構造改革論の思想的意義と現実的課題 目次次へ

四、 社会主義へのイタリアの道


『イタリアと世界で進行中の転換の中における社会主義へのイタリアの道のための闘争』と題する党中央委員会への報告の中で、トリアッティは、新しい方針を打ち出すに至った事情を説明して次のように述べている。

「我々は、今日世界で一つの転換に直面していると言うことができる。それは国際情勢においても、労働運動の発展と社会主義の方向に向かう人民運動の発展においても、一つの転換の開始期に直面しているということが出来る。我々は何よりもまず、世界に社会主義諸国家の広範な体制が作り出されたことを確認しなければならない。同時に、帝国主義諸国家の少数者の側からの世界支配の体制である植民地主義が崩壊しつつあることも確認しなければならない。我々は、この二つの事実の結果として、全世界の客観的構造の変化に直面しており、この客観的構造の変化の結果として、人類の思想上及び実践上の動向における大きな修正(そのいくつかはすでに実現されており、他のいくつかは進行中である。)を目撃している。国際生活の主要な分野におけるイニシアティブが、数年来社会主義諸国の側に移っており、最早旧来の資本主義と帝国主義との諸国の側にはないという事実こそ、すべての国民の心の中に一つの意義をおび、深い影響を及ぼさずにはおかないものである。

我々の前にある世界のこの新しい眺望から、我々は資本主義が終わったという結論を引き出すことが出来るであろうか?出来ない。資本主義は生き残っている。次に我々は帝国主義は終わったという結論を引き出すことが出来るであろうか?出来ない。帝国主義は生き残っている。従って、資本主義世界の内的諸対立も又生き残り、発展しており、同様に帝国主義自体に固有の諸傾向も生き残っている。しかし、すでに起った大きな構造変化は、諸国家間の関係及び組織的大衆運動間の関係の分野においても、大衆の意識及び思想の発展、従って進歩の道における人類全体の前進についても、明白でますます拡大する結果をもたらしている。

ソ連共産党第20回大会はとりわけこうした結果の一つを強調したが、それは、今日では最早戦争は避けられないものではないことを確認した時である。しかし、同時に資本主義世界に生活し、平和と社会主義のために戦っている我々に、同じように直接的に関係するその他の諸結果をも引き出すことができるし、又引き出さなければならない。社会主義―そして、これこそが偉大な新しいものなのだが―は前進しており、ますます自己の支配圏を広げようとしている。発展しつつある現実の圧倒的な力として、人々の前に現われている。こうして、社会主義への行進は、より広範な諸形態をとり、新しい諸問題を提起し、さまざまな国民と国を包含し、従ってさらにより確実なものとなる。1917年、労働者階級が一国においてついに権力を獲得することが出来、新しい経済と社会を建設するためにこの権力を利用することが出来るのを見た時、はじめて前衛的労働者及び前衛的人民大衆の心にともされた信頼の灯は、今日では増大しているばかりか、すでに質的にも異なったものとなっている。というのは、高度に発展した諸国でも、まだ発展していない諸国でも、全ての国で、これらの国を社会主義的発展の道に推し進めるためにますます広範な諸勢力を結集することができるという新しい現実的可能性が現われているからである。ここから次のような確認が生まれる。つまり、社会主義ための闘争と社会主義への前進において、今日では民主主義的方法が過去には必らずしももち得なかった重要性を獲得していることである。即ち、この民主主義的方法を放棄することなしに、つまり、過去にたどられたほとんど義務的であった道とは異なった道をとり、当時としては必要であった決裂や峻烈を避けながらも、社会主義への行進において特定の大きな諸成果を獲得することが出来るのである。

