事務所を訪ねました。新しく佐藤重和さんが理事長に、海老原宏明さんが常務理事に就任し、私も顧問を続けることになったので、皆さんの顔を見に伺ったのです。日中間の青少年交流に取り組んでいるのですが、コロナ禍で全面ストップしてしまい、気を揉んでいます。

佐藤新理事長ら

その後、10時半から所用に取り掛かり、あれこれあって15時ころまで掛かってしまい、それから昼食を食べて東京駅に急ぎ、17時半の新幹線で帰岡しました。東京はコロナの新感染者が100人を超え、緊張しています。

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7月1日、上京、所用、娘たちと、泊

8時前に妻と出て渋滞を避けながら岡山駅に急ぎ、9時前に新幹線で一緒に上京中しました。発つときには晴れ間が見えていたのに、東に進むに従って厚い雲に覆われてきました。

備前平野は晴れ

12時過ぎに着き、JRと都バスで移動して所用に取り掛かり、15時半過ぎに終わってホテルにチェックインし、17時過ぎに出て、17時半から20時過ぎまで、妻と長女の松浦真理子とその夫の信平さんと4人で、真理子の誕生日祝賀夕食会を開きました。長女が生まれたときは、私は27歳、妻は25歳で、英国留学の前年でした。それ以来、半世紀を超える時が過ぎました。

長女の誕生日
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6月30日、映画鑑賞、事務所

夜半から雨となり、梅雨らしい空模様でした。11時半過ぎに妻と出て、12時15分から2時間強、久し振りに二人で映画鑑賞しました。

「なぜ君は総理大臣になれないのか」鑑賞

「なぜ君は総理大臣になれないのか」という大島新監督のドキュメンタリー映画で、香川1区から比例区で当選している小川淳也さんの初挑戦以来の記録です。特に2017年秋の総選挙では、所属する野党が大揺れでバラバラになる中で、両親と妻と二人の娘も恥も外聞もかなぐり捨てて頑張りましたが、選挙区で僅差で敗北。まさに涙の比例区当選でした。それでも初心を忘れない小川さんのラストシーンでは、胸が熱くなりました。

14時半過ぎに法律事務所に寄って暫時デスクワークをし、15時過ぎに自宅近くのラーメン店で遅い昼食をとって帰宅しました。

事務所で
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6月29日、事務所、岡弁憲法委

午後まで自宅でゆっくりと電話連絡などをし、15時半に出て法律事務所に入り、16時から1時間ほど、岡山弁護士会の憲法委員会の定例会にWeb参加しました。

事務所でWeb会議

検察庁法改正問題に関する各単位会の会長声明などにつき報告があった後に、審議事項に入り、憲法講演のWebでの配信や緊急事態条項の改憲などにつき審議し、私も発言しました。

その後、1時間ほどデスクワークをし、帰宅しました。

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6月28日、礼拝、GLA、上岡さん、ももちゃんら

9時45分に妻とともに出て、知人にお知らせいただいた蕃山町教会の「聖日礼拝」に出席しました。10時15分に服部修牧師の司式で開式し、讃美歌を歌い説教を聞き、最後に土佐伸子さんの「証し」を聞いて閉式となりました。伸子さんは、私の大学後輩で急逝された土佐直樹さんの配偶者で、久し振りにお会いしました。

蕃山町教会で

近くで昼食を食べて帰宅し、14時から2時間半ほど、GLAの高橋佳子さんのお話を聞く「善友の集い」にネットで参加しました。「魂の学」とその具体例についてのお話でした。

その後、妻とともに出てJR西大寺駅で切符を買い、上岡正巳さん宅を訪ねて暫時懇談し、18時半過ぎに帰宅したところに、ももちゃんと一生君からお誘い電話がかかり、直ぐに飛び出してパパ、ママも一緒に賑やかに夕食を食べました。

ももちゃん、一生君らと夕食
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6月27日、立憲県連常幹

終日梅雨の曇り空で、妻は朝から出掛け、私は午後まで自宅でゆっくり過ごしました。15時半ころに出掛け、16時から2時間半ほど、立憲民主党岡山県連合の常任幹事会に出席しました。コロナ禍の影響で、前回から2ヶ月以上が経過しました。

立憲県連常幹

鳥井良輔幹事長の司会で、高原俊彦代表代行が開会挨拶をし、議事に入りました。まず国政の現状につき意見交換をし、次に空席となったままの県連代表の件を協議し、さらに衆議院の1区から5区までの状況を点検・協議しました。さらに党員等の扱いや自治体のコロナ対策を協議し、次回の日程を決定して終了しました。帰宅は19時過ぎになりました。

私も発言
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6月26日、立憲支部会議、歯科

梅雨空が夕方には晴れとなる不安定な空模様でした。14時前に妻とともに出掛け、立憲民主党岡山県第2区支部の月例会議に出席しました。

立憲支部会議

14時に開会後、まず原田謙介さんが挨拶して最近の活動状況を報告し、若干の意見交換の後、私が最近の政治状況につき話をし、特に出席者から提起された憲法改正を巡る状況につき掘り下げた解説をしました。原田さんは次の日程のため1時間程度で中座し、さらに県内の動きの報告や意見交換が続き、16時過ぎに終了しました。

原田謙介さんの話
私の話

帰宅して暫時休憩し、17時過ぎに出て、18時から1時間強、歯科の措置を受けました。

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6月25日、梅雨、事務所、コロナ後

朝から降ったり止んだりで、梅雨らしい一日でした。妻は朝から地元公民館のコーラス練習に出掛け、私は午後までゆっくりお留守番をしました。15時過ぎに出て法律事務所に入り、1時間弱デスクワークをし、所用を済ませながら帰宅しました。

事務所で

コロナ禍で、日本の政治・行政のシステムや経済や社会の脆弱性が炙り出され、コロナ後の日本の在り方につき議論が始まりました。自民党内でも議員集団が生まれたそうですが、野党系でも立憲・国民両党と連合とで議論が始まっています。併せて、コロナ後の国際社会では、どこを見ても分断と対立が激化していますが、その延長線上での日本の身の処し方だけではなく、コロナ後に相応しい国際社会の在り方と日本の役割についても、そしてコロナ後を率いる政治的リーダーシップの在り方についても、議論を始めなければなりません。