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10月19日、ブザー故障、県議補選応援、番町文庫

今日は、昼過ぎまで自宅で片付けなどをしました。玄関の呼び出しブザーが全くの沈黙となり、名刺に「故障中! 大声で呼び出してください。」と書いて張り付けました。築35年で、ブザーもよく働いてきましたが、遂に宅急便の皆さんが反応の無さに「お留守にお伺い…」というメモを残して去られるようになってしまいました。

14時半に出て加賀郡吉備中央町まで走り、16時に岡山県議補選の立候補者の選挙カーと合流して後部座席に乗り込み、18時半前まで街頭宣伝活動に同行し、3か所でスポット演説をしました。横田悦子県議が昨秋、病没されたため、県知事選挙に合わせて岡山市北区・加賀郡選挙区のみが定数1の補選を行うことになったもので、42歳のママさん候補を民進党岡山県第1区総支部が応援しており、助っ人として駆けつけたのです。

県議補選応援ーマスカットを伊t抱いて、
県議補選応援 – マスカットを抱いて
県議補選ー合流
県議補選 – 合流
県議補選ー街頭演説、
県議補選 – 街頭演説
県議補選ースーパーで、
県議補選 – スーパーで
県議補選ー日が暮れて、
県議補選 – 日が暮れて

 

私の自宅のすぐ近所で育ち、私の息子と小・中同級生で、高校は私の後輩ですから、娘のようなものです。岡大教育学部を卒業した後、福島県で農業と大工を始め、原発事故に直撃されて一家で帰郷し、私の父の出身地である北区建部町を生活の場として3人の子どもを育てています。

選挙運動はお世辞にも元気一杯とは言えませんが、手作り感と素人っぽさに溢れ、有権者の好感は得られていると思います。問題は、県知事選挙を含めて盛り上がりがもう一つ足らず、投票率が極めて低くなると予測されていることです。選挙があることが知られていません。何はともあれ、一人でも多くの有権者が投票に出掛けることを心から願います。下車の後、妻が番町文庫で「お勉強」なので、私も随行して焼き飯で夕食を済ませました。

 

 

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10月18日、ドーム、世界連邦、タイ国王弔問、コーシュキンさん、帰岡

5時半ころ目が覚めて、窓の外を見ると、夜明けの東京ドームがどっしりと構えていました。さらにひと寝入りして、再び見ると、朝空に悠然と寝そべっていました。10時過ぎに出掛けます。

夜明けのドーム
夜明けのドーム

 

朝食後、10時過ぎに出掛けて、10時45分ころに参議院議員会館に難波奨二議員を訪ね、暫時懇談しました。11時から1時間弱、世界連邦日本国会委員会総会に出席しました。大畠章宏事務総長の司会で、横路孝弘会長の挨拶に続いて世界連邦運動協会の中野寛成会長代行と綾部市長で世界連邦宣言自治体協議会の山崎善也会長の来賓挨拶、井上副会長の挨拶があり、議事に入って、役員人事で私も中野さんと並んで非議員の顧問に就任しました。さらに活動報告などの議事があって、私から今年5月25日の参議院決議の報告をしました。その後、出席議員の発言があり、閉会となりました。12時から、参議院職員らと昼食懇談をし、若干のデスクワークの後、14時前からさらに打ち合わせをしました。

世界連邦議連総会
世界連邦議連総会
参議院決議の説明、
参議院決議の説明

 

14時半ころに出て、15時前から在京タイ大使館に行き、ご逝去された同国プミポン・アドゥンヤデート国王陛下の弔問の記帳を行いました。私は参議院議長時代に同国を公式訪問し、拝謁したことがあります。

タイ国王弔問記帳
タイ国王弔問記帳

 

15時過ぎに遅れて、来日中の旧知のコーシュキンさんが初岡昌一郎さんらと懇談しているところに合流し、最近の日ロ関係などに付きお話を聞きました。さらにみんなで移動して、17時から明石書店社屋で、学生時代以来の友人の石井昭男同社会長らと懇談し、18時前から2時間弱、みんなで夕食懇談となりました。20時前に切り上げて東京駅に急ぎ、20時過ぎの新幹線で帰岡しました。

