江田五月 活動日誌 2002年5月 (20日) >>日程表 戻る総目次5月目次前へ次へ


5月20日(月) 独立式典ドキュメント

東ティモール民主共和国 国旗昨日(5月19日)は夕方から、東ティモール独立行事に参加しました。これは全て、政府関係者しか招待されていないのですが、私だけ潜り込ませてもらいました。服装は、淡い色の長袖開襟シャツと濃い色のズボンで、スマート・カジュアルというのだそうです。

まず、16時40分、杉浦外務副大臣の泊まっている海のホテルに集合。前回私たちが泊まったところです。突然、米国のクリントン前大統領が現れ、びっくり。現職を退いてもサービス精神旺盛で、その場にいるみんなと握手。私も握手し、「大統領になられる前にお目にかかりました」と話しかけ、宮沢内閣末期に米国大使館で行われたレセプションでのことを話題にしました。来週訪日するとのことです。

17時から、国連のコフィ・アナン事務総長ら主催の外国来賓レセプションへ。暫定政府のデ・メロ事務総長特別代表は旧知で、アナンさんに「大変熱心に支援してくれました」と言葉を添えて紹介してくれました。唐家セン(王へんに旋)中国外相が目に止ったので、久闊を序し、「よく復活されましたね」と労われて戸惑いました。杉浦副大臣とは、瀋陽問題で若干の鞘当て。急な立ち話ですが、「明日、武大使が小泉首相に会いに行くよう、指示しました」と新情報。マリ・アルカティリ暫定首相、マリオ・カラスカラォン社民党党首とジョアン・カラスカラォン元暫定インフラ大臣など、多くの東ティモール議員とも会いました。急ごしらえの演壇で、アナンさん、ホルタさん、アルカティリさんなどが挨拶。夕食会は失礼して、杉浦さんらと別途夕食。

21時にホテルを出て、海岸の広い砂浜に設営された独立式典会場へ。途中で、マリア像をおみこし風に担いだ大行進とすれ違いました。ミサの後のようです。ここは、敬虔なカトリックの国なのです。

ホルタさんが開会宣言会場では、壇上は杉浦さんだけで、私たちはサイドの自由席。21時30分、ホルタさんが開会宣言。民族衣装の踊りが続きます。13県それぞれが伝統舞踊を披露しているようです。正装に身を包んだお年寄りの気合いの入った歌が印象的でした。特別の訓練はしていないようですが、参加者の心がひとつになっていることが伝わってきます。大きなワニの張りぼての行進など、次々と工夫を凝らしています。

クリントン前大統領23時10分から、ホルタさんによる外国来賓紹介。まず、アナンさん、デ・メロさんなど国連関係者。ポルトガルは大統領をはじめ100人の代表団。オーストラリアはハワード首相。モーリシャス、モザンビーク、ナウル、南アフリカ、ニュージーランド、サモア、世銀。そしてクリントン前大統領が、在任中の人権外交への賛辞を込めて紹介されました。個別の紹介は、西サハラのポリサリオ代表までで、後は全世界の全ての人びとの代表へ謝辞。

メガワティをエスコートするシャナナ
アナン事務総長からシャナナ大統領へ

そこで、劇的なことが起きました。「ただ今、グスマォン大統領当選者と一緒に、」と間をおいて、「メガワティ・スカルノプトリ・インドネシア大統領が到着されました。インドネシア兵士の墓地に眠る英雄たちに参拝の後、直ちに駆けつけられました」との言葉に続き、2人が並んで入場。ドタキャンかなと思った矢先で、劇的な演出です。歓迎する東ティモール側も立派で、心から拍手をしました。これが1975年に実現していれば、第2次世界大戦後の現代史で最悪の「戦争」はなかったのにと、つい恨み節。次いで、子どもたちの演技。この子たちのために、皆頑張っているのです。

ハン・ソン・スン国連総会議長が権限委譲の演説。「あらゆる希望を打ち砕かれた20年余を経て、今、21世紀最初の独立国となった東ティモールを、国連加盟189か国は心から歓迎します。」アナン事務総長の演説。「長い話しは出来ません。なぜなら、0時が迫っていますから。45年前の私の故国ガーナの独立の時と同じように心が躍っています。こんなに小さな国のために、世界中がこんなに団結したことはありませんでした。この日を夢に見ながら亡くなった人々のためにも、祝福します。全ての人類が誇りとすべき日です。独立は言葉でなく実績です。東ティモールの人びとは、どうか約束して下さい。結束こそが力です。国連は今後も支援を続けます。」

大統領就任演説
フィナーレの花火

0時、独立。黒人歌手のすばらしい“We shall overcome”の歌声に乗って、国連旗が降ろされ、ル・オロ国会議長が独立宣言。ファリンテル代表から国防軍兵士に新国旗が渡され、国歌の吹奏の中を掲揚へ。議長により、グスマォン大統領の就任宣誓。署名。最後に、就任したばかりの大統領が、英語、ポルトガル語、インドネシア語、テトゥン語と、4カ国語を使って就任演説。「東ティモール問題の解決は、国際社会の責任でした。そこで、こうして全世界から代表が集まってくれました。私たちはここに、自由で民主的で豊かな国をつくります。皆さんはその証人です。」各国代表への謝辞に続き、UNAMETのイアン・マーティン代表へも言葉が添えられました。国連、ポルトガル、インドネシア、オーストラリアには、記念品の授与。最後に力強く、「私は、この会場を“Garden of PEACE(平和の庭)”と名付けます。私たちは責任を果たします。ビバ、東ティモール!」と締めくくりました。

盛大な花火。大混雑の中をホテルへ着いたら、2時を回っていました。

というわけで、今日(5月20日)は、独立国となった東ティモールで、ゆっくり目を覚ましました。


東ティモール最大の人権NGO ヤヤサンハックのジョゼ・ルイス・オリベイラ君と
インドネシア支配下の政治犯収容所跡

人権団体、政治犯収容所

今日は、独立東ティモールの初日。ゆっくり起きて、14時から、「ヤヤサン・ハク」にジョゼ・ルイス・オリベイラ君を訪ねました。ここは、東ティモール最大の人権団体で、彼を日本に招請する交渉です。話し合いはうまくいきましたが、手続きがややこしそうそうで、悩ましいことです。

15時から、ジャシント・アルベス君の案内で、インドネシア支配下の政治犯収容所跡を視察。ポルトガルの刑務所でした。住民投票後の騒乱で、今は荒れ果てています。「潜水艦」と呼ばれる暗黒房もありました。拷問も行われ、壁に恨みの落書きも残っています。ジャシント君はここに1年、他の刑務所に3年収容されていました。政府はここの管理を「政治囚協会」に委ね、受容真実和解委員会が2年間使用します。協会は、将来ここに人権関係の会議場や歴史資料館を造りたいとのこと。

夕食は海岸の魚レストラン。期せずして、世界の人権活動家と会うことが出来ました。

浜辺のシーフードレストラン (洋一秘書) カトリック池永大司教と山田神父

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