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5月20日、お別れ会s(石原萠記さん、岡崎トミ子さん)、帰岡

岡崎トミ子さんの会で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10時半前にチェックアウトし、11時から2時間ほど、「石原萠記先生お別れの会」に出席しました。献花して着席するとすぐに開会となり、加瀬英明さんの開会の言葉に続いてすぐに私が指名されてお別れの言葉を述べました。石原先生は雑誌「自由」を刊行して多彩な人々に議論の場を提供し、さらに多岐にわたる人脈を活用して国境を超えた人の繋がりを作られました。私も初当選以来お世話になり、何度か訪中も共にしました。今日も新しい歴史教科書の関係者から連合会長まで、多彩な皆さんがお集まりで、それぞれご挨拶をされました。石原圭子さんがお礼のご挨拶をされたのちに、みんなで声を張り上げて、先生が好きだった「街のサンドイッチマン」を歌いました。中国との交流を担った徐廸民さんご一家も、お揃いで出席してくれました。

石原萠記さん献花

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お別れの言葉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「街のサンドイッチマン」を歌って

 

 

 

 

 

 

 

 

 

徐君と王さんのご一家

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、直ちに次の会に駆け付け、13時半から2時間強、「岡崎トミ子さんをしのび語り合う会」に出席しました。石毛鍈子さんと相原久美子さんの司会で、黙祷に続いて、岡崎さんの1990年初当選から96年民主党結成を経て閣僚就任に至る経過のなかで、戦時性的強制被害者問題、東ティモール自決権支援、農薬散布問題などの運動に関わった皆さんの思い出を話していただき、菅直人さん、仙谷由人さん、浅野史郎さん、堂本暁子さんや私などがマイクを持ちました。福島瑞穂さん、吉川春子さんらも話してくれ、党派を超えた岡崎さんの繋がりを彷彿とさせました。最後に妹さんが挨拶し、「死は、命を絶てても、絆を絶つことはできない」と、岡崎さんのたたかいによって結ばれた友情の強さを強調してくれました。

岡崎さんの会全景

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黙祷

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お別れの言葉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

笑顔で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終了後、東京駅に急ぎ、16時半の新幹線で帰岡しました。19時ころ、新大阪付近で太陽が沈みました。

新大阪で日没