活動日誌 1999/11

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再び東チモールへ(11月8日〜11日)

 東チモール暫定統治機構が立ち上がる時がきました。日本は、大きな責任と役割があるはずです。何をするのか、すべきなのか。

 何より大切な事は、現地住民の声に耳を傾ける事です。これを無視して、勝手な事を言っても、それは日本のご都合主義に過ぎません。しかし日本政府は、彼らに嫌われている事はあっても、決して信頼されてはいません。政府に任せていては、いい事になりません。信頼されているとすれば、それは長く支援活動を続けてきた私たちしかありません。

 そこで事の始まりにあたって、最初の道筋をつけるためにも、羽田幹事長と私とで、再び行く事にしました。8日出発、11日帰国。現地への往復は、国連難民高等弁務官事務所の難民を運ぶ飛行機に便乗させてもらいます。現地は焦土と化しています。野宿覚悟で頑張ってきます。


無事に帰ってきました

 東チモ−ル独立がスタ−ト。日本の役割は何でしょう。

 政府には住民たちとの接点は何もありません。草の根の支援活動を続けてきた私たちの出番です。そこで再び11月8日から11日まで、現地一泊二日で、民主党の羽田幹事長とディリに行ってきました。

 西チモ−ルから国連難民高等弁務官事務所(UNHCR )の難民輸送機に便乗。マリア像一つしか所持品のない難民など、事態の深刻さが窺えました。ディリは、商店街も民家もすべて焼かれ、徹底的に破壊し尽くされていましたが、人々はみな明るい笑顔で、建国の意欲に溢れていました。

UNHCR難民輸送機内 ディリ トランジットセンター

 夜中に三時間以上かけて、やっと真っ暗闇の修道院にたどり着き、素ベッドにごろ寝など、大変苦労して十日朝、田舎の集会での演説を終えた人懐っこい笑顔の最高指導者シャナナ・グスマオさんと面会し、固い握手で協力を約束。ディリに戻りノ−ベル平和賞のベロ司教とも会って、帰りの輸送機に飛び乗りました。

 政府は危険度5の認定を変えていませんが、治安はほぼ完全に回復。民間協力に何の支障もないと確信しました。


東ティモール訪問日程表

11月8日(月)10:55
16:25
17:30
19:00
成田発(JAL725)
ジャカルタ着
邦人記者ブリーフ
川上大使主催夕食会
11月9日(火) 6:00
11:15
11:50
12:45
14:00
14:30


19:00
ジャカルタ発(MZ644)
クパン着
UNHCR機
ディリ着
UNHCRディリ本部 ベルナール・ケブラー支部長
〜 ディリ市内視察 ドンボスコ難民トランジットセンター
    コモロ地区フランス軍仮設病院
    ドンボスコ サレジオ教会
〜 バウカウ地区へ
    ラガ修道院 孤児院で宿泊
11月10日(水) 9:00
12:10
12:40
13:40
14:00
15:00

16:30
19:30
20:30
21:00
23:45
シャナナ・グスマン CNRT議長と会談
ベロ司教との会談
UNHCR機
クパン着
ピエット・タロ 西ティモール州知事と会談
〜 クパン難民トランジットセンター
    クパン難民キャンプ視察
クパン発(MZ645)
ジャカルタ着
邦人記者ブリーフ
川上大使と懇談
ジャカルタ発(JAL726
11月11日(木) 8:35 成田着

羽田幹事長、江田参議院議員、東ティモール訪問終え帰国

 インドネシアと東ティモールを訪問していた民主党の羽田孜幹事長と江田五月参議院議員が11日、帰国した。

 羽田幹事長はまず、7日にインドネシアの首都ジャカルタで日本人留学生9人と懇談し、翌8日にはメガワティ副大統領と会談した。「隣国間のトラブルは世界中にある。東ティモール問題を解決できれば、世界の信頼はインドネシアに大きく集まる」と激励した羽田幹事長に対し、メガワティ副大統領は「22%の併合派も忘れてはならない。この人達も共に生きられるようにしていきたい。(独立運動の指導者)シャナナ・グスマン氏とも会う努力をしたい」と問題の解決への決意を示した。

