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秋の叙勲関連報道 動画ニュースの紹介(NHK)

・NHKの動画ニュースサイト「NHK NWES WEB」 秋の叙勲4055人が授章

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ことしの「秋の叙勲」の受章者が発表され、各界で功労のあった合わせて4055人が受章することになりました。

ことしの「秋の叙勲」を受章するのは、「桐花大綬章」が1人、「旭日大綬章」が7人です。
また、「旭日重光章」と「瑞宝重光章」が合わせて51人、「旭日中綬章」と「瑞宝中綬章」が合わせて300人、「旭日小綬章」と「瑞宝小綬章」が合わせて901人など、全体で4055人です。

このうち、女性の受章者は全体の9.6%にあたる389人で、今の制度になった平成15年秋以降で最も多くなっています。
また、民間からの受章者は1784人で全体の44%を占めています。

「桐花大綬章」は、参議院議長や法務大臣などを務めた江田五月さんが受章します。
また、「旭日大綬章」は、元最高裁判所判事の金築誠志さん、防衛大臣などを務めた北澤俊美さん、参議院副議長などを務めた輿石東さん、経済産業大臣などを務めた直嶋正行さん、内閣官房長官などを務めた中川秀直さん、三菱電機の元社長の野間口有さん、国土交通大臣などを務めた前田武志さんの7人が受章します。
「旭日重光章」は、タレントで元参議院議員の西川きよしさんらが受章するほか、「旭日小綬章」は、舞台などで活躍する俳優の波乃久里子さんや、元プロボクサーで2階級で世界チャンピオンになったファイティング原田さん、作家の宮城谷昌光さんらが受章します。

このほか外国人叙勲では、サッカー日本代表のオシム元監督が「旭日小綬章」を受章するなど、48の国と地域からこれまでで最も多い合わせて96人が受章することになりました。
叙勲の親授式や伝達式などは、今月8日から行われます。

 

桐花大綬章 江田五月さん

桐花大綬章を受章する江田五月さんは75歳。
昭和52年の参議院選挙で初当選し、衆議院議員もあわせると37年間にわたって国会議員を務めました。

この間、当時の社民連・社会民主連合の代表を務めたほか、平成5年に発足した細川内閣では科学技術庁長官として初入閣しました。
そして民主党時代には平成19年から3年間参議院議長を務め、菅第2次改造内閣では法務大臣と環境大臣を務めました。

江田さんは「大変な栄誉を頂くことになり、ただただ身に余る光栄と恐縮している」と話しています。また、江田さんは最も思い出に残っていることについて「参議院議長として民主党政権の成立を宣言したこと」を挙げたうえで「議長なので『ニコッ』とするわけにはいかないので、グッと顔を引き締めた。長く求めた政権交代が実現するということがうれしかったが、心の中を顔に出さないように一生懸命努力した」と当時を振り返りました。

そして江田さんは「政治は誰かに全部任せてしまうのではなく、自分たちが参加する民主主義という形で、一定の幅の中で多少の間違いを繰り返し、その間違いを常に修正しながら前に進んでいくことが必要だ」と語りました。

 

旭日大綬章 輿石東さん

旭日大綬章を受章する輿石東さんは80歳。
輿石さんは小学校の教員を経て、平成2年の衆議院選挙で初当選して以降、衆議院議員を2期、参議院議員を3期務めました。

この間、旧・民主党の幹事長や参議院議員会長などを歴任したほか、平成25年8月から3年間、参議院副議長を務めました。

輿石さんは「2009年に本格的な政権交代を実現した歴史の大きな転換点の真ん中にいたので、大きな深い思い出がたくさんある。しかし、3年3か月で、せっかく頂いた政権を失い、国民の信頼を失う結果を招いたのは非常に残念だし、自分自身大きな責任はある」と振り返りました。

そのうえで輿石氏は、「政治には安定感だけではなく、バランスと緊張感が必要だ。緊張感のない政治は必ずどこかでつまずくし、問題が起きてくる。野党は、しっかり心を合わせて共闘して、緊張感ある、バランスある日本の政治をつくってほしい」と述べました。

