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2月25日(水) ET議連、速記官、合同会議、憲法調査会s、ハン議懇、シンポ

東ティモール議員連盟懇談会
 
 
ハンセン病問題議員懇談会総会

今日は6時半に名古屋駅前のホテルで起床。7時過ぎの新幹線で上京。

9時半前に、東ティモールのシャナナ・グスマォン大統領を、参議院会館玄関で出迎え、9時半から10時15分まで、東ティモール議員連盟主催の懇談会を開催しました。

岡崎トミ子事務局長の司会で、まず私が、会長として歓迎の挨拶。彼は3度目の来日ですが、大統領としては初めてで、こんな日が来るとは感無量でした。羽田孜元首相、菅直人民主党代表、土井たか子前社民党党首ほか、大勢の国会議員が参加してくれました。羽田さんと私とは、1999年11月に、住民投票後の騒乱で荒れ果てた現地に出掛け、田舎町まで出向いて、修道女さんの部屋を空けてもらって一緒に雑魚寝した仲で、その翌日にシャナナに会ったのが最初の出会いです。

11時前、電機連合本部で、古賀伸明委員長と懇談。11時半過ぎから、最高裁の担当者と速記官制度につき意見交換。12時から、国対・理事合同会議。衆議院の予算審議の先行きが見えてきたので、参議院の審議日程も具体的検討に入らなければなりません。

13時から16時半までの予定で、参議院憲法調査会。今日は集団安全保障、集団的自衛権などにつき、豊下楢彦教授、本間浩教授、森本敏教授からご意見を伺い、質疑。その後は自由討議です。

私は中座し、14時半から、ハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会の役員会へ。私が会長で、総選挙で有力メンバーを失ったので、補充人事と総会の持ち方を協議しました。15時から1時間、議員懇談会総会。全国から元患者の皆さんも大勢駆けつけ、大盛況となりました。私が冒頭挨拶し、野中広務さんに代わる顧問に古賀誠さんを、また共産党と社民党から副会長を推薦していただくことを提案し、了承されました。次いで、原告団・弁護団から、ハンセン病対策協議会の状況、黒川温泉宿泊拒否事件の現状、韓国の小鹿島更生園(ソロクト)の問題につき、それぞれ報告。看護士の3交代勤務につき要請を受け、出席国会議員の決意表明もいただいて、閉会。解散前に148名だった会員が、163名に増えました。

16時過ぎ、憲法調査会に戻ったら、そこに最高裁の担当者が来られ、中座して別室で、速記官問題につきさらに意見交換。17時から、民主党憲法調査会総会。菅代表の挨拶の後、私が、5つの小委員会の役員構成を提案し、了承された後、庄司克宏教授から「EU憲法と主権国家の変容について」という講演を聞きました。中座。

18時前に、毎日ホールに到着し、打ち合わせの後、18時から2時間強、「宿泊拒否とハンセン病問題の現在(いま)」というテーマで、パネルディスカッション。満員の大盛況で、宿泊拒否に対する市民の怒りの強さを示しています。パネリストは、元患者側から、新原告団長の谺(こだま)雄二さん、全療協事務局長の神美智宏さん、毎日新聞の三木賢治さん、熊本県の東明正さんと私、司会は安原幸彦弁護士で、会場とのやり取りを含め、熱心な議論が続きました。最後に西日本弁護団長の徳田靖之弁護士が、「怒りをたたかいに変えましょう!」と、熱のこもった言葉で締めくくられました。

パネリストとして参加 大盛況のシンポ会場

 
シャナナ・グスマォン東ティモール大統領と (前にある置物はお雛様です)

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