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10月29日、所用、城下、うとうと

 

「城下公会堂」で

11時に妻とともに出て、所用を済ませて回りました。銀行や駅です。昼食は「城下公会堂」でいただきました。

13時半ころに法律事務所に入り、15時ころまでデスクワークや電話連絡をしました。16時に帰宅してテレビの国会中継を見ていると、訪中の疲れが残っているのか、ついうとうとしてしまいました。

デスクワーク

 

 

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10月28日、クモ、天神山、天神窯、曽我英丘祭

曽我英丘祭で

10時から来客で、妻のパソコンを細かく見てくれました。昼食を済ませ、13時半ころに出掛ける前に庭を見ると、クモが巣に掛かったトンボを処理していました。冬を迎える前に大張り切りで越冬の準備をしており、大きく太って来ました。

クモとトンボ

午後からは妻とともに芸術の秋で、まず天神山文化プラザに行き、竜墨書道会展を拝見しました。主宰される片山竜篁さんもおられ、暫時歓談しました。さらにお隣の操風展に行き、洋画を小松原壽会長の「蒜山二座」や松浦美奈子さんの「温羅じゃ」などを鑑賞しました。

竜墨書道会展で
操風展で

その後、倉敷まで走り、15時半ころから岡本篤さんの「天神窯」の新作展示を拝見しました。来年の干支の香盒はイノシシで、ウリコが乳房にしがみついていました。

天神窯の岡本篤さんと

16時過ぎにお別れして自宅に戻り、15分程度の休憩の後に再び妻と出て、18時から玉井宮で「曽我英丘祭」を拝見しました。曽我さんは私の高校一年先輩で、書道の玉龍会で会長を務めていましたが、昨年10月末に急逝されました。意欲的に書道の新天地に挑まれ、その目指した高みを思いながら、舞踊や詩の朗読が披露されました。

玉井宮で
舞踊1
舞踊2
詩の朗読
舞踊3
舞踊4

その後に、後神曄香さんの書の実技が披露されました。後神さんは「鳳」と大書し、背後に掛けられた曽我さんの「龍」と合わせ、「龍翔鳳舞」となりました。みんなの思い出が凝集したすばらしいパフォーマンスのひと時でした。朝日高校書道部ゆかりの人が大勢集まっており、懐かしく言葉を交わしました。

祭の全景
後神さんの書
「鳳」
曽我さんの「龍」

 

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10月27日、高校同期会

高校同期会記念写真

朝は相変わらずゆっくりし、11時半に出て12時から高校同期会に出席しました。県立岡山朝日高校の昭和35年卒の面々で、8クラスから45人が出席し、まず出席者全員で記念写真を撮りました。

幹事クラスのF組の児島高義君が司会を務めて開会し、佐藤敦子さんが開会挨拶をし、他界した迫田勝正君に黙祷をし、乾杯から懇談に入り、クラスごとに出席者全員が壇上に上がって近況報告をしました。長短いろいろありましたが、閉会時刻が近ずいて幹事をやきもきさせ、隠し芸披露から校歌斉唱・エール交換があり、15時過ぎに閉会となりました。これまでの物故者は、男性58名、女性12名と、圧倒的に女性が長命だそうです。

各クラスごとに近況報告
隠し芸
校歌斉唱
エール交換

その後、40名ほどが場所を移して参加し、15時半からカラオケとなりました。私が近況報告で披露したAKB48中国の若者たちと触りを歌った「365日の紙飛行機」を最初に歌い、途切れなく続いて楽しい時間が過ぎました。

カラオケ

 

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10月26日、事務所

事務所でデスクワーク

午前中は久し振りに自宅でゆっくりと、デスクワークや電話連絡をしました。14時半ころに出て車にセルフで給油など所用を済ませ、15時半前に法律事務所に入って、17時過ぎまで溜まっていたデスクワークや電話連絡をしました。その後、夕食の食材を買って18時過ぎに自宅に戻りました。のんびりした秋の一日でした。

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10月25日、王寅家、別邸s、帰国

王寅別邸

早朝に目が覚めると、窓から黄浦江の両岸がよく見えました。9時から朝食でいつもの麺を食べ、10時にチェックアウトして移動し、11時から旧知の「黄帝内経」の現代語版を著した王寅さんの豪華邸宅を訪ねました。