また輿石氏は、「『人作りなくして国造りなし』、『教育は未来への先行投資』というのが私の信念であり、ようやく各党とも人材育成や教育は大事だということに気がついてくれた」と述べ、各党が教育の振興に取り組むことに期待する考えを示しました。

 

旭日大綬章 中川秀直さん

旭日大綬章を受章する中川秀直さんは72歳。
新聞記者を経て、昭和51年の衆議院選挙で旧広島2区に当時の新自由クラブから立候補して初当選し、その後自民党に入り、通算で10回当選しました。

この間、第2次森内閣で、内閣の要となる官房長官を務めたほか、自民党の幹事長や政務調査会長などを歴任し、経済政策などに精通していたことで知られました。

中川さんは「身に余る栄誉で、光栄だ。およそ40年にわたり、私の政治活動を支えてくれた、ふるさと広島の皆さんや全国の友人、支援者の皆さん、家族やスタッフも含めた全員に対する受章だ」と話しました。

また、中川さんは「自民党の政務調査会長のとき、党が主導して大胆な日銀の金融政策と、政府による規制制度改革、財政政策の3つを合わせた政策をまとめた。それがアベノミクスにつながった」と、みずからの取り組みを振り返りました。

そして「規制制度改革はまだ十分でないかもしれず、むしろ日本は、ある種の危機にあると思う。豊かで強い、外国から手本にされる国にしていくために、相当大きな覚悟を持って改革をする必要があり、是が非でもやり遂げてほしい」と話していました。

 

旭日小綬章 波乃久里子さん

旭日小綬章を受章する新派女優の波乃久里子さんは神奈川県出身の70歳。
十七代目、中村勘三郎さんの長女として生まれ、15歳で新派の初舞台を踏んだあと、初代、水谷八重子さんに師事して伝統の芸を継承しました。

「婦系図(おんなけいず)」や「日本橋」などの新派の古典作品をはじめ、演出家の蜷川幸雄さんが手がけるギリシャ悲劇など、幅広いジャンルの舞台作品に挑み、現在の新派を代表する女優として活躍を続けています。
弟は、平成24年に亡くなった十八代目、中村勘三郎さんです。

受章について波乃さんは「ただ好きなだけで芝居をやってきた者がこのような勲章をいただき、こんなに幸せなことはございません。天国にいる初代、水谷八重子先生にいちばんに喜んで頂きたいですし、弟が生きていたら喜んでくれただろうなと思います。この年になっても、自分にはまだまだ可能性が眠っているような気がしてならないので、これからもジャンルにこだわらず、さまざまな芝居をやっていきたいと思います」と話していました。

 

旭日小綬章 宮城谷昌光さん

旭日小綬章を受章する作家の宮城谷昌光さんは、愛知県出身の71歳。
今の愛知県蒲郡市で生まれ、大学を卒業後、出版社勤務などを経て執筆活動を始めました。

平成3年に古代中国の歴史を題材にした「天空の舟」で新田次郎文学賞を、中国の春秋時代の伝説的な悪女とされる「夏姫」を描いた歴史小説、「夏姫春秋」で直木賞を受賞し、一躍、人気作家となりました。

古代中国を舞台にした歴史小説を数多く執筆し、「重耳」で芸術選奨文部大臣賞に選ばれたほか、平成18年には紫綬褒章を受章しています。

受章について宮城谷さんは「文学賞ではないので理由がよく分からないのですが、中国と日本の歴史に関する小説を長い間書いてきたことに関する評価だと思っています」と感想を語りました。

また、デビューまで長くかかったことに触れ、「直木賞を受賞する直前には、もう諦めよう、やめようと思っていました。長く作家活動ができているのも、認められるまで時間がかかったからではないかと思っています。受章もうれしいですが、読者が『あれがよかった』と言ってくださるのがいちばんの喜びです」と話していました。

 

