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12月8日、死刑を考える集い、交流会、ゴンザレス君

死刑を考える集いで

急に寒くなり、午前中は自宅でゆっくり電話連絡などをしました。12時半に妻に送って貰い、13時から、「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」主催の「山下貴司法相地元・岡山で死刑について考える集い」に出席しました。まず2時間弱、韓国の映画「赦し その遥かなる道」を鑑賞しました。死刑が言い渡された事件の被害者遺族や加害者親族の心情を描き、許す者と許さない者の両者が登場し、死刑問題を宗教的立場から考える問題提起の作品でした。

14時40分ころから、次のシンポジウムの簡単な打ち合わせをし、15時から1時間半弱、安田好弘弁護士のコーディネートで中村有作弁護士と私とがパネリストになって、死刑についてのシンポジウムを行いました。先日のオウム事件の13人死刑執行の感想から話が始まり、私は、司法修習生時代の思い出、「死刑廃止論」書評のこと、法相と刑法の規定、法相時代の経験、誤判のおそれなどについて話しました。極力、抑制に努めたのですが、時々語調がきつくなり、反省しています。

集い全景
発言

終了後、主催者の代表が山下法相の地元事務所に死刑執行抑止の要請書を届けました。その後、会場を移して17時から1時間半弱、参加者有志の交流会に出席し、安田さん、中村さんや主催者の皆さんらと懇談しました。

交流会

中座して徒歩で移動し、19時前から3時間ほど、ロドルフォ・ゴンザレス君のお誘いで妻も加わって夕食会を開きました。彼の母親は私の竹馬の友で、メキシコのグアナファト州に住んでおり、彼は同州経済開発省と同州レオン市の各日本代表を務めています。日本とメキシコの経済関係をはじめ話題は豊富で、楽しい会話と美味しいお食事で夜が更けていきました。

ゴンザレス君と

 

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12月7日、ADRA、事務所

ADRA写真展で

午前中は自宅でゆっくりとデスクワークなどをしました。13時過ぎに妻と出て、落葉の散らばる岡山駅などで所用を済ませ、14時から国際NGOのADRA Japanによる写真展「笑顔―戦争・貧困のない世界へ―」を見ました。アジアやアフリカにある戦争や貧困の地域で見られる子どもたちの笑顔の写真がたくさん展示され、心を打たれます。

駅前広場の落葉

15時過ぎに法律事務所に入り、17時半ころまでデスクワークや電話連絡をしました。

事務所で

 

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12月6日、電話連絡、内藤さん、高原県議、佐々木弁護士ら

内藤正光さんと

妻は朝から社会福祉法人のおむつ畳みのボランティアに出掛け、私はゆっくり起きて朝食を食べながらいろいろと電話連絡などをしました。13時過ぎに出て、昼食の後に来岡中の内藤正光さんを岡山駅に出迎え、14時半過ぎから1時間ほど法律事務所で懇談しました。NTT出身で民主党で参議院議員を2期務め、その後はご自分でIT関係の事業を起こして頑張っています。

その後、15時半過ぎから1時間弱、立憲民主党岡山代表代行の高原俊彦県議が訪ねてきて、地元の懸案につき意見交換をしました。大きな方向ではみな意見一致でも、個別の課題になると様々な意見があり、調整役は苦労します。その後、18時前までデスクワークをしました。

18時から、江田法律事務所の江田剛所長弁護士の元上司の佐々木斉弁護士ご夫妻と剛弁護士とともに、年末夕食会を開き、2時間強、楽しく談笑しました。

佐々木弁護士夫妻と

 

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12月5日、加藤千穂さん、事務所、一人江田鍋

事務所で電話連絡

小春日和よりもっと温かい、しかしほとんど日照りのない、形容の難しい初冬の一日でした。午前中は自宅で電話連絡などをしました。荒井聡さんの秘書をしていた加藤千穂さんが、来夏の参院選栃木県選挙区に立憲民主党公認で立候補することが正式決定となりました。連合栃木や各野党の理解も得ており、一名区で野党一本化候補になる可能性が高く、全国のモデルケースになりそうです。

15時過ぎに出て16時前に法律事務所に入り、電話連絡やデスクワークをして、18時前に帰宅しました。妻は番町文庫の中国語教室のため、夜は議員宿舎でよくやった一人江田鍋でした。

