日ロフォーラム基調挨拶を掲載しました

2017年9月19日

日ロフォーラム

「日ロおよび周辺国の平和と民間交流」

日本国・第27代参議院議長 江田五月

 

はじめに

 

ご出席の皆さま。まず始めに、本フォーラムにお招きいただいたことに感謝申し上げます。

このところ東アジアは、極めて視界不明瞭になってきました。北朝鮮の理解困難な動向だけでなく、日本とロシアの間でも、また日中や日韓でも、様々な問題を抱えています。そのような中で、かつては活発な交流があったロシアとの関係が、最近見るも無残に減ってしまったことを憂慮している往年の闘士の皆さんが奮起して、「日ロクラブ」を立ち上げ、このようなフォーラムが開催されるに到りました。大変意義深いことだと思います。開催の労をとられた皆さまに敬意を表し、お礼を申し上げます。お互いに率直な意見交換を通じ、相互理解が深まり、日ロ関係のみならず東アジア周辺国の平和と民間交流促進をはかる上で有意義な示唆が得られる会議となることを期待しています。

 

私のソ連・ロシアとの関わり

 

お話を始めるに当たり、自己紹介もかねて私とソビエト連邦やロシアとの関わりをご紹介します。私はかつて、1960年代初めの学生運動により大学を退学処分となっていた間に、半年かけて東欧から当時のソ連を旅したことがあります。日本の門司港を貨物船で出港し、1か月半掛けて当時のユーゴスラビアに着き、2か月かけて各地を見て回りました。トルコまで走る幹線道路の工事現場でスコップを持ったこともあります。さらにウィーンからチェッコスロバキアを経てポーランドに行き、アウシュビッツも訪ねました。さらにワルシャワからモスクワに入って1か月ほどソ連に滞在し、青年組織のお世話で国際セミナーに出席し、クラスノダールで農村を視察し、ハバロフスクを経てナホトカから船で横浜港に帰りました。今は忘れてしまいましたが、各地で多くの友達が出来ました。そこで思ったことは、体制よりも人が大切だということです。もっとはっきり言えば、当時ソ連は「共産主義の第2段階」と言っていましたが、私にはその空虚さばかりが目についたのです。

私の父は日本社会党という政党で委員長代行や書記長、さらに副委員長を歴任しましたが、社会党政権を目指して「江田ビジョン」とを提唱したことがあります。これまで人類が達成した成果を挙げれば、アメリカの豊かな生活水準、ソ連の徹底した生活保障、イギリスの議会制民主主義、日本の平和憲法の4点に集約され、このすべてを引き継いでさらに花開かせるのが新政権の目標だというもので、ソ連の生活保障制度を高く評価していましたが、実際はソ連邦の首脳の皆さんとの面識は薄かったと思います。

1977年にその父が急逝し、私が後を引き継いで国会議員になった時に、秘書として支えてくれたのが、石井紘基さんです。彼は1965年にモスクワ大学大学院に留学し、留学中に出会ったナターシャさんと結婚して修了後に一緒に帰国し、父と私の二代にわたって支えてくれました。ここ沿海州に学校を設立することを夢見ていましたが、残念ながら暴漢の凶刃に倒れました。

私は社会民主連合という小さな政党の代表として、ゴルバチョフ大統領や大統領になる前のエリツィンさんらが訪日された時に意見交換を重ねました。ペレスイトロイカやグラスノスチという言葉が盛んに話されていました。さらに2009年10月には参議院議長として訪ロし、当時のミロノフ連邦院議長やラブロフ外相、グルィズロフ国家院議長らと会談しました。ロシアがアジアの各種の国際組織に席を連ねたいと、しきりに言われていました。しかし残念ながら、プーチン大統領とは直接お目にかかったことはありません。今回のような政治フォーラムへの参加は、40年における国会議員時代にはありませんでした。

 

日ロ間に横たわる問題

 

日ソは戦後の冷戦時代には東西に陣営を異にし、困難な歴史を辿ってきました。しかしその間にも、今回ご参加の皆さん達が様々なチャネルを開拓し努力をしてきましたが、最近はそのパイプも先細って次世代への引き継ぎは容易でないと言わざるを得ません。しかし、日ロ両国は昔も今も、東アジア太平洋地域における主要な両国であり、お互いに引っ越すことが出来ないことはこれからも変わりありません。両国は10年前くらいから「日露行動計画」に沿って、政治対話、経済関係、青年交流などの分野で関係構築を進め始めましたが、特に経済関係については、エネルギー、通信、製造業と随分すそ野が広がってきました。そして、2012年にプーチンが大統領に再登板してからはそれが加速しました。また、プーチン大統領は「北方領土問題を最終決着させたいと強く望む」として問題の解決に強い意欲を見せるようにもなりました。皆さんご存知の通り両国間では未だ平和条約が締結されていないのです。