※NHKの動画ニュースサイト「NHK NWES WEB」2016年11月3日記事

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時事通信2016年11月3日インタビュー記事を掲載しました

「もう一つの政権党を」=桐花大綬章の江田元参院議長

 

インタビューに答える江田五月元参院議長=1日、東京・永田町の参院議員会館
インタビューに答える江田五月元参院議長=1日、東京・永田町の参院議員会館

「もう一つの政権担当政党を育てる大きな仕事に、地に足を着けて取り組んでほしい」。桐花大綬章を受章した江田五月元参院議長は、民進党の現職議員らにこう呼び掛けた。
 1977年、社会市民連合代表だった父三郎氏の急死を受け、参院選に立候補して初当選。約40年の政治家人生を「日本の民主主義、市民社会の成熟のため頑張ろうと思ってきた」と振り返る。
 その間、2度の政権交代を経験した。1993年には細川連立内閣に参加し、自民党を初めて下野させた。科学技術庁長官として初入閣したが、後に国論を二分する原発政策について「問題提起をしておかなければならなかった」と悔いを残す。

インタビューに答える江田五月元参院議長=1日、東京・永田町の参院議員会館
インタビューに答える江田五月元参院議長=1日、東京・永田町の参院議員会館

 2009年に旧民主党政権が誕生したことは、約40年の中で「一番大きな出来事」だ。それは本懐を遂げた喜びだけでなく、「政権交代が所期の成果を挙げる前につぶれた」という深い悲哀も伴う。
 今年夏の参院選を機に政界を引退。一歩離れて見る与野党の現状は「あまりにもとげとげしい」と映る。与党側には「懐深く受け止めてほしい」と促した。
 現行憲法の意義を「戦後の混乱を乗り越え、今の日本をつくってきた」と捉えている。「不磨の大典ではない」と改憲を容認しつつも、連合国軍総司令部(GHQ)による「押し付け」で制定されたとの主張には「許せない」と厳しい。
 現在は岡山市で次男が営む弁護士事務所で活動している。公益財団法人「日中友好会館」の会長は続けており、「とりわけ若い世代が良い関係をつくっておかないといけない」と、両国の将来に思いをはせた。

 

 

時事通信2016年11月3日記事

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山陽新聞「秋の叙勲 喜びの声」を掲載しました

 

秋の叙勲、喜びの江田五月さん 桐花大綬章、政権交代掲げ40年

 

 「秋の叙勲」の受章者が3日付で発表された。岡山県関係では、元参院議長の江田五月さん(75)に桐花大綬章が贈られた。

<桐花大綬章> 元参院議長 江田五月さん(75)=岡山市中区

 政治家として、市民政治と政権交代の実現に邁進(まいしん)した約40年。2009年の民主党(現民進党)政権成立を参院議長席から宣言し、「大変感慨深かった」と振り返る。

 急死した父・三郎氏に代わり、裁判官から転身して1977年の参院全国区に出馬し、初当選。83年に衆院にくら替えして4期を重ね、社会民主連合、日本新党、新進党と所属を変えながら「政権交代を担える政党づくりを目指した」。93年に発足した非自民連立の細川護煕内閣では科学技術庁長官。

 96年の岡山県知事選で惜敗後、民主党に入り、98年に参院岡山選挙区で国政復帰し、参院は通算4期。07~10年の参院議長のほかに法相、環境相を歴任し、今年7月に政界を引退した。「政権交代の第2幕は後進に託す」

 現在は、岡山市内の法律事務所に所属して弁護士活動を行う傍ら、日中友好会館(東京)の会長も務めており、「両国の青少年交流に力を入れたい」と意欲を燃やす。

 

※山陽新聞朝刊2016年10月4日 記事(山陽新聞デジタル「さんデジ」の会員登録が必要な場合があります)

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11月5日、デスクワーク、津村さん、甘夏ミカン

オタフクナンテンと夏みかん
オタフクナンテンと夏みかん

 

9時過ぎから終日、自宅でデスクワークをしました。14時ころ、大学後輩の突然の訃報が届き、驚きました。津村啓介さんがお祝いに来てくれましたが、玄関先での対応のみで、失礼してしまいました。

