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7月10日、選挙7日目、水島演説会

水島演説会で

夕方まで自宅で電話連絡などをし、18時前に迎えをお願いして妻とともに出て、19時から1時間ほど、倉敷市水島で立憲民主党公認・野党統一候補の原田謙介さんの個人演説会に出席しました。

時尾市議の司会で、石田後援会長から

原田候補のビデオ映像が流れる中、円形に並べた椅子を増やすほどにどんどん人が集まり、開会時には250人ほどが中央の演壇を囲んで膨れ上がりました。時尾博幸倉敷市議の司会で、まず後援会長の石田篤史さん、連合岡山の藤井さん、柚木道義さん、難波奨二さんと応援弁士が続き、難波さんに促されて飛び入りの私も壇上で挨拶をし、1950年の参院選で私の父・江田三郎が最初に参院選に当選した時から半世紀を超え、連綿と続いた非自民の議席を原田候補に引き継がせてほしいと訴えて、マイクを原田候補にバトンタッチしました。

柚木さん
難波さん
私も飛び入りで
原田候補にバトンタッチ

原田候補は18歳選挙権実現から話を始め、「過去は大事だが、問題は未来だ」と強調して、若者の参加で若者に目を向けた政治を実現することを、さらに「教育子育て最優先」を掲げて岡山から政治を変えることを訴えて、支援の輪を広げるようにお願いしました。最後に鳥井良輔県議が情勢報告をし、ハラケンコールで締めくくりました。帰宅は21時になりました。

原田候補
ハラケンコールで締めくくり

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7月9日、選挙6日目、枝野代表街宣、演説会

津山でハラケンコール

朝はゆっくり電話連絡などをし、15時過ぎに妻とともに出て法律事務所に入り、デスクワークをしました。

法律事務所で

短時間で切り上げて岡山駅西口に行き、16時15分から参院選岡山に立憲民主党公認・野党統一候補として挑戦している原田謙介さんの街頭演説会に出席しました。高原俊彦県議の司会で、まず立憲民主党の高井崇志さん、次に国民民主党の津村啓介さんが挨拶し、私も紹介されました。そこに原田候補が到着し、多数並んだテレビカメラの束になったマイクを握りしめて力強く未来に向けた政治への思いを語りました。心配された声は落ち着き、最後は良く通る声を張り上げました。

岡山駅西口で
高井崇志さん
原田候補

その途中で立憲民主党の枝野幸男代表が到着し、駅ビルのデッキを埋め尽くした聴衆に生活重視の政治への転換を訴え、野党結集で駒を進める原田候補を支援するよう、有権者一人ひとりから始める未来への選択を訴えました。

枝野幸男代表

17時ころにお迎えをいただいて、妻とともに一般道を北上して津山市に行き、19時から1時間強、原田候補の個人演説会に出席しました。原田候補のこれまでの活動がビデオで流れる中、次第に人が集まって300人を超える超満員となり、秋久憲司津山市議の司会で開会しました。まず立憲民主党の高井崇志さん、長野県選出参議院議員の杉尾秀哉さんと難波奨二さんが激励挨拶をし、出席地方議員の紹介と連合岡山の金澤稔会長の挨拶に続いて市民代表の小野陽子医師が応援の挨拶をして私を呼び出し、私も一言挨拶をして原田候補を円形の会場中央の演壇に呼び上げてバトンタッチをしました。

杉尾秀哉さん
小野陽子さん
私も一言

そこで原田候補が15分ほど、18歳選挙権から説き起こして若者の未来や政治参加につき、さらに年金などの社会保障新しい設計や教育子育て最優先につき話しを進め、強い言葉で支援を求めて満場の大きな拍手を受けました。その後、原田候補の父親と夫人による親族からのお願いと柿本健治真庭市議の情勢報告があり、原田候補と弁士らが演壇に上がって手拍子でハラケンコールをして、閉会となりました。

原田候補
親族挨拶

その後、久し振りにお会いする皆さんと言葉を交わし、数人で夕食を食べて23時半過ぎにやっと帰宅しました。

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7月8日、選挙5日目、法律事務所、演説会(高梁、新見)

