2001/06/06

戻るホーム主張目次会議録目次


151 参院・憲法調査会

内閣法制局から40分間、国民主権関係の政府答弁につき説明を聴取し、各会派が質問。私は15分間、法制局の位置づけ、憲法適合性の判断機関の必要性、閣議の全会一致制について、ハンセン病判決についての首相決定の法的意味、らい予防法違憲判断についてなどを質問しました。


○江田五月君 お忙しいところをありがとうございます。
 内閣法制局の皆さんが七十六人という体制で大変な仕事をしておられるということに感謝をまず申し上げます。

 さまざまな論点についてこれまでの政府の答弁の紹介、その解説、これをいただきました。それぞれにつき、なお議論を深めなきゃならぬところもたくさんあるし、またいろんな別の角度からあるいは反論、これもいろいろあるかと思いますが、そういうものを文献などを見てわかるものをここでいろいろ述べても仕方がないんで、もっと違った角度の問題を提供してみたいと思うんです。

 まず、この間五十四年間ですか、日本国憲法体制を振り返ってみますと、内閣法制局の存在意義あるいは果たしてきた役割、これが本来の設置目的からすれば随分過大な責任、あるいは過大な役割を果たしたのではないかと、こう多くの人が指摘もしておりますし、私もそう思う点もございます。憲法解釈、これは憲法によれば、最高裁判所が、八十一条でしたね、「決定する権限を有する終審裁判所である。」と、こういう言い方になっておりますが、しかし今も御説明あったとおり、具体的な事件、争訟でなければ判断をしない、さらにまた、ほかの論点で勝負をつけることができるならあえて憲法にまで踏み込まないとか、あるいは統治行為論、政治問題論、そういうようなことで憲法解釈を回避する、そういう傾向から最高裁にこの判断をお願いすることができない。

 そこで、かわってといいますか、法制局がこの憲法解釈を示して立法の際に意見を述べられる、それがもう現実には最終的な憲法解釈、有権的な憲法解釈となってしまっておって、皆さんからすると、そうせざるを得ないからしているのであって、決して望んでやっているんじゃないんだということかもしれませんが、随分大きな役割を果たされて、これでいいのかな、そういう声があるんですが、当の法制局自身はどういうふうにとらえておられますか。

○参考人(阪田雅裕君) もう江田先生、十分おわかりいただいた上でのお話でありますので、何とも申し上げようがないわけでありますけれども、先ほど申し上げましたように、決して裁判所にかわってでもなければ、また国会にかわってでもないわけであります。物によっては、もちろん国会にお示しすることなく行政府限りで処理することについての憲法適合性を判断せざるを得ないということもありますけれども、しばしばは、特に多くの場合は、立法のプロセスで憲法解釈を前提としてそれを国会にお示ししているということでありますので、まず国会においてもそういう政府の憲法解釈に問題がないかということを一つは十分に御議論をいただきたいというふうにいつも考えております。

 それから、裁判所がもっとやるべきであるとかやるべきでないとかというようなこともまた私どもはとても申し上げられるような立場ではないのでありまして、ただ心がけておりますことは、仮に裁判所が政府の行為あるいは立法を何らかのきっかけで裁かれる、憲法適合性を判断されるということになったとしても、決して違憲であるというふうな判断がされることのないような憲法解釈をということを心がけているということでございます。

○江田五月君 さらに、もう少し突っ込んで伺いたいんですが、八十一条で最高裁判所が法令等の憲法適合性を決定する権能を有する終審裁判所だと。これはなぜ一体、他の争点で解決できればそっちで処理するとか、あるいは統治行為論とかがあると、それはいいとして、なぜ具体的事件でなければ憲法判断できないということになるんですか。