 

叙勲のお祝いの祝電や手紙、花や酒などが次々と届いており、皆さんのご厚情にただ感謝するのみです。こうなってくると、祝電が個別に入っている透明な袋を開けるのも煩わしく、入れ物なしなら良いのになどと、罰当たりなことを思ったりします。

 

 

日が落ちる前にほんの一瞬、庭に出て見ると、オタフクナンテンがきれいに色付き、黄色になりかけた甘夏ミカンとのコントラストに引き込まれました。

秋のコントラスト
秋のコントラスト
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11月4日、ラッシュ、日鳥連、書画展、帰岡、日没

朝食後、8時40分ころに所用のために外出しました。今日も雲一つない快晴で、飯田橋駅付近は、通勤の人で大ラッシュでした。

朝の飯田橋
朝の飯田橋

 

10時にホテルに戻り、荷物を整理して11時にチェックアウトし、隣の日中友好会館事務所に顔を出し、11時過ぎから1時間強、会館会長室で、日本鳥類保護連盟の室伏友三専務理事と連盟の諸行事に付き打ち合わせをしました。私は、前任の河野洋平さんから引き継ぎ、愛鳥百人委員会の会長で、暮の愛鳥懇話会、来春の全国野鳥保護のつどいと、大きな行事が予定されています。

日鳥連の室伏専務と
日鳥連の室伏専務と

 

その後、会館を出る際に短時間、会館美術館で催されている劉田依書画展を拝見し、13時に東京駅に着き、昼食を取って、14時前の新幹線で帰岡しました。17時に姫路で、見事な日没に出会い、あわてて車窓からシャッターを切りました。秋の日は釣瓶落としです。

劉田依展
劉田依展
釣瓶落とし
釣瓶落とし
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11月3日、「文化の日」、叙勲、篆刻、太極拳、能「光の素足」、親族ら会食

「文化の日」の朝、7時半に目覚めてホテルの窓から見ると、前夜来の雲が消えて東京スカイツリーが霞んで見え、近くには東京ドームがまるで白いシン・ゴジラのように動き出しそうでした。秋の叙勲の発表で、私が桐花大綬章を受けました。皆さんのおかげです。ありがとうございました。親授式はまだですが、あらかじめお礼を申し上げます。

朝のスカイツリー
朝のスカイツリー

 

雲一つない快晴の中を10時前に出てJRを乗り継いで上野に行き、1時間ほど、東京国立博物館の東洋館で、「小林斗盦 篆刻の軌跡」を鑑賞しました。生誕100周年を記念した企画で、普段はあまり縁のない篆刻をじっくりと拝見でき、90歳の時の作品がエネルギーに溢れているのに、びっくりしました。上野の森は人で溢れ、木立の中に野口英世の銅像があるのに初めて気が付きました。

「篆刻の軌跡」
「篆刻の軌跡」

 

一度ホテルに戻って着替え、昼食を済ませて、14時過ぎから15時半前まで国立代々木競技場第一体育館で、「太極拳全国交流大会」に出席しました。中国から指導者の皆さんも参加され、競技参加者は小さな子どもから90歳の高齢者まで全国から4600人余に上りました。私は大会会長、と言っても私自身は太極拳をしたことはなく、いわば応援団長で、中国で始まった簡化第24式太極拳が今年で60周年を迎えるのを記念した特別表演や友情表演が終わったところで、大会会長として挨拶をしました。さらに次の演技を暫く拝見して、中座しました。

太極拳大会で挨拶
太極拳大会で挨拶
会長挨拶
会長挨拶
子どもから高齢者まで
子どもから高齢者まで

 