安倍首相は2013年に、日本の総理大臣の公式訪問としては10年ぶりとなる訪ロを皮切りに、驚くべきハイペースで首脳会談を重ねています。日ロ両国間で平和条約が締結されていない状態は異常であるとの認識のもとで、安全保障分野では外務・防衛閣僚による「2+2」会合の立ち上げ、経済分野では極東・東シベリア地域の発展のために官民協議を開催すること等で合意しました。しかし、その翌年に発生したウクライナ問題に端を発したロシアのクリミア併合に起因するロシアと欧米各国との対立を背景に、ロシア閣僚らによる北方領土訪問が累次行われるなど、北方領土問題解決を目指す平和条約締結交渉をはじめとする両国間の対話は度々停滞しました。

しかし昨年、両国の関係改善の努力は新しいステージに入りました。安倍首相は昨年5月の首脳会談の席で、北方領土問題について、今までの発想にとらわれない「新しいアプローチ」で交渉を精力的に進めていくとして、8項目の「協力プラン」(*)を提案し、プーチン大統領からは、政治的な課題を含む問題解決のための環境作りとなる旨の高い評価が示されました。その上で、つい先日、ここウラジオストクで行われたロシア政府主催の東方経済フォーラムが開催され、この会合を今後も継続して行い、日・ロ・韓の首脳が集って東アジア地域の将来を考える機会とすることも期待されています。しかしながら、北朝鮮の金正恩体制が不安要因となり、さらにアメリカにトランプ体制が誕生し、韓国も朴槿恵さんの失脚により文在寅(ムン・ジェイン)さんに大統領が変わり、こうした大変化の中で、北朝鮮は核開発の動きを隠そうともせず、ミサイル発射実験を繰り返す不安定な状況となっています。北朝鮮の動きを受け、朝鮮半島周辺で米軍が活発に活動していることへの警戒から、北方領土への日米安全保障条約適用の可能性が指摘され、ロシアからは強い懸念が示されています。

(*)①健康寿命の伸長、②快適・清潔で住みやすく活動しやすい都市作り、③中小企業交流・協力の抜本的拡大、④エネルギー、⑤ロシアの産業多様化・生産性向上、⑥極東の産業振興・輸出基地化、⑦先端技術協力、⑧人的交流の抜本的拡大

翻って、国境を超えた人と人との関係を見ると、たとえば日中間では、魯迅や孫文のような著名人から全くの市井の人々に至るまで、厚い人間模様が繰り広げられています。日韓関係も同じです。しかし日ロ関係ではどうでしょうか。片山潜や大鷹淑子さんのケースなどもありますが、極めて限られているのではないでしょうか。ロシアの大きな部分が東アジアに属しているのに、人間同士の絆の細さがこれでよいわけがありません。

 

東アジアの平和構築

2009年に私の所属していた民主党が政権に就いた当初、「東アジア共同体」の構築が政権により提唱され、盛んに議論が行われました。ご記憶の方もおられると思います。ロシア側から、その構想に注目しているとの声も、私のところに届きました。しかしその後、日ロ関係も、日中関係も日韓関係もそれぞれ、いろいろと困難な問題が生じてしまい、北朝鮮問題に至っては金正恩体制になって以降「6か国協議」も開かれず、今ではこの「東アジア共同体」は死語に近いものになってしまいました。残念に思います。

昨今のことは脇に置くとしても、そもそもヨーロッパとは異なり、東アジアの複雑な現実を考えると、「東アジア共同体」など夢物語だという意見があることは、私も承知しています。ヨーロッパではEUが、いろいろ問題を抱えながらも、一人の共通の大統領を選ぶところまで来ています。そのような構想は、この東アジアにおいては非現実的ということは、直ちに輸入できるものではないという点では、私もそう思います。しかし、そのような東アジアにおいても、少なくとも「経済」の分野では、実はすでに着々と共同体的な関係に向けて現実が動いていることも、皆さまご存知のとおりです。私は、東アジアの土壌や地政学的環境を踏まえた東アジアらしい「共同体」を目指すという指向性があっても、何もおかしいことではないし、私たちはそのような目標を構想すべきだと思います。