我々は政治方針の基本的要素をイタリア社会の経済諸構造と政治構造との分析においてとらえ、そこから出発した。この分析によって、我々は、民主主義・社会主義革命の原動力を旧来の資本主義支配階級に対する闘争のための階級的・政治的同盟を打ち建てるべき労働者階級と農民大衆の中に見るに至ったのである。とりわけ、我々が南部の後進性の諸条件の中に見た我が国の歴史的諸条件によって作り出された客観的諸条件は、この階級的同盟に特殊な内容を与えるものであり、これらの最も遅れた諸州において、この同盟の範囲を拡大し、ついにはこの同盟に都市中小ブルジョアジーの広範な諸グループまでも包含させるものであった。そこで、我々はイタリア社会の経済諸構造を大きく修正させるために、民主主義の領域で労働者大衆及び勤労者大衆の行動と闘争とを発展させようとしている。即ち、勤労者のより大きな福祉の保障、失業の一掃、貧窮に反対し歴史的及び地方的な不均衡を消滅させるための闘争などに基づいて打ち建てられる経済の方向に、イタリア社会を導こうとしている。こうしたことを達成するためには、技術と国民経済全体との強大な進歩が必要である。我々は、こうした進歩を望んでおり、独占資本主義を非難する。何故なら、それは、所々にいくつかの進歩の島を保証し、そこから相対的な大きな利益を引き出すにしても、技術的にも又経済的、社会的にも国民全体の全般的進歩を保証するものではないからである。国民経済の新しい方向のための闘争には、経済的諸要求、労働組合の諸問題が結びついており、かつて我々が過渡的性質の要求と呼んだもので、今日では『構造的諸改革』という一般的な言葉で示されている諸要求が結びついている。」

引用が長くなったが、要するに『構造改革』を基本的要件とするイタリア共産党の民主主義・社会主義革命の路線は、『世界における客観的構造の変化』、ならびにイタリア経済・社会構造のもつ根本的『特殊性』に照応して完成されたものである。トリアッティの言う『世界の客観的構造の変化』とは一言にして言えば、ファシズムの敗退、社会主義の勝利、資本主義の後退、被圧迫民族の解放と民主主義の進展、不可避と見られた戦争を回避する可能性、平和共存へのよりよい展望などに特徴づけられた情勢であり、その結果としての政治・経済・社会構造のさまざまの変化であって、それは前時代とは明らかに性質を異にする新局面である、としてこれをとらえる。そして、これはとりもなおさず、労働運動にとっても、又社会主義運動にとって、国際的にも、新しい歴史的諸条件が生み出されたということにもなる。従って、労働者階級も新しい課題に直面したことにもなり、この課題をどのように政策の中で解決して行くかがイタリア労働者階級の前衛党たる共産党の任務とならざるを得ない。イタリアにおける民主主義・社会主義革命の路線も、まさにこうして新たに提起されてきた課題に対応しようとする意思表示に他ならない。

「構造変化」を明確に把握したこの情勢分析の中には、二つの見解が結び合って存在している。第一は新局面を質的に異なる条件をもって現れたもの、それゆえ転換期の開始を意味するものと、イタリア共産党が受け取っていることであり、第二は、イタリアという特殊な風土で培われてきた構想が、新局面によって発展または拡充して正当性を裏付けられ、一面の客観性を確立した、と解していることである。第一の問題はイタリア路線の“普遍性”とも言うべきものであり、第二の問題はその“特殊性”の観念につながっているといってよい。

第一について、くりかえして言えば、それは「資本主義体制と社会主義体制との力関係の大きな変化をさすものであるが、この変化は、前者の敗退と後者の勝利という予見をより確実にすることによって、又従来の支配階級が国民的指導階級としての機能及び責務を実質的には喪失または放棄するようになり、これにかわる労働者階級が農民を初め、都市小市民、知識者層を自己の回りに統一し、独占資本の支配から脱するための闘争に有利な条件を提供することによって、――それが転換の開始を望見させるのであり、それ故に又前段階とは質的に異なる局面を提示することとなる。」というトリアッティの見解により明確に示されている。12月の党大会報告において、トリアッティはさらに又次のように述べている。「今日見られる世界の経済、政治構造の変化は、人民民主主義と社会主義の運動がおさめた幾多の大勝利の結果である。又、それはこの運動の内部で共産主義がおさめた勝利の結果でもある。この勝利とは、10月社会主義大革命とソ連邦における社会主義社会の建設、第二次世界大戦におけるファシズムの敗北、ヨーロッパ・アジアの多くの国に見られる社会主義への歩み、中国革命の勝利、植民地諸民族の解放運動の大きな成功、労働運動と社会主義運動の前進、資本主義世界におけるいくつかの大きな共産党の形成をさしている。社会主義は今日では諸国家の世界体制になった。植民地体制の部分的な崩壊の上に一群の独立国家が形成された。それらの国は新たな平和地域を構成しており、社会主義に固有ないくつかの経済管理の方法を採用して、資本主義経済の旧来の方法を捨てようとする傾向をますます強く現わしている。帝国主義の支配圏が著しく狭められただけでなく、とりわけ資本主義はその威信を失墜した。資本主義の全般的危機は深化し、資本主義の内的諸矛盾は一層深まった。」と。