○参考人(横畠裕介君) それはかつても随分議論のあったところと承知しておりますけれども、これは憲法の章立てを見ていただきますと、国会、内閣、司法という章立てになっております。なぜ裁判所ではないのかという御指摘があるわけですけれども、やはり司法というのは一つの機能でありまして、具体的な事件、法律争訟を法律を適用して解決するというところにその本質があるというふうに言われております。その限りの司法裁判所に違憲立法審査権を与えたというのがその八十一条の趣旨であると解されておりまして、最高裁の判例にもありますけれども、司法のいわば内在的な制約であるというふうに言われております。
 別の……

○江田五月君 多少やりとりをしたいものですから、短くお答えいただきたいんですが。

 そうすると、司法という権限の持っている内在的な制約、司法の本質からしてそうなるんだということですね。諸外国には憲法裁判所というものがあって、抽象的な争点、これを判断するというシステムもあるわけで、その場合の憲法裁判所というのは司法としての機能ではないということになりますか。

○参考人(横畠裕介君) 御指摘のとおりだろうと思います。いわゆる司法裁判所とは別に憲法裁判所という組織をつくるというのが憲法裁判所を設ける場合の一般的な方法ではないかと思われます。

○江田五月君 そうすると、その憲法裁判所で行う司法ではない機能というのは、いわゆる控除説という説によりますと、行政の機能だということになりますか。

○参考人(横畠裕介君) いわゆる三権分立と言われるのが原則でありますけれども、第四権という比喩的な言い方をされる場合もございます。国によりましてその憲法裁判所にいかなる権限を付与するかというのは、基本的な憲法問題、国権のまさに分配の問題であろうかと思います。

 例えば、連邦制等の場合におきまして州と連邦との間の権限争議を解決する機能でありますとか、あるいは大統領制で大統領府と議会との間での見解の対立、相違がある場合にそれをいわば裁定するというような特別な役割でありますとか、もとより個々の国民から権利救済を求めるというものを受け付ける制度もございますが、いわゆる具体的な事件の司法的解決というものとは別建ての、別個の権限というふうに通常は理解されているものと思います。

○江田五月君 我が国の憲法の場合に、三権をそれぞれ規定しております。立法と国会と規定しているわけですが、それと内閣と司法と書いておる。

 その司法の規定の中に最高裁判所の権限があって、そこに終審裁判所だという規定があるわけですが、今の第四権といいますか、抽象的に憲法適合性を判断する機関をどこか別につくるということは、これは憲法ではこういうシステムになっていますが、憲法に触れていない部分ですから、そういう憲法裁判所は憲法改正によらなくてもつくれるということになりますか。

○参考人(横畠裕介君) 現憲法の最高裁判所の役割はあくまでも司法権の帰属主体、司法権をつかさどる機関として設けられているというふうに理解されておりまして、それを越える第四権に相当する特別の権限を現在の憲法のままで最高裁判所あるいは下級裁判所に与えるというのはなかなか難しいのではないかと言われていると承知しています。

○江田五月君 私が言ったのはそうではなくて、今の最高裁判所と別に、司法権をつかさどる機関ではない憲法裁判所、あるいはもちろん裁判所と言わなくてもいいんですよ、というものをつくる。それで、今の内閣法制局が現実に行っている機能を別のところへ移すということは可能かということですが、それは結構です。

 次に行きたいと思います。
 閣内不統一というような話がさっきちょっとありました。内閣は国会に対して連帯して責任を負うと。したがって、これは多数決じゃなくて全会一致でなきゃいけなくてという、反対の閣僚は罷免するしかないということになって、そうするとなかなか、これは私どもも閣内不統一だなんて追及することもあるんですが、もっと内閣で自由にいろんな議論ができた方がいいという気もするので、そうしますと最後に決めるところまでは自由に議論ができる、決めたら後はもう決定されたことに従って連帯責任を負うということの方がむしろいいんじゃないかという気もするんですが、いかがでしょうか。