早朝の上海・黄浦江
ホテルをチェックアウト

ご夫妻でお迎えいただき、まず年代物のお茶をいただきました。枝や実も混在した黒褐色の厚板状のものを崩してお茶を出し、珍しい果物などを摘みながらおいしくいただき、さらに漢方液もいただきました。

王寅邸で
80年物のお茶
お茶をいただき

その後、車で別邸まで移動し、林の中のような庭に出て英気を養い、所狭しと飾られた宝物を拝見し、別室でおいしいしゃぶしゃぶ料理の昼食となりました。大きな蟹や上海蟹もあり、超満足しました。

林の中のような別邸
「黄帝内経」の解説に聞き入り
書画骨董や漢方
昼食は蟹のしゃぶしゃぶ

14時ころにさらに別邸に移って、引き続き書画骨董を鑑賞しました。この一帯は行政が管理して私人の使用に委ねている地域のようで、間もなく習近平総書記がここに宿泊するので、警備が極めて厳しくなっているようでした。

もう一つの別邸で

14時半ころにお別れして上海浦東空港まで走り、諸手続きをして、17時半離陸の便で岡山空港に戻りました。1時間40分ほどの飛行と1時間の時差で、着陸は20時半前になりました。なかなか忙しい旅でした。

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10月24日(3)、森ビル、AKB、夕食会

AKB48中国の皆さんと

駅も上海中心部に向かう道路も大混雑でしたが、何とか15時半に10周年を祝う森ビルに寄り、上海市外事弁公室日本処の曹処長、森ビルの徐高級顧問と短時間懇談し、宿泊する東方賓江大酒店にチェックインしました。その後、一休みする暇もなく出て、17時から年内に活動開始するAKB48中国の皆さんを訪ねました。現地の沈志君総裁に日本からお越しの株式会社AKSの吉成夏子代表取締役と寺田成昇海外事業部長もお待ちで暫時懇談し、21人の若いメンバーたちの実演を拝見し、激励挨拶をしました。つい勢い余って、私も「365日の紙飛行機」を触りだけ歌ったりし、みんなで記念写真を撮りました。さらに揮毫を頼まれ、「日中青年、未来之宝」と書きました。

曹処長、徐顧問と
ホテルにチェックイン
AKBの皆さんと懇談
沈総裁と
吉成社長と寺田部長
AKB48中国のメンバーたち
私の挨拶、
揮毫

18時に沈さん、吉成さんらとともに移動し、亀井啓次副総領事も加わって、賑やかに夕食会で上海最後の夜を楽しみました。

夕食会
みんなで記念写真
上海夜景

 

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10月24日(2)、醫院予定地、上海へ

醫院予定地で

11時ころ、出発前に徐州質子重离子醫院建設予定地を見ました。巨大なオリンピックスタジアムに面した16万坪の用地が、着工を待っていました。12時前の新幹線に乗り込み、1等車で車内食を体験し、南京と蘇州で停車した後に14時半過ぎに上海虹橋駅に着きました。

オリンピック・スタジアムで
徐州東駅
新幹線が入選し
車内弁当は暖かくて美味
南京駅

 

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10月24日(1)、徐州の朝、

ホテルもスローガンで一杯

朝食はいつもの麺ですが、量を減らして貰いました。その後、庭を散歩すると、スローガンが満載でした。庭の赤い花は、日本で春先に咲く赤のマンサクのようでした。これから、徐州駅から上海に出発します。

朝食は麺

立ち並ぶスローガン

赤のマンサク?

 

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10月23日、王陵等見学、医療施設見学、湖上昼食、重粒子線、李副市長ら、周党書記夕食会

 

周党市委員会書記と

8時起床でお定まりの麺の朝食を食べ、9時半に出掛けて、市内観光をしました。徐州は漢代に皇帝がいたところで、日本では劉邦が有名です。その当時の墓地である「徐州獅子山楚王陵」に行き、2100年前に建造され100年後には盗賊に荒らされたという墓陵を見学しました。なかなか立派でした。その後、敷地の別の場所にある兵馬俑を見ました。西安にあるものよりずっと小さく、未発掘のものもあり、こちらは白、黒、赤の彩色が残っているそうです。