新見の演説会で

妻は9時に迎えが来て、参院選岡山に立憲民主党公認・野党統一候補で挑戦している原田謙介さんの応援に出掛け、私は昼過ぎまで電話連絡などをしました。14時過ぎに出て15時に法律事務所に入り、デスクワークや電話連絡をして、16時前に原田さんの選挙事務所に移り、若干の打ち合わせをしました。

法律事務所で
原田選挙事務所で
ハラケン帽

一度帰宅し、17時に迎えが来て高速道を高梁市まで走り、18時半から原田さんの個人演説会に参加しました。100人ほどが集まってくれ、冒頭に私が短時間の開会挨拶をしました。私がこの地域で最初にマイクを持ったのは1963年秋の父・江田三郎の総選挙応援で、50余年を経て今回の原田さんの応援が最後になるかと思うと、感無量でした。

演説会at高梁
私の挨拶

話し終わって直ぐに退場し、一般道を新見市まで北上して、19時半から1時間弱、やはり原田さんの個人演説会に参加しました。ここも父の応援の担当地域でした。円形に設営された会場に150人ほどが集まってくれ、羽場頼三郎岡山市議の司会で、高井崇志さん、難波奨二さんと連合岡山の難波事務局長が話した後、原田さんの配偶者が一言挨拶をし、私の番となりました。原田さんが高梁の会場から到着するまで話すのですが、直ぐに到着のサインがあり、話を切り上げて原田さんを壇上に呼び上げ、バトンタッチをしました。

演説会at新見
候補者夫人
私の挨拶

原田さんの声は治っていませんでしたが、逆に迫力が出て、20分ほどの決意表明でみんなに感動を与えました。最後に頑張ろう三唱をして、必勝の心合わせをしました。

原田候補

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7月7日、選挙4日目、街宣、玉龍会、石田さん鉛筆画展、演説会

チームハラケンと

12時半過ぎに妻とともに出て、岡山駅近くの大型ショッピングセンター前まで行き、立憲民主党公認・野党統一候補の原田謙介さんのチームの街頭演説に合流し、高井崇志さんに続いて私も、短時間でしたがマイクを持ちました。さらに岡山いっぽんの吉岡康祐弁護士も話してくれました。妻はビラ配りでした。

ハラケン街宣

その後、14時ころから1時間ほど、書道グループの玉龍会の月例会に出席しました。私は会長なのですが、来月の作品展の実施細目を決定するのに、皆さんにお任せとなってしまい、15時過ぎに妻をピックして、私の参議院議長の肖像画を描いていただいた石田宗之画伯の鉛筆画展を鑑賞に行きました。引き込まれるような乙女の海辺のひと時でした。

玉龍会例会
石田宗之さんと
鉛筆画の乙女

さらに16時半過ぎに妻を町中まで送り、私は着替えて18時過ぎに出て、19時から1時間強、岡山市南区の原田さんの個人演説会に向かいました。300人は優に集まって立ち見も出る大盛況で、高井崇志さん、連合岡山の金澤稔会長に続いてボランティアの女性が二人話し、原田さんのご両親の訴えがあって、私が情勢報告とお願いをしました。1996年の県知事選の顛末を引き合いに、今は劣勢だが最後は勝てることを訴えました。もっとも知事選では、私は負けた方でした。

演説会は超満員
女性ボランティアも
ご両親も
私は情勢報告

続いて原田候補が15分ほど、心からの決意表明を行いました。始めは枯れた声でしたが、次第にしっかりと声が出て、満場の大拍手を浴び、最後に「ハラケン、やるけん、頑張るけん!」というハラケンコールで締めくくりました。気合の入った演説会でした。

会場は膨れ上がり
原田候補の熱弁
頑張るけん!