原宿からJRを乗り継いで国立まで行き、最後はタクシーで、16時半前に「くにたち市民芸術小ホール」に着きました。「中所宜夫能の会」の企画による能「光の素足」の公演で、中所さんによる宮澤賢治の世界をテーマにした新作です。山人と光の素足を中所さんが、少年一郎を私の孫で中学1年生の松浦薫君が演じました。会場に着くと、宮澤和樹さんの「宮澤賢治の世界観」という講演の最中で、最後の10分ほどを聞き、暫時休憩があって、薫君がぴょんぴょん飛び跳ねながら舞台に登場し、緊張した1時間20分ほどが過ぎました。2人の星の童子による狂言もあり、「ダーダーダストダー」という呪文に似た地歌が宇宙の塵の世界へと観客を誘い、能の新しい世界を開く好演でした。18時半ころから30分ほど、感想を語り合う集まりも開かれました。

能舞台
能舞台

 

終了後、19時半ころから1時間半ほど、近くのイタ飯屋さんで、薫君一家や親友たちとともに夕食会を開き、公演の感想から近況の報告まで、賑やかに食事と会話を楽しみました。叙勲で明け、朝から夜遅くまで、なかなか素敵な「文化の日」でした。

乾杯!
乾杯!

 

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11月2日、スカイツリー、日ロクラブ、日展、太極拳

10時半前にホテルを出て日中友好会館事務所で簡単な打ち合わせの後、所用に出かけました。その途中で、はるかに東京スカイツリーを臨むビル15階の精養軒で昼食を取り、午後からも所用を続けました。終日、どんよりと曇った寒空で、今にも降り出しそうでした。

曇天のスカイツリー
曇天のスカイツリー

 

15時前に終わって東京メトロで移動し、15時半に日ロクラブ設立準備会の会場に着くと、ちょうど講師のアナトリー・コーシキンさんの講演が終わったところで、すぐに準備会が始まり、私も来賓挨拶をしてすぐに中座しました。

日ロクラブ準備会で
日ロクラブ準備会で

 

さらに東京メトロで移動し、16時過ぎから1時間強、日展を鑑賞しました。洋画の寺坂公雄さん、河内八重子さんと石田宗之さんから案内をいただいていたので、まず洋画部門を回ってみました。皆、力作ばかりでした。その後、書の部門を鑑賞しました。文化勲章に輝く高木聖鶴さんの若々しい作品が目に飛び込み、さらに地元・岡山の道文会の小野玲華さん、寺谷和子さんらのかな作品や師村妙石さんらの篆刻作品を拝見しました。

寺坂公雄さん作品
寺坂公雄さん作品
河内八重子さん作品
河内八重子さん作品
石田宗之さん作品
石田宗之さん作品
高木聖鶴さん作品
高木聖鶴さん作品
小野玲華さん作品
小野玲華さん作品
寺谷和子さん作品
寺谷和子さん作品
師村妙石さん作品
師村妙石さん作品

 

都営地下鉄で移動して18時にホテルに帰り着くと、ちょうど明日の太極拳全国大会の前夜祭が始まったところで、私も呼び込まれて一言挨拶をし、みんなで乾杯をして大会の成功を誓い合いました。全くの偶然でした。

太極拳大会前夜祭
太極拳大会前夜祭

 

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11月1日、難波事務所、三笠宮記帳、昼食、取材s、夕食懇談

朝食を済ませて10時前に日中友好会館事務室に寄り、荒井克之理事長らと打ち合わせをしました。その後、所用を済ませて12時前に参議院議員会館に寄り、車で赤坂御用地内の三笠宮邸に崇仁親王殿下の弔問記帳に伺いました。御用地前で下車して、徒歩で玄関から離れたところに用意されたテント張りの一般用ご記帳所まで行って記帳しましたが、都道府県名と氏名だけをサインペンで書くという質素なもので、故人のお人柄が偲ばれました。

 

12時半頃に議員会館に戻り、難波奨二さんの事務所に立ち寄ると、福島県の古市三久県議らが来ておられ、さらに議員食堂で食べ馴れたざるうどんの昼食を済ませ、通路で何人かの現職議員さんらと言葉を交わしながら難波事務所に戻ると、林野関連退職者の会の石川会長ら、津山市の宮地市長らと、来客が相次いでいました。

