2003/04/21 >>活動日誌

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21世紀型「地球憲法」を考える


《参議院・憲法調査会の経過と今後》

これまでの概要を簡単に説明します。

参議院憲法調査会は平成12年1月20日にスタートしました。その前年、国会法の改正で衆・参両院に憲法調査会を設置し、憲法に関する広範囲な調査を実施することが決まりました。

衆議院は中山太郎さんというかなり強烈な個性の人が会長でしたが、参議院の場合も最初は村上正邦氏という強烈な個性を持った人が会長でした。

最初の幹事会から大激突でした。当時、国会がもめてストップしていたにも拘わらず、しかも事前の打ち合わせや準備も出来ていないし、幹事長も決まっていないのに村上会長は調査会の幹事会はどうしてでも開くと言う。そのため、村上さんが招集する調査会をボイコットしたが怒鳴り合いでした。1月20日にスタートしたわけですが、はじめから非常に大波でもめてスタートしたことを今でも記憶しています。

調査会の進め方として、総論的にこの国の形について議論し、憲法を国民と一緒に考えていく。調査会だけがどんどん勝手に進めていくのではなくて、国民の意見を伺いながら進めていくことを前提にスタートしました。    

最初の意見聴取に西尾幹二氏が出席するが、これはたまたまで政治的なことではなく、専修大学の正村公宏教授にも出席してもらいました。

平成12年の春には、学生の皆さんにも公募で意見を聞きましたが、300人位応募があり20人を選び聞きました。

もう一つ、特徴的なのは同年5月2日に憲法制定時に深く関わったGHQの人たちからも意見を聞いたことです。GHQに関わったこと自体、いいか悪いかの議論がありましたが、歴史的に事実なので否定出来ない。3人お呼びすることになり、その内一人は欠席で、幹事が代読し、あと二人は誰でも知っている有名な人で、ベアテ・シロタ・ゴードンさんとリチャード・プールさんです。

ベアテ・シロタさんはGHQの職員で、当時、まだ若き20代の女性がGHQに呼ばれて、「基本的人権」の起草に携わる、これは絶対に秘密だということで自分の任務を隠して、日本全国の図書館を駆けめぐって関係資料を集めた。女性の権利について、細かな規定を置いたら全部削られて口惜しい思いをしたと言います。

村上会長自身も「非常にいい話を聞いた」と大変喜んだくらい非常に良い雰囲気のなかで意見を聞くことができました。

平成13年1月には、アメリカの憲法事情についての海外調査に行くことになり、私が団長で渡米しました。最近のイラクに関わっているヒュマーンライトの関係者マイク・ジェーリックさん、環境問題、自然保護、さらには地方自治のことで州の事情も見聞しました。

とくにこの時は、ブッシュ・ゴアの大統領選挙。ゴア氏が決まった直後でもめにもめ抜いていた頃でした。「アメリカの統治機構はどうなっているのか」、「憲法があっても全然、動かないのではないか」と言う見方があることに対して、実際には、印象とは逆でここまでもめにもめた結果、大統領が決まる、半年かかったらしいが、まさにこれだけもんで結論を出せたのは憲法があったからちゃんと決まったということでしょう。強い憲法に対する信頼をアメリカは持っていることを痛感しました。

平成14年に入り、つまり去年の2月20日に公聴会を開きました。衆議院の場合、中央公聴会は開かず地方公聴会を開きますが、逆に参議院は地方はなく、中央公聴会を開きます。

同年4月からは「基本的人権」にテーマを移して調査会を開きました。結構面白かったのは外国人の話。学生や障害者の人たちの意見。つまり人権の最前線で頑張っている人たちからいろいろな意見を聞く事が出きました。5月にも公聴会。

今年の4月16日つまり数日前ですが「基本的人権」の締めくくりとして、委員会の意見交換をしました。

次からは大きな課題である「平和主義」と「国際社会」がテーマです。公聴会を6月に実施するので皆さん、是非、応募してほしと思います。
 
《私の憲法観》

いまの憲法は「アメリカにつくられたからケシカラン」と言う議論があります。むしろ逆に私は制定の経過はいろいろあっても、良い憲法だと思っています。しかし残念なことに、両方から、憲法擁護派からも憲法自主派も「この憲法をこういう風に、日本はしっかりとできている」という確信をもてていないのが現状ではないかと思います。

民主党は論憲の立場です。何の前提も持たないで、憲法を絶対変えてはならないとか、また頭から変えるべきだという前提をもたないで、憲法の議論を十二分にして、その結果として、私たちが到達する結論にしたがって、憲法を書き変えようということになれば改めなければならない。みんなで議論し集大成した憲法というものを考えなくてはいけない。論憲をしてみても結局、何事もなかったということにはいかないのではないか。そういう時に、みんなでこういう憲法をつくったというプロセスを経ていきたいと思います。

そのために大事な事。いまの自民党政治は民主党や野党の息切れもあり、どう叩いても、ひいてもなかなか崩れない。しかし、どこかの政治勢力が大きくふくらんで、これが3分2以上となり、「憲法改正」という形ではなく、やはり大きな合意を形成しようと思えば、政権交代が普通の姿になって政権交代を担う普通の勢力が憲法の大きな国民的議論をつくっていくプロセスが必要であり、これを大前提に考えておかなければならないと思う。

ではどういう議論をするか?