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7月6日、選挙選3日目、ポスター、スポット、原田さん演説会

瀬戸内市の演説会で

参院選3日目で、晴れ間がのぞいて暑くなりました。若者たちは元気一杯ですが、私など高齢者はいささか疲れて、朝はゆっくりし、昼前に元気を出して自宅前にポスターを張りました。

ポスター張り

13時半に妻と出て、14時過ぎから瀬戸内市で行われる立憲民主党公認で野党統一候補の原田謙介さんのスポット演説を応援に行きました。途中で東の空にきれいな虹がかかりました。

東の空に虹

14時半前に長船町のスーパー前で選挙カーに出会い、さっそくスポット演説に加わりマイクを持って短く挨拶しました。その後、さらにもう一か所スポット演説をしました。原田候補も同行の津村啓介さんも元気一杯で、なかなか雰囲気も盛り上がっていました。

スーパー前でスポット
さらにもう一か所

一度自宅に戻って大急ぎで夕食を食べ、妻と友人らとともに出て19時から1時間ほど、瀬戸内市で行われた原田候補の個人演説会に出席しました。原田さんにとっては、この選挙で最初の、つまり人生で最初の個人演説会です。100人ほどの会場が超満員で立ち見も出て150人ほどに膨れ上がりました。開会後、来賓として武久顕也市長、津村啓介さんと連合岡山の代表が挨拶し、さらに飛び入りの私が防災に触れた挨拶しました。

武久市長と超満員の聴衆
津村さん

そこで原田候補が登場し、年金や教育・子育てなどに触れて約20分間、実に力強く決意を述べて、満場の大拍手を浴びました。最後に原田選対事務局長の鳥井良輔県議が情勢報告をし、音頭を取って全員で「頑張るけん!」と拳を振り上げて、閉会となりました。選挙戦の立ち上がりからこの盛り上がりになるのは、私も初めての経験です。

原田候補の初演説会
超満員の聴衆
元気一杯で
頑張るけん!

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7月5日、選挙2日目、法律事務所、原田事務所

原田選対事務局会議

参院選2日目で、昼過ぎまで自宅でデスクワークや電話連絡をし、14時半過ぎに出て法律事務所に入り、ここでもデスクワークや電話連絡をしました。やっと、依頼されていた参院選比例区の公選葉書の目処が見えて来ました。

法律事務所で

17時ころ、岡山選挙区で立憲民主党公認の野党統一候補となった原田謙介さんの選挙事務所に入りました。私の高校後輩が原田さんのことを心配して駆けつけてくれ、暫く来客応対をしました。

来客応対

18時から1時間ほど、原田選対の事務局会議に出席しました。選対本部長の高井崇志さんを中心に、原田候補の両親や連合岡山の代表者など、選挙実務に関わる人々が集まり、滑り出しを確認しました。これからが勝負です。

選対事務局会議
「頑張るけん!」

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7月4日、参院選公示、原田選対出発式、手伝い、法律事務所

ハラケン、頑張るけん‼

いよいよ参議院選挙の公示日となりました。届け出は8時半からですが、標記が届かないとマイクを使えず、しかしゆっくり待つわけにもいかず、9時から出発式を始めました。テレビカメラの林立と500人の聴衆を前に、森山幸治岡山市議の司会で、私が原田選対顧問として冒頭にメガホンを使って5分ほど挨拶し、連合岡山の金澤稔会長が続きました。

カメラの林立
500人の聴衆
私がメガホンで
金澤会長も

そこで標記が届き、選挙カーの看板に「原田ケンスケ」が現れ、以後はマイクを使って、国民民主党県代表の津村啓介さん、無所属の柚木道義さんと続き、原田候補が若々しく良く通る声で第一声を張り上げました。判り易く個性に溢れ、強調すべきところはさらに声を張り上げ、最後は最大限の音量で決意とお願いを述べました。

津村さん
柚木さん
原田ケンスケ候補

「18歳選挙権を実現させ、高校3年生がこぞって投票に行ったとき、本当に嬉しかった。しかし政治は変わらない。相変わらず政治が若者を向いていない。未来を担う若者たちのために、『教育、子育て、最優先』を叫ぶ議員が一人くらい居たって、いいじゃないか。30年先を見据えて、郷里岡山から政治を変えたいのです。新しい時代に、新しい政治を。」という訴えは、必ず有権者の共感を得ると思います。最後に立憲民主党県代表の高井崇志さんの音頭で「ハラケン、やるけん」の後に全員で「頑張るけん」と拳を振り上げて終了となり、9時40分ころに選挙カーが原田候補のマイクで街に出て行きました。

