江田五月活動日誌 2014年3月 >>日程表 ホーム総目次3月目次前へ次へ

3月24日(月) 広島訪問(慰霊碑、被団協、資料館、市長、研究者、病院、知事、特使、会見)、上京

 今日は、NPDI(核軍縮・不拡散イニシアティブ)の外相会合が広島で開催されるのに先立ち、これを機に核廃絶の機運を盛り上げようと、民主党の「核兵器のない世界を目指す議員連盟」(非核議連)の顧問として、議連会長の岡田克也さん、事務局長の福山哲郎さん、藤田幸久さん、渡辺周さん、小西洋之さんとともに広島を訪問し、森本真治さんらも現地で合流しました。NPDIは、2010年に岡田さんが外相の時に準備されたもので、現在は12か国が加わって活動しており、広島での会合開催は初めてです。8時45分過ぎに自宅を出て9時半過ぎの新幹線に乗り、10時15分ころに広島駅前で勢揃いして、借り上げのバスで行動を開始しました。

 何はともあれ慰霊碑に直行し、11時前に、「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから。」との文字をしっかり脳裏に刻みつけながら、岡田会長の献花に合わせて黙祷し、さらに11時から30分ほど、広島県原爆被害者団体協議会(被団協)の坪井会長、箕牧事務局長と意見交換を行いました。坪井会長の体験談を聞き、改めて被曝のむごさを感じましたが、特に被災者救護の実態は残酷でした。「子どもも年よりも女性も、救護の対象にはなりません。青年男子だけ、トラックで運ぶのです。早く治療して、前線に送らなければならないから。私の乗ったトラックに、小学生ほどの女の子が車輪にしがみついて乗り込もうとしました。そうすると救護のものが怒鳴りつけ、その子は泣きながら、火の燃え盛る方向に逃げて行ったのです。私は、何も抗議できませんでした。それどころか、それからしばらく生死の境をさまよい、気が付いたときに終戦と教えられても嘘だと信じず、早く前線に送ってくれと求めたのです。」このような不自然な感情に人を駆り立てる人為的精神操作システムを、二度とふたたび許してはなりません。

慰霊碑に献花
取材1
被団協の坪井理事長と箕牧事務局長

 さらに近くの広島平和記念資料館に行き、案内に従って超特急で資料を見てまわりました。この建物は耐震性に欠け、建て替えのために2年ほど休館するそうです。そこから広島市役所まで移動し、12時過ぎから30分ほど、松井市長を表敬訪問して懇談しました。

資料館見学
松井市長と懇談
取材2

 13時から1時間半、ホテルで平和センターの小溝理事長、平和研究所の吉川所長、水元副所長と昼食懇談会を行いました。皆さん、この分野の専門研究者で、食事の後、順次約15分ずつ聞き応えのあるお話を伺い、意見交換しました。

平和文化センターと平和研究所

 さらに移動して広島赤十字・原爆病院に行き、石田院長の病院概要の説明の後に、白血病治療を担当している許血液内科部長から統計上の話を聞きました。放射線被爆と白血病発現との因果関係を統計で説明するのは困難とのことでした。15時45分過ぎに広島県庁に着き、20分間ほど、湯崎知事を表敬訪問して懇談しました。16時半前から45分ほど、非核特使の田邊さんのお話を伺い懇談しました。菅政権の時に制度化され、世界各国をまわる活動が非常に行いやすくなったとのこと。ご自身の被爆体験は還暦まで他人に話さなかったそうです。被爆直後、水道栓から漏れ出す水を飲もうとしたら、大人に制止されたとのこと。子どもはすぐに死んでしまうのだから飲ませなくてよいと、大人が行列を作って先に飲むのだそうです。その他にも被爆者内部でさまざまな差別が生じたとのことでした。最後に17時半前から30分ほど、記者会見をし、外相会合の開催に当たっての提言を発表して質疑応答をしました。

原爆病院
湯崎知事と懇談
知事と記念写真
田邊非核特使と懇談
記者会見

 18時からバスで広島空港に移動し、19時半過ぎの便で、羽田へ。議員宿舎帰着は21時半を過ぎていました。


2014年3月24日(月)

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