2011年法政大学大学院政治学講義 ホーム講義録目次前へ次へ

2011年10月7日  第4回「震災復興と原発事故収束」

 第四回目の講義を行います。まずは前回のあらすじをお話ししたいと思います。

【再び死刑制度について】
 前回の講義が終わってからたくさんの意見をもらいました。

 死刑制度については、私は無くした方がいいという立場です。それは、人間の営みは過ちを免れない、それをふまえて制度設計をした方がいい。つまり、間違いは起こらないという前提をもとに制度をつくるべきではないということです。間違いを修正する方法を制度化するのが民主主義の大事な部分です。修正方法がない制度は無理があるのです。

 死刑制度についてもっと話して欲しいという意見をもらいましたが、悩み深いところです。死刑制度について興味がある方は、刑事訴訟法などの法的議論、哲学、宗教学などをやって欲しいと思います。私があまりお話しできないのは、前法務大臣であるということもあります。現在の法務大臣の仕事にくちばしを差し挟むことになってしまう。だからあまり言及しない方がいいのかな、ということがあります。

【政権交代、「政治と金」の問題】
 政権交代は革命ではない、というお話もしました。私が若い頃、革命は歴史の進歩に従って、資本家階級から労働者階級へ政権が移行することを指す、というテーゼがありました。今はもうそんな風には言いません。諸外国の例を見ると、革命の結果、さまざまな無理が出てきて、悪い結果になってしまいました。これは歴史的教訓であります。政権交代で安定的に改革を行うことが理想的であると今は考えています。民主党政権ができたとき、着地が少々乱暴になってしまいました。これを安定化させることが今の政権の使命です。安定化するということは、自民党政権をそのまま引き継ぐのではありません。それでは政権交代の意味がないのです。一定の変化も必要です。

 また、政権交代が起きて、「政治と金」の問題をもう卒業したい、ということもお話ししました。最近の事例として、小沢一郎さんの三人の秘書さんの有罪判決が出されました。また、この講義の前日には、小沢さんの第一審の刑事手続きが行われました。政治資金規正法違反です。

 この事件は通常の刑事事件とは異なる手続きによって進められました。通常であれば、警察による捜査から検察官が起訴を行います。起訴は必ず検察が行う、これを検察の起訴独占主義と言います。また不告不理の原則があります。裁判所は訴えがあって初めて審理を開始する、裁判所の判断で審理を始めることはしません。略式手続きなどの例外もありますが、これは軽微な刑に限られています。裁判所は公訴人と弁護人とのやりとりを聞いて判断します。これは小沢さんの事件でも同様です。

 小沢さんの事件では、検察が起訴したわけではありません。起訴独占主義によって、検察だけが起訴できる一方、市民が何もできないということはどうなのか、という意識から検察審査会制度ができたわけです。検察審査会とは、検察官が行った処分について、市民が審査会に申し立てて、その判断の当否を判断してもらうという制度です。審査会に参加する市民は、各裁判所が所在している都道府県の公職選挙人名簿に登載されている人の中から選ばれます。一般の有権者から無作為に選出した11人です。審査会では、起訴相当、不起訴不当の判断を行います。以前の制度では、検察審査会が不起訴不当の判断をしても、拘束力がなかったものですから、検察官はその判断に拘束されませんでした。では、検察官はまったく独立した存在なのかというと、一応法務大臣が権限を持っていますが、個別具体的な事件について、検事総長に命令権があるだけです。検察の組織以外から、おのおのの検察官に対する権限は非常に制限されていたのです。これでは国民主権の原則に合致しないのではないか、検察官は国民から遠いではないかという議論が出て、司法制度改革の一環として検察審査会法を議員立法で改定しました。順を追って説明すると、検察が不起訴の判断を行う、審査会が起訴相当を出す、それに対して再び検察が不起訴処分にする、さらに申し立てて、審査会において8人以上の方で起訴相当を議決した場合、強制起訴になるという制度を導入しました。

 強制起訴ということですが、検察官としては二度の不起訴をしています。つまり、検察としては公判が維持できないという判断なのですから、裁判になっても検察が本当にやる気になるのかということで、検察官役は、弁護士会の推薦に基づき、指定弁護士が務めることになります。弁護人については、被告人が指定するこれまで通りのやり方です。強制起訴の事例はこれまで4回くらいありました。明石市の歩道橋事故、福知山線脱線事故、あと一つあって、そして小沢さんの件です。また、起訴強制手続きを行って、公判が始まったのはこれが初めてです。小沢さんの裁判は来春にも判決が言い渡されるとのことで、速いペースで行われます。