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12月4日、忘れ物、事務所、平和センター、案ずるより…

平和センターの会で金澤会長と

9時過ぎに携帯に連絡をいただき、昨日の忘れ物が見つかりました。ほっと一安心し、気持ちよく起床して昼過ぎまで自宅でデスクワークや電話連絡をしました。

ところが14時過ぎに出掛けようとすると、今度は車のキーが見つからず、大捜索も無駄でそのまま補助キーで出掛け、昨日の忘れ物を回収して15時半ころに法律事務所に入り、デスクワークをしました。

法律事務所で

17時半前にやっと一段落がつき、事務所を出て夕食の食材を買って、18時から1時間ほど、「岡山県平和・人権・環境労組会議」の年末懇親会に出席しました。まず県教組委員長の梶原洋一さんが冒頭に、今の政治や社会の状況を鋭く抉った胸に突き刺さるような開会挨拶をし、来賓として連合岡山の金澤稔会長、立憲民主党県連合代表代行の高原俊彦県議、脱原発運動の奥津亘弁護士が挨拶し、大先輩の森本栄さんが政府の外交を鋭く批判する挨拶に続いて乾杯の音頭を取り、懇談となりました。

梶原県教組委員長
高原県議
森本さんの音頭で乾杯!

暫く会話が進んだところで、私たちが指名されて順次来賓挨拶をしました。私は韓国最高裁の徴用工判決に対する政府と報道機関の対応に警鐘を鳴らしてみました。この問題でも、国論統一と異論排除が強烈に進んでおり、危機感を覚えます。帰宅してちょっと探すと、キーはすぐ見つかり、忘れかけていた他の遺失物も見つかりました。世の中まさに「案ずるより産むが易し」です。

私も挨拶

 

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12月3日、風邪、事務所、忘れ物

デスクワーク

風邪はおおむね治まったようですが、前回の採血の結果を聞く必要もあり、12時前にご近所のお医者さんに行き、続けてお薬をいただきました。

14時過ぎに出て、所用を済ませて15時過ぎに法律事務所に入り、デスクワークや電話連絡をしました。休み明けは、やはり未済案件がたまっており、また事務所にいると何かと仕事が出てきます。

17時前に出て所用を済ませ、18時前に帰宅しました。ところが途中で忘れ物をし、その探索のための電話連絡で大変でした。やはり歳を重ねたようです。

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12月2日、玉龍会、GLA

玉龍会例会

昨日の強行軍でいささか草臥れたのか、目が覚めたら10時でした。風邪薬を飲む関係もあり、大慌てで朝食を食べ、昼食は果物だけで、12時半過ぎに出て、13時から2時間弱、玉龍会例会に出席しました。冒頭に物故者があったので黙祷を捧げ、私が簡単に会長挨拶を述べ、来夏の玉龍会展の持ち方につき協議しました。いろいろと細かい課題があるのですが、次第に煮詰まってきており、適切な時期に結論を出せると思います。

中座して、15時半から妻とともにGLAの感謝の集いに出席しました。会場周辺が岡山市の文化施設予定地になり、買収などが進んでいるせいか駐車場が極端に逼迫してきており、若干苦労しました。今回は高橋佳子さんが横浜の巨大会場で行う講演を全国に中継するもので、4人のゲストが登場して人生の歩みを振り返りながら感動的な話をされました。そのうちの一人として、愛知県議会で新政あいち県議団に所属する中村友美県議が登場しました。さらに頑張ることと思います。帰宅は18時半になりました。

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12月1日、北九州へ、北九書の祭典等、芦屋釜、師村邸、九盦、招待会、帰岡

「九盦」祝賀会で乾杯

篆刻家の師村妙石さんにご案内をいただき、7時10分過ぎに妻に送って貰って家を出て、8時前の新幹線で小倉に行きました。中国硬筆書法協会の張華慶会長が主宰する様々な行事が行われ、参加するためです。9時半前に着き、10時から北九州市立美術館で、「北九書の祭典」表彰式と「張華慶・李冰・熊潔英展」開幕式に出席しました。中国各地のほか、韓国、台湾などからも参加者が詰めかけ、師村さんをはじめ多くの皆さんのご挨拶に続き表彰が行われ、11時からは展覧会の内覧会で、張さんをはじめ中国の書作家の意欲的で大胆な作品を堪能しました。