私は憲法を歴史の中で考えなければいけないと常々、思っています。その歴史の方向というのもイラク戦争もありますが、しかし、やはり国際社会が次第にかけがえのない地球の意識とともに大きく姿を現しつつあります。その国際社会全体で、平和をきっちり維持していく。地球上に生を受けたなら、どの地域、肌、色に関わりなく、すべての人々に基本的人権が保障され、あるいは民主主義という統治構造の下にある地球市民として生存が保障される。

地球市民というのは、地球の人類共同体の主役であり、地域の自己決定、国家的規模での意志決定、そして地球全体の意志決定、そういうところに主権者としての自分の自己決定権を託しながら物事を決めていかなくてはならないのではないか。そのように考えれば、第2次大戦後、国連ができて「国連憲章」なり、「人権宣言」ができたことは大きな出来事であり、さらに発展させていかなくてはなりません。地球憲法を進めましょう。

どこの国でも自治体でも、この地球憲法を基本におくという視点からいえば、整合性ある日本国憲法とはどういうものか?そんな議論をしていけば論憲が容易となり、意義あるものになる。

日本の憲法だから日本の伝統や習慣、考え方、むせかえるような日本の文化や色彩、日本的な顔を持った内容の憲法をつくらなければという人もいるが、それは最後の“味付け”。基本は地球憲法をどういうものとして整合性がとれることが一番肝要です。憲法が持っている「平和主義」「基本的人権」「民主主義」、こうしたものは当然、これからも守られ、もっと伸ばしていくことが大切だと思います。

たとえば、平和主義で言えば、第9条の書きぷりというのはそれはそれでいろんな経過もあり、意義があると思う。しかし1947年という歴史の特別の時点で、日本がこれからの国際社会でこういうやり方で臨もうということを特殊な歴史を背景にして表現したら、そういう表現になったということですから、それを一般化、普遍化して、あの時の日本の決意を文章表現する方法があるのではないか、という気がします。第9条はアンタチャブルという必要はないのではないか。

ただ、第9条にかぎらず法律的な文章は書き換えの仕方がいろいろあります。

たとえば、五十嵐教授のいう、いわゆる「プラス改憲」。アメリカの憲法と同じように、修正を付け加えていって実質上、すでに古典的な価値しかないもので文章として残っていても、現実には意味がなく、変えられている。こいう形自体も一つの方法論として検討の価値はあるだろう。

《大統領制》

憲法調査会に属する議員では53%が望ましくないで全体としては消極的。憲法学会も80%。私は反対と言い切るわけではないが(?)

日本の政党政治は機能していません。自分たちが自分たちのトップを選ぶことができない。
 
つまり政党が勝手に自分たちの都合で総理大臣を選んでいる。しかも何人かだけの談合で選らんでいる。そんな統治機構ではいけないということで、「大統領制」を考える向きが少なくとも国民の側にある。しかし、そういう形で政党政治を機能させる、つまり政党政治を媒介にして、自分たちの選択を行う形で政党政治の動きをして大統領制に移行するなら結構。そうでなければ、いい結果を生まないだろう。先ず私たちも政党政治をしっかり動かし、政党政治を機能させるようにしないと大統領制の危惧の念を与えてしまうだろう。しかし、いまのシステムで議院内閣制がうまく機能していなことは確かです。

民主党も私自身も議院内閣制下の内閣総理大臣の権能をもっと強める必要があると思っています。今はそれが曖昧です。行政首相者は内閣総理大臣しかいません。その他の大臣は全部、国民が国会議員を選び、国会議員が総理大臣を選ぶ。それを通じて、はじめて大臣になっている。つまり日本の内閣制度は少なくとも制度だけで言えば、総理大臣というのは同輩中の要するに「学級委員長」ということだと思っています。

《地方分権》

もっと地方分権を進めるべきだと思います。

《一院制か二院制か》

「一院制」か「二院制」かが議論されています。一院制にするには憲法改正の議論になるわけだが、一院制をタブーなき議論をしてみる価値はあるだろう。実は、私はいま超党派で「統合一院制研究会」をつくり活動しています。

日本の二院制は世界の中でも異質。同じ選挙制度、同じ権力構造があって、チェック・アンドバランスというのは外国には例がない。衆議院が数の府で参議院は質の府といわれて、良識の府としてチェックするときれいごとをいわれているが、実際にはとんでもない話。逆に法案の審査などは全く同じ事をやっていることが多い。したがって、参議院を改革するのではなく、衆・参合わせて一つの国会にして、たとえば衆議院は予算を中心に、参議院は決算を中心にし法案は衆参両方でおこなう。

一院制にすれば政治がはっきり分かり、国民の選択制もはっきりする。少なくとも、それを考えないと、いまのままの状態で「参議院の自主性!」をいくら大声をだしてみてもうまくいくわけがない。一院制を考えてみて、二院制の問題点や運用の実態が明確になると思う。

《憲法裁判所》

私はつくるべきだという意見です。いまの日本の憲法の下で「憲法裁判所」を本当につくれないのかなと考えています。

いま何故できないのかというと、司法は裁判所に属し、具体的な事件に対する法の適用による問題解決をする。それも裁判所だということで、憲法裁判所の場合には、具体的な事件ではなくて、抽象的な違憲審査権をやってもらわなくてはいけないから、これも裁判所では無理だという議論ではないかと思う。

司法が裁判所。しかし、憲法裁判所という抽象的憲法審査権をやる場合、司法の判断かどうかですよね。むしろ逆に、司法と行政とを分けたら、そのどれにも入らないかあるいは行政のどこかに関わる判断ではないだろうか。だからそのぶんだけ、抽象的な違憲審査権をいまの最高裁に委ねるという制度的設定ができないのではないか。これは私独自の考えです。去年。憲法調査会でそんな議論をしました。

21世紀に入りました。20世紀半ばで出来た憲法を絶対に動かさないという話ではなく、大いに憲法について議論すべきだと考えます。

市民版憲法調査会」第10回学習会  総評会館 201会議室にて


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