1989/10 五月会だより No.47 ホーム主張目次たより目次前へ次へ


野党政権に米も大きな関心 
江田五月野党特使として訪米 直接対話で成果上げる

 江田五月は去る九月十一日から十七日までアメリカを訪問しました。国民連合政権誕生を前提に、日米関係の地固めを行うのが目的で、「アメリカと日本の野党とのパイプ作りの端緒になれば」(江田)との意気ごみ通り、ワシントンで上下両院議員、マスコミ関係者らと会談。連合政権の可能性や中心的政策について、オックスフォード大学留学で身につけた英語力で直接対話し、大きな成果を上げました。

 十二日、最初に会見したのが、マンスフィールド前駐日大使。マンスフィールド氏は「日米関係は世界の多くの二国間関係の中で最も大切な関係。日米関係には諸問題がたくさんあるが、日本は前川レポートの主旨に従って努力している。」と日本の取り組みを評価。江田は「野党が政権をとったら外交はより平和主義的になり、しかも人権や地球環境問題については、より活発に活動する。アメリカの友は自民党だけでないということを、アメリカの皆さんにわかってほしい。」と主張しマンスフィールド氏の理解を得ました。

 翌十三日はジョンズポプキンス大学高等国際問題研究大学院学長のJ・Rパッカード氏、ライシャワーセンター日本部長のN・Bセイヤー教授ら、十四日は民主党の次期大統領候補と目されるブラッドレー上院議員をはじめ、民主、共和両党の上下両院議員、戦略国際問題研究所のスタッフらと次々に会見。十五日は国防総省、国務省の東アジア太平洋問題担当者と会談の後、米マスコミとの記者会見に臨みました。

 江田五月が訪米を決心したのは、参院選のころからワシントンポスト、ニューヨークタイムをはじめとする米マスコミの取材が相次ぎ、連合政権の政策や経済動向などについての質問が殺到したこと。このため「日本の政治が変わりつつあることを理解してもらいたい。」と自ら野党特使となりました。


 去る七月の参院選挙で社会党が大勝した。

 野党連合政権の推進役を自認する「連合の会」も十一勝一敗と完勝に近い結果が出た。連合の唯一の敗北が野党の大連合を言い続けて来たわが江田五月のお膝元、岡山選挙区であった事は極めて残念なことである。

 然し、主観をはなれてこの結果を分析し、その意味を噛みしめてみる必要がある。敗因分析はその筋の専門家の間で色々言われている。土井たか子の個人人気を中核とする社会党旋風、「連合の会」の知名度が今一つ、寄り合い所帯の難しさ等々である。

 選挙にはかならずしも専門家ではない筆者などは、もっと素直に考えたい。連合候補十二人の中で、社会党が抜けていたのは、わが岡山だけ、色々言いたいが(特に岡山県の社会党には)県民は全国民を代表して、「社会党抜きの連合政権はだめですよ、いくら連合の旗手江田五月がいても」と断を下したのではなかろうか。天の声もそこにある様に思える。

 さてそこで社会党だが、今のところ政権の継続性をキーワードに従来の枠を思い切って越えている様に思える。しかし、それは社会党にとってであって、国民の側から見ればまだまだ不十分だ。しかし時代は大きく流れている。ソ連で複数政党制が公然と語られ、ポーランドで非共産党のマゾビエツキ政権が誕生した。

 社会党に、野党に、大いに奮起を期待したい。


日米の平和・有効をめざして 得意の英語で大活躍

 “日米関係は自民党だけには任せられない。”これが江田五月の訪米の結論です。議会、学界、マスコミ関係者と通訳も介さす直接対話しただけに、まさに、「本音が聞けた。」(江田談)この文章は江田五用の訪米記です。

政権担当の準備体操を

 遂に参議院では野党が多数派になり、自民党一党支配の時代は終わりました。次の総選挙で、一気に政権交代も夢ではなく、野党の責任は極めて重大です。

 そろそろ政権担当のウォーミングアップを始めなければなりません。日米関係ひとつとっても、政権について初めてハウドウユドウーでは、どうにもなりません。そこで県議の橘君に秘書役をお願いし、九月十一日から十七日まで実質まる四日間、ワシントンを訪問しました。

民主主義の成熟

 私がアメリカの皆さんに特に強調したことは、三点あります。まず、今日本で起きていることは民主主義の成熟過程なのだから、「自由と民主主義の危機」などというデマ宣伝に欺されないでほしいということです。

