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4月15日、自粛、高井事件、指導者、歴史、野党

自宅で執務

昨日とは一転、素晴らしい春爛漫の陽気となりましたが、自粛要請の最中で、終日自宅に籠り切りでした。 事務所との電話連絡の外、高井崇志議員の不始末につき、電話連絡が相次ぎ、結構忙しく過ごしました。

国民こぞっての行動自粛が求められているときに、これを求める立場にある国会議員が、これと正反対の行動をしていたのですから、弁解の余地はありません。野党議員は、政府や与党を監視して過ち無きを期する重要な職責があるのであって、より強い自覚が求められるのです。

友人からイギリスのエリザベス女王とドイツのメルケル首相のメッセージを送って貰い、私のホームページに掲載しました。どちらも素晴らしく、女王のメッセージは、声を出して読んでみましたが、途中で涙で声が詰まりました。彼我の政治指導者の質の違いを痛感しています。

コロナ禍の収束がどういう形になるか、まだ不透明ですが、ヒト・モノ・カネ・情報の国際化が一気に進んだ現代史が、大きな転換期を迎えたのだと思います。ペスト禍後やスペイン風邪後にも匹敵する世界史の大変化が、人類の明るい未来につながるように、英知を絞らなければなりません。経済一つ取って見ても、決してV字回復などではあり得ません。みんなの理解と納得を基調とする日本型の柔らかいシステムが、この変化を主導することになれば、強権的権力で乗り切るよりずっと明るい未来を展望することが出来るでしょう。

英国は、保守党政権で第2次大戦を乗り切り、その後は労働党政権で福祉優先の戦後史を開きました。大変化の時には、次の主導権を握る交代勢力の存在が重要です。今こそ日本でも、野党がその準備を整えなければなりません。立憲民主党も、一日も早く高井氏の不祥事という禍を福に転じ、自重自戒して前に進む時です。

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4月14日、春、弁政連、事務所

岡山弁護士会館で

夜半まで雨が降っていたようですが、明けると一転、快晴となり気温もぐんぐん上がって来ました。午前中は自宅でゆっくりと、テレワークとデスクワークをしました。

14時45分に出て岡山弁護士会館に行き、15時15分から、日本弁護士政治連盟岡山支部の定期総会に出席しました。コロナ禍を考え、当初の予定を変更して、集まれる人だけで必要最小限のことだけをしようということで、10名余の出席で、中野惇支部長の開会挨拶に続いて昨年度の活動報告を了承し、議事を最小限にとどめて質疑もなく了承し、最後に近藤幸夫さんの日弁連副会長退任挨拶を聞き、15分程度で終了しました。

16時前に法律事務所に入ってデスクワークや電話連絡をし、18時ころに帰宅しました。その後も、電話連絡が続きました。

事務所で

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4月13日、寒さ、フリージア

庭のフリージア

4月中旬でこの寒さは、これまで経験したことがありません。

半世紀近く前に、千葉家裁に赴任して直ぐに職員とともに桜を見に行った時が、このような寒さでした。書記官の一人が分厚いコートを貸してくれ、その暖かさが身に染みたので、今でも覚えています。4月初旬のことでした。

終日、自粛要請に応えて、自宅から出ませんでした。玄関先のフリージアが、きれいに咲き誇っていました。そろそろ終わりです。

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4月12日、氷雨、ボタン

開花目前のボタン

気温がぐっと下がり、その上冷たい雨が降り続き、とても外出したくなる空模様ではありませんでした。終日自宅で、無為に過ごしました。

庭を見ると、いまにも開きそうなボタンのつぼみが雨に濡れて震えていました。

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4月11日、コロナ禍と憲法、草取り

庭の草取り

コロナ禍の拡大が止まりません。休業要請が間に合ったのかどうか、気になります。

この際改めて、憲法25条2項と29条3項を熟読してみる必要があると思います。コロナ禍との関連で憲法を論じるなら、国民生活の中で憲法がどう機能しているか、どう機能させなければならないかこそ、いま論じるテーマだと思います。国民の健康という公共目的のために、休業という私的権利の制約を求めるならば、補償とセットが必要というのが憲法の考え方だと思います。