○参考人(阪田雅裕君) おっしゃるとおりだと思います。
 全会一致というのは結論的にそうであるということでありまして、入り口ではむしろ意見を異にされる方が、それも二つの意見ではなくて三つ四つの意見があるというのが人間社会でありますから当然のことだと思います。それを閣議において議論をするプロセスにおいて収れんをさせていく。そして、最終的にはもちろん、あくまでも納得できないという国務大臣も残ることもあり得るとは思うんですが、そうではあっても内閣としてそのことを決定されれば、自分はその内閣の方針に従いますという意味での賛成を含めて全会一致であるということが慣行としてなされているというふうに承知しているわけであります。

○江田五月君 しかし、余り言うことがばらばらでどっち向いて走っているかわからぬというのでももちろん困りますから、それは時に応じ、内閣総理大臣のリーダーシップあるいは指示、そうしたものが発揮されなきゃならぬということになるんだろうと思います。

 そこで、具体的な問題にひとつ入っていきたいんですが、先日、五月二十三日の夕方、小泉総理大臣がハンセン病訴訟についての熊本地裁の判決に対しては控訴をしないという決定をいたしましたと発表されました。五月二十五日の内閣総理大臣談話でも、「私は、」、これは内閣総理大臣ですが、「ハンセン病対策の歴史と、患者・元患者の皆さんが強いられてきた幾多の苦痛と苦難に思いを致し、極めて異例の判断ではありますが、敢えて控訴を行わない旨の決定をいたしました。」、こう言われておるんですね。

 私はもちろんこの小泉さんの決断を大変高く評価をするんですが、内閣総理大臣の決定というのは、これは法律上、法制上どういう位置づけになるのか説明してください。

○参考人(阪田雅裕君) なかなか表現の問題でもありますので微妙な点があろうかと思いますけれども、私が承知している限りでは、控訴をするしないということの一義的な判断は、国を代表して訴訟を行っておられる法務大臣が分担管理している事務でありますから、法務大臣において一義的に判断をされるということであろうかと思います。

 そして、法務大臣がその判断について、とても重要なことでありますから、これを国の方針としていいかということについては、最終的には例えば閣議にかけるという方法もありましょうが、その前に閣議の主宰者である内閣総理大臣に、内閣の代表である内閣総理大臣にこういう方針をとりたいと思うがいかがであろうかという相談をされるというようなことがあるのだろうと思います。

 そのプロセスで、先ほど言いましたように総理は、閣議にかけて決定した方針がなくても、実質上いろんな助言、指導、指示等をすることができるということでありますので、そういうものとして総理も私はそういうふうに判断をしているということをおっしゃられたのかなというふうに推察しております。

○江田五月君 もう時間ですが、最後に、このハンセン病問題の熊本判決、らい予防法が遅くとも昭和三十五年には合理性を支える根拠を全く欠く状況に至っており、違憲性が明白になっていた、こういうことを言っています。これは司法の判断ですよね。司法権のその判断で、これはもちろん下級審ですが、八十一条によって与えられた最高裁の権限というものを分有しているといいますか、これはやはり内閣法制局としても、あの段階でらい予防法は違憲になったと、こういう司法の判断を尊重する、それに従うということになりますか。

○参考人(阪田雅裕君) そこは、御案内の政府声明におきましても、どの部分かでありますけれども、少なくとも立法の不作為も含んで判断をされているわけで、立法の不作為については、政府としては必ずしも同じ考えというか承服できるわけではないということを申しておりますので、私どももそこの部分についてはそう言わざるを得ないということであろうかと思います。

 ただ、判決があり、それが確定したということは、そのように受けとめさせていただいております。

○江田五月君 一言だけ。
 立法不作為は、三十五年に明白に憲法違反になったものを、四十年以降放置したことが立法不作為だと言っているので、三十五年以降らい予防法が違憲になったということについて立法不作為を言っているんじゃないんですよね。
 終わります。


2001/06/06

戻るホーム主張目次会議録目次