 十二日、マンスフィールド前駐日大使は、「政党は、野党の時は理想を説いて国民の支持を集め、与党になったら現実と取組んで改革に努めるもの。与党と野党とは役割が違うのだから大丈夫。」さすが議会政治の大先輩だなあ…と意を強くしました。

 十四日には次期大統領候補とみられている民主党のブラッドレー、ゴア両上院議員ら議員五人と個別に会談。皆一様に、「アメリカの強さの鍵は、政権交代にあるのですよ。」カッセバウム女史は、共和党の上院議員なのに、「共和党の大統領が続きすぎて、むしろ心配よ。日本の動きは、市民や消費者や女性の台頭だから、とても興味があります。」

 十五日はペンタゴンへも。フォード次官補代理は、「私たちは軍の責任者として、自国でも他国でも政権交代をいつでも経験しており、当たり前のことで平静ですよ。」

連合政権と安全保障

 次いで私が強調したのは、国民連合政権は現政権よりも平和外交に力を注ぐから、アメリカと論争も起きるということです。もち論私たちも日米関係の重要性はよく知っているし、現実の世界を見た場合、安全保障の関係だけ切り離すことができないのは当然だから、論争で両国の関係を断絶することはないこともつけ加え、逆に人権や環境については、私たちの方がより積極的だから、アメリカの良いパートナーになると説明しました。

 フォード氏とは、核持ち込みのことでさっそく議論になりました。アメリカの「核抑止論」からすると核兵器の所在は明らかにしないことになるのですが、私たちはそれに満足できません。しかしこの点をこのことだけで解決するのは、解法のない方程式を解けというようなもの。視野を広げてみると、世界は軍縮の時代です。対立当事者間の信頼関係を作っていくことがまず大切だと主張しました。彼は、米ソの軍事責任者の相互訪問など、努力していると主張。ならばアジア・太平洋でもその努力を…と、いうことで、握手して別れました。

 十五日、人権担当のシフター国務次官補は、「国際人権の確立のために、日本にやって欲しいことがいっぱいあるのに、日本はやってくれない。フィリピン、ビルマ、アフリカ…。」と、政権交代を待ち望むが如き口ぶり。議員たちも、私の説明に興味を持ったようです。

連合政権と経済外交

 第三に強調したことは、野党は保護主義だと思われているようだが、これは間違いだという事。日米間で構造協議が行われていますが、談合、系列、内外価格差、土地…野党が改革を主張してきた課題ばかりです。野党は日本の経済や社会のあり方を国際化し、庶民の納得できるものにしようとしているのであって、むしろ自民党の方が、業界との癒着で非関税障壁を改められないのだと説明しました。もち論アメリカに言われたからではなく、日本国民のためにやるのだとつけ加えることは忘れません。

 さすが「敵もさるもの」。農産物と中小小売業のことを出してきました。私は、コメの自由化は私たちも絶対認められないが、それは自由化が農業再建の中心になってもらうべき専業農家を破滅させるからで、私たちは補助金づけ農業を改革したいのだと強調。中小小売業の保護と外国製品の輸入増大とを両立させる方策を考えようと提案。

 フクシマ通商代表補代理も私の説明をよく聞いてくれました。彼は、「アメリカでは日本の野党政権は、社会主義で共産党の影響を強く受け、アメリカのパートナーにはなれないと思われている。これは、日本政府の宣伝が行き届いているからですよ。」

 私は労働運動の大変貌を説明し、「連合の意義は、労働運動の大結集ですが、同時に共産党と一線を画するという点にも大きな意味があり、連合に支えられた国民連合政権は共産党とは無縁です。」と説明すると、彼も大きくうなずいていました。

初めて直接英語で…

 ブラッドレー上院議員は、「日本の議員で、ひとりで乗りこんで来て英語で直接話しこんでいったのは、君が初めてですよ。今後形式的なことは抜きに、直に連絡をとり合いましょう。」

 対日強硬派の議員連中は、実は人権派や環境派が多いのです。私たちの活動をこういう場面に広げれば、彼らと共同して世界のために働く場はいくらでもあります。こうすれば通商関係の紛議も、別の面から解決の糸口をつかめるでしょう。

 日米関係は自民党には任せられない。私たちの方がずっと実りの多い外交ができる。これが私の訪米の結論です。


主張: 連合政権への道 乾坤一擲の好機

《 参院選岡山の経験 》
 私は今春、今の政治状況を明治維新、戦後改革に次ぐ数十年に一度の変革期、「第三の民主革命」ととらえ、「今、一気に政権交代を」と呼びかけました。その後四月の党首会談以来、野党の結束と政権協議が進んでいます。

