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3月19日、春の花

白マンサク

9時半前に妻と出て、所用に追われ、ホテルに帰り着いた時には17時前になっていました。東京の町はよく見て歩くと、花にあふれていました。コブシは満開を過ぎたところで大きな木が純白の花に覆われ、手入れされていないモモもきれいな花を開いていました。

コブシは満開を過ぎ
手入れされないモモ(?)

買い物帰りの道端では、珍しい白のマンサクが満開で、サンシュユもきれいにつぼみを開き始めていました。ユキヤナギは満開で、トサミズキも片隅でしっかりと花を開いていました。

サンシュユは開花し始め
ユキヤナギ
トサミズキ

 

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3月18日、核ミサイル、玉龍会、上京

玉龍会例会

午前中は自宅でテレビの政治番組を見て過ごしました。森友問題は深刻で、しっかりと事実を解明した上で責任の所在を明らかにしなければ、再発防止などできません。

米朝問題はもっと深刻で、しかも激しい動きの中で日本のできることは限られており、事態の推移をしっかりと見極めながら適切な対応を取らなければなりません。拉致問題を忘れてはいけませんが、もし北朝鮮が、核ミサイルで何の譲歩もないまま、拉致についてだけ譲歩してきたら、日本はどうするのでしょうか。また、もし北朝鮮が、自分たちの核ミサイル放棄と他の核保有国のそれの放棄の同時進行を言い出したら、北挑戦の核抑止力は悪だが、米国の核抑止力は善だという論理を、北朝鮮に納得させるのは、なかなか困難のように思います。

昼食を早めに済ませ、12時半に出て母校の岡山朝日高校に行きました。六高記念館は静かな佇まいで、グラウンドでは生徒たちがサッカーの練習をしていました。13時から1時間強、玉龍会の例会に出席しました。会長であった曽我英丘さんの急逝を受けて、これからの活動の方向をしっかりと協議、決定しなければなりません。中座して岡山駅に急ぎ、妻と合流して15時前の新幹線で上京しました。

六高記念館
サッカー練習
玉龍会例会

 

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3月17日、仏壇に線香、墓参、外食

両親の墓参

妻は9時前に所用で出かけ、11時過ぎに帰るまで、私は自宅でテレビの時事報道を見ながら、ゆっくり朝食を食べました。

12時過ぎに妻とともに出掛け、買い物を済ませながら岡山市北端にある両親の墓参に出掛けました。まず13時前に、親族で大変お世話になった和田知矩さんのご自宅に伺って仏壇に線香を手向け、さらに私の従兄にあたる岸本康男さんの仏壇に線香を手向けました。そこで13時半過ぎになり、旧知のうどん屋で昼食を済ませました。

和田さんの仏前に
岸本さんの仏前に

14時ころに妙福寺境内に着き、両親の墓掃除をしていると、彼岸前の休日で、次々とお墓参りの人が訪れていました。草を取り、花を生け、線香に火を点けて、墓前に手を合わせました。お寺は山裾にあり、山の上部に砂防施設を築く必要があるらしく、お寺の裏から中腹にかけて工事が続いていました。3年ほどかかるそうです。

治水工事

15時前に出て帰る途中で、お世話になった喜多孝さんのお宅に寄って仏前に手を合わせて奥さんと懇談し、さらに庄公寿さんのお宅に寄るなど、気に懸かっていたことを済ませ、18時過ぎに外で夕食を済ませて、21時前の帰宅となりました。

喜多さんの仏前に

 

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3月16日、事務所、十六年会

十六年会

未明から冷たい雨で、二月の気候に戻ってしまいました。昼食後、13時過ぎに出て法律事務所に入り、17時半過ぎまでデスクワークや電話連絡をしました。

事務所で

一度帰宅して、直ぐに妻に送って貰い、19時から2時間強、昭和16年生まれの友人ら数人の「十六年会」の定例会に出席し、おいしい料理とお酒に楽しい会話で、あっという間に2時間が過ぎました。森友事件は、個別の「事件」の異常さもさることながら、「官僚制」の劣化や「国民主権」の風化といった本質的な危機の進行で、政治こそが重大責任を負わなければならない事態だと思います。まずは事実の解明にしっかりと取り組むことが大切です。

