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時事通信2016年11月3日インタビュー記事を掲載しました

「もう一つの政権党を」=桐花大綬章の江田元参院議長

 

インタビューに答える江田五月元参院議長=1日、東京・永田町の参院議員会館
インタビューに答える江田五月元参院議長=1日、東京・永田町の参院議員会館

「もう一つの政権担当政党を育てる大きな仕事に、地に足を着けて取り組んでほしい」。桐花大綬章を受章した江田五月元参院議長は、民進党の現職議員らにこう呼び掛けた。
 1977年、社会市民連合代表だった父三郎氏の急死を受け、参院選に立候補して初当選。約40年の政治家人生を「日本の民主主義、市民社会の成熟のため頑張ろうと思ってきた」と振り返る。
 その間、2度の政権交代を経験した。1993年には細川連立内閣に参加し、自民党を初めて下野させた。科学技術庁長官として初入閣したが、後に国論を二分する原発政策について「問題提起をしておかなければならなかった」と悔いを残す。

インタビューに答える江田五月元参院議長=1日、東京・永田町の参院議員会館
インタビューに答える江田五月元参院議長=1日、東京・永田町の参院議員会館

 2009年に旧民主党政権が誕生したことは、約40年の中で「一番大きな出来事」だ。それは本懐を遂げた喜びだけでなく、「政権交代が所期の成果を挙げる前につぶれた」という深い悲哀も伴う。
 今年夏の参院選を機に政界を引退。一歩離れて見る与野党の現状は「あまりにもとげとげしい」と映る。与党側には「懐深く受け止めてほしい」と促した。
 現行憲法の意義を「戦後の混乱を乗り越え、今の日本をつくってきた」と捉えている。「不磨の大典ではない」と改憲を容認しつつも、連合国軍総司令部(GHQ)による「押し付け」で制定されたとの主張には「許せない」と厳しい。
 現在は岡山市で次男が営む弁護士事務所で活動している。公益財団法人「日中友好会館」の会長は続けており、「とりわけ若い世代が良い関係をつくっておかないといけない」と、両国の将来に思いをはせた。

 

 

時事通信2016年11月3日記事

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山陽新聞「秋の叙勲 喜びの声」を掲載しました

 

秋の叙勲、喜びの江田五月さん 桐花大綬章、政権交代掲げ40年

 

 「秋の叙勲」の受章者が3日付で発表された。岡山県関係では、元参院議長の江田五月さん(75)に桐花大綬章が贈られた。

<桐花大綬章> 元参院議長 江田五月さん(75)=岡山市中区

 政治家として、市民政治と政権交代の実現に邁進(まいしん)した約40年。2009年の民主党(現民進党)政権成立を参院議長席から宣言し、「大変感慨深かった」と振り返る。

 急死した父・三郎氏に代わり、裁判官から転身して1977年の参院全国区に出馬し、初当選。83年に衆院にくら替えして4期を重ね、社会民主連合、日本新党、新進党と所属を変えながら「政権交代を担える政党づくりを目指した」。93年に発足した非自民連立の細川護煕内閣では科学技術庁長官。

 96年の岡山県知事選で惜敗後、民主党に入り、98年に参院岡山選挙区で国政復帰し、参院は通算4期。07~10年の参院議長のほかに法相、環境相を歴任し、今年7月に政界を引退した。「政権交代の第2幕は後進に託す」

 現在は、岡山市内の法律事務所に所属して弁護士活動を行う傍ら、日中友好会館(東京)の会長も務めており、「両国の青少年交流に力を入れたい」と意欲を燃やす。

 

※山陽新聞朝刊2016年10月4日 記事(山陽新聞デジタル「さんデジ」の会員登録が必要な場合があります)

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11月5日、デスクワーク、津村さん、甘夏ミカン

オタフクナンテンと夏みかん
オタフクナンテンと夏みかん

 

9時過ぎから終日、自宅でデスクワークをしました。14時ころ、大学後輩の突然の訃報が届き、驚きました。津村啓介さんがお祝いに来てくれましたが、玄関先での対応のみで、失礼してしまいました。

 

叙勲のお祝いの祝電や手紙、花や酒などが次々と届いており、皆さんのご厚情にただ感謝するのみです。こうなってくると、祝電が個別に入っている透明な袋を開けるのも煩わしく、入れ物なしなら良いのになどと、罰当たりなことを思ったりします。

 

 

日が落ちる前にほんの一瞬、庭に出て見ると、オタフクナンテンがきれいに色付き、黄色になりかけた甘夏ミカンとのコントラストに引き込まれました。

秋のコントラスト
秋のコントラスト