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玉龍会報 第49回玉龍会展に寄せて~出品者コメント~を掲載しました

会長 江田五月

今月6月末で、8年務めた日中関係の公益財団法人の会長任期が終わりになるので、中日友好の
ご案内で、4月の連休に仲間と、上海から雲南省昆明経由で、さらに奥の麗江を訪ねました。唐
の時代から始まった雲南とチベットとの交易の街道、「茶馬古道」の要衝の都市で、少数民族が
集中しトンパ文字がつかわれていたところです。
近くに標高5,596メートルの処女峰を擁する玉龍雪山があり、ロープウェイで4,506メートルの基
地まで登れます。玉龍会と同じ名前でもあり、悪天候を押してロープウェイに乗り込みました。
登り口で携帯用の酸素ボンベを渡され、吹雪の基地に着くと、酸素の薄さを実感しました。とい
うことで、今回の出品作品に「玉龍雪山」を選び、龍泉寺の合宿で悪戦苦闘しながら書きました。

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8月7日、読経、玉龍会展、事務所

玉龍会展初日

台風の影響で、東日本はずいぶん涼しくなったようですが、西日本は相変わらず炎暑です。昼過ぎまで自宅でゆっくり高校野球のテレビ観戦などをしているところに、13時に両親の菩提寺である妙福寺の福島住職が読経に来られ、門前の小僧よろしく私もご一緒にお経を上げさせていただき、暫時ご住職と懇談しました。

読経
ご住職と懇談

14時過ぎに妻とともに出て所用を済ませ、15時ころに今日から始まった玉龍会展の会場に顔を出しました。前会長の曽我英丘さんの後を受けて、私が会長になって初めての展覧会で、今月12日まで天神山文化プラザで開いています。昨日の搬入のお手伝いが出来なかったので心配でしたが、立派に出来ていました。事務局の森腰君、植野さん、吉田さんらがおられ、お客さんの入りも順調のようでした。

16時前に法律事務所に入り、若干のデスクワークと電話連絡をしました。

電話連絡

 

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8月6日、上京、所用、日鳥連挨拶(常陸宮、環境省)、帰岡

常陸宮邸で

広島に原爆が投下されてから73年。世界の人々の間では、国境を越えて核兵器廃絶の声は高まっていますが、国家間では様々な動きが絡み合って、将来展望は見えて来ません。そんな相変わらずの炎暑の中、妻に送って貰って岡山駅に急ぎ、9時前の新幹線で上京しました。

旭川も朝から炎暑

12時過ぎに着いて手際良く所用を済ませ、15時前に日本鳥類保護連盟の名執芳博専務理事らと落ち合い、タクシーを拾って、私の連盟会長就任の挨拶回りに出掛けました。まず最初は、連盟総裁の常陸宮殿下の御用邸で、宮務官に出迎えられて訪問記帳をしました。大木が生い茂ってセミが我が世の春と鳴き声を張り上げ、東京のど真ん中とは思えぬ野趣に溢れたお住まいでした。

名執専務理事らと落ち合い

さらにタクシーで環境省に急ぎ、16時過ぎから10分ほど、自然環境局の正田局長、鳥居官房審議官らに就任の挨拶をして懇談しました。ここは私も、ごく短期間ですが、環境相として馴染みにしていただいたところです。さらに中川大臣のところに名刺をお預けし、伊藤副大臣と渡嘉敷副大臣がどちらも居られて簡単に就任挨拶をし、笹川・武部両大臣政務官のところと森本事務次官のところに名刺をお預けしました。

正田局長、鳥居官房審議官らと
渡嘉敷副大臣と

環境省の建物は地下道で地下鉄に繋がっており、直ぐに東京駅まで急ぎ、17時過ぎの新幹線で帰岡し、20時半前には岡山駅に着きました。

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8月5日、城下公会堂、岡山空襲、40℃、高校野球

「映像で語り継ぐ戦争」

相変わらずの炎暑で、午前中は自宅でゆっくり高校野球のテレビ中継を見たりして過ごしました。

釣り好きの友人が、釣果を携えて来るとのことでしたが、暑さに負けて早々に陸に上がり、釣果無しで来ることになり、12時過ぎに妻も一緒に出て、城下公会堂で昼食を食べました。

城下公会堂で昼食

その後、13時ころから彼のお誘いで、地元のテレビ局RSKの開設する岡山映像ライブラリーセンターの企画展「映像で語り継ぐ戦争」を見に行きました。将校だった彼の父親の軍服写真やサーベルも展示されていました。空襲で完全に焦土と化した岡山市中心部の航空映像もありました。

