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「岡崎トミ子さん弔辞」を掲載しました

岡崎トミ子さん弔辞

 

岡崎トミ子さん。20日朝、電話であなたの訃報を耳にした時、咄嗟に誰のことだか分かりませんでした。すぐにあなたのことだと分かり、絶句してしまいました。昨年8月2日、ちょっと体調を崩して東京まで出ていくのも大変と言っていたあなたが上京し、気の合う仲間と数人で鉄板焼きをいただいたのが、最後となりました。ちょっと弱っておられましたが、いつも通り笑顔を絶やさず、話も愉快で、結構食も進んでいました。いずれ万全の体調となられ、バリバリ活躍されると思っていたあなたの顔が、今月12日の民進党大会で見当たらず、気にはなっていたのですが。

 

あなたは、1990年の総選挙で仙台から彗星のごとく国会に登場されました。何とかチルドレンという言い方だと、土井チルドレンというのかも知れませんが、土井たか子日本社会党委員長時代に、総選挙に岡崎さんら若い新人挑戦者を揃え、その皆さんだけでニューウェーブの会を作って注目を集めましたね。伊東秀子さん、鈴木喜久子さん、宇都宮真由美さんら女性が光っていましたが、仙谷由人さん、筒井信隆さん、松原脩雄さんら男性も頑張っていました。そんなあなたたちと一緒に、政治に新しいうねりを作ろうと、1992年の秋に政策集団シリウスを立ち上げ、翌年の総選挙で野党8党派連立による細川護煕内閣となったのですが、その際に多くの仲間が落選する中で、あなたはきっちりと2期目をスタートさせ、1996年には旧民主党結成に参加して副代表となるなど、重要な役目を果し始められました。

 

その年の秋、私は岡山県知事選に挑戦して落選、あなたはその1週間前の総選挙でやはり落選。しかしあなたは翌97年に補欠選挙で、私は翌々98年の通常選挙で、いずれも民主党参議院議員として国政復帰しました。その後、なかなか困難な場面もありましたが、あなたは常に持ち前の笑顔を絶やさず、優しく分かりやすい口調で論陣を張られ、本当に多くの場面で活動を共にして来ました。

 

1999年夏、東ティモールの住民投票視察にご一緒しましたね。20世紀は、前半は戦争、後半は民族自決と植民地独立の時代でした。その中で、小スンダ列島の東にあるティモール島の東半分はポルトガルの植民地のままで取り残され、やっと解放されたと思ったら隣国インドネシアに侵攻され、住民による自決権闘争が、残酷な場面も交えながら続いていました。日本でもこれを支援しようと市民が立ち上がり、国会でも応援グループが活動しました。そして遂にこの年、国連の主導のもとに住民の自己決定の道が開かれ、世界中から有志が監視に駆けつけたのでした。日本では竹村泰子さんを団長にして、あなたや笹野貞子さん、和田洋子さんらと、マラリヤを気にしながらジャングルの奥地まで入り込みました。そして東ティモールは21世紀最初の独立国になり、困難ではありますが堂々と国の歩みを進めています。あなたも私も、同国から勲章を貰いましたね。

 

2009年から民主党政権が始まり、あなたは菅内閣で閣僚を務められました。それも国家公安委員長というのですから、私も正直言ってちょっと心配しました。しかし、あなたの持前の笑顔と優しさで、お役人の皆さんの協力をしっかりと取り付けていたと思います。あなたは同時に、内閣府の少子高齢化や男女共同参画なども担当され、まさに水を得た魚といった感じでした。村木厚子さんもあなたの下で冤罪の誹りを拭い去って大活躍し、厚労事務次官の重責を担い、刑事司法改革で私もお世話になりました。本当にあなたは、ご自身のご活躍もさることながら、きちんと人を支え人に支えられ、そして人を育てる人でした。それも、そんなことを饒舌に語ることなく、知らぬ間にひとりでにそうなってしまうのでした。

 

2013年、民主党政権が倒れた後、あなたは夏の参院選で、韓国でのあなたの活動に対し理不尽な批判を浴びせられ苦戦を強いられました。開票が進み、0時を過ぎて開票率ほぼ100%となった速報であなたが僅かですが上位に着けた時、私はつい嬉しくなってあなたに電話を掛けてお祝いを言いました。あなたは「まだ判らないのよ」と言っていましたが、開票が終わってみるとあなたが惜敗でした。私は、お見舞いの電話を掛ける気力もありませんでした。必ず雪辱しなければならないと思っていましたが、叶わぬことでした。

 

そんな中でもあなたの気力は衰えず、その年の暮れに、民主党の議員連盟のメンバーでご一緒に韓国に行き、従軍慰安婦の当事者と支援の皆さん、政府や政党の皆さん、弁護士会の皆さんなどとの会談を進めました。その後、日韓両国は一定の合意をしましたが、まだまだ大きく揺らいでいます。心の問題は、なかなかお金だけでは完全解決は難しいのでしょうか。

 

あなたを失って、本当に皆悲嘆に暮れています。もう、あのちょっとかん高い明るい語り口を耳にすることはないのでしょうか。どんなに困難な時でも笑顔を絶やさなかった岡トミさん、私は必ず、あなたの仕事を引き継ぐ若者が現れると、信じます。私もあなたよりちょっとだけ年上で、もう国会の現場を去りましたが、それでも後進のことは気になります。先日、私の地元、岡山で、国会議員や県会議員の事務所のインターン生をしている高校生や大学生が、訪ねてきました。1時間強、話をしたのですが、何と5人が全員女性でした。私たちが余計な心配をしなくても、みな確実にしなやかに育って行くと思います。私ももう少し、お邪魔にならないように、彼らのお手伝いをします。岡崎さん、どうぞ見守ってください。そして、安心してお眠りください。さようなら。

 

2017年3月23日

江田五月