2011年法政大学大学院政治学講義 ホーム講義録目次前へ次へ

2011年10月14日 第5回「二院制の意義と現実」

【前回のおさらい】
 第5回目の講義です。野田内閣はこの事態を安定化させることが大事であるが、自民党政権のときと同じ事を続けるのでは政権交代の意味がない、ということをお話ししました。その際に例として出したのは、非自民党各派による連立政権であった細川内閣は、政治改革、とくに選挙制度改革をするために他の基本方針は自民党政権を引き継ぐことにしたのです。野田内閣は宿弊とでもいうべき政治と金の問題から完全に脱却しなければなりません。これに関連して小沢一郎さんの刑事事件についても若干の言及をおこないました。

 原発事故の収束についてお話ししましたが、このことについては人ごとのこととして批判できません。私は細川内閣の時に科技庁長官をやっていたのですから。少し弁明をさせてもらえるなら、既に述べたように細川内閣は自民党政権時代の基本施策を引き継ぎましたが、私は原発政策について透明性とか国民参加については前進させようとしていました。細川内閣がもっと続いていれば、選挙制度改革にとどまらず、さまざまな面で転換があったのではないかと思います。

 前回皆さんには宿題を出しました。2005年1月、参議院本会議における私の代表質問を探していただいたでしょうか。今はインターネットで検索して、今持っているような官報がすぐに出てくるようになり、とても便利になりました。質問の詳しい内容は官報を見ていただくとして、スマトラ島の地震で発生した津波によって、インドの原発関連施設が被害を受けていました。原発事故については国際社会で共同して対処していかなければなりません。主権国家がおのおの対処するのでは手遅れになってしまうのではないかという問題意識から質問したものです。また、原子力発電所を稼働することでプルトニウムの問題、ひいては核兵器の心配がつきまとうわけですから、協力をしてはどうかと小泉純一郎さんに聞きました。小泉首相は、国内の原子力発電所では原子力漏れがないように、どのような場合でも冷却水を供給できるよう対処する、日本の技術を国際協力の中で使っていくと答弁しました。世界中の原発すべてに当てはまるわけではありませんが、日本の原発はすべて、海岸沿いに立地しています。海水を2次冷却水として利用しているためです。このために原発周辺の海は暖められた冷却水が大量に流れ込んでいてアワビが良く育つと言われたものです。小泉さんが答弁していたように、原発にとって津波の時は押し波よりも引き波の問題の方が大きい。冷却水の取水が不可能になってしまうからです。しかし福島では引き波よりも津波そのものが非常に大きかったので、とても大変でした。

 原子力利用について国際社会の共同運用を提案していました。つまりプルトニウムの国際管理です。科技庁長官の時に職員を海外に派遣したりしました。今の原子力行政は、当時の問題意識にさえ至っていないと思います。

 福島第一原発事故には法務大臣として処理にあたりました。何を廃棄物とするかの指針、戸籍の再生について担当しています。まず、戸籍は原本を市町村役場が管理しています。不動産の登記簿は全国でネットワーク化していますが、戸籍はそのようにしていません。戸籍の原本が津波で流されたら、それこそ終わりなのです。原本が流されてしまった市町村もありましたが、幸いなことに副本を法務局の支局で保管してありました。津波の被害が相当ひどかった気仙沼市役所の戸籍は流されてしまいました。もしかしたら法務局支局のものも流されてしまったのではないか、という心配がありました。支局は合同庁舎で、1階のハローワークは津波で流されてしまっていました。2階の法務局の執務室も海水が入って被害が大きかった。戸籍の副本はどこにあったかというと、3階だったので本当に幸いなことに無事だったのです。私は気仙沼に視察に行った時、戸籍副本の棚を見て、よく頑張ったとほめたものです。

 少し細かい話になりますが、役所に戸籍に関する届けが出されると、まずは役所にある原本に書き入れます。変更事項は1ヶ月毎に法務局支局に通知します。1年ごとに原本の写しを法務局に出します。ということは、2月から3月までの届けは法務局に残っていないのです。死亡届や婚姻届、出生届は存在していないため、市民のみなさんに変更事項を報せるよう呼びかけを行いました。区切りをもうけて再生完了と判断して、その後の訂正があれば受け付けることにしました。更に困難なのは、気仙沼市役所に出される婚姻届は、気仙沼市民が出すとは限らないのです。婚姻届は全国どこでも出して良いのです。また、遺体が発見されていない方も大勢います。その場合の死亡届はどうすればいいのでしょうか。法律上このような場合は特別失踪ということが民法で規定されていますが、これは認定までに非常に時間がかかります。今回は本当に死亡したという証明、つまり目撃状況についての書面、勤務先の証言とか、そういうものを総合して死亡認定を行います。しかしながら、あの様な状況で市民の皆さんに本当にあの人は死亡しましたか、と聞くのはできません。役所の機能も壊滅している状況でしたから、指針を作って死亡届を簡略化しました。

