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2月21日、所用、事務所、髙木聖鶴展

髙木聖鶴展

14時に妻と出て所用を幾つか済ませ、15時半過ぎに法律事務所に入り、短時間でデスクワークや電話連絡を済ませました。

事務所で

その後、16時ころから吉備路文学館に行き、「髙木聖鶴と岡山の書家(一門)」という髙木聖鶴さん没後三年特別展を鑑賞しました。岡山ゆかりの若山牧水などの歌を書いた作品や一門の皆さんの作品もたくさん展示され、併催の企画展「文学賞になった吉備路の作家たち」も懐かしい名前が数多く見られ、明石英嗣館長ともお話が出来て、楽しいひと時でした。

髙木聖鶴の作品

帰路にも若干の所用を済ませ、18時過ぎに帰宅しました。

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2月20日、法律相談、コロナ

法律相談

朝からゆっくりしていたらあっという間に時が過ぎ、13時から大急ぎで昼食を食べ、13時半に飛び出して法律事務所に入り、14時から1時間、法律相談を受けました。90歳代の高齢者で、金融機関で預金を取られたというご心配らしいのですが、聴力が相当落ちているので私も怒鳴りながらお話を伺いました。通帳を見ながら説明をし、それ以上に犯罪を疑う根拠もなく、弁護士には捜査権が無いことも説明して、終わりにしました。

その後、若干のデスクワークをし、17時前に出て帰宅しました。クルーズ船からの上陸が始まった新型コロナ問題は、感染状況も対応策も、さらに政治状況までが、新しい局面に入って来ているように思います。

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2月19日、所用、番町文庫、岡弁総会

番町文庫

10時半に妻に送って貰って岡山市内中心部に行き、11時から2時間ほど掛けて所用を済ませま、番町文庫で昼食を食べました。小学校の時からの同級生の山本美奈子さんが主人で、美味しい焼き飯をいただきました。

14時から3時間弱、岡山弁護士会の定期総会に出席しました。2月に入って藤本徹さん、岡本憲彦さんと訃報が相次ぎ、冒頭に黙祷をしました。開会後、まず小林裕彦会長の簡単な挨拶があり、新入会員の紹介と一言挨拶に続いて近藤幸夫さんの日弁連副会長としての活動報告があり、定足数の確認をして議事に入りました。

岡弁総会

まず来年度予算関連の件が承認され、次いで来年度役員等の選挙につき大林裕一選管委員長の報告を受けて猪木健二会長ら新役員が承認され、新常議員の協議により近藤幸夫議長、小林裕彦副議長が決定され、残余の役員も補充されました。さらに吉岡康祐さんから常議員会の採決方法につき発言がありました。さらに資格審査委員らも提案通り決定されました。

そこから会則や会規の制定や改正が議題となり、適時に定足数を確認の上、全て提案通りに可決されました。特に広報室の設置に関する会規について、議論は白熱しましたが懸念が示されるに留まり、採決では大多数が賛成でした。

17時に妻の迎えで帰宅しました。

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2月18日、空振り、事務所

事務所で

昼過ぎまで自宅でゆっくりとデスクワークや電話連絡などをし、14時半ころに妻と出て、デパートの美術ギャラリーで開催の展覧会を鑑賞しようと岡山市中心部に行ったところ、今日は休日とのこと。最終日と思ったのに空振りでした。

そこで所用を済ませて15時半過ぎに法律事務所に入り、短時間でしたがデスクワークをし、17時前に帰宅してさらに電話連絡などをしました。

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2月17日、予算委、事務所

事務所で

9時から衆議院予算委員会が行われ、テレビ中継があったので、これを見ながら自宅でゆっくりしました。冒頭、安倍首相が先日の辻元清美さんに対する不規則室発言につき、謝罪をしました。

衆院予算委
奥野さんの質問

午後も引き続きテレビ中継を見、15時過ぎに出て法律事務所に入り、1時間半ほどデスクワークをしました。

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2月16日、共産党県党会議、デスクワーク、津村さん

共産党県党会議で

8時過ぎに迎えの車で出て、吉備中央町の吉備プラザに向かいました。日本共産党岡山県委員会の「県党会議」が10時開会で行われ、立憲民主党岡山県連合を代表して挨拶するためです。道中はずっと濃霧でしたが、それだけに車が少なく順調に進んで9時過ぎには到着し、石井ひとみさんや他の来賓の皆さんと、暫時懇談しました。

道中は濃霧

10時過ぎに挨拶の時刻となり、200人ほどの参加者で開会された会場に入りました。まず、党県委員会の植本完治委員長が開会挨拶をして、直近の本部大会で決定された市民と野党の連合による政権交代を目指して全力を尽くすことを訴え、来賓挨拶になりました。