トリアッティに言わせれば、資本主義の内的矛盾がどのように激化しても、それ自身は資本主義の性格を根本的に変化させるものではないし、同様に資本主義から社会主義へ移行する歴史的進化の法則を決定的に変化させるものでもない。ただ、このような情勢変化、社会主義の世界体制の確立といった大きな変化が生じた状況においては進化の法則が実現される条件が大いに異なるが故に、この法則の発言形態が主観的にも又客観的にも異ならざるを得なくなってくる。それ故、複雑化する諸現象を旧来の定式や教条では解明しえないということが生じてくる訳である。例えば、トリアッティの指摘する平和の問題もその一つである。それによると、新しい情勢の下では、平和のための闘争、平和擁護のための運動は、従来にない比重をもち、新しい展望を伴っている。従って、それは平和を守らなければならないという守勢的な立場から、平和をあくまでかちとろうという攻撃的な立場へ、待機的な姿勢から積極的な姿勢へと、平和運動、平和闘争そのものを転換せしめることとなり、階級闘争の直接的な一環としての平和運動の性格を変更せしめることとなる。そして、平和運動がこのような性格をもって推進され、平和勢力の増大及び統一が達成されてゆけば、当然平和共存ないし協力を、経済、社会制度の相違する諸国家の間に持ち込むことを可能とし、それは戦争の不可避性を否定することにもなる。そこで、戦争の回避の可能性という新しい条件は、労働運動の方向又は形式に大きな変化をもたらさざるを得ないであろう、というトリアッティ独自の公式が生まれてくる。

ここで重要なことは、トリアッティの指摘する通り、資本主義対社会主義という勢力配置の変化の把握であり、その結果として平和共存が必然性をもち、戦争技術の発展に伴う戦争の性格の変化、特に勝者も敗者もなく、地球の絶滅以外には何もないという、核兵器の恐るべき開発から平和擁護が人類的課題として現われてきたという事実の確認である。こうして戦争の不可避性の理論が修正され、戦争回避が可能であるのみならず、回避が絶対に必要であるとの見地に立って、トリアッティは、そうした情勢の下における権力獲得の問題について、次のように述べている。「社会主義への発展の道の相違性についての理論は、しかし、今日では社会の客観的構造の修正及び社会を変化させようとする運動の方向に関連して、より深い完成化を要求している。ここでも又、生産力の発展の検討から出発することが必要とされる。社会主義への物質的推進はここから来ているのであって、この推進は経済が高度に発展した国においては特定の様式で現われ、経済が十分に発達していない国にあっては他の様式で現われている。すでにレーニンは、資本主義の最高度の発展に達した国においてのみ、社会主義に進みうるだろうとしたマルクスのテーゼを訂正した。現在、我々は新たな人民及び国家が、"植民地的かせ"を断ち切って社会主義へ行こうとする決断を固め、最早資本主義的発展の伝統的な方向とは違う方向に、少なくとも一歩を進めることに成功するため、すでに社会主義化した国の援助を求めているのを見ている。こうした現在、明らかなのは、レーニンが行った訂正を、今後より正確にしなければならないということである。

社会主義社会の建設は、資本主義を打倒する革命、社会主義の勝利、共産主義への移行、等の間に過渡的な期間を設定する。この過渡的な期間においては、社会の指導は労働者階級及びその同盟者に属しており、プロレタリア独裁の民主的性格は、旧支配階級の残存に対し、圧倒的多数の人民の利益において、この指導が実現されるという事実から生じている。この過渡的な期間はどれだけ続かねばならぬか、又続きうるかについては討議することが出来る。同様に又明らかなのは、この期間中にさまざまの形式もありうるということ、従って又、民主的発展のさまざまの形式もありうるということである。