 私の仕事として他には、廃棄物の定義があります。たとえば、福島の廃棄物には放射性物質が降りかかってしまう場合がありました。放射性物質を含むものは廃棄物から除外されてしまうため、環境省が扱えなくなってしまいます。そこで、放射性物質に汚染された「おそれのある」廃棄物という概念を作ってどうにか処理を行いました。このように応急措置に忙殺されてしまったといえます。瓦礫の処理が遅すぎるという批判があることは承知していますが、私自身かなり頑張ってやったつもりです。

 廃棄物の話がありましたが、これは原子力法制の不備です。原子力基本法など原子力法制の基礎となる法律は昭和30年代にできました。これらの法律は、放射性物質は、放射性物質を扱うサイト(場所)の外に出ることはない、という前提でつくられたものです。昭和40年代には廃棄物に関する法制が整備されました。前段階で放射性物質が外に出ることはないという前提を作っていたわけなので、「放射性物質が含まれる廃棄物」という概念は出ない。ここに法制度の空白があったわけです。

 原子力政策の空白をなくすため、震災後には議員提出で国が代行処理を行うための法律を作りました。また、政府提出で再生可能エネルギー買い取り法案を作りました。菅さんの「一定のめど」発言で注目されましたが、これはかなり大切な法律です。原子力発電所にかわる発電方式でできた電気を、電力事業者は買い取らなければいけないというのがその主旨です。買い取りの価格設定によりますが、再生エネルギー開発の道筋をつけたといえます。ヨーロッパはかなり進んでいるのです。日本ではずっと、このような仕組みは無理であると言われていました。これには固定価格での買い取り可能な制度の有無が決定的なのです。

 放射性物資に汚染されている恐れがある瓦礫の扱いも大変です。現在の仮置き場から次の場所に運ぶ場所がない。全国の市町村にお願いしたところ、江東区の1箇所だけで対応しているのが現状です。放射性物質に対する国民の不信不安があります。これは絶対に国で責任を持って手立てを講じていかなければいけません。東京にもホットスポットがあります。この前のニュースで世田谷区でもホットスポットが見つかったと思ったら、ラジウムだったということがありました。

 放射性物質の扱いについて、政府はまず中間貯蔵施設に置く、そして最終処分場に送るという計画を持っていますが、最終処分場の場所を示さないではないかと批判されます。日本の原子力行政は軽水炉で燃やした核燃料に再処理(青森県六ヶ所村)を施して、高レベル廃棄物とプルトニウム、低レベル廃棄物に仕分けをして、高レベル廃棄物は地下何百メートルのところに地層処分することになっていますが、場所はまだ決まっていません。このような状況は「トイレ無きマンション」といわれます。日本に於ける原子力利用にはそのようなアキレス腱があるということをよく覚えておいたほうがいい。最終処分について考えてこなかったのが、日本の原子力行政の弱みです。今、使用済み核燃料はプールの中に入れていますが、それが満杯になりつつあります。六ヶ所村に中間処分場を作っている最中ですが、まだできていません。原発の敷地内にドラム缶につめて置いてある状態です。このままで原子力発電を続けるのは難しいだろう、というのが私の実感です。科技庁長官をしていましたから、このような問題があることを理解できるのです。

 福島原発では、全電源が喪失してしまいました。本当に大変なことで、憂慮していました。電源喪失の場合、東北電力から電力を融通してもらうことになっていましたが、それも駄目でした。何もできない状態が長時間に亘って続くことになりました。3月11日の夜中、官邸は大変でした。電源喪失状態から復帰するために全国の電源車をいち早く福島に運べと指示を出しました。かき集めて30台くらい送りましたが、まったく電源供給できない。聞いてみると、福島原発はアメリカから輸入したから日本のソケットと合わない、呆れている暇はないのですが、本当に呆れかえってしまいました。もう何を言っているのだと。

