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10月3日、野党再編、打合せ、買い物

受任事件打合せ

午前中は自宅で、電話連絡はデスクワークに追われました。野党側の再編の動きが急で、しかも極めて目まぐるしく、判断が困難なようです。私は、政党再編の初期微動に続く本格的地殻変動なので、たじろぐことなく前に進むべきだと訴えました。その場合に大切なことは、魯迅が短編小説「故郷」の最後の節で言っているように、「希望」はもともと有るというものでもなく、無いというものでもないのであって、ちょうど地上の道のように、初めから有るのではなく、皆が歩けば道になるのです。みんなで歩くことが何より大切で、排除や選別は希望にふさわしくありません。現実に誕生しつつある「希望」は、当初の期待感をうまく生かすことが出来るかどうか、ちょっと不安なようです。枝野さんの「立憲民主党」と相補って、相乗効果で目前の相手に立ち向かえればよいのですが。

昼過ぎに出て法律事務所に入り、14時から30分弱、民事受任事件の当事者と打合せをしました。その後、さらに事件処理のためにデスクワークや電話連絡などをし、17時ころに出て、岡山駅前を通過すると、高井崇志さんが街頭活動をしていました。妻は夕方から、町内の役員の仕事で歩き回っており、私が食材を買って帰宅しました。

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10月2日、上京、研究会、帰岡

闇に浮かぶ国会

10時過ぎに出て法律事務所に入り、若干のデスクワークをして、11時半前に出て所用を済ませて、12時前の新幹線で上京しました。今回も日帰りで、昼食はいつもと同じ岡山名物の握りずしでした。

いつもの握りずし

15時過ぎに着き、国会周辺の会議室に駆けつけて、16時から2時間、少人数の研究会に出席しました。政治課題としての改憲論議を離れて、腰を低く落として、国家機関の現実の運営につき、具体的で細かな事実の確認から議論を始めようというものです。

終わって外に出ると、すっかり日が落ち、今にも降り出しそうな空に、照明を受けた国会議事堂が浮かび上がっていました。その後、東京駅で夕食を取り、19時半の新幹線で帰岡しました。今日の東京滞在時間は4時間足らずでした。新幹線は岡山止まりで、到着前に気が付くと、私のほかは誰もいないがら空きでした。

がら空き

 

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10月1日、クリーン作戦、投票、県連常幹、幹部懇談会、開票

民進・連合懇談会で

早朝から学区連合町内会のクリーン大作戦で、妻は7時半に出掛け、私も8時半前から近所の草取りをしました。9時半に終わった後も更に自宅の草取りを続け、くたくたになりました。

クリーン大作戦で、

自宅で暫時休憩し、11時半ころに岡山市長選挙と市議会中区補欠選挙の投票に行きました。見るからに投票率が低そうでした。その後、昼過ぎまで自宅でゆっくりしました。

投票

14時半に出て、15時から1時間ほど、民進党岡山県連の常任幹事会に出席しました。総社市議選で推薦と支持の候補が4人全員当選した報告があり、初挑戦当選の山田雅徳さんが挨拶をしました。さらに、衆議院解散を受けた選挙戦への対応につき、突っ込んだ協議をしました。大激動への対応なので、意見は多く出されましたが、現職3人の当選に向けて、さらに残りの選挙区での活動も含めて、全力で一致した行動をとることを確認しました。その後、2、3社からぶら下がり取材を受けました。

県連常幹で
山田新市議挨拶
ぶら下がり取材

続けて17時過ぎから18時まで、県連幹部と連合岡山三役とで意見交換会を開きました。総選挙への対応につき積極的な協力をしていくことで意思統一が出来ました。

民進・連合懇談会

その後、帰宅して夕食を食べ、22時過ぎに妻とともに出て岡山市議会中区補欠選挙の下川倫史候補の選挙事務所に行きました。市長選挙の方は20時の投票終了と同時に、民進党などの推薦した大森雅夫候補が2期目の当選確実となりました。しかし市議補選は、22時半で開票率50%余で相手候補の当確が出て、下川候補の落選が決まりました。直ちに候補がご夫人とともに事務所に来て、選対本部長の津村啓介さんに続いてお礼の挨拶をし、思わぬ大差で無念の涙を呑みました。30%余という低投票率とともに、反省材料を次に生かさなければなりません。

下川候補落選