 七月の参院選で野党は大躍進。「連合候補」は十一人が当選。岡山での敗北は何としても悔やまれます。しかし考えてみれば保守系三十五万票に対し、四野党合計五十万票ですから、大幅逆転です。この結果を次に生かすことが大切。選挙のしこりを後に残さず、野党が一層協調し合わなければなりません。

《 参院「土井指名」の意味 》
 与野党逆転で八月九日、参議院で社会党の土井委員長が総理大臣に指名されました。海部指名は三年前の国民の意思。現在の国民の意思は土井指名にあると言えます。憲法上衆議院での指名が優先ですが、国民の意思は意思は明確に「政権交代」です。

 この結果を衆議院でも実現し、政権交代を現実のものにすることが次の課題です。

《 消費税をどうするか 》
 参院選で国民の「消費税廃止」の結論が出されたことも重要。公約違反と数の横暴は許されません。自民党は見直し案をまとめきれないのではないかと疑っています。どうせ財源は必要なのだから、「見直し」でいいとの主張があります。「出直し」「やり直し」と言える程度の見直しのためには廃止して再改革するしか方法はありません。野党は、今後二年かけてみんなで議諭し直そうと言っているのです。

 総選挙で逆転が成功して初めて、廃止が現実となるのですから、これも総選挙の重要課題です。

《 逆転、交代にむかって 》 
 いよいよ臨時国会が召集されました。この国会中に、消費税をめぐる大激論の末、解散総選挙が予想されます。

 野党は、各党バラバラに勝った負けたと争い、結局自民党政治は変わらずという愚を終わりにするため、党のエゴを捨てて結束しようと決意した筈です。ところが選挙前になって、結束にかげりが見えることは、大変残念です。

 社会党が安保・自衛隊の継続など連合政権にむけた態度を明らかにしました。私は、社会党への注文も度が過ぎると「難癖」になりかねないと思います。しかし、社会党も、他党への気配りが足りないことは事実。なお一層、結束強化に努めます。

 乾坤一擲の好機。野党若手の中心として、私も責任重大。ご指導願います。


解散・総選挙に備えて 江田五月会総会開く

 国会解散・総選挙の可能性が急激に強まってきましたので、さる九月十日、岡山市内の労金ビルに、約百名が参加して江田五月会総会が開かれました。

 議長に橘民義(県議)を選出。ただちに江田五月代表が「“国民の怒りの一票”は参議院で与野党逆転を実現し、宇野内閣を倒しました。近く行われる衆議院選挙において野党が勝利すれば、国民連合政権が一気に実現します。社会・公明・民社・社民連の野党四党は“小異を残して大同につき”国民が主役の新しい政治の実現のために奮闘しなければなりません。私は、日本の将来にとって、日米関係はきわめて重要だと思いますので訪米し、アメリカの政府・議会・学者・マスコミの皆さんと、率直に懇談し、日米関係の正しいあり方をさぐってきます。衆議院選挙では何かとご迷惑をおかけしますがよろしくお願いしす。」と挨拶しました。

 つづいて大亀事務局長から参議院選挙の中間総括と衆議院選挙方針について、「衆議院選挙は十一月解散十二月選挙説と、一月解散二月選挙説があるが、“備えあれば憂いなし”で、十二月選挙を想定して準備を進めたい。」

 「(1)江田五月連絡事務所は岡山・西大寺・備前・津山の四ケ所に置き、常駐体制を強化する。(2)各学区、市町村に江田五月事務所(センター)を置き責任者を明確にし、電話等も準備する。(3)労組、青年、婦人、弁護士、税理士など、各グループごとの独自活動を活発にする。」

 「なんと言っても大きな悩みは、選挙資金。どんなに節約しても数千万は必要である。資金カンパの一つの方法として『江田五月株』を再発行したい。」等の提案があり、質疑応答の後に、満場一致で決定。健闘を誓い合って散会しました。


 岡山二区江田五月会総会は、九月二十三日、約六十名が参加して、倉敷労働会館で開かれました。

 金谷光夫倉敷市議の司会、垣本信勝氏(倉敷社民連書記長)の座長で議事がすすめられました。

 大亀事務局長から、衆議院選挙方針の説明があり、その中で特に「一区の江田五月(社民連)と二区の林保夫(民社党)は、新しい政治の実現をめざしてバーター方式による選挙協力を行いたい。」との提案があり、満場一致で承認。つづいて江田五月代表から