コーシュキンさん、初岡さんらと
コーシュキンさん、初岡さんらと
コーシュキンさんらと夕食懇談、
コーシュキンさんらと夕食懇談
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10月17日、親族葬儀、上京、中国青年研究者歓迎会

今日は、10時過ぎに妻とともに自宅を出て、所用を済ませながら11時前に葬儀場に着き、12時過ぎまで江田健七さんの葬儀・告別式に参列しました。従兄なのですが私とは17歳も離れ、私の父の兄の長男で享年92歳の長命でした。子どもたちはみな独立し、ご夫人の美香さんも高齢者施設に入所し、一人で身の回りの処理をしていましたが、突然の心筋梗塞で他界されました。美香さんの悲嘆振りは、周囲の涙を誘いました。合掌。火葬場には妻が同行し、私は出棺を見送って、岡山駅近くで昼食の後、13時過ぎの新幹線で上京しました。

喪主の江田泰治さんと
喪主の江田泰治さんと

 

17時半前に東京に着き、18時から2時間ほど、JENESYS2.0の企画による中国社会科学院青年研究者代表団第1陣の歓迎会に出席した。同院日本研究所の高洪所長代理を団長とする25人の皆さんで、来賓等の紹介の後、私が主催者の日中友好会館の会長として歓迎挨拶をし、外務省中国モンゴル第1課の遠藤課長の歓迎挨拶、高団長の挨拶に続き中国大使館の田参事官の音頭で乾杯をして、懇談に入りました。最後に高団長から主催者代表の私に記念品の贈呈があり、閉会となりました。

挨拶

挨拶

挨拶全景
挨拶全景
記念品贈呈
記念品贈呈
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10月16日、続「日本と原発」、通夜s(武吉さん、江田健七さん)、家族会食

今日は、午前中は自宅でゆっくりしました。13時に出掛け、13時半から2時間弱、映画「日本と原発 4年後」の試写会を見ました。呼び掛け人の奥津亘弁護士の挨拶に続いて映写が始まり、2時間強の映画でしたが終わる間際に中座しました。旧知の河合弘之弁護士や海渡雄一弁護士が大いに頑張っており、「Under Control」の理不尽さが浮かび出ていました。

日本と原発・4年後
日本と原発・4年後
奥津弁護士
奥津弁護士

 

一度自宅に戻り着替えて妻と出掛け、17時前に武吉秀雄さんの通夜の前に弔問に伺いました。江田事務所の事務員をしていた武吉さんのご尊父で、病と闘い65歳でご逝去されました。合掌。

武吉さん
武吉さん

 

18時前から、私の従兄の江田健七さんの通夜に出席しました。私の父の兄の長男で、岡山市内で長く洋装店を営みました。子どものころからよく相手をして貰い、政治生活でも大いに助けられました。享年92歳。合掌。

江田健七さん
江田健七さん

 

その後、思いついてももちゃん、一生君とパパとママとともに、一家で夕食を食べました。久し振りでした。

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10月15日、不剰飯、シルクロード、帰国、帰岡

今日も朝から曇りで、急に気温が下がってきたようです。早く目が覚め、「べっぴんさん」を見て、7時半から朝食に行きました。「不剰飯、不剰菜」という目印が各テーブルにあり、食べ過ぎ注意かと思ったら、どうやらセルフサービスなので、取りすぎに注意ということのようでした。これから荷造りをして10時にチェックアウトし、シルクロードの展示を見学して、帰国から帰岡の長旅です。

不剰飯
不剰飯

 

荷物を整えて、10時にホテルを出て虹橋空港近くの美術館に向かいました。シルクロード展の開催中で、中央アジアの現代の人物や風物などを描いた絵画などを展示してあり、10時半過ぎから1時間ほど、古代の模様を扱ったスカーフや傘などを見せていただきました。