十六年会

 

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3月15日、コブシ、おむつ畳み、事務所

おむつ畳みの皆さんと

今日も温かく、高知で桜の開花が確認されました。昼過ぎに出掛ける際、庭を見ると、シデコブシが純白の花を開き始めていました。

庭のシデコブシ

12時半から1時間半ほど、妻が友人たちと長く行っている社会福祉法人旭川荘のおむつ畳みの皆さんの昼食に合流しました。

14時ころに法律事務所に入り、17時過ぎまでデスクワークと電話連絡などをしました。

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3月14日、「えだまりこ」、天プラ(陶心会、美術クラブ、樹の会、俳句の書)、徹磨さん、番町文庫

書道展で

関西の親族からサプライズが届きました。私たちの長女は「真理子」なのですが、なんとその名前のお菓子が売られていたというのです。関東では発売されていると聞いていましたが、まだ岡山には来ていません。

「えだまりこ」

そんなこんなで、電話連絡などをしているうちに時間が経ち、12時過ぎに妻とともに出て、昼食や所用を済ませて天神山文化プラザに行き、展覧会を鑑賞しました。まず備前陶心会展で、若い備前焼作家の野心作が並んでいました。次いで岡山美術クラブ展で、木彫の児島高義さん、染色の崎坂洋子さんと田中宏子さん、賛助出品で講師の神崎順治さんなど、多くの旧友たちが出品していました。さらに油絵の樹の会展を見、最後に岡山県「現代俳句の書展」では会長の小竹石雲さんが案内してくれました。

陶心会展
美術クラブ展
樹の会展

15時ころ、県議会の現場から突然に病気で姿を消した森本徹磨さんのお宅に伺い、仏前に手を合わせました。時の経つのは早いもので、もう13回忌が済みました。16時半ころ、法律事務所に入ってデスクワークを済ませ、一度帰宅して、19時ころ妻とともに番町文庫で夕食を済ませました。

徹磨さんに手を合わせ
番町文庫で

 

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3月13日、所用、浅口市長選、電車

デスクワーク

早朝から電話連絡があり、昼食後に妻とともに出掛けて、所用を次々と済ませました。上京の切符のために岡山駅に寄ると、今日が中学校の卒業式とのことで、子どもたちが奇抜ないで立ちでたむろしていました。

岡山駅前の若者

15時ころに法律事務所に入り、電話連絡やデスクワークをしました。4月15日が投開票の浅口市長選挙に、私の事務所のインターンから志を立てて市議1期目の福田玄君が、ぎりぎりまで弓を引き絞った上で、つい先日矢を放ちました。36歳の若者だから出来る無謀な挑戦です。

18時過ぎに出て、路面電車で終点の東山電停まで行き、妻に迎えに来て貰いました。

路面電車「たま」

 

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3月12日、所用、誕生祝、デスクワーク

回転寿司で夕食

午前中は自宅で雑用をして過ごしました。豊後梅が満開になりました。

庭の豊後梅が満開に

12時前に妻とともに出て所用を次々と済ませました。孫の一生君のお誕生祝のおもちゃを買いに店に寄ると、こいのぼりが林立でした。

こいのぼりが林立

14時過ぎに法律事務所に入り、デスクワークや電話連絡をし、15時半過ぎにももちゃんと一生君のお宅に寄って、お誕生祝にケーキを食べ、暫く一緒に遊びました。二人とも元気一杯で、ちょっと遊ぶと私たちがくたくたになってしまいます。18時前にお別れし、妻と二人で外で夕食を済ませました。

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3月11日、大震災7周年、こぶこん

「こぶこん」の山田さんと

東日本大震災から7年が経ちました。午前中はテレビを見ながらゆっくり過ごし、12時45分頃に妻と出て、友人夫妻を誘って4人で総社市民会館に駆け付けました。

 

14時から2時間強、合唱団こぶの「こぶこん’18」を鑑賞しました。総社市有志の50人弱の混声合唱団で、昨年は全日本合唱コンクール全国大会で銀賞を受賞しました。私の秘書から総社市議に初当選した山田雅徳さんの妻の恵さんも団員で、今回のご案内をいただきました。