 「参議院の与野党逆転によって、国民連合政権の可能性が強まり、今 野党のあり方が問われている。各野党は、わが党主義でなく寛容の精神で大同団結し、国民の期待に応えることが何よりも重要。」

 「一週間程、ワシントンに行き、各界の代表と率直に意見交換したが、日本の政治の動向にアメリカは重大な関心を持っている。また 政権交代は、民主主義の国においては当然とも言っている。日米関係は相互理解が大切。」

 つづいて、川島氏、末盛氏、窪氏、池野氏らから質問があり、事務局長が答弁し了解しました。

 そのあと、舛田貞三民社党県連書記長、川渕明県同盟書記長から、「江田五月と林保夫の必勝のため、協力しあって頑張ろう。」との挨拶がありました。

 最後に、佐古信五(県議)が閉会の挨拶をして散会。


高原勝哉選挙の総括

高原勝利を確信していただけにまことに残念です。敗因の第一は、なんといっても約15万票の社会党への“追い風”大型台風だと思います。この文章は中間的選挙総括です。

基本的な敗因

一、高原選対は、連合岡山、それに公明・民社・社民連が参加する大型選対、社会党と比較してもその組織的・力量の差は歴然としていた。にも拘らず高原は敗れた。それは反自民の国民の怒りの一票が、社会党へ一点集中したからである。

二、高原選対は、選挙戦略として二つの争点を決定した。

 第一の争点は自民党政治との対決である。リクルート事件、消費税、農政に見られる庶民いじめ政治の徹底的追求である。

 第二の争点は三党・連合候補と社会党の相違点を明らかにすることである。三党・連合候補は「新しい政治勢力の大結集による国民連合政権」の道を、社会党は独自候補、わが党主義の道を選んだ。結果的には、県民は第一の争点を中心に判断し、社会党への投票集中となった。

三、「連合とは何か」「今、なぜ新しい政治か」この大きな争点の、効果的なPRが不十分であった。とくに「連合とは何か」の説明には、今一つ工夫が足りなかった。

部分的な敗因

一、大型選対、連合選対であったので、タイミングのよい、きめの細かい作戦は難しかった。

二、連合選対はその性格上ともに選挙を闘う他党、他団体の行動を批判したり注意したりする相互批判は遠慮がちとなる。また「もたれかかり現象」もでてくる。この点の克服が不十分であった。

三、連合選挙のためもあって、運動スタイルがどうしても労組型縦割運動の傾向になり、地域選対、草の根運動が軽視されがちになったし、勝手連的な、自然発生型の運動はあまりなかった。

四、「高原大丈夫説」には最後まで悩まされた。中堅活動家ほど高原大丈夫説を信じた傾向が強い。

岡山県社会民主連合

開票結果
当288730
当282399
∇226273
76015
59021
5274
片山虎之助
森 暢子
高原 勝哉
西岡 憲康
河重 寛子
岡田 定見
53 自新
57 社新
45 合新
48 無新
51 共新
48 無新

五月会の皆さまへ  高原 勝哉

 深まりゆく秋、真っ黒に日焼けしていた私の顔もいつしか元の色に戻ってしまい、ときの経過というものを、しみじみ感じているところです。

 先の参院選に際し、皆様には大変なご支援を戴き、本当にありがとうございました。こんどこそと一所懸命頑張ったのですが、ご支援にお応えすることができず、申し訳ございません。お許しください。

 いま、日本の野党四党、とりわけ社民連は、正念場だと思います。四野党共闘から新党結成へ。そして本当の意味での政権交代の実現をという悲願が達成できるかどうか。いまが絶好のチャンスなのに、野党間や野党議員の心の中に、主導権争い、独善、保身、日和見、こうした悪魔がすみつき、行く手を阻んでいるように思えてなりません。

 その意味で間近にせまった衆院選、江田先輩には、なんとしてもトップ当選を果して戴きたい! 皆様よろしくお願い申し上げます。

 私自身は、ゼロからの再出発。今後ともご指導の程お願い申し上げます。


五月株を買って下さい。 最大の悩みは、選挙資金

 “きれいな選挙きれいな政治”が江田五月選挙の出発点です。だが現実は、自民党のように「飲んだり食べたり握らしたり」などは一切しないで、ボランテア活動を中心に運動しても、どうしても数千万円の資金が必要です。