ソヴィエト連邦にもさまざまの段階があった。1924年の憲法が一つのものであるとすれば、1936年の憲法は他のものであった。{(注)レーニン憲法からスターリン憲法へ} 我々はこの例を基礎にして、ソヴィエト連邦において、政治的指導が労働者階級及びその同盟者の手にあってもなお、民主主義がその固有の特徴を温存しながら、新たな様式で発展しうるし、又しなければならないということを否認する訳にはいかない。むしろ、それどころか、それがまったくありうることと信じるものである。プロレタリア独裁の理論にあるものはこれで全部ではない。始めにマルクスとエンゲルスが、ついでレーニンがこの理論を発展させ、ブルジョア国家機関は労働者階級によって粉砕され、破壊され、プロレタリア国家、即ち労働者階級から指導される国家機関によってとってかわらねばならない。しかし、これはマルクス及びエンゲルスの本来の立場ではなかった。これはパリ・コンミューンの経験のあとで、マルクス・エンゲルスが到達し、又特にレーニンによって発展させられた立場であった。今日でもこの立場は完全に有効であろうか。ここに討議のテーマがある。しかし、我々がここに社会主義への前進の道が、民主的な土台の上に可能であるばかりでなく、議会的形式を利用しても可能であると確言する時には、世界ですでに遂行された変化、又今遂行されつつある変化を考慮に入れた上で、前述の立場にいくらかの訂正をしようとするものであることは明らかである。」(「党中央委員会への報告」1956年6月)

このようにして、そこには一つの「過渡的な段階」が設定され、そこで民主主義的土台を基礎とした上での、『構造改革』による権力獲得への闘争が予想されることとなる。社会主義への運動の指導の問題にしても、共産主義自体の指導の問題にしても、それは過去とは異なった方法で提起される。それ故、ロシア革命の偉大な経験は依然として貴重な教訓であり、多くの参考を提供するものではあるにしても、今日提起されうるすべての問題の解決の指針とはならないと結論される。ここでの重点は民主主義の綱領をもって社会主義への接近が可能だという展望である。そして、ここで対象とされているのは一定の国、特にイタリアというある程度民主主義と資本主義の発達した国のことなのである。

もとより民主主義的改革のための闘争を通じて社会主義革命を準備するという考え方は、マルクス=レーニン主義の戦略戦術の基本的要素をなすものである。レーニンは、「プロレタリアは、民主主義のための闘争によって社会主義革命の準備をしていなければ、この革命を遂行することは出来ない。」とくり返し説いている。そこで、高度に発達した資本主義国でも、民主的改革が社会主義革命への避けられない「過渡的段階」となってきたと見るイタリア『構造改革路線』の特徴は、そのためにはまず民主的改革のほこ先を主として、経済的独占体に向けなければならないとすることである。そうしたいわば政治的民主主義の諸要求が現存の"ブルジョア民主主義制度"の擁護という単なる防衛的性格を脱し、これを改造して、大衆の直接国政への参加を保証する民主主義的諸制度に転化させる、という積極的・攻撃的性格を持っている点にある。そして、さらにその中でとくに重要なのは、この民主的改革が、徹底した政治的民主主義の実現を要求するにとどまらず、経済構造の根本的改革―それも、農業における最も遅れた前資本主義的構造((注)いわゆる「南部問題」を意味する。これについてはさらに後に詳しく説明する。)を解体するだけでなく、資本主義経済全体を支配している「独占資本主義」そのものにほこ先を向け、その権力を制限もしくは足元から掘り崩そうとする労働者階級の側からの改革―を目標としていることにある。以前なら、労働者階級が権力を握った後でなければ、不可能とみなされたような経済構造の反独占的改革を、社会主義への前進の途上において、基本的方針として掲げ、これによって新しい性格と内容が与えられた民主的改革は、社会主義への主要な移行形態であるとする点に、イタリアの反独占民主主義闘争、即ち『構造改革路線』の最も重要な特徴を見ることが出来る。


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