江田五月 活動日誌 2001年6月(6〜10) >>日程表 ホーム総目次6月目次前へ次へ


6月6日(水) 市政懇、総会、本会議、憲法質問、ハンセン立法、高比良さん

今日は、8時から岡山市政懇談会。予算の協力要請ですが、今年は、だらだらした朝食会とは違いました。市長が考え方を提言にまとめ、アクセントをつけて口語で話されたので、新鮮でした。市の皆さんに食事がなかったのは、倹約路線でしょうか。国会日程のため中座。失礼しました。

9時から議員総会。片山光代さんをはじめ、新人の参院選予定候補者4人が参加し、ミニ交流会。10時から本会議。人事案件。水産基本法案に和田洋子さん、電気通信事業法改正案に内藤正光さんが質問。6法案の採決。

12時から、国対・理事合同会議。12時50分、憲法調査会幹事会。13時から2時間、調査会。内閣法制局から40分間、国民主権関係の政府答弁につき説明を聴取し、各会派が質問。私は15分間、法制局の位置づけ、憲法適合性の判断機関の必要性、閣議の全会一致制について、ハンセン病判決についての首相決定の法的意味、らい予防法違憲判断についてなどを質問しました。(会議録)

15時から小1時間、党首討論が気になりながら、ハンセン病補償法案についての野党協議。国会決議がまとまったこともあり、こちらも考え方がまとまりました。私がパソコンで修文し、関係者にメールし、赤松国対委員長に説明。

明日、中間法人法の質問をするので、そのヒアリング。18時半から、高比良正司さんのNPO夢ネットの事務所開きに駆けつけ、挨拶。国会に引き返し、質問通告。疲れました。



6月7日(木) ハンセン立法、法務、中間法人質疑、議懇、国のかたち

今日は、7時半のハンセン病立法の打ち合わせから始まり、忙しい1日で、疲労困憊です。

1時間の打ち合わせの後、8時半から法務部門会議。NC報告、衆参の委員会報告など。部門会議の抱える課題について、会期末を睨みながら、処理方針を協議しました。それ以上の説明はご勘弁下さい。相手があることですから。

9時過ぎから、今日の質問の打ち合わせ。9時50分、法務理事会。10時から昼の休憩を挟んで16時前まで、法務委員会で中間法人法案の審議です。まず、参考人として能見善久東大教授と雨宮孝子松蔭女子大教授から意見を聞きました。私も10分間質問。引き続いて質疑に入り、最初に私が45分間質問しました。(会議録

もともと、公益法人の中に中間法人型のものがずいぶん混じっているので、中間法人を法定しここに転換させることで、公益法人改革を行おうとするはずでした。ところが、転換の仕組みが整えられていません。それでは、何のための立法かが分からなくなります。

質していくと、法人の根拠法が180ほどもあると言われているのに、法務省もその他の役所も、実態を把握していないことが分かりました。把握できない理由は、各省庁が許可主義で法人の監督権を握っており、行政委託型を含め、ここが天下りを初め各省庁の聖域となっているからです。つい伏魔殿と言ってしまいました。しかも、ここにメスを入れる姿勢は政府には全く見られません。小泉改革とは正反対です。

NPO法人の税制優遇のあり方も議論しました。ただ、中間法人自体は必要な枠組みなので、法案は全会一致で可決。私が起草した附帯決議をつけました。

この間に、ハンセン病補償立法につき、最終的に各党合意が実現したとの連絡が入り、対応に追われました。17時から、ハンセン病議懇の役員会。議懇会長の談話を決めました。これからが大切です。

18時半、高校の同級生の集まりに出席。高校3年の時の運動会事故で脊損となった浜野博君が上京したので、旧交を温めようというわけです。20時から2時間ほど、国のかたち研究会の飲み会。菅直人さんが2年前の代表選の時、これからしばしば酒を飲むと約束していたことが、やっと実現しました。



6月8日(金) 総会、本会議(ハンセン決議、経済対策)、たぶち後援会

今日は、9時から議員総会。前回に続き、比例区に出る太田のぶまささん、高比良正司さん、とみなが照子さん、錦織淳さんがそれぞれ自己アピール。高比良さんはジーパンで現れ、その理由を肩に力を入れずに短く話され、好印象でした。

10時から1時間半、本会議。冒頭にハンセン病問題の決議です。内容は、衆議院の決議と一字一句違いません。衆参を通じ、政党間協議で出来上がったので、そうなるのですが、ちょっと釈然としません。しかし、仕上がったことで、良しとしましょう。