古市県議ら
古市県議ら
議員会館食堂で
議員会館食堂で
石川会長
石川会長
宮地市長ら
宮地市長ら

 

14時から1時間弱、議員会館の面談室で、議員退任から3か月余を経た時点で、テレビと通信社の取材を受けました。過去についてはいろいろと話せますが、現状や将来については、次世代に夢を託した今となっては、なかなか話をし辛く感じました。16時前に難波事務所に戻り、暫時歓談。16時半前に次の日程に立とうとするところに、川橋幸子さん、石毛鍈子さんらが女性の政治参加関連の法整備に付き要請に来られましたが、時間がなくて退席。

近況取材
近況取材
川橋さんら
川橋さんら

 

16時半から1時間、あっせん利得処罰関連法に付き取材を受けました。2002年ころの法改正の動きに関するものですが、うかつにも私が当時、参議院での野党による改正法案提出の責任者となって委員会質疑にも当たっていたことを忘れており、俄か勉強で応答しました。しかし記者の問題意識は政治倫理から幅広く市民の政治意識に関わっており、応答にもつい熱が入りました。その後、18時から古くからの友人の事務所を訪ねて懇談し、夕食を共にしました。

政治倫理取材
政治倫理取材

 

 

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10月31日、車修理、報道、上京、中国環境代表団

9時前に自宅で、前部フェンダーに若干窪みの出来た私の車を修理屋さんに引き渡し、妻に送って貰って11時前に法律事務所に着きました。40年に届く議員生活を終えて3ヶ月で、報道各局や各紙の皆さんが取材に来られ、思い付くままに1時間ほど最近の思いなどをお話ししました。いずれ近い内に、紙面や画面に登場するのでしょうか。その後、デスクワークを済ませて13時前に出て岡山駅で昼食を取り、14時前の新幹線で上京しました。

テレビの皆さん
テレビの皆さん
記者の皆さん
記者の皆さん

 

17時過ぎに東京駅に着き、18時から2時間ほど、外務省の「日中植林・植樹国際連帯事業」の下で来日した中国環境保護部代表団の歓迎会を開きました。同部国際合作司アジア処の李永紅処長を団長とする30余人の専門家ばかりの団で、来賓紹介の後に私が主催者代表として歓迎挨拶をし、外務省担当者と団長の挨拶があり、中国大使館の阮公使参事官の音頭で乾杯をして懇談から懇談となりました。

中国代表団歓迎会
中国代表団歓迎会
歓迎会全景
歓迎会全景
乾杯!
乾杯!

 

 

 

 

 

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10月30日、草取り、庭の秋、太刀魚、「シン・ゴジラ」

 

朝から庭に出て草取りを始めると、止まらなくなりました。蚊取り線香をしっかりと準備して、昼食後も続け、燃え終わったのでほっと一息。木陰を見ると、セミの抜け殻がしっかりとカリンの幹にしがみついていました。アブラゼミだと思いますが、もう鳴き声はありません。上を見ると、青空を背にクモが大きく太り始めていました。秋が深まっています。

セミの抜け殻
セミの抜け殻
クモ
クモ

 

15時過ぎに釣りの名人が、釣れたばかりの釣果の太刀魚を持ってきてくれました。こいつに咬まれると、半端じゃないのですが、釣りあげられると、もう大丈夫。ご指導いただきながら、妻が捌き始めました。

太刀魚
太刀魚

 

昨日の朝日35会で映画「シン・ゴジラ」が話題になり、同期生の大林丈史さんが出演しているというので、前から見たいと思っていたことでもあり、太刀魚を途中やめにして16時前に妻と出て、久しぶりに映画鑑賞に行きました。2時間強の大作で、「太陽の蓋」と問題意識がダブっており、面白く鑑賞しました。原子力利用に手を染めた人類がどうこれと折り合いをつけていけるのか、人類史的な大問題に直面して、既存の政治や行政の解決能力の乏しさを強烈に暴き出した作品でした。

イオン・モールで
イオン・モールで