表彰式で紹介
中国側の作品
師村さんの篆刻

12時過ぎから魚見公園に移って、60人強の海外勢とともに昼食会で腹を満たしました。13時から「芦屋釜の里」を訪ね、長い休眠の後に再開している伝統的な茶釜の製作現場を見学し、お茶をいただき映像での解説を聞きました。

芦屋釜の製作
お茶をいただき

その後、呉昌碩の銅像を見に行きました。北九州市と中国の大連市との姉妹縁組を記念した中国式の東屋の横に、堂々と立っていました。次いで、14時半に師村さんのご自宅を訪ね、篆刻の作業場や数多くの作品を拝見し、お茶をいただきました。15時15分から、「九盦」と名付けられた「張華慶大書法芸術館」を訪ね、村山富市元首相による「九盦」の揮毫などを拝見し、参加いただいている韓国の李寿成元国務総理らと懇談しました。

呉昌碩銅像
中国風の東屋
師村さんのご自宅で
九盦で
韓国の李元国務総理と

その後、次の会場のホテルに移って暫時休憩し、18時から2時間、「九盦」の開館招待会に出席しました。主催者である師村さんや張さんのほか、来賓として中国の何振良駐福岡総領事、北橋健治北九州市長、城井崇代議士らもご出席で、何人かにご挨拶をいただいた後に多くの来賓紹介があり、私が乾杯の音頭を取って夕食懇談会となりました。中国の皆さんは皆元気が良く、あちこちで乾杯や写真撮影などがあり、大賑わいの宴の最中に、20時に退席して小倉に急ぎ、21時過ぎの新幹線で帰岡しました。大車輪の一日でした。

招待会全景
主要来賓
乾杯の挨拶
みんなで頑張ろう!
香港の皆さん

 

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11月30日、風邪、デスクワーク

自宅でデスクワーク

この数日、風邪気味だったところにちょっと無理をし過ぎたのか、昨夜から咳が酷く、10時ころにやっと起きました。朝食後、近くの内科医に行って診察を受け、薬をいただきました。昼食後も寝て過ごし、19時から夕食を食べて、やっとパソコンに向かってデスクワークに取り掛かりました。新年の挨拶など、原稿依頼がいくつかあるのです。

 

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11月29日、広島へ、世良理事長お別れ会、加藤弁護士、帰岡、羽場市議ら

加藤弁護士と

何人かの若い人たちに「レコードレンタル」を知っているかどうか尋ねてみると、知っている人が皆無だったのに驚きました。1980年ころ、若者たちの間で、レコードレンタル店から好きな曲の入っているレコードを借りてカセットテープに録音し、それを自分流に編集してマイテープを作って聞くのが流行りました。曲を提供する側からすると、収入が無くなり困るのですが、聞く側からすると、提供する側が製造するレコードと録音機器を聞く側が連結すると怪しからんというのは、提供側の勝手な言い分で、聞く側の自由も認めろということになります。問題は、レコードの著作権料が製作時しか取れないので、これが取れるようにすれば両者の対立は緩和されると考え、レコードレンタル店の商業組合を作って著作権料の管理と支払いをすることにしました。この間の対立はなかなか厳しく、私は国会議員になりたてのころに、聞く側を応援しながら両者の調整に汗をかきました。その商業組合がその後に「日本コンパクトディスク・ビデオレンタル商業組合」となり、世良與志雄さんが15年間にわたり理事長を務めていましたが、この秋に享年62歳で急逝されました。13時から広島で「お別れの会」が開かれ、10時半ころに自宅を出て新幹線で駆け付けました。大きな会場が立錐の余地の無い参列者で埋まり、故人の人柄が偲ばれました。黙祷と関係者のご挨拶などの後、代表献花になり、私も指名されて恐縮しながら献花しました。配布された商業組合の追悼集には私との写真も載っており、専務理事の若松修さんとも暫時懇談しました。

お別れ会
世良さん遺影
追悼集に写真も

その後、ホテル内で待機し、15時半過ぎに加藤高明弁護士と落ち合って、共同受任している民事事件につき打合せをした後、16時半前から1時間ほど、一緒に事件関係者と協議をしました。

18時前の新幹線で帰岡し、18時半過ぎから21時前まで、羽場頼三郎市議や上田寿子さんらと一緒に夕食を食べながら来春の自治体選挙につき意見交換をしました。何としても新しい政治文化を持った立憲民主党の存在感を示さなければなりません。

新幹線で