シルクロード展 - 案内
シルクロード展 – 案内
同 - 人物像
同 – 人物像
同 - 記念写真
同 – 記念写真
同 - 傘
同 – 傘
同 - 入口で
同 – 入口で

 

11時半に別れて空港に着き、出国手続きを終えて、12時過ぎから待合室で待機中です。14時前のフライトで、羽田空港に向かいます。

14時前にゲートを離れ、14時15分に離陸し、2時間10分ほどの飛行と1時間の時差で、日本時間の17時半前に羽田空港に着陸しました。直前の17時過ぎに窓外を見ると、日没直後の赤い空に富士が黒く浮かび、伊豆半島の上空を越えて三浦半島を見ながら東京湾に入り、滑走路へと直進していき、薄暮が濃くなるパノラマ風景がきれいでした。滑走路を移動中、東天に大きな月が出てきました。

羽田へ - 富士
羽田へ – 富士
同 - 着陸へ
同 – 着陸へ
同 - 滑走路の月
同 – 滑走路の月

 

入国手続きを済ませ、京急羽田から品川に移動し、18時半過ぎの新幹線で帰岡しました。妻が迎えに来てくれ、20時半前に自宅に着いて、長い移動が終わりました。

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10月14日、上海の朝、昼食会、工芸展(開幕式、内覧会、祝賀宴)、夕食会

工芸展開幕式 - 挨拶

今日の上海の朝は、今にも降り出しそうな曇天でした。7時前に目が覚めてしまい、テレビで「べっぴんさん」を見ました。日本と1時間の時差があるのです。8時半前にホテルで朝食。その場で麺や卵焼きを作ってくれ、飛び切りおいしいです。

上海の朝
上海の朝
ホテルの朝食
ホテルの朝食

 

11時半にホテルを出て、近くを数分散歩しました。この辺りは古いフランス租界跡の町並みで、上海音楽学院もあり、町並み保存地区にもなっています。歴史を感じさせるプラタナスの大木が、街路樹として林立していました。

旧フランス租界の街並み
旧フランス租界の街並み

 

11時45分にホテルを出て、12時前から上海市人民対外友好協会の周慕堯前会長、景瑩副会長らによる昼食会に出席しました。まず短時間の会談をして今回の企画の意義を確認し、お食事に移って、美味しい現代中国料理と楽しい会話のひと時を過ごしました。最後に皆で記念写真を撮り、さらに短時間、上海インタネット「東方網」の取材を受けました。

周前会長と昼食 - 乾杯
周前会長と昼食 – 乾杯
同 - 現代中華
同 – 現代中華
同 - 記念写真
同 – 記念写真

ホテルに戻って休憩の後、15時半前に出て「第1回日本工芸展上海‐高岡漆器2016」の開幕行事の会場に行きました。まず控室で短時間、上海市政治協商会議の周漢明副主席と会談し、16時からの開幕式に臨席しました。主催者や来賓など出席者の紹介の後に、私が冒頭に主催者の日中友好会館会長として挨拶し、高岡漆器協同組合の氏家史貴理事長、上海工芸美術博物館の石力華董事長、片山和之日本総領事らの挨拶が続き、高岡市の高橋正樹市長の挨拶と記念品贈呈があった後に、テープカットとなって私も参加し、17時前から内覧会となりました。会場では伝統工芸士の武蔵川義則さんの実技披露もあり、大賑わいでした。18時前から祝賀交流ガーデンパーティーに移り、日中友好会館の荒井克之理事長らの挨拶と乾杯があって、懇談となりました。

工芸展開幕式 – 挨拶
同 - 会場全景
同 – 会場全景
同 - 来賓ら記念写真
同 – 来賓ら記念写真

18時半ころ中座して19時前から、上海市対外文化交流協会の鄧曉賢副会長による夕食懇談会に出席しました。私は桑の実ジュースをいただいて乾杯し、上海蟹をはじめとした美味しい料理と楽しい会話であっという間に2時間が過ぎました。

上海文化交流協会招宴 - 乾杯
上海文化交流協会招宴 – 乾杯
同 - 記念写真
同 – 記念写真
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10月13日、上海へ、ホテル、日本工芸展下見、上海博物館、夕食会