 翌9日、両議員はジャカルタを発ち、空路西ティモールのクパンへ。さらにUNCHRの難民輸送機に同乗して、東ティモールの中心都市ディリに入った。ディリでは、UNHCRの現地本部や、市内の難民トランジットセンター(避難民が居住地に向かうための中継基地。輸送車両が不足しており、3週間足止めされている住民もいた)、フランス軍の運営する仮設病院、サレジオ教会を視察した。市内の主な建物や家屋はことごとく焼かれたり破壊されており、「洗面台や便器がすべて同じように壊されて、計画的な破壊との印象を受け、あきれ果てた」と羽田幹事長は語っている。その夜、両議員はインスタントラーメンを食べ、修道院にある孤児院に宿泊した。

 翌朝、両議員は市内で行われた演説集会に参加し、グスマン氏と会談した。グスマン氏は、住宅が極度に不足していることや、米以外の食糧、農作業の道具、技術、種子が必要だと述べ、日本からの一層の支援を要請した。 両議員はさらに、飛行機のたつ直前のわずかな時間に東ティモールの精神的なリーダーであるベロ司教とも会談。司教は、日本の政党が2度も東ティモールを訪れたことに深い感謝を表した。

 両議員は、UNCHR機で西ティモールのクパンに戻り、州知事らと会談。続いて、難民キャンプ地を視察した。限られた時間の中、難民の家族にも会い、東ティモールの現在の状況がキャンプ内には全く伝わっていないことや、UNCHRが難民の意思確認をできていない状況などを確認した。


 両議員は帰国後、12日午前、外務省に河野外相を訪ね、政府の東ティモールへの対応について、「徹底した破壊が行われたが、治安は安定している」として(1)東ティモールを危険度5(邦人の退避勧告)としている外務省の指定を引き下げ、ボランティアが渡航しやすいようにする(2)自衛隊機による救援物資の空輸は、中継輸送手段が不足しているため、直接東ティモールのディリまで乗り入れる――ことを要請した。この後、国会内で記者会見した羽田幹事長は、「アジアで今世紀最後に独立する国だ。80万人のゼロからの出発に日本国民はもっと関心を持ち、支援すべきだ」と訴えた。

(民主党ホームページ・トピックス)


11月11日(木) 「法務大臣の指揮権」への認識ただす
         江田NC大臣が臼井法相に

 参議院法務委員会で11日、民主党ネクストキャビネットの江田五月司法担当大臣が、臼井法相に質問した。

 江田議員は、まず今年3月に辞任に追い込まれた中村正三郎元法相の例を上げて、法務大臣の指揮権発動についての認識を質した。中村元法相は検事総長を直接指揮するだけではなく、例えば刑事局長を通してでも指揮権発動になることを知らなかった。

 さらに、江田議員は、「小渕自自公政権が発足以来黒星つづきで、相撲で言えば初日から6連敗の状態にある」と指摘。東海村臨界事故の際、総裁選の報復人事に夢中になって政府の事故対策本部の設置が大幅に遅れたこと、長野補選での敗北、西村前防衛政務次官の更迭、藤波衆議院議員辞職勧告問題、企業・団体献金禁止の迷走、無責任きわまる介護保険の見直しを列挙し、それぞれについて臼井法務大臣の政治家としての見解を求めた。

 総じて臼井大臣はきまじめ、かつ最小限の答弁に終始し、残念ながら政治家同士の丁々発止の論戦にならなかった。

詳細は参議院 法務委員会会議録 1999/11/11

(民主党ホームページ・トピックス)


11月13日(土) 民主党岡山県連常任幹事会 

11月15日(月) 参議院行政監視委員会 会議録

・神奈川県警不祥事について
・年金福祉事業団の事業の見直しについて

11月19日(金) 景気回復総決起集会

11月20日(土) 邑久郡五月会

11月23日(火) 西大寺五月会

11月25日(木) 参院・法務委員会 会議録 オウム対策法について

11月27日(土) 富山五月会

11月28日(日) 上道五月会、中桐伸五激励パーティー


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