10時前から選挙事務所で、大勢のボランティアの皆さんで本番ビラの証紙張りを行いました。私も小さな証紙を一枚ずつ張って、12時前に500枚を仕上げ、音を上げてしまいました。

皆で証紙張り

その後、妻とともに出て若干の挨拶回りをした後、法律事務所に入り、最小限のデスクワークをし、再び原田候補の選挙事務所に戻って、さらに来客応対などをしました。16時ころにちょっと早めに帰宅し、一息つきました。テレビニュースでは、原田候補が抜群の出来でした。

法律事務所で
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7月3日、事務所、原田事務所

原田事務所で作業

妻は9時半に、明日が公示の参院選岡山に立憲民主党公認・野党統一候補として挑戦する原田謙介さんの応援で出掛け、昼過ぎに帰宅して一緒に昼食を食べました。私はその間、ゆっくりと電話連絡などをしました。 14時半に出て法律事務所に入り、1時間半ほどデスクワークなどをしました。参院選については、比例区からも何人か支援要請があり、対応に追われています。

法律事務所で

17時前に原田さんの事務所に入り、若干のデスクワークをしました。準備が大幅に遅れており、皆さん大童です。

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7月2日、上京、孔大使レセプション、帰岡

孔大使レセプションで

午前中は自宅で電話連絡などをし、12時半に出て岡山駅に行き、パーク&ライドに車を停めて駅構内で昼食を取り、14時前の新幹線で上京しました。旭川も百間川も梅雨の厚い雲に覆われ、備前平野の田はどこも早苗が揃っていました。

梅雨の旭川
早苗が揃って

東京駅からJR在来線とタクシーを乗り継ぎ、18時から1時間弱、中国の程永華前大使の後任の孔鉉佑大使の着任レセプションに、公益財団法人日中友好会館の顧問として出席しました。入り口で孔大使と握手を交わして挨拶し、来賓コーナーに入ると旧知の河野洋平さん、武部勤さん、野田毅さんらが居られ、さらに人が増えて大盛況となりました。時間通りに開会して孔大使の挨拶があり、日本人と変わらない流暢な日本語で、日中関係の一層の発展のために頑張る決意を述べられました。

孔大使ご夫妻と
孔大使の挨拶

多くの日中関係に携わる人たちと言葉を交わして、少し早めに退出し、夕食を食べて20時過ぎの新幹線で帰岡しました。

孔大使レセプションで
言葉を交わして

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7月1日、裁判所、法律事務所、国民民主党集会、原田事務所、七夕

原田事務所の七夕

11時半に出て、正午直前に岡山地方裁判所民事部の受付で受任事件関係の所用を済ませ、昼から短時間、法律事務所に入ってデスクワークをしました。

裁判所で
法律事務所で

13時に帰宅して昼食を済ませ、14時から30分ほど、国民民主党岡山県第2区総支部の集会に出席し、来賓挨拶をして間もなく始まる参院選岡山に立憲民主党公認で挑戦する原田謙介さんの支援をお願いしました。原田さんは、野党各党の支援を受けて「野党統一候補」となっており、国民民主党の支援も得ています。

国民民主党の集会で
原田さんのご母堂
私も

その後、帰宅して一息つき、15時過ぎに出て再び法律事務所に入り、デスクワークや電話連絡をしました。さらに17時前に出て所用を済ませて原田事務所に入ると、高井崇志さんや津村啓介さんも来ており、若干の打ち合わせをしました。事務所には昨日届いた笹に七夕の飾りつけが施され、私も短冊代わりに「原田ケンスケ」のタスキを掛けました。

高井さん、津村さんも

18時から30分強、事務局会議を行い、津村さんにも激励挨拶をいただきました。そこに原田さん本人が帰って来て、一言お礼の挨拶を受けました。いよいよ乾坤一擲の大勝負開始です。

事務局会議
原田さんも挨拶