 この事件は始まったばかりですし、私は前法務大臣ですので、オンではコメントをしていません。オフとオンがありますが、よくオフレコというのがあります。オフレコは基本的には記事にならないものですから、何を言ってもいいのかというとそうではなくて、たまに記事になったりします。例えばこの前の鉢呂さんの失言はオフレコで出されたそうですが、あまりにも酷いと記者の方が判断して、ニュースになったものです。鉢呂発言については、事実なのか伝聞なのかよく分かっていません。単なる冗談話と言えるかも知れません。どちらにせよ酷い話とは思います。

 被告人である小沢さんの話を聞いていますと、検察審査会が「おかしい」というのが論旨のようです。検察官による取り調べ、供述調書が違法だから、裁判所が証拠不採用にした。検察審査会は証拠不採用になった調書類に基づいて起訴相当の議決を出した。だからこの判断には瑕疵がある、従って強制起訴自体が無効であり、公訴棄却を求めるというのが内容です。しかし、裁判の進め方の上で、これは採用されないと思います。裁判のプロセスのなかで、検察審査会に瑕疵があるのかないのか、ということを判断することになると思います。

 政治資金規正法違反については、贈収賄などの実質的な犯罪を伴わない限り、修正で済ますというのが通常である、というのが小沢さんの主張の2点目です。

 また、強制捜査から始まる一連の捜査などを指して、国家権力による民主主義への挑戦である、そして司法の自殺であると、かなり強い調子で批判しました。一見、革命的な主張に聞こえますが、どうでしょうか。

 贈収賄横領を伴わない軽微な事案、これは修正で済むというのは、違うと思います。法律上、報告義務違反にも罰則がついています。国会が罰則を付けたのです。小沢さんが言うように修正で済むのであれば、罰則を付ける方がおかしいのです。小沢さんの話を聞いていると、理屈はどこにでもつくのかな、という感じがします。中曽根さんが、全く白さも白き富士の白雪、自分は全く真っ白であると言っていたことを思い出します。自分は何もしていない、それに対して捜査を行うのは国家権力の濫用であると主張するのは、自分を中心に世界が回っているのかな、と思います。きちんと争いを進めていって、なるべく早く結論を得るのが常識でしょう。ちなみに私は有罪になることを予想しているわけではありません。検察側も証拠が不十分であると言っています。また、既にお話ししたように無罪推定の原則もあります。
 
 小沢さんに対して、国会で説明して欲しいという声があります。小沢さんはそれに対して、立証責任は検察にあると言っています。国会での言質が司法で使われる可能性があるので、小沢さんの言うことは正しいのですが、立証責任と政治家の説明責任は異なるものですから、その意味では小沢さんには説明責任があります。

 「政治と金」に関する説明を聞いていると、非常に説明しにくい。そのような説明しにくいことは無くした方がいいのではないかと思うのです。ただ、この問題は他の民主主義国でも見られることなのです。大事なのは、常に清潔で透明な政治を求める、それも繰り返し求めるということです。今日の最初の方で言いましたが、もう完璧です、ということではなくて、事に応じて折に触れて議論になってくるのですから、それに対して繰り返し求める。政治とお金の関係は、政治の根本問題の一つですが、日本の場合、この問題が構造化してしまっています。構造汚職であると言いましたが、これはなくさなければいけません。
 
【3.11 法務大臣として】
 野田政権の最大の仕事は、東日本大震災による被害からの復旧と復興、そして福島第一原発事故の収束です。

 私は大震災が起きた夜、法務大臣室から永田町、東京の町並みをずっと見ていました。深夜2時3時になっても、車の列がどこまでも続いていました。帰宅困難者、帰宅難民となってしまった方は本当に大変だったようです。

 前回も少しお話ししましたが、法務大臣として大震災の時は本当にたくさんの仕事がありました。地震と津波による行方不明者がたくさんいる中での死亡届の扱いや、瓦礫の定義・指針、土地そのものの扱いです。地震によって土地は大きいところで8mも水平移動してしまったのです。また隆起沈降によって垂直移動したところも多かった。上下左右に移動してしまった中で、あなたの土地はここですよ、という指針を出さなければいけません。このときは、阪神大震災で出した方針を使いました。土地の基準点はここです、ということは法務大臣の指揮に基づいて行われます。また、被災家屋の認定については土地家屋調査士の助けを借りてやりました。とにかく、国がきちんとやらなければいけませんが、まだ解決していないこともあります。

