2003/11 美作地区五月会だより No.3 主張目次五月会だより目次前へ次へ



美作地区五月会だより
編集委員会発行第3号
平成15年11月

2003年秋衆議院選挙

今回の総選挙で民主党は、所期の目的である政権交代は実現出来ませんでしたが、民由合併により、二大政党体制の一翼を担う政党であると認められました。第三区では中村徹夫さんが、極めて厳しい条件の中を、民主党公認候補として全力で頑張り、得票減を最小限に食い止めました。大きな成果だったと思います。

中村さんは、東備地域で地に足のついた活動をしている貴重な人材です。民主党がこういう人を発掘できたことを、誇りに思っています。ご支援に心からお礼を申し上げます。

活動報告にあるとおり、私の選挙支援活動は、真庭と苫田に偏っていました。これは、先に中村さんの行動日程が決まり、後から私の予定が入ったからです。おかげで、めったに回れない県北の隅々まで回ることが出来ました。勝田と英田が、すっぽり抜けていますが、必ず伺います。


美作地区江田五月会
江田五月国政報告会・忘年会のお知らせ
恒例の江田五月国政報告会と忘年会を下記のとおり開催いたします。師走のお忙しい時期ではありますが、みなさまお誘いあわせの上、是非ともご参加下さいますよう、お願い申し上げます。
・ 日 時  12月13日(土) 
       国政報告会 16時〜17時30分 
       忘年会    18時〜20時  
・ 場 所
・ 会 費
 津山鶴山ホテル(津山市東新町114−4 Tel 0868−25−2121)
 忘年会のみ5,000円
尚、準備の都合上、出欠のご返事を12月10日までに、電話かファックスでお知らせいただければ幸いです。当日の参加も歓迎です。

連絡先 江田五月会事務所 Tel.086-234-1151 Fax.086−234−2251

江田五月美作地区活動報告

9月3日 14時半に、津山市に到着し、小野形成外科・整形外科で、医師や看護師の皆さんに挨拶。次いで、津山朝日新聞社に伺って取材を受け、さらに津山市役所の中にある記者クラブに伺い、ここでも取材。市長は、残念ながら留守。その後、美作地区五月会の額田克海会長を訪問。若干の挨拶まわりをして17時に津山発。

9月18日 8時に自宅を発ち、中村徹夫さんと一緒に、岡山道を一路北上、久世へ。三村一夫さんのご案内で、挨拶まわり。

津山市役所前で、中村徹夫さんと

10月15日 終日、中村徹夫さんと一緒に、県北を街宣して回りました。中村さんがご自分で宣伝カーを運転して、津山市役所前でスポット演説をした後、苫田郡を、富村を除きすべて回りました。加茂町、阿波村、加茂町に戻り、山越えをして、鏡野町越畑へ。さらに山越えをして、奥津町の道の駅で昼食の後、再び県境の村、上斎原村へ。戻って奥津温泉郷で、スポット演説。南下して鏡野町へ。スーパー農道を通って、久米町へ。休乢トンネルを抜けて旭町へ。戻って中央町へ。南下して久米南町へ。峠越えをして柵原町へ。

流し街宣は、中村さんと私とでマイクを握るのですが、どこでも、普段より多くの人々から、激励の声をかけられました。中には、シャツの背中にサインを求める若者もおり、農村地域でも、国民の選択が変化してきていることを、はっきりと感じました。

最後に、津山市に戻って、JR津山駅前ともう一ヶ所でスポット演説。18時過ぎに終了したときには、すっかり暗くなっていました。今日は気持ちのいい秋空でしたが、窓を開けて走ると手が冷たくなるほど、気温は下がってきました。

22時15分、ロンドンからの電話で、BBCラジオのインタビュー。もちろん英語です。テーマは、北朝鮮による拉致事件と日本政府の対応について。数分だけですが、地球の反対側でも注目されているようです。津山泊。

10月16日 9時にホテルを発って、津山市内でスポット演説。労組美作支部の分会長会議に出席。中村さんは、自分の出馬の遅れで連合に迷惑をかけたと陳謝したうえ、政権交代選挙の重要性を力強く訴えました。12時に津山を発って、車で松江へ。

10月19日 7時半に自宅を発って湯原町へ。9時から、運輸関係の労組の大会で挨拶。総選挙へのご支援を、強く訴えました。

10時過ぎから、中村徹夫さんと一緒に、真庭郡内を流し街選。ひたすら中村さんと交代でマイクを握りました。まず、湯原町の温泉街。次いで北上して、蒜山地域を中和村、八束村、川上村の順番で回り、道の駅でスポット演説。峠を越えて、湯原町ニ川地区を経て、美甘村、新庄村へ。道の駅で昼食後、下って、勝山町、久世町。久世町で行われている畜産共進会に顔を出し、品評会に出場の皆さんに挨拶しました。次いで落合町。これで郡内一巡となり、津山市へ。17時から、事務所開きで挨拶。