 原発は多重防護をしていますが、その最後の砦である緊急炉心冷却装置も動かなくなりました。これは、全ての防護が失敗した場合炉心が安全な方向に落ちるというフェイルセーフという思想です。これによって原子炉を水浸しにするという、本当に最後の機能です。ミサイルが飛んできても安心だと言っていたのに、全部駄目になってしまいました。もし科技庁長官時代に戻れるのなら、このことをもっときちんとしたいと強く思います。また、水素爆発が起きました。私は、この爆発は予測の範囲内であり、むしろ水素爆発で良かったと思いました。一番こわいのは、燃料棒が爆発して、圧力容器を吹っ飛ばし、燃料棒が環境中に飛び散ってしまうことです。これは本当に大変な事態です。だから水素爆発ときいて、ある意味ほっとしたのです。

 核エネルギーの平和利用を原理的に否定するわけではありません。しかし、日本は自然災害の蓋然性を持っている国ですから、やはり原子力は合わないのではないかと思うことがあります。自然エネルギーの方向に向かうのが良いだろうと考えます。環境大臣の時に、環境省の皆さんに言ったのは、産業革命以後、経済発展は急激な速度で進んできました。今日本は高原状態になってゆるやかな成長になっているモデルです。急成長期は環境負荷の増大と正比例していました。これではいけない、これからは成長と環境負荷を反比例させるような成長モデルを考えていかなければいけない。具体的には自然再生エネルギーに経済成長の場を生み出していかなければならず、これは先進国の努めであるということをお話ししました。

 脱・原発依存の方向性、つまり老朽化した発電所は廃炉、新規増設は中止です。そうすればおのずから原発は少なくなっていきます。しかし経済的な破綻は避けなければいけません。原発を減らすことと経済発展の2点は明確にする必要があります。

 原子力についてもう少しお話ししたいことがあります。科技庁時代にイギリスの物理学者であるオリバー・ロッジについて話をしました。彼が言うには、水素原子の重さは1であるが、実際にはかってみると、1.0077の重さがあると。この微少な誤差の中に、大きなエネルギーがあるとのことでした。人類が核分裂に成功する12年も前、科学雑誌に核融合を予言する論文を寄稿したのです。核融合は、それこそ夢のエネルギー源で、非常に大変な技術です。国際的に協力して、スイスで研究が行われています。日本でも一部の研究が行われています。しかし、核融合は文明の状態によって恵みにもなり破滅にもなると言いました。この文明とは何なのでしょうか。40年以上前、私はアウシュビッツ収容所跡を見学したことがあります。ナチスが台頭した時代、ドイツ人はごく普通の国民でした。そういう普通の人が駆り立てられ、あのような状態になった。それが文明の状態であります。文明はこのまま進んでいくのか、私には自信がないのです。確かに文明は高度に発達しています。しかしそのせいでテクノストレスという言葉が生まれました。死刑問題など難しい問題に対して感情的になってしまうことが多々あります。私たちの文明はまだまだ成熟していないのではないか。日本人の心の中にある荒々しい部分、この部分は成熟しないと扱えないのです。日本は自然災害の多発国です。しかも津波は、あの広い太平洋のどこで起きても、日本列島が弓状なので到達してしまうのです。

 先週の質問で、日本の原発輸出をどうするのかと聞かれました。途上国の経済発展を否定するわけにもいきません。なので、途上国のみなさんには環境保全を協力してもらいます。日本はどうするのでしょうか。COP17会議が今度開かれます。京都議定書の延長問題がありますが、途上国には、経済発展と環境負荷が正比例となる場合でも、その比例係数を可能な限り小さくできるように協力することが日本の役割になります。日本の原子力発電の技術は隘路があるとはいえ、国際的には高い評価をもらっています。繰り返しになりますが、日本は自然災害多発国ですから、原発は合わない、でも国際社会で話し合いながら、一定の過渡的なエネルギーとして利用することは可能であると思います。

【議会政治−議長の経験から】
 直近の政治状況、ねじれ状態にある二院制についてお話しします。2007年夏の参院選では、自民党が大敗し、与野党が逆転しました。民主党が多数派となったのです。また、逆転しただけで無くて、民主党が第一党になりました。これまで何回か与野党逆転はありましたが、それまでの野党が第一党になるというのはあまりありませんでした。私は民主党に推薦されて、満票で議長に就任したわけです。議長は第一党から、副議長は第二党からというのが慣例です。これまでは自民党が第一党でしたから、議長は常に自民党でした。

 私は議長をやっていましたが、では議長の証明書を見せろといわれても、これはないのです。内閣総理大臣には天皇に任命されるときの御名御璽があります。最高裁長官や閣僚も天皇から御名御璽をもらっている。最高裁判事は内閣の辞令をもらいます。衆参の議長副議長だけは、証明書がまったくありません。証明しようとするなら、会議録を持っていくしかないのです。