 前回の講義で、税金についての質問がありました。震災復興と密接に関わることなので、ここでお話をしておきたいと思います。今の政治家は増税の必要性から逃げてはいけないと思うのです。復旧復興にお金がかかることは当然なのだから、次の世代にも負担してもらえばいいじゃないか、借金でいいじゃないかという議論もあります。しかし、震災によって無くなってしまった空間をきちんと埋め戻すことは、今の人たちが負担するのが適当であると私は考えます。今の世代できちんと復興させることが大切です。

【原発事故と私の反省】
 大津波の被害の甚大さ。津波は過去に経験無いものではない。昔の経験をいつの間にか忘れ去ってしまっていました。原発の安全神話は罪が深いと思います。貞観地震とかさまざまな地震、津波がありました。数十メートルは想定外ではありませんでした。東京電力でさえ、震災の数日前に報告が出ていました。現実的ではないと言うことで脇に置いてしまいました。私は人ごとのように言えません。1993年という年、細川連立政権で科学技術庁長官、原子力委員会委員長、実用炉は経産省の所管、原子力技術そのものは科技庁の所管、実験炉、研究炉、実証炉は科技庁が実際にやっています。東海村に実験炉があります。実験炉で大きなものは、実験、実用、実証という順番でやっていくのです。高速増殖炉もんじゅもあります。普通の原発は沸騰水型原子炉、加圧水型もあります。原子核の崩壊によって水蒸気を作って、これでタービンを廻す、水力火力も基本的な部分は一緒なのです。タービンをまわすことについては。ウランの核分裂による熱反応。プルトニウムが分裂するときの熱反応で発電するのが高速増殖炉。なぜ高速増殖炉なのか。ウランに中性子を高速で当てます。水を介すことで速度が落ちます。減速材として使うのが通常の原発です。減速材は一次冷却水、(軽水は普通の水、重水の別があります)プルトニウムの場合は減速させない。熱を伝えるのはどうするのか。水で減速させない。ナトリウムの中を高速で通してプルトニウムに当てる。そのときの中性子が核分裂性のウランに変わります。だから増殖、核分裂性の無いウランを分裂するウランにするという。これが科技庁の所管でした。東海村で燃料棒事故がありました。私が就任する前の話でした。事故は無事に収まりました。1993年8月から94年4月までの就任期間、もんじゅが臨海に達しました。科技庁長官室で万歳をしたら娘に怒られました。私が辞めてからナトリウム漏れ事故が起きました。その当時にこの原発についてもっとブレーキを踏む事が出来る立場に居ましたから、安全神話については人ごとでは無い、責任の一端を負っています。弁解かも知れませんが、原発路線を変更しなかったのは、細川内閣の成り立ちに起因します。これは1992年から93年、日本政治にとって重要な時期、構造汚職が繰り返し起きました。リクルート事件がありました。リクルートが新株を発行した。江副社長が、懇意の政治家官僚に激安で譲渡したのです。見返り無く譲渡したわけでは無いのです。一大政治疑惑となりました。もうこんな政治はいけない。自民党政治の終了、清潔な政治を求めるということがありました。

 日本新党の細川さん、新生党の羽田孜さんと小沢さん、さきがけの菅さん、社会党の仙谷由人さん、筒井信隆さん、私が社民連、平成維新の会の大前健一さん、みんな政治を新しい角度から変えていこうと考えていました。みんな党派は違っていましたが、地下水脈でつながっていたのです。その時に出てきたのが宮沢内閣不信任案でした。どうせ反対多数で否決される、自民党内の引き締めでそうなるというのが大方の見方でしたが、私もいろんな情報を集めて、これは可決するのではないかと思っていました。結果、羽田、小沢両グループが寝返って不信任案を可決しました。宮沢さんは衆議院の解散を選びます。

 選挙の結果、宮沢さん率いる自民党は過半数割れになりましたが、ほかのどの党も過半数を取っていませんでした。一番大きかったのは社会党ですが、選挙前140議席あったのを70議席に半減させていました。このような状態なのに社会党に政権交代というのはどうなのかということもありました。国民は自民党政権にNOを突き付けましたが、ほかの党が政権を担当することにもNOを出しました。ではどこの政党が政権を担当するのかという答がなかったのです。自民党ではない政党が責任を持つべきであるという考えは、自然に生まれてきました。