今日は、6時過ぎに起床して準備をし、7時前にすべて整ってホテルをチェックアウトし、タクシーで8時前に羽田空港国際線カウンター前に着きました。そこで上海便の手続きをして、日中友好会館の荒井克之理事長と鄭祥林中国代表理事とともに待機しました。明日から上海で行われる高岡漆器展示会の開幕式に出席するためで、出発は9時半過ぎになりそうです。

ホテル発
ホテル発
羽田空港で
羽田空港で

 

予定通りゲートを離れ、10時半に離陸して、2時間45分の飛行と1時間の時差で、現地時間の12時15分に上海虹橋空港に着陸しました。入国手続きを済ませ、14時前にはホテルにチェックインを済ませたのですが、まだ部屋に入れず、そのまま明日の日本工芸展の会場である上海工芸美術博物館に下見に行きました。10分程度歩いて着くと、フランス租界時代の瀟洒な建物の敷地内に特別展会場が設けられており、伝統工芸高岡漆器協同組合の皆さんに説明していただき、展示の傑作を堪能しました。

 

日本工芸展in上海 - 会場で
日本工芸展in上海 – 会場で
同 - 展示
同 – 展示

 

15時過ぎから、母屋の方にある上海の工芸美術品の展示を拝見しました。象牙、玉、刺繍などなど、細かい技術の粋を尽くした品々が展示されており、さらに歴史を感じさせるようなシャワールームまで見せていただきました。16時過ぎにホテルに戻り、暫時休憩の後、夜の夕食懇談会に向かいます。

同 - 上海工芸博物館
同 – 上海工芸博物館
同 - シャワールーム
同 – シャワールーム

 

その後、ホテルで休憩し、18時過ぎに再び出て、18時半から2時間強、片山和之上海総領事の公邸での夕食懇談会に参加しました。日中友好会館関係者のほか、高岡市の高橋正樹市長ら関係者と中国側関係者らをお招きいただき、美味しいお料理と楽しい会話で和やかなひと時を過ごしました。

片山総領事夕食会 - 乾杯
片山総領事夕食会 – 乾杯
同 - 記念写真
同 – 記念写真

 

 

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週刊ポスト10月14・21日号 記事 / 江田五月氏 「蓮舫は『私たちの蓮舫!』になる可能性あり」

【元民主党最高顧問の江田五月氏】
【元民主党最高顧問の江田五月氏】

議員生活40年をかけて政権交代に執念を燃やした江田五月氏(75)。元民主党最高顧問が蓮舫代表、野田佳彦幹事長の新体制に檄を送る。


今日(9月28日)、ちょうど朝の参議院本会議の代表質問を聞きまして、蓮舫らしく歯切れよく、皮肉も込めて喋っているなと思いました。ああいう調子でやっていくほかない。

蓮舫とはキャスター時代からの随分長い付き合いで、もう30年くらいになる。例の国籍問題で何か言う人がいるのかもしれないけど、むしろ問題は、なぜ長らく蓮舫は日本国籍を取れていなかったのかということ。

問題は国籍法なんですよ。男系主義で、母親が日本人であっても国籍を取れないという時代が続いていたんです。女子差別撤廃条約の批准という世界の潮流でようやく国籍法を変えて、蓮舫も日本国籍を取得できた。

男系優位の社会から男女共同参画へと変化していく過程の中で男系優位の悲劇を体験している人なので、これからそれをプラスに活かしていけばいい。日本社会を変える人材になると思います。

前代表の岡田(克也)さんの場合は、国民から見て、「僕たち、私たちの岡田!」という感じはなかった。蓮舫にはそうなる可能性がある。「私たちの蓮舫!」となる可能性はある。今はまだ無理ですが。

20年前の1996年に民主党ができて、2009年には政権交代を実現して、良いこともいっぱいあったと思うけど、結果を見ればこの20年は失敗に終わった。

僕はこの夏で辞めたけど、これから民進党で政権交代の第2幕が始まりますから。今は生まれる時の苦しみ。まだ産道を通ったばかりで、へその緒もついている状態。オギャーと泣いているところだから色々あるのは当たり前ですよ。

