江田五月活動日誌 2015年3月 >>日程表 ホーム総目次3月目次前へ次へ

3月11日(水) 日系人表敬、合同会議、大震災追悼式、憲法、行田さん、中国大学生歓迎会

 今日は、11時から1時間弱、「在米日系人リーダー招聘プログラム」で来日中のご一行が日米友好議員連盟を表敬に来られ、議連顧問として出席しました。まず、日本側の中曽根弘文会長が、次いで米国側のアイリーン・ヒラノ・イノウエさんが、それぞれ挨拶し、米国内の従軍慰安婦像の件などにつき率直な意見交換をしました。中曽根会長は、日本側は決して歴史修正主義ではないと明言しました。イノウエさんは、故ダニエル・イノウエさんの未亡人です。その後、全員で記念写真を撮り、私は12時直前に中座しました。12時から30分ほど、国対・筆頭理事合同会議に出席しました。

日系人と日米議連の懇談会 - 全景
同 - 日本側
同 - 米側
同 - 記念写真

 午後は、議員宿舎で略礼服に着替え、14時前に国立劇場へ。政府主催の「東日本大震災4周年追悼式」に、元参議院議長として参列しました。天皇皇后両陛下のご臨席をいただき、14時40分に開式となり、国歌斉唱の後、14時46分の時報と同時に1分間の黙とうをし、安倍首相の式辞、天皇陛下のおことば、衆参議長と最高裁長官の追悼の辞があり、ご遺族代表として被災3県の若者が言葉を述べました。宮城県の菅原彩加さんは、当時中学3年生で、津波に流された後に瓦礫の山に乗って助かったのですが、その下から自分を呼ぶ声が聞こえるので見ると、母親が瓦礫に挟まれて身動きできなくなっており、自分ではどうしても取り除くことができず、そのままそこにいるとまた津波が来るので、「お母さん、ありがとう」と言ってそこを離れたと、つらい体験を話してくれました。正しい決断ですが、同時に悲しい決断です。涙をこらえることが出来ませんでした。福島県の鈴木幸江さんは、原発事故のためにまだ生まれ育った町に戻れません。天皇陛下が身を乗り出して聞いておられたのが、印象的でした。その後、両陛下が退席され、外交使節の後に私たちが献花して退場しました。

大震災追悼式

 16時過ぎに、議員宿舎で平服に着替えて会館事務所に戻り、16時半から30分ほど、憲法に関し取材を受けました。17時に、行田邦子さんが来られ、「政治分野における女性の参画と活躍を推進する議員連盟」の顧問に就任を要請され、受けました。17時15分に退出して、次の会場に向かいました。

憲法取材
行田さん

 18時から2時間弱、JENESYS2.0の中国との青少年交流の一環として昨日から来日している中国大学生第19陣164人の歓迎会に出席しました。私が会長をしている公益財団法人日中友好会館の主催で、冒頭に主催者として歓迎の挨拶をし、外務省の植野課長が歓迎の言葉を述べ、団長の中日友好協会の王占起部長が挨拶をしました。さらに、両国の学生代表が共同でアピールを読み上げ、中国大使館の汪婉参事官の音頭で乾杯をして、懇談をしました。学生たちはみな日本語を勉強しており、今日は日本大学と法政大学の学生たちと、日本語で交流をしました。

中国大学生歓迎会 - 挨拶
同 - 乾杯
同 - 懇談1
同 - 同2

2015年3月11日(水)

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