 秋冷の作州を走破・説破
10月30日 7時半に津山市のホテルを発って、3区候補の津山事務所へ。8時に候補と一緒に選挙カーに乗り込み、昼食休憩を挟んでぶっ続けで20時まで、街宣。セーブしたのですが、若干の流し街宣と5ヵ所のスポット演説で、のどが完全にいかれました。

JAまにわ八束支所前で

津山市から国道を西に走って、久米町を経由して勝山町へ。県の真庭振興局前でスポット演説。次いで湯原町に入って、町役場横でスポット演説。さらに北上して、中和村を経由して八束村に入り、JA八束前でスポット演説。西に川上村まで走り、蒜山高原をひとまわり。平日でも観光バスが一杯で、観光客が高原の秋を満喫していました。

確かに錦秋で、山は見事に彩られています。近くを見ると、はぜの紅葉が実にきれいです。しかし秋冷で、窓を開けて走ると冷え込み、持参のカーディガンを着込みましたが、足りません。鈴成りの柿は、まだ葉を付けており、これがすっかり落ちるころには、霜が降り始めるのでしょうか。

南下して峠を越え、湯原町をかすめて美甘村経由で新庄村で昼食。凱旋桜の並木通りをくぐり、戻って勝山町と落合町をを隅々までまわり、落合郵便局前でスポット演説。次いで久世町をまわって、スーパー前でスポット演説。既に陽は落ちて、真っ暗。気温は急激に下がって、窓を開けて手を振っていると、凍えるようです。そこから北上して、富村へ。真っ暗な中を流し街宣でひとまわりし、久世町に戻り、久米町を経由して津山事務所に、ちょうど20時に帰りつきました。その後、街宣の一行と有志の皆さんと、10人程度で夕食。21時過ぎにお別れして、高梁市へ。

3区候補は、岡山県の5人の候補者の組み合わせの中では、貴重な存在です。妻子との生活臭があるのも、政治以外の地域活動があるのも、彼だけです。しかし、彼の公認が決定したのはこの8月で、連合岡山の皆さんの合意を得る余裕がなく、推薦を得られませんでした。これは私たちの不手際の結果であり、彼にも連合にも、お詫びしなければなりません。

11月3日 今日は、文化の日で連休最後の日。7時45分にホテルを発って、8時から18時まで、3区候補と一緒に、街宣。津山市の院庄を経て、富村を除く苫田郡全域をまわりました。鏡野町、奥津町、上斎原村、加茂町、阿波村です。この地域は走る距離が長く、スポット演説は6ヵ所と、少ししか出来ませんでした。

苫田郡は、奥津谷と加茂谷という二つの谷から成り、合流点が津山市です。二つの谷には、多くの支流が流れ込んでおり、そこに集落が張り付いています。従って、街宣を行うには、支流の谷を上ってUターンということを繰り返さなければなりません。10回ぐらいこれを繰り返したでしょうか。私が初めて訪ねる地域もいくつかありました。奥津谷は紅葉が見事で、観光客が一杯。どちらの谷も、農繁期が過ぎ、お祭りにもいくつか出会いました。大勢の人出でしたが、そこでも確かな反応をいただきました。

3区候補は一般には全く無名の新人ですから、国民の中に確かに、政治の流れを変えようという意識が強くなりつつあるのだと思います。阿波村では、花祭で盛り上がっているところに出会い、串焼きの鮎をご馳走になりました。18時半から津山市で、3区候補の個人演説会。のどにさほどの改善は見られないのに、つい25分ほど話してしまいました。若干の打ち合わせの後、倉敷市玉島へ。


 三枝成彰さんとジョイント

津山国際総合音楽祭で

17時半過ぎの便で、羽田から岡山空港へ。さらに津山市へ。20時過ぎに到着し、第6回となる津山国際総合音楽祭のレクチャー・コンサートの最後の曲に、やっと間に合いました。コンポーザー・イン・レジデンスとして滞在しておられる三枝成彰さんがご紹介下さり、簡単な挨拶。終了後、地元の皆さんが三枝さんを囲む会を企画して下さり、楽しいお話とおいしいお食事で夜が更けました。(9月27日


編集後記 「松無古今色」常に青さを保っている松は平等をあらわす。その不変性は、渾身の力で訴える江田五月さんの演説にも感 じられた。五月会員も変わらない心で語りあい、力一杯応援しよう。(編集委員会一同)


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