 議長は本会議において、選挙で選ばれます。選挙の際、議長席には議院の事務総長が仮議長になって議事進行をつとめます。議長にえらばれると、仮議長に案内されて登壇します。まずは演壇にのぼって就任の挨拶を行い、そして議長席に着席します。この瞬間から、それまで座っていた議員の席に戻ることはできなくなります。私自身も、議長就任から三年間は自分の席に戻ることはありませんでした。

 副議長が議長席に座っている時があります。この場合、議長には「事故」がある時です。事故といってもこれにはトイレも含まれています。例えば私が用を足すために副議長と交代したとします。用事が済んで、国会内をぶらぶら歩こうということはできません。議長室で待機しなければなりません。また、交代には慣例があって、2時間以上議事が進むときには副議長に一部代わってもらいます。このタイミングも慣例があって、例えば現在であれば自民党の人が質問するときは、自民党から推薦された副議長が議事の進行を行います。これなら自民党の方もやりやすいだろうと、いろいろな気遣いがあるのです。

 私は2007年8月から二年間、ねじれ国会で参議院の議長をつとめました。色々な苦労もありました。このことについてまとめてお話ししておきたいと思います。

 2007年にできたねじれは、2009年民主党が衆議院総選挙で勝ったことによって終わります。民主党が過半数を獲得したからです。その前の自民党と異なるのは、自民党は衆議院で3分の2の議席を持っていました。皆さんも記憶にあると思いますが、3分の2をもっていると憲法の条項にある再議決が可能になります。民主党は過半数を越えたけれども3分の2は獲得できませんでした。

 2010年6月に菅さんが首相に就任します。菅さんの勇み足があり、民主党は参議院選で惨敗、再びねじれの状態になってしまいました。2011年3月危機などと言われていましたが、その前に大震災がありました。あまり言葉はよくないですが、これがある意味で菅内閣の延命につながりました。8月には野田さんが首班指名を受け、9月に就任します。ここ数年の政治史はこのような流れでした。

 三十数年間、菅さんと一緒に政治活動を行ってきて、民主党をつくり、私は参院議長として「本院は鳩山由起夫君を内閣総理大臣に指名することに決しました」と述べた時、顔に出すことはしませんでしたが、万感の思いがしたものです。菅直人のときも様々に思うことがありました。しかしその後の状況をみると、簡単に事は進まないなと思います。

 横道にそれますが、総理大臣の指名選挙について少しお話ししておきたい。ご存じの通り、首相は国会議員から一人を選びます。そのときに議長は投票するのかしないのか、皆さんはお分かりですか。実は衆参で異なるのです。衆議院では議長も指名選挙の投票をおこないます。では議長が下って票を投ずるのかというと、そうではなくて、事務総長に票を渡すことになります。対して参議院では議長は投票しません。議長席に就いている者は投票しないということが先例となっています。理由はよくわかりませんが、衆議院では、議長という地位よりも議員を優先し、参議院では議員よりも議長の中立公平性のことを考えているのかな、と考えています。ちなみに、議案採決では、衆参共に加わらないことになっています。それは、憲法で可否同数の場合は議長が決すると書いてあるからで、可否同数ではない時は投票しないと読めるからです。さて、首班指名で過半数をとった人がいない場合、上位二人の決選投票になります。その結果同数だったらどうするのでしょうか。議長が投票するのでしょうか。実は、くじ引きになります。私の時は経験がなかったので、くじ引きの道具は用意していないのかなと思っていたら、実際にあるので 見せてもらいました。二つの箱があります。一つ目の箱には、くじを引く順番を決めるくじが入っています。もう一つの箱には、銀紙にくるまれた白と黒の玉が入っています。手を入れる穴には和紙が貼ってあり、中が見えないようになっています。一度試してみたかったのですが、事務局の人から駄目ですと言われてしまいました。箱には貴族院と書いてあってびっくりしました。

 他にもあります。天皇が座る御座所、御休所があり、そこには木のついたてがあります。そのついたてにも焼きごてで貴族院と押されてあります。また、参議院の本会議場の屋根裏には、これが作られた昭和11年当時の 落書きがあります。おそらく大工さんのものでしょう。自分が作ったことを残しておこうと思ったのだなと、非常に感慨深かったです。

 述べたように、首班指名選挙は両院で行います。衆議院だけではありません。首相は「国会の意思」で選ばれるからです。鳩山さん、菅さん、野田さんの三人とも、両院で選ばれました。安倍さん、福田さん、麻生さんの時は、両院で異なる指名を行いました。両院協議会を開きましたが、法案などと違い修正の余地がなく無意味です。これは制度設計が十分ではないと思います。