 私がいた社民連では、政権担当政党を作って、国民に選択してもらって政権を担当する、ということを理想にしていました。しかし、細川内閣の誕生で、政治家の考えよりも現実の進み具合の方が速くなってしまった。どのようにして連立をしようかという話になりました。まず、共産党は、向こうも私たちと組むことは考えていないし、こちらも考えていないので選択肢から外れました。そして残ったのが8党派です。この中の一党でも自民党とくっつけば、自民党は政権に復帰できた、そういうギリギリの中で細川内閣は誕生したのです。8党派もあるものですから、意見の違いをまとめていくことができるのだろうかという心配がありました。だから最小限これだけは、選挙改革―つまり選挙制度を変えよう、ということを旗にします。他の政策についてはこれまでの基本政策を引き継ぐことを基本にします。8党派がこれに合意して細川政権がスタートしたのです。

 原子力の話から、細川内閣の話に移ったのは、ここで、エネルギー政策も自民党政権の時の方針が受け継がれたことをお話しするためです。原子力政策の中に高速増殖炉を活用する核燃料サイクルも引き継ぐことが明記されていました。私はこれをどうかと思っていましたが、あまり反対できませんでした。科学技術庁は、高速増殖炉こそ夢の発電であるということを言っていました。原子力発電で使用するウランは、天然に存在するウラン原石(濃度0.7%)を濃縮しなければなりません。まずはこれを数%の濃度にする。ちなみにこれを90%にまで濃縮するとウラン核爆弾になります。日本はウラン核爆弾をつくるつもりはありません。高速増殖炉は60%まで濃縮します。分裂性のないウランを高速増殖炉に設置し、核分裂するウランに変化させるわけです。現在、核燃料を輸入に頼っている日本にとっては夢の原子炉でした。だからこれを開発しなければならなかったのです。

 私は懐疑的でした。実験室や理論上では可能かもしれませんが、こういう技術は実際の工学的な実態と理論上の結果に開きがあるのが通常です。物理学と工学には一定の違いがあると思っていましたから、これを将来の目標に据えるということには疑問を持っていました。高速増殖炉を中心に位置づけるということよりも、様々な発電形式の中の一種であると位置づけた方がいいのではないかと思っていたのです。この点については、細川内閣がもう少し長続きしていれば変わったのかもしれません。

 科技庁長官になってから変えたことは、科技庁をオープンにしたことでしょうか。私の赴任前、科技庁は文字通り門を固く閉ざしていました。反原発の人たちへの対策からです。私はこれではいけないと思っていました。職員は反原発の人から話を聞かなければいけない、私もオープンで話をしようとしました。なぜならば、原子力政策について、敵味方の区別はあまり意味がないことであると考えていたからです。たとえば、霞が関から見えないところで、原発サイトで働いている人には分かることがあります。定期点検の時に圧力容器の中に実際に入って、被曝線量の限界内でやっているような人、こういう人にはいろいろ見えるのです。また、報告されないヒヤリハットの事例など、そういう「不都合」なことは職員に伝わらないものです。だから、職員にはそういう小さなミスをきちんと聞く、点検もきちんとするという態度をとるよう、うるさく言ったものです。反原発の人はマスコミの人を連れてきました。できるだけオープンにしたかったけれども、役所の人は、フルオープンはやめてくれといいます。公開することが前例となってしまうからでしょう。私は、次の大臣のことを考えて、オープン化をやめて、頭撮りだけにしようかと悩みましたが、冒頭取材という概念をつくって対応しました。冒頭取材であれば両者が文句を言わなかったからです。また、私の就任期間では原子力開発利用長期計画の見直し時期にさしかかっていました。私は市民のみなさんからご意見を聞く会を設けようと提案しました。職員が段取りを作ってきましたが、それは却下しました。段取りを作る段階から市民に入ってもらおうと提案しました。また、プルトニウムはすぐに原発の材料になるので、国際管理にしよう、という提案をしたこともあります。しかしこれは中途で消えてしまいました。

 避難訓練についてもよく覚えています。原子力発電所の立地している地域では実際に体をうごかして避難訓練をすべきではないかといったら、職員から、避難訓練をすると不安が高まるのでマニュアルを見るだけにしてほしいと言われました。しかし、今回の事故を見ても実際に体を動かさないとだめなのです。科技庁長官をやっていたころは、眉に唾をつけて安全神話を見ていたつもりでしたが、それでも甘かったようです。反省しなければなりません。