オープニングは指導者で現在中学校長の大山敬子さんの指揮による「笑いのコーラス」で、直ぐに第Ⅰ部の「ゆめ、つながる、そして未来へ」で「願い事の持ち腐れ」、「言葉にすれば」と「手紙~拝啓 十五の君へ~」となりました。さらに高嶋昌二さんの指揮に代わって第Ⅱ部の「二つの祈りの音楽」で高嶋さんの朗読に続いて「混声合唱とピアノ連弾のための『二つの祈りの音楽』」となり、その途中で大震災発災の14時46分となったので、終わって全員で黙とうを捧げました。

オープニング

休憩に続いて高嶋さんの指揮による第Ⅲ部「素晴らしき人生」で「中国地方の子守歌」、「少年時代」、「ヨーデル食べ放題」、「素晴らしき人生~18才と81歳の違い~」、「群青」と「Jupiter」となり、長坂拓己さんのヴァイオリンも入りました。そこで片岡聡一市長の挨拶があり、大山さんの指揮で第Ⅳ部「コンクール報告演奏」で課題曲の「子どもは…」と自由曲「水ヲ下サイ」と「夕焼け」となり、最後にエンディングで参加者全員で「花は咲く」を合唱しました。

高嶋さんの指揮

終了後に外に出ると、団員の皆さんが送りに出てきてくださり、山田恵さんと写真を撮りました。震災の記憶を反芻しながら、楽しいひと時を過ごし、17時半ころに帰宅しました。

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3月10日、民進党県連常幹、大塚代表、県連大会、結束

民進党県連大会で

9時半に自宅を出て、10時から1時間ほど、民進党岡山県連の常任幹事会に出席しました。午後からの大会に提出する議案などを決定するもので、髙橋徹幹事長の司会で、まず難波奨二県連代表が冒頭挨拶で要点に絞って国政などの報告をし、髙橋幹事長が招集経過と提出議案の説明をして議案を確定し、今日の流れを決定しました。さらに秋久憲司津山市議から同市長選挙の報告が、髙橋幹事長から県内の3党合同選対などの報告が、鳥井良輔県議から自治体議員団長に小林寿雄岡山市議が就任した旨の報告がありました。暫時休憩を挟んで、党本部から大塚耕平代表が到着し、挨拶を受けました。その後、三宅和広県議、森山幸治岡山市議らと昼食を取りました。

県連常幹
発言
大塚代表も駆けつけ

13時から3時間強、民進党岡山県連の第3回定期大会に出席しました。代議員のほか多くの傍聴者も参加して、高原俊彦県議の開会挨拶に続いて議長選出などの大会構成手続きを行い、難波県連代表が挨拶をし、来賓となって大塚代表が挨拶で現在の野党結集に臨む方針などの説明をし、武久顕也瀬戸内市長と金澤稔連合岡山会長に続いて政党に移り、立憲民主党の高井崇志さん、希望の党の津村啓介さんと柚木道義さん、さらに社民党の宮田代表の各挨拶をいただきました。さらに出席地方議員の紹介がありました。

県連大会全景
役員席で

各党から高井、津村、柚木、宮田各代表ら

その後、髙橋幹事長から各議案の提案があり、役員選挙の公示と立候補受付があり、活動方針につき数人の緊張した質疑を受けて執行部の答弁があり、すべての議案が挙手採決で承認・決定されました。新役員は、定数通りの立候補となったので拍手で承認し、新役員紹介で私も顧問として登壇し、議長解任などがあって、小林市議が閉会挨拶をして、難波代表の音頭で頑張ろう三唱をして幕を閉じました。

頑張ろう三唱

その後、ホテルロビーのひな人形を見ていると、結婚披露宴を終えた新郎新婦らに求められて記念写真を撮りました。国際情勢も大きな動きが起き始め、森友問題は新展開となり、働き方改革の欺瞞も明らかになって、政治状況は目が離せなくなってきました。野党の結束が極めて重要です。

ひな人形
披露宴を終えた新郎新婦ら