父親の遺品

自宅に帰る途中、車の中の計器で外気温が40℃と表示され、驚きました。その後、自宅で高校野球のテレビ中継を見ました。長岡花火の縁で中越高校の健闘を期待したのですが、慶応高校にサヨナラ負けしてしまいました。慶應義塾の塾歌を、久しぶりに聞きました。学生時代以来だと思いますが、概ね記憶が蘇って来ました。

外気温40℃
中越高校サヨナラ負け

 

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8月4日、熱暑

世界にも日本にも、気になるニュースが溢れ出て来ました。しかし、熱暑の厳しさに負けて、終日自宅でテレビを見ながら、一時も戸外に出ずにゆっくり過ごしてしまいました。

豪雨災害の現場で復旧に当たっている皆さんのご努力を思うと、じっとしているのが恥ずかしくなるのですが、私などが出ていくと、足手まといになるばかりか、自分自身の健康さえ維持できないのではないかと、自分勝手な理屈で納得しています。

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8月3日、酷いニュース、事務所

デスクワーク

この熱暑、いつまで続くのでしょう。その上、ボクシングにアメフット、日本医大に女性の生産性と、爽やかさの欠片もないニュースが山盛りで、嫌になります。政権の無恥な責任逃れの仕方が、彼らの良いお手本になり、それが日本社会の根腐れを起こしているように思います。

14時過ぎに出て法律事務所に入り、デスクワークと電話連絡をしました。さらに16時前に出て自宅で、デスクワークなどの続きをしました。能率が上がりました。

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8月2日、来客、長岡花火

百日紅の白

自宅に来客の予定が入り、終日のんびりと自宅で過ごしました。13時前に、長く支援していただいた女性がお土産を持って来られ、かれこれ1時間強、四方山話で懇談しました。見返りを求めないご支援で、ただただ感謝のほかありません。お帰りの際に庭に出てみると、白の百日紅が満開になっていました。

来客

次の来客は14時半ころの予定でしたが、暑さに当てられて来られませんでした。この炎暑では、やむをえません。

夕食後、何気なくテレビを見ていると、長岡花火の中継が始まりました。昨年8月3日の感激を、改めて思い出しました。

長岡花火の中継

 

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8月1日、酷暑、事務所

法律事務所で

災害と言うべき酷暑のまま、八月になりました。相変わらず午後まで自宅でゆっくり電話連絡などをし、15時半前に出て16時前に法律事務所に入り、1時間ほどデスクワークをしました。

17時に事務所を出て岡山駅に行き、所用を済ませました。熱い一日でした。

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7月31日、事務所、あすなろ会講演、懇親会

あすなろ会講演

何とも奇妙な台風12号の迷走コースを横目に見ながら、猛暑がぶり返して来ました。昼過ぎまで自宅でのんびりと電話連絡などをし、14時過ぎに出て所用を済ませ、15時過ぎに法律事務所に入り、17時半前までデスクワークをしました。

デスクワーク

そこに加藤高明弁護士が迎えに来て、一緒に岡山弁護士会館に行き、18時から1時間強、あすなろ会の講演会に出席しました。経験7年以下の若手弁護士有志の会で、年1回の「熱く語る会」という講演会に、私が講師として呼ばれたのです。私が弁護士になった理由については、私の父の日本社会党離党から社会市民連合の立ち上げと急死を抜きには語れないのですが、20数人の出席者の中で父の名前を知っているものは2,3人しかいないのに、びっくりしました。戦前のことなど、異次元の話に聞こえたかもしれません。

講演

最後の15分ほどを質問時間とすると、先日の死刑執行関連の質問が出ました。その後、場所を移して、19時半から懇親会となり、大部分の皆さんがこちらにも参加してくれ、賑やかに1時間半ほどを過ごしました。

懇親会で乾杯

 

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7月30日、親知らず、高校野球、事務所

親知らずの治療

最近、右下の一番奥の歯、つまり親知らずの一本に、どうも穴が開いたような気がするので、思い切って歯科医に連絡を取ったら、直ぐ来いということで、10時半ころに伺いました。「案ずるより産むがやすし」ということなのか、私の歯は「150歳まで大丈夫」とのお墨付きをいただき、若干の治療で事なきを得ました。

事なきを得て

そんなこんなで午後になり、テレビで高校野球の岡山での決勝戦の中継が始まってしまいました。創志学園と学芸館との試合ですが、どちらも比較的新しい私立高校で、のめり込むことにはなりません。私は母校の「朝日高校野球部を甲子園に送り出す会」の会員なのですが、幸か不幸か、半永久的に目的達成で解散ということにはなりそうになく、今日の応援は気楽でした。

その最中に、東京から週刊誌記者の電話取材があり、つい安倍首相批判に力が入ってしまいました。

15時半ころに結果が見えてから出て、16時前に法律事務所に入り、2時間強、デスクワークや電話連絡をしました。