 首相指名の後衆参の議長は皇居に赴き、天皇に上奏します。それぞれ何票とって誰が選ばれました。そして憲法の規定でこれが国会の意思になりますと上申するのです。前にもお話ししましたが、新しい首相の任命は、前内閣(今回の場合は菅内閣)の助言と承認を行います。そして天皇が野田さんを首相に任命するという手続きになります。繰り返しますが、衆参両院が首相を決めているのです。衆議院には内閣不信任の手続きがあり、これが可決されると憲法上の規定により、衆議院の解散か内閣の総辞職をしなければなりません。効果が法定されています。一方参議院で問責決議案が可決された場合、これは無視してもかまわないという声があるのも事実です。しかし、両院で選ぶ首相ですから、参議院にも首相を問責する根拠はあるのです。具体的な効果はありませんが、政治的な効果という意味で非常に重いのです。

 宿題を出します。法案についての可否が同数の場合は議長が裁定すると述べました。衆議院ではまだ経験したことがありません。参議院では過去2回あります。一回は河野謙三さんが議長をしていた時、もう一九七〇年代のことです。もう一件は西岡武夫さんの時です。これを調べてきて下さい。  西岡さんについて少しお話しすると、先日西岡議長は、衆議院が予算を可決して参議院に送付してきたが、これを受理しないと言いました。憲法上、参議院が「受け取った後」三十日以内に議決しないと、衆議院の意思が国会の意思となることが規定されています。

【質疑応答】
(質)江田先生の代表質問では国際刑事裁判所の質問もしています。これは相変わらず大国が加盟していない状況が続いています。アメリカは二国間協定で十分であるとして反対しています。日本はアメリカと犯罪者引き渡しの二国間協定を結んでいます。質問は、アメリカの犯罪者が日本に逃げ込んできたとき、どちらが優先するのでしょうか、そして日本はどのような態度をとるのでしょうか。

(答)国際刑事裁判所は国際条約で作られたものです。私が若い時代は、国際法というのは何もないに等しかった、強制力がほとんどなかったからです。戦時国際法や平時国際法など、いろんな国際条約ができました。国際刑事裁判所ができたことは、その中の大きなエポックメイキングでした。人道に対する罪というのができました。また検察官役の方もいます。私は、日本は国際刑事裁判所の条約が発効する前から、関わるべきであると主張していました。問題がある制度であっても、入ってから良くしていくべきであると想っていました。

 国際刑事裁判所では日本人が活躍しています。日本は遅れて加盟しましたが、裁判官も出しました。その方は退任して、最近は女性の裁判官も活躍しています。

(質)憲法を理解していなければ議長になれないという要件がないことは残念です。

(答)来週お話しする予定でしたが、いいでしょう。西岡さんは結局、その日は受理しませんでしたね。ちなみに西岡さんにも理屈があります。今回の場合、衆議院は予算案を議決しました。しかし普通は予算案と一緒に送られるはずの歳入法案は議決しなかったのです。参議院はねじれの状態ですから、もし無理に採決して参議院に送付しても、野党に否決されてはどうにもならないと判断したのです。野党と話し合うためでした。西岡さんは、予算と歳入法案は一体なのに、一緒に送付しないのはけしからんというのが考えです。たしかに歳入法案なき予算案は、それこそ絵に描いた餅ですから、西岡さんは受け取らなかったのです。憲法上、予算と条約は衆議院の優越が認められています。「見なし否決」といって、参議院が議決を行わない場合であっても、一定の時間の経過をもって参議院が否決したとみなすことができます。今回の場合、予算についてはやはり衆議院の優越がきちんと規定されているわけです。西岡さんの様にやっていては、憲法の理念を没却してしまうことになります。

 西岡さんは結局、翌日に予算案を受け取りました。しかし次の問題があります。1日受け取らなくて良い、ということが前例になれば、3日間でも、5日間でも受け取らなくていい、ということになってしまいます。予算については参議院議長が受け取らないと言えば、ずっと決まらないわけで、日本で一番の権限を有している人は参議院議長となってしまいます。

 今回の場合、衆議院が予算案を送った日と、西岡さんが予算案を受け取ったタイムラグは1日でした。常識的に言えば、予算案を受け取った日が予算案の送付日とみなされます。私は、西岡さんが最高権力者になるのでは、と危惧しました。西岡さんの理屈もわからんではないが、参議院での起算日は、衆議院が予算案を議決した日と見なすべきではないか、と西岡さんに言いました。

 現実には、受け取ってから29日目、参議院で議決し、その結果が否決であったため、両院協議会を開きましたから、私の危惧は現実のものにはなりませんでした。


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