その後、緊急経済対策関連法案の質疑。こんな政策で景気がよくなるとは思えません。それに、小泉首相は前内閣の景気対策優先を批判していたのに、前内閣が作った景気対策をそのまま引き継ぐというのも、おかしな話です。前川 忠夫さんが質問しました。小泉首相の答弁は、ずっと下を向いて、原稿をぼそぼそと棒読み。人が違うようです。こんな姿も、是非テレビで放映して欲しいものです。次いで、6法案の採決。中間法人法案も可決成立しました。

13時半、商法改正(株主代表訴訟)につき協議。15時前の新幹線で帰岡。19時から、たぶち雅子さんの後援会準備会。やっとここまでこぎつけました。150人ぐらいが集まり、女性が多数派で盛り上がりました。私が県連代表として挨拶。石田みえさんも駆けつけ、女性の力で岡山から政治を変えようと、意気盛ん。上村後援会長挨拶は兄貴分としての思いが溢れ、たぶちさんの挨拶はさすがに若者ならではの勢いがあり、若い力と発想に期待が膨らみます。



6月9日(土) ともしび会、いのち、遺作展、秋山先生、森本報告会、会食

今日は、10時半から遺体献納の「ともしび会」総会で挨拶。石田みえさんも一緒です。医学の進歩のためと医学生の養成のために、正常解剖が欠かせません。病理解剖や司法解剖、行政解剖と異なり、遺体を防腐処理した上、1年ないし2年の期間をかけて、医学生等により細部に至るまで解剖し、人体の複雑で精巧な構造を身を以って理解します。身元不明の遺体もありますが、本会は篤志者の会です。いのちに対する敬虔な姿勢に、頭が下がります。

昨日は、小学生8人のいのちを奪うという惨劇。痛ましいことです。学校災害の予防や補償の充実、強化が急務です。精神障害者の社会内処遇を一律に忌避するのでなく、処遇策をきめ細かく充実させることが必要です。しかし、今はまだ何も分かっていません。

12時、倉敷で陶芸家、故・岡本欣三さんの遺作展。先日米寿でお亡くなりになるまで、陶芸に情熱を燃やされました。その後、秋山長造先生をご自宅に訪問。参議院副議長を勤められた大先輩。私たちの仲人もお願いしました。ハンセン病問題の経過報告をし、大変喜んでくださいました。

14時から岡山事務所で、石田みえさんの街頭宣伝のため、私の声をエンドレステープに吹き込みました。1秒の狂いもなく、エンドレスに仕上がりました。その後、揮毫。

18時から、森本徹磨県議の県政報告会。小泉台風には、たじたじですが、国民の改革への期待の顕われですから、民主党は恐れることはありません。石田さんのこともお願いしました。その後、母方のいとこの子が結婚したので、相手方の両親を含め、総勢11人で夕食会。賑やかでした。



6月10日(日) バレーボール、玉龍会、ジェンダー・トークs、石田選対、鍋

今日は、8時半から地元学区のバレーボール大会。8町内会から10を超える混合チームが出場し、女性優位で大賑わい。たぶち雅子さんも同じ学区なので、挨拶の中で触れました。

9時に失礼し、高校書道部の仲間で作る玉龍会の合宿に朝だけ参加。これから選挙などで超多忙になるので、今日作品を仕上げないと、8月の展覧会に出品できなくなります。悪戦苦闘でしたが、窓外に広がる瀬戸内海の眺望に励まされ、山崎、曽我両先輩のアドバイスで、全紙に草書で「還」と書きました。還暦に当たり、みんな原点に還って、大きな環を作って頑張ろうという思いを込めました。

13時、岡山女性フォーラム主催の蔦森樹さんの講演会「男でもなく女でもなく―トランス・ジェンダーの視点を学ぶ―」へ。蔦森さんは、男性として活躍していましたが、自分も美しくなりたいと決意し、「ジェンダーによる性2分の世界を超えようとする自己のあり方」を追及します。性同一性障害ではありません。活字にすれば難解ですが、インパクトのある訴えかけです。中座。

13時半から、ジェンダーを考える会主催の企画「落語でわかる男女の関係―ここから始まるジェンダーフリー―」へ。桂文也さんのお話を聞いたところで時間切れ。思い当たることばかりです。その後の円より子さん、たぶち雅子さんらのディスカッションは残念。

15時から、石田みえさんの岡山市2区分の選対会議。政治情勢の報告をし、若干の質疑に答え、ポスター、公選ハガキ、演説会のことなどを協議。

夕方、思い立って、小学校以来の親友、杉本みどりさんのお母さんと会ってきました。93歳、寝たきりですが、チャンとわかってくれました。夕食は久しぶりに自宅で鍋。


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