終日自宅に蟄居していました。16時半ころから短時間、思い付いて庭に出て草取りをしました。荒れ放題になっています。

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4月10日、春の海、ももちゃんら

東宝伝の海

春爛漫なのにコロナ禍で、やりきれない一日でした。庭には、以前に植えたチューリップの生き残りが一輪、きれいな花を付けていました。

生き残りのチューリップ
スオウは満開

午後まで自宅に蟄居し、15時半ころになって妻とともに出て、岡山市東区宝伝に海を見に行きました。港も海水浴場も、人影も物音もほぼなく、ウグイスの囀りが遠くに聞こえるだけでした。

宝伝港
西宝伝
海水浴場

帰路は麦畑が広がっていました。

麦畑

19時過ぎから2時間半ほど、ももちゃん宅でみんなで鍋を突きました。今日は一生君の小学校一年生の入学式で、ももちゃんは四年生になりました。岡山市は学校は開いていますが、落ち着きません。

ももちゃんと一生君

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4月9日、コロナ、事務所

事務所で

今日もうららかな春の一日でしたが、岡山県でも新型コロナウイルスの感染は広がるばかりで、15人目が出ました。20代の女性で、友人らと近畿地方に旅行に行って貰ってきたようです。

午後まで自宅でテレワークで、パソコンで不動産関係の案件の報告書などを起案し、法律事務所に送って処理を指示し、15時に出て事務所に入り、15時半から17時過ぎまでデスクワークをしました。

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4月8日、昨夜、事務所

事務所で

昨夜はスーパームーンで、わが家でも庭の白松の向こうに奇麗な満月が見えました。

白松の向こうにスーパームーン

緊急事態宣言から一夜明けて、春爛漫の日和をよそに、誠に静かな街の風景となったようです。午後までテレビを見ながら電話連絡でテレワークをし、14時半過ぎに出て法律事務所に入りました。事務員への指示は電話で出来ますが、事務員は事務所に出勤していなければ仕事が出来ず、私自身も書類を読んだり資料に目を通すには、事務所に出ることが必要です。

不動産関係の民事案件の処理をし、さらに政治案件につき電話相談をして、18時過ぎに出て帰宅しました。

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4月7日、宣言発令、岡弁憲法委、議運中継

岡弁憲法委

テレビは終日、新型コロナウイルス禍を巡る動きと、特に緊急事態宣言発令のニュースで溢れました。午前中は電話連絡などをし、11時半過ぎに出て法律事務所に入り、若干のデスクワークをしました。

事務所で

12時半から岡山弁護士会館で、同会の憲法委員会の今年度初回会合に出席しました。全員マスク着用で緩やかに着席し、委員長に則武透さんを選び、今年度毎月一回の日程を決定して、13時前に終了しました。

その後、さらに法律事務所に戻って短時間だけデスクワークをし、衆参の議院運営委員会のテレビ中継を見ながら帰宅しました。安倍首相による宣言発令前の報告と短時間の質疑で、野党は補償の位置付けを質しました。参議院では、立憲民主党の福山哲郎さんが憲法29条3項に言及していました。

14時ころに帰宅して、その後は自宅で過ごしました。

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4月6日、事務所、取材

電話取材

昼過ぎまで自宅で電話連絡等をし、15時過ぎに出て法律事務所に入ると、そこに東京から全国紙の記者から電話が入り、取材を受けました。新型コロナウイルス感染対策としての休業に伴う経済的損失とその補償について、私の考えを聞かれ、公共の要請と私有財産の補償の関係を規定する憲法29条3項の理念を説明しました。私は半世紀ほど前に、予防接種と補償の関係につき、同様の考えを示したことがあります。判事補時代のことです。

その後、18時ころまでデスクワークをし、19時前に帰宅しました。