 そこでみんなと相談して、「江田五月株」を再び発行することにしました。
 株券は千円、三千円、五千円、一万円の四種類です。


投書

私達に仕事をください。  たびだち作業所 所長 坂本啓治

 いつもご協力ありがとうございます。世間では、好景気による人手不足が深刻であると言われていますが、働きたくてもその場がない多くの障害者がいます。とりわけ、今の生産性重視の社会についていけない重度の障害者にとって、職業を持って自立することは非常に困難です。

 この問題には、もっと政治的配慮が必要だと考えます。特に、労働者は単に等級による重度の基準のみでものごとをとらえるべきでなく、一歩踏み込んで、重度障害者の職場開拓・能力開発に取り込むべきだと思います。

 私達は、実践を通してこれらのことを訴えていきたいと思います。そのためにも、私達に仕事をください。

▽文集づくり▽データ入力▽文書の定期発送▽高品質印字▽多重コピー


江田さんに期待    平田かよ子(主婦)

 さきの参院選は淋しい結果に終ってしまったけれど、高原さん、江田さんの熱闘ぶりは感動的でした。この選挙では、女性の政治への関心が飛躍的に高まりました。マドンナと称する候補者が全国各地区を制覇。いずれも本来のマドンナのイメージからは凡そかけ離れた女性達とお見受けしました。そういう解釈をすれば私もマドンナの端くれ、最近選挙になると血が騒ぎます。

 解散、総選挙の時期が次第に賑やかに取り沙汰されてきた今こそ、私達は肥えた目であやまることなく将来の進路を選択すべきだと思うのです。

 大勢のマドンナファンに支えられている江田さんへの期待がますます膨らみます。


中国への手紙

北京で悲劇の天安門事件が起きて数ヶ月が過ぎようとしています。歴史の歯車を逆転させるような、中国政府のやり方に激しい憤りを感Jています。日中の友好に心をくだいてきた人ほど、今の事態を心配しているのではないてしょうか。私もやむにやまれぬ気持ちでこんな手紙を出しました。

 拝啓
 この手紙が捨てられたり焼かれたりしないことを願いつつ書かせていただきます。
 私は、中国が大好きです。一昨年、シルクロードの旅をしました。貴方のお国の偉大な文化にふれ、そして、大自然に酔って帰ってきました。今でも私の友人知人にその話をしては想い出に浸っています。
 年を取ってから絵筆を持つようになった私ですが、ライフワークとして中国の絵を描こうと心に決めました。そのためにもと思って岡山に来られている留学生に先生になってもらい、中国語を習っています。
 でも、先生の友人が北京で殺されました。
 先生の涙を見ていると、手紙を書かずにはいられません。
 どうして、長くて奥深い文化を持った大人の国の中国が、武力で人間を殺すのですか?
 私も一人の人間として心が痛みます。どうか私達の先生を悲しませないでください。

駐日中華人民共和国大使様        山本美奈子(自営業)


五月杯争奪ゴルフコンペ

 恒例の江田五月杯ゴルフコンペ(第七回)が九月十三日、百二十人の参加を得て、御津カントリークラブで行われた。当日はどしゃぶりの雨の中、悪天候でのスタートとなった。全体にスコアをくずしている中、優勝は六百田宇賢親さんがグロス89、ネット71で手にした。レディスでは、グロス96、ネット71で山名久美子さんが優勝した。
 パーティーでは江田五月議員がビデオで、「急遽訪米することになり参加できずまことに残念。」と挨拶。
 表彰式では、大亀幸雄書記長より各賞が手渡され、コンペも無事終了した。


玉龍会展  江田五月も出品

 第二十回玉龍会展が、去る九月十四日から県総合文化センターにおいて開催された。朝日高時代の恩師、河田一臼先生主宰の会とあって江田議員も毎年この時ばかりは忙しい中、時間をさいて作品の作成にとり組んでいる。

 今年は全紙に大きく“念”と書いた。臨時国会も解散含みで激しい論戦が予想されるが、そうした中で強い信念をもって全力でぶつかろうとする決意のあらわれか。


編集後記
 先の参議院選挙では色々お世話になりましてありがとうございました。選挙の関係で五月会だよりの発行が大変遅くなりましたことを改ためておわび申し上げる次第であります。

 さて今号は、「江田五月訪米記」をトップにしました。日米関係は今後ますます重要になると思われます。日ごろ日本では野党結束の接着剤と自認する江田五月が、今度は日米間の接着のため訪米しました。野党外交がいつか政府外交になることを夢見ながら。


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