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11月6日、予算委、事務所、日没

電話連絡

今日も終日、雲一つない快晴の小春日和でした。13時から、衆議院予算委員会の質疑をテレビ中継で見て、14時半に出て法律事務所に入りました。電話連絡やデスクワークが多少ありましたが、それほどの滞りはなく、孫で幼稚園年長の一生君がママと顔見せたので、ちょっと寛ぎました。

17時過ぎになると、日の入りで窓の外が鮮やかに染まり、見とれてしまいました。帰宅は18時になりました。

日没

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11月5日、工事、事務所、横路さん

事務所で

13時に電気屋さんが来て、テレビの受信関係の工事が始まり、その横で昼食を食べて、14時半ころに出て法律事務所に向かいました。

15時に着き、打合せやデスクワークをしました。横路孝弘さんから新しく著した「民主リベラルの旗の下で」が送られてきて、学生時代から初当選のころまでを拾い読みしてお礼のハガキを書きました。奥さんの由美子さんも学生時代からの仲間で、私が彼らの結婚式の司会をしました。懐かしい思い出です。

17時半ころに出て帰宅しました。一日中、雲一つない快晴の小春日和でした。

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11月4日、日中書画交流展、倉敷美観地区

呉越さんと若手と

12時過ぎに妻とともに出て、国道2号線を西に走り、倉敷の美観地区に着きました。ところが到着寸前から大渋滞で、その上に駐車場が満車で、私だけが降りて13時からの「日中書画篆刻芸術交流展」の開幕式が始まったところに、会場の加計美術館に駆け付けました。

児島虎次郎・呉昌碩文化交流100周年と呉昌碩生誕175周年を記念した企画で、加計美術館の児島塊太郎館長の開会挨拶に続いて上海書法家協会の張偉生副主席や大原美術館の大原謙一郎名誉館長らの来賓挨拶があり、さらにテープカットが行われて、開館となりました。

開幕式
テープカット

早速入館し、呉昌碩の「水墨深山古寺図」や児島虎次郎の「菜果図」をはじめご出席の呉越さんや呉超さんの作品などを拝見しました。中国の若手作家の皆さんの作品も多数展示されていました。

児島虎次郎の菜果図

さらにギャラリートークやアートパフォーマンスも予定されていましたが、14時ころに退席し、美観地区を通り抜けて駐車場まで歩き、16時ころに帰宅しました。

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11月3日、タンチョウ、熊谷守一展、立民2区、GLA

タンチョウの散歩

祝日と日曜日が重なった朝、10時から11時まで、日本三名園の一つの後楽園でタンチョウの庭散歩があり、10時半前に妻と出て拝見に行きました。4羽のタンチョウが芝生の上を散歩しており、11時ころに飼育係の合図で一斉に飛び立ちました。

飛び立ち始め
飛翔

結婚式を控えたカップルでしょうか、あちこちで和服姿で記念撮影をしており、大勢の客の中からは英語や中国語が飛び交い、菊花の展示もあって世の喧騒を忘れるひと時でした。

和装のカップル
遠景は烏城
菊花展も

11時過ぎから1時間ほど、県立美術館で開催中の熊谷守一展を鑑賞しました。晩年の作品が多く展示され、虚飾を最大限に捨て去って形も色も単純化した抽象の極致の作品群に感動しました。その後、久し振りに城下公会堂で昼食をいただきました。良く流行っていました。

14時から、妻とともに立憲民主党岡山県第2区のパートナーズの集まりに顔を出しました。先日の県連の常任幹事会に出席したのが私だけだったので、私から常幹の報告をし、さらに国政の問題状況につき私の見方を述べました。主要閣僚が二人も相次いで、ともに最低限の政治倫理にも悖るお粗末な粗相で辞職し、教育を預かる閣僚が「身の丈」発言で教育の基本に対する無理解を天下に晒しているのですから、野党の役割は限りなく重要です。

立民岡山2区の集まり

40分ほどで退席し、15時過ぎから妻とともにGLAの高橋佳子さんの講演会に出席しました。横浜会場での講演の中継で、大きな会場が満席となり、高井崇志さんや原田謙介さんの顔も見えました。16時前に終わり、暫く皆さんと言葉を交わして、18時前に帰宅しました。

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11月2日、田主さん葬儀

田主さん葬儀

12時半過ぎに妻と出て、山陽道を西に走り鴨方インターで降りて、田主智彦さんの葬儀に駆け付けました。鴨方町長を4期に続いて合併後の浅口市長を1期務められ、この間一貫して私たちを支援してくれました。奥さまは私の高校同期生です。