朝食は麺
出発
王陵前で
王陵
陵の内部で
兵馬俑

11時ころに、医療施設を見学しました。「徐州中心醫院」とその周辺の多くの施設で、王培安院長らから最新医療機器などを細かく見せていただきました。漢方のことも質問してみましたが、密接な関係を作っているそうです。その後、雲龍湖という巨大な人口湖に浮かべた船上で、昼食をいただきました。野生のすっぽん料理など、珍しいものもあり大満足しました。

徐州市中心醫院
多くの医療施設が並び
張会長らと
質問もして
歓迎され
船上昼食会

 

その後、ホテルに戻って暫時休憩し、15時半ころに「徐州質子重离子醫院」に行き、張浩会長らと懇談しました。質子は「陽子」、重离子は「重粒子」のことで、これらの最新の放射線医療技術に取り組む大規模プロジェクトを立ち上げるために、日本との協力関係を作ろうという企画があり、私の科学技術庁長官当時の経験が多少の役に立つかもしれません。最後に望まれて、醫院の名前を揮毫しました。

重粒子線が話題となり
揮毫も依頼され
記念写真

17時ころに、徐州市人民政府の庁舎に行き、李燕副市長、呉憲衛生計画生育委員会主任らと懇談をし、最後に王院長と亜洲友好協会の徐迪旻理事長との重粒子線医療協力の調印に、李副市長、呉主任、張会長とともに立ち会いました。17時45分から2時間ほど、市庁舎内で中共徐州市委員会の周鉄根書記主催の夕食会になり、おいしい料理と楽しい会話で満腹になりました。外に出ると、錦秋の満月でした。

市人民政府の庁舎で
調印式に立ち会い
党書記の記念品
夕食会
満月

 

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10月22日、岡山発上海へ、雲間美術館、展覧会開幕、無負芳華、徐州泊

展覧会開幕式で

7時前に妻と出て岡山空港に行き、ほぼ満車の駐車場に車を止めて8時過ぎに空港カウンターで搭乗手続きをし、直ぐに機内に入って9時過ぎの便で上海に飛びました。9時過ぎに離陸し、ほぼ3時間の飛行と1時間の時差で、11時半前に上海浦東空港に着陸し、亜洲友好協会の徐迪旻さんらの出迎えを受けて車で上海中心部に向かいました。

駐車場は満車
上海浦東空港に着いて

12時前に徐さんが経営する雲間美術館に着き、暫時休憩しながら皆さんと懇談し、12時半過ぎから1時間ほど、皆さんと昼食をいただきました。10数人ですが国籍が様々で、言葉が中国語、日本語、英語、ロシア語、ウクライナ語と5か国語も飛び交いました。その後、関係者で写真撮影やサイン会やで、結構忙しく時が過ぎました。

森ビル到着
雲間美術館到着
徐さんらと
金副主席らと懇談
展覧会の主要メンバー
昼食会
何さんのサインを貰い

14時半ころ会場に入り、中国で最も評価が高いと言われる陳佩秋女史と何家英さんの中国畫作品展の開幕式に出席しました。陳女史は上海を中心に活動する97歳の風景画家、何さんは天津生まれで北京で活動する63歳の人物画家です。展覧会のテーマは「無負芳華」で「悔い無き青春」という意味です。まず徐さんが開会挨拶をし、中華文化促進会の金堅範常務副主席に続いて私が挨拶し、何さんの挨拶が続きました。陳さんは残念ながら、雨天のため外出を医師から止められたそうです。その後、さらに挨拶が続き、記念品交換などがあり、1時間半ほどで終わって、さらに中国芸術協会副主席で著名な女優の奚美娟さんらと懇談したり揮毫をしたりして、気が付くと出発の17時15分が近付き、何さんが東京芸大で教鞭をとっていた時に学生たちに公開で書いたという日本少女の絵の前で写真を撮り、お別れしてくるまで上海虹橋駅に向かいました。

開幕式会場へ
徐さんの挨拶
私の挨拶
記念品をいただき
奚副主席らと懇談を続け

 

日本少女の前で

18時半過ぎに駅に着き、手続きをして、19時半前の新幹線で徐州東駅に向かいました。車両は日本の新幹線そっくりですが、私たちの席は特等席で飛行機のファーストクラス並みの特等席で、2時間半弱の旅程があっという間に過ぎました。22時過ぎにホテルに入り、長い一日が終わりました。

新幹線の駅で
新幹線
特等車