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10月27日(水) モーニング、総会、本会議(永年表彰)、表彰式、合同会議、憲法調、役員会s、ハンセン病、QT、森林議懇、津村さん

永年在職議員表彰謝辞
表彰状授与
祝賀会
 
ハンセン病対策四者懇談会

今日は、私が本会議で永年在職表彰を受ける日です。堅苦しいしきたりがあって、妻は8時過ぎに宿舎を出て着物の着付けへ。私は9時に出て、議員会館でモーニングに着替え、9時半から議員総会。その姿のままで、受賞のほか党首討論に臨む岡田代表の意気込みに触れた挨拶。新潟県中越地震に対する民主党としての支援活動なども報告されました。

10時から40分間、本会議。まず村田国務大臣から、台風と地震の報告があり、参議院としての姿勢を示すため支援決議を行い、政府に最大限の努力をすることを求めました。次いで、扇議長が私の表彰の件を異議の有無をもって諮り、議決を受けて、議長が起立して表彰文を朗読し、私も起立してこれを受けました。次に議長の指名で、青木幹雄自民党参議院議員会長が祝辞を述べられ、私も起立。このあたりのタイミングは難しく、緊張。ここで私が指名を受け、謝辞を述べました。妻は、上段の外交官席で、起立して傍聴です。(会議録)その後、前議員の本岡昭次さんの表彰を議決し、人事案件と日切れ3法案の議決と続きました。ちょうどそのとき、新潟の余震と見られる地震で、本会議場がびっくりするほど揺れました。

10時45分から、議長応接室で表彰状贈呈式。扇議長から、表彰状と記念品目録をいただきました。次いで記念写真と祝賀会。各会派代表など10数人の簡単な立食パーティーで、シャンパンで乾杯し、11時20分でお開き。やっとモーニングから解放されました。

12時から、国対・理事合同会議。父のもうひとつの言葉を紹介しながら、会派の皆さんにお礼を申し上げました。「政戦50年、余命いくばくぞ、政権交代ならずして、入るべき墓もなし」というもので、この後半年余りで、亡くなりました。中座して、12時40分から参議院憲法調査会。テーマは地方分権です。13時から、参議院民主党の臨時常任役員会。立法事務費の扱いなど、党と会派の運営につき忌憚のない議論をしようというものです。中座して憲法調査会へ。再び中座。

14時から、ハンセン病対策の四者懇談会。厚労省担当部局、ハンセン病施設長協議会、全療協、国会議員の4者です。国会議員のほうは、津島雄二さんが会長の「ハンセン病対策議員懇談会」と私が会長の「ハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会」が共に出席しましたが、津島さんが途中からの出席となり、私が冒頭挨拶。医療改善と予算獲得の行動の一環ですが、議事の途中で津島さんにバトンタッチし、中座。

15時から45分間、国家基本政策委員会合同審査会。党首討論で、私は委員です。小泉首相と岡田代表の二人だけの直接対決で、ルールに則れば他の野党党首には参加資格がありません。小泉首相は、明らかに時間稼ぎの長広舌やはぐらかしで、「不真面目」ぶりを遺憾なく発揮。岡田代表もいささかうんざりの様子でした。(会議録

16時から、民主党役員会と参議院憲法調査会の再開とが同時に始まりました。私は、まず役員会へ。イラクでの新たな日本人人質事件への対応の協議と決定です。対策本部の立ち上げと代表談話を決めました。民主党の方針は、自衛隊の撤退であり、このことは人質事件があっても変わるはずはありません。ただ、脅しに屈して政策変更をしたと取られては困るので、表現振りが難しいところです。今回は、救出はかなり難渋しそうです。香田さん自身の責任もありそうですが、ここまで事態を悪化させた政府の行政責任は、厳しく問われるべきものです。

16時40分、森林環境政策議員懇談会役員会へ。広戸風による森林被害につき、注意喚起しました。その後、憲法調査会へ。18時から、参議院憲法調査会の関谷勝嗣会長主催の懇談会。議長公邸での立食形式の会です。中座して、津村啓介さんのプライベートな誕生会へ。ただし、開始前に失礼。夜は、全く久しぶりに妻とデート。


記念撮影


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