一番の批判されるポイントは野田佳彦・幹事長なんでしょう。元総理を幹事長として使うなんて今まではなかったじゃないですか。みんなびっくりするし、だからこそ批判もある。

彼は民主党になる前、日本新党の時からの仲間ですが、「自分は目立たなくていいから人をしっかり支えよう」という男だった。見る人によっては評価は高いんですよ。今は怒りを買っていればいいじゃないですか、「その通りでございます」と言っていれば。それだけの強さが野田さんにはあると思いますよ。

蓮舫一人に頑張れではなく、批判する人も含めて民進党みんなに、「もっともっと苦労しろよ」と言うのが僕の役割だと思っています。

 

●えだ・さつき/1941年生まれ。77年参議院初当選。参議院議長、法務大臣、民主党最高顧問などを歴任。弁護士。

※週刊ポスト2016年10月14・21日号

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10月12日、所用s、東大法曹会、赤松さん、1万歩超

今日は、10時半にホテルを出て、地下鉄で移動しながら所用を済ませました。宿泊先のホテルは私が会長の公益財団法人日中友好会館の隣にあり、都営地下鉄大江戸線の飯田橋駅の入り口から徒歩一分です。地下鉄網の発展には目を見張りますが、地下通路の徒歩移動の距離の長さもべらぼうです。14時半ころに日中友好会館事務室に寄って、明日からの上海行きの打ち合わせをし、ホテルに戻って暫時休憩しました。

都営地下鉄飯田橋駅入口
都営地下鉄飯田橋駅入口

 

次に15時前に出て、地下鉄で本郷三丁目に行き、尋ねながら15時半前に東京大学法学部3号館に着きました。ちょうど東大法曹会の理事会が終わったところで、すぐに総会が始まり、本林徹会長の議事進行で、活動報告や会計などの議案の処理がスムーズに進み、会長挨拶に続いて岩村法学部長から会長に、多額の寄付に対する感謝の「稷門賞」が授与されました。

東大法曹会 - 本林会長
東大法曹会 – 本林会長

 

そこで今日の講師の赤松良子さんが到着し、18時からちょうど1時間、「女性活躍の時代に向けて~私の半生から~」という設立10周年記念講演をいただきました。1953年の東京大学法学部卒業までの戦時を含む子ども時代から、労働省勤務時代の男女雇用機会均等法成立とその後に至るまで、同法案の国会審議の際の私の質問にも触れていただいて、女性の地位向上の歩みをユーモアも交えながら楽しくお話しいただきました。細川内閣での同僚閣僚で、津田塾では私の妻の先輩で、さらに丸山ゼミの大先輩でもあります。19時過ぎから会場を山上会館に移して、懇親会となりました。乾杯、記念写真撮影と進み、懇談が始まったところで、中座しました。ホテルに戻って携帯の歩数計を見ると、1万2,500歩近くになっていました。

同 - 赤松さん
同 – 赤松さん
同 - 稷門賞
同 – 稷門賞
同 - 記念写真
同 – 記念写真
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10月11日 HPリニューアル作業、上京

今日は、9時半に自宅を出て10時過ぎに法律事務所に入り、伊東大輔さんや旧江田事務所スタッフの皆さんらと、ホームページのリニューアルの相談をしました。

議員任期の終了後、政治事務所の閉鎖などに伴い、すべてのことをスリム化しており、自宅の片付けを除いて、着実に進んでいます。現在のホームページも重荷になってきており、極力私一人の能力だけで維持や更新出来るようにしますが、これまでのものも記録として保存します。

その後、事務所内でデスクワークをし、13時に出て自宅に戻ってさらにデスクワークをし、上京と訪中の荷物を整えました。18時過ぎに妻と出て、岡山駅で夕食の後、19時過ぎの新幹線で、私だけ上京しました。明日は東京で所用、明後日から上海行きです。

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