 さて、2005年1月当時、私は民主党参議院の議員会長をしていました。1月といえば、通常国会が召集される頃です。内閣総理大臣以下の大臣が政府演説を行います。それに対して各党は代表質問をおこないます。これが論戦の皮切りになります。私はここで代表質問を行いました。テーマは津波と原子力安全について。当時スマトラ島の津波でインドの原発が危ないとい話がありましたから、この問題を小泉総理にぶつけたわけです。小泉さんは絶対大丈夫、対処法を国際社会に教えてもいい、というくらいの自信を持っていました。みなさんに宿題を出したいと思います。私の質問をぜひネットで検索して読んでみてください。来週このことについて聞きたいと思います。

 それでは本日の講義を終わります。

【質疑応答】
(質)検察審査会について質問します。これには11人の一般人が入るとのことでしたが、情報はどのように手に入れているのでしょうか。また、審査会の議事内容は検察が誘導できるのではないでしょうか。

(答)検察審査会を透明にした方がいいのでは、という話があるのは事実です。通常の捜査の最終段階に当たります。操作は秘密で行われる必要があります。だから検審の審議は情報公開ができないという理由があります。一般の方は抽選で選ばれます。審議では、検察が起訴不起訴を決めた時の資料を用いて話し合いを行います。かなり分厚い資料ですが、頑張って読み込みを行っているようです。検察官の説明を受けます。検察官の不起訴の説明の方向に影響を受けることもあるでしょう。検察審査会は裁判所におかれ、事務局も裁判所にあります。審議の途中で弁護士のアドバイザーを呼ぶこともしました。

 また、必要があれば補充捜査を求めることもできます。誰かの影響を受けてやるとか、そういうことは簡単にはできないと思います。小沢さんの場合、検察とは逆の結論になっているので、誘導があったとは考えにくいと思っています。

(質)野田内閣が原子炉をベトナム、トルコ、ヨルダンに売り込もうとしています。福島の問題が解決していないのに、原発を海外に売ろうなんて理解できません。この点について江田先生の意見をお聞きしたいです。

(答)昨日まで政権にいた人間があれこれいうことではないが、どういう考えでやっているかというと、政府の方針としては原子炉の輸出を続けるということが決まっています。いま出たトルコなどとの交渉は、実は一定の合意に達しているわけです。それを今やめてしまうのは、国際的な信頼の面で問題が出てきます。日本と原発との間に親和性があるのかについては、私は問題があると思っています。日本の場合は特に、立地面で原発が合わないのではないかと思っているのです。

 交渉がまとまっている、または進んでいるところには、津波が起きたこと、事故を起こした事情をきちんと説明するというのが日本政府の考え方です。外国に売り込むことが良いのかどうかは、議論があると思います。

(質)再び、原発の海外輸出について質問です。トルコと交渉しているといっても、トルコでは大地震が起きましたし、クルド人の暴動もあります。そのようなところに輸出しても安心でしょうか。

(答)この点についてもトルコに説明しなければなりません。福島の事故は、地震というよりも津波が原因ではないかと思っています。国際社会では原発が沢山あるし、これからの建設計画もあります。日本が儲けようということではなく、国際的な状況を見て、現実的な対応をする必要があると思います。くりかえしますが、日本には、原発との親和性はないと考えます。

(質)震災の問題について質問します。公務員住宅の問題について、そして数億円をかける外遊について、その一方で野田さんは増税すると言っている。さんざん贅沢をしておいて増税では納得できません。

(答)政治評論的なことは避けたいのですが、朝霞の公務員宿舎については、復活することはないと思います。一定の手続きが必要で、一気にやめると言ったら損害賠償が発生してしまうことでもありますので、とりあえず急ブレーキを踏んだ状態です。

 外遊については、いろんなタイプがあります。ぜひ、国会議員の外遊をチェックしてみてください。私も議長時代に2度外遊しました。物見遊山と批判されないために、東ティモールに行きました。東ティモールは21世紀初めての独立国です。反政府勢力が非常に強いタイにも、そしてインドにも行きました。

 2度目はロシアとラトビア、イギリスに行きました。観光がゼロとは言いません。土日くらいは休んでも文句は言われないと思います。ただ、議会間外交は非常に大切なのです。人のつながりによって得られる情報、交流があります。他は分かりませんけれども、国会として派遣しているケースは、厳選されています。


2011年10月7日−第4回「震災復興と原発事故収束」 ホーム講義録目次前へ次へ