私たちはお互いの間のわだかまりを捨て、東アジアにおける共生、共創、共栄の関係の構築を目指さなくてはなりません。競争ではなく共に創る「共創」です。やはり東アジアにおいて、経済をはじめあらゆる面で大きな存在感を持っている日本、中国、韓国の間の協力と、そしてこれにロシアが加わることが、こうした関係構築の鍵を握っていると思います。

ヨーロッパにおいては、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体から今日のEUに行き着くまで、政治家をはじめ各界のリーダーたちの大変な決断と努力がありました。東アジアにおいても、そこで厳しく試されているのは政治のリーダー達の強い意志と高い志だと思います。折々の荒波にたじろぐことなく、それぞれの側に立って煽り立てるメディアやネットに動かされる移ろいやすい世論や国民感情に流されることなく、毅然とした姿勢で困難に立ち向かい目標に向けて歩を進める決意と覚悟の問題です。ロシアも東アジアサミットやアジア開発銀行に参加できないのはおかしいと思います。

 

平和実現のための民間交流

 

私が会長をしている公益財団法人日中友好会館は、日中間の青少年交流の実務を担当していますが、一時は中国側の意向で中止、延期に追い込まれました。最近になって次々と再開の運びとなり、ホッとしていますが、日中の政治・外交関係が厳しい状況になったときに、民間交流まで大変な困難を経験したのは事実です。政治や外交の場面で難しい問題が起きると、その分野での人の往来に支障が出るのは仕方ないとしても、それ以外の分野での人の交流が、中国側の意向により、次々と止められたのです。困難な時だからこそ未来のために必要だと思われる青少年などの交流事業が、直前になって突然中止や延期となると、折角中国の青年たちとの交流を楽しみにしていた日本側の受け入れ先は、つまり訪問先の学校やホームステイ先のご家庭では、大きな困惑と迷惑が広がり、「もう中国との交流はご勘弁を」ということにもなるのです。これは大変に残念なことでした。折角、日本政府が大事な事業としてその意義を認めて用意した多額の予算も消化できず、かなりの額を返納せざるを得ませんでした。同じ時期に日本は、台湾や韓国との間でも、同様に困難な問題を抱えておりましたが、こちらでは交流事業は、何事もなかったように予定通りに進められたのです。

政治や外交の分野で問題が起きているからといって、本来これと関係のない青年交流、文化行事、地方同士の交流にまで、累を及ぼさないで欲しい。政治や外交と人の交流は無関係ではないという理屈もあるでしょうが、お互いの未来のために、敢えて「関係ない」という決断をして欲しい。ところで、日本とロシアとの青少年の交流はどうなっているでしょうか。少なくとも私の回りでは、活発な交流が行われているとは感じられません。残念な事です。特に極東では、日本とロシアは細い海を隔てただけの近い関係にあり、例えば、シベリアで火傷した子供を北海道で治療することができるような地理的関係の隣国なのです。日本には、たとえばチェルノブイリで被災した子供たちを日本に呼んで、交流を重ねる民間の皆さんもいます。もっと活発な民間交流の必要性をここにきて、改めて感じているところです。

 

東アジア – 共生・共創・共栄の世界を目指して

 

最後に、これから私たちの東アジアはどこを目指すべきなのでしょうか。

一昔前のように、どこかの国がリーダーシップを取って引っ張っていくという上下の形ではなく、それぞれの国が相互に長短相補って、全体としての平和と繁栄を目指すべきだと思います。私が言う「共創」は、そういう意味です。そして「経済」の世界では、そのことはとっくに始まっています。

45年前、日本と中国が国交正常化を実現したとき、当時の日中双方の政治リーダーたちの間でしばしば、日中間の平和・友好・協力関係は、両国の利益に留まらず、アジアの利益や世界の利益となるのだと言われました。ところが最近は、ともすれば、日本も中国も、狭い意味での両国関係のマネージメントに目を奪われ、しかもしばしば負の問題への対応に追われて、国交正常化当時の両国のリーダーたちの意気込みが忘れられがちなのが残念です。世界にとっても大切な日ロ関係や日中関係や日韓関係という大切な二国間関係を、さらにそれらを含む多国間関係を、“歴史”と“島” の問題に限局された関係にしてはならないと思います。

そうして、繰り返しになりますが、そこで試されているのは、それぞれの側の政治のリーダーたちの強い政治的意志と勇気だと思います。

私たちの東アジアにとって、21世紀が新しいページを開く明るい時代になることを強く願って、私の話を終わります。