14時の開式の15分ほど前に着いたのですが、既に駐車場はほぼ満車。式場は控えの間も一杯で、故人の人徳を偲ばせました。読経から親族焼香を経て私たちも焼香し、初七日法要と喪主の挨拶となり、故人が亡くなる数日前に書いたお別れの言葉が披露されたのには驚きました。さらに棺内に花を備えて故人を拝顔し、お別れさせていただきました。15時半過ぎに親族のみのお別れとなり、本当に多くの人が見送る中で16時前の出棺となりました。行年82歳。合掌。

棺に花を供えて

帰路も同じ道を通り、国道2号線に降りると大渋滞で帰宅は17時半前になりました。

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11月1日、中弁大会、死刑廃止決議、事務所

中弁大会

中国5県に一つずつある弁護士会で構成された「中国地方弁護士連合会」の今年度の大会が、岡山で開かれました。午前中のシンポジウムは欠席し、13時からの大会に遅れて14時半過ぎから出席しました。

ちょうど広島弁護士会提出の「死刑制度の廃止を求める決議(案)」の審議が始まるところで、まず提案理由説明があり、質問が4人から出され、討論に入りました。熱心な意見陳述が続き、賛成9人、反対3人、棄権1人の意見が終わったところで最後に私が発言を求め、法相当時の経験や団藤教授の「死刑廃止論」の書評を書いた当時のこと、死刑判決の執行命令だけが法相に委ねられている理由などに触れて、国家が超越的存在でなくなってきたのが世界史の流れで、それが世界で死刑廃止が大勢になってきた理由であることを指摘して、賛成論を述べました。短時間のため意を尽くせませんでしたが、拍手をいただきました。そこで議場閉鎖となり、採決の結果、賛成153、反対30、棄権51で可決となりました。その後、さらに議事が続いて休憩となり、40年勤続表彰や来賓挨拶などが続きました。

河原君の賛成討論
伊藤茂昭さん
40年表彰

17時過ぎに中座して法律事務所に入り、若干のデスクワークをして帰宅しました。

事務所で
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10月31日、首里城火災、法相辞任、事務所

事務所で

6時ころにスマホの音で目が覚め、首里城の火災を知ってテレビに釘付けになりました。続いて河井法相辞任のニュースが飛び込みました。意味合いは違いますが、いずれも重大事件で、午後まで自宅でテレビから離れられませんでした。

14時半に出て法律事務所に入りました。1時間ほど、デスクワークなどをして、16時過ぎに出て所用を済ませて帰宅し、18時過ぎから夕食となりました。外は穏やかな秋晴れの一日でした。

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10月30日、所用、事務所、閣僚適格

事務所で

10時過ぎに出て市の西部に行き、11時前の予約をいただいていた所用に取り掛かりました。なかなか難問で、12時半まで掛かりました。

13時に事務所に入り、打合せやデスクワークを済ませて出たのが14時になり、帰宅して14時半から昼食となりました。

経産相が不適切な言動で辞任したばかりですが、何と法相らにも同様の事態が出て来そうです。任命責任は、口だけで済ますわけにはいかないと思います。

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10月29日、揮毫、市民ネット報告会

市民ネット報告会

朝から雨。この秋は、本当に空模様が落ち着きません。午後までゆっくりし、15時過ぎにやっと腰を上げて、揮毫に取り掛かり、事務所の年賀状用の「謹賀新年」を仕上げました。

揮毫

18時に出て市内西部に行き、18時半から20時過ぎまで、岡山市議会の「市民ネット市政報告会」に出席しました。羽場頼三郎さん、下市このみさんと鬼木のぞみさんの3市議で作る会派で、それぞれ15分間、学校現場の勤務時間、認知症サポーター養成、複合課題のワンストップ対応など、各自が質問に立つなどして取り組んだ課題に着き報告し、残り時間は会場からの質問や意見に当てられました。

市民ネット報告会で

帰宅後、夕食は21時からになりました。

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10月28日、事務所

デスクワーク

やはり疲れが溜まっているのか、ゆっくり起きて10時ころ朝食の後にまた寝てしまい、昼食は14時ころになりました。15時半前に出て法律事務所に入ると、一週間分の未済書類が溜まっており、デスクワークで19時近くになりました。所用を済ませて、車中で19時のテレビニュースを聞きながら帰宅しました。