最初はおかやまいっぽん共同代表の吉岡康祐さんで、政権交代のために共産党にも苦渋の決断をお願いすると述べたのが印象的でした。

いっぽん共同代表の吉岡さん

次が立憲民主党県連顧問の私で、中国古典の詩経から「兄弟牆に鬩ぐ(けいていかきにせめぐ)」という言葉を引きながら来し方を振り返り、さらにこれに続く「鬩げども、外その務を禦ぐ(そとそのあなどりをふせぐ)」という言葉を引き、さらに安倍内閣の検察庁法解釈変更の仕方を例に引いて、あなどられた国民が果たすべき憲法12条の「不断の努力」の受け皿として、野党連携の必要を強調しました。

私の挨拶
国民民主党の津村さん

さらに国民民主党岡山県総支部連合会代表の津村啓介さん、社会民主党党岡山県連合代表の宮田好夫さんがそれぞれ挨拶し、最後に植本委員長と来賓4人が中央で手を繋いで振り上げて連携を形で示し、満場の拍手に送られて退場しました。

国民民主党の津村さん
社民党の宮田さん
野党の連携を

その後、12時に自宅に戻りました。 妻は朝からコーラスの発表のために出掛けており、私は一人で昼食の支度をしてゆっくりと食べ、14時過ぎに終わったところに妻が帰って来ました。その後、私が会長を務める公益財団法人日本鳥類保護連盟の関係のデスクワークをしました。

18時半に津村啓介さんのご母堂の温子さんの迎えで妻とともに出て、19時から21時半過ぎまで、津村さんと4人で夕食を食べながら懇談しました。

津村さんと夕食

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2月15日、岡山市日中、市民オンブズマン、歯科

新春互礼会で

11時半に出て、12時から認定NPO法人岡山市日中友好協会の新春互礼会に出席しました。午前中に行われた総会に私は欠席してしまったのですが、そこで会長が土井章弘さんに交代となり、さらに相澤孝夫さんの講演も行われました。

互礼会は開会後に土井新会長の挨拶があり、来賓紹介に続いて衆議院議員の山下貴司さん、日中友好会館顧問の私、岡山市長の大森雅夫さん、そして衆議院議員の逢沢一郎さんが順次挨拶し、新たに副会長となった森田潔さんの音頭で乾杯をしました。そこから懇親会となり、暫く皆さんと懇談した後、13時過ぎに中座しました。

土井新会長の挨拶
私の挨拶

13時半から16時まで、認定NPO法人市民オンブズマンおかやまの定期総会に出席しました。まず2時間強、アカデミーの部が行われ、昨年9月に岐阜で開催された全国大会に出席した会員から、分科会の報告がありました。自治会、市民と警察、カジノ・ギャンブル依存症、情報公開と政務活動費・海外視察の各分科会で、質疑応答も活発に行われました。

全国大会の報告

続いて総会の部となり、活動報告と決算報告が行われたところで中座しました。

定期総会

16時半から2時間半ほど、歯科の治療を受けました。まだ暫く掛かりそうです。

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2月14日、相談、田中さん通夜

法律相談

10時半に妻とともに出てご近所で所用を済ませ、次に14時半に出て法律事務所に入り、15時から1時間強、法律相談を受けました。脳梗塞で倒れた古くからの友人の生活支援です。

その後、一度自宅に戻り、18時半に妻とともに出て、19時から1時間弱、故・田中茂人さんの通夜に参列しました。内科の開業医で、四半世紀前に私の母の最期を看取っていただきました。学校は違いますが、私の少し先輩で、喪主で奥さまの美知子さんは同期であり、共通の友人が多く参列していました。享年81歳。合掌。

田中さん通夜

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2月13日、カレー、雛、秋岡さんら、フキノトウ

お雛様展

妻は朝から近くの公民館にコーラスの練習に行き、私はゆっくり起きて無為に過ごし、13時に妻とともに出て近くのボン・ヴォイージというカレー屋さんに昼食を食べに行きました。洒落たお店で味も良く、その上様々な企画の飾り付けもあり、今日はお雛様展をしていました。

店に入る前に高梁市の秋岡毅さんの噂話をしていたら、何と奥から秋岡さんが出て来られ、びっくりしました。友人らとご一緒で、暫く皆さんとお話をしました。

秋岡さんら

食事の後に、近くの百間川の土手近くに行ってフキノトウを摘んで帰り、その後は自宅でのんびりと過ごしました。春はすぐ近くまで来ています。

フキノトウ

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2月12日、所用、帰岡

岡山駅は雨

朝食後、9時半にチェックアウトしてタクシーで移動し、10時から所用に取り掛かりました。久しぶりだったせいもあってなすべきことが多く、3時間以上かかりました。 13時半からバスとJR在来線で移動し、14時に東京駅に着いて昼食を食べ、15時前の新幹線で帰岡しました。

東京はからりと晴れ渡っていたのに、岡山は雨で桃太郎像も濡れそぼっていました。気温はどちらも低くなく、春の訪れを感じました。