江田五月活動日誌 2015年12月 >>日程表 ホーム総目次12月目次前へ次へ

12月24日(木) 南京大虐殺記念館、夫子廟、中山陵、蘇州へ、蘇州夕食

 今日は、7時に起床すると、日本と1時間の時差があるので、朝ドラの「あさが来た」を見ることが出来ました。朝食を済ませ荷物を出してチェックアウトし、8時半にロビーに全員集合して記念写真を撮りました。

南京のホテル出発

 9時から1時間半強、「南京大虐殺記念館」を見学しました。日中戦争が始まった直後の1937年12月に、日本軍が中華民国の首都・南京の攻略を成し遂げ、松井石根大将を先頭に南京に入場した際、6週間にわたり30万人を虐殺したとされる事件で、犠牲者数に争いはありますが、大変な乱暴狼藉が行われたことは紛れのない事実です。遺骨の発掘や城壁の攻防などの再現模型はありましたが、残虐な殺戮の模様などはすべて写真で、生々しい人間の模型は後日の聞き取り調査の様子だけでした。私には、これまで見たアウシュビッツなどの他の展示と比較して、抑制的のように思いました。少なくとも扇情的ではありません。二度と繰り返してはならない人類の蛮行の一つであり、ユネスコの世界記憶遺産に登録されたことを重く受け止めたいと思いました。

大虐殺記念館 - 入場して
同 - 中・英・日の説明文
同 - 発掘跡
同 - 人骨
同 - 犠牲者名
同 - 資料棚
同 - 記帳

 移動して12時前から1時間ほど、全員で南京料理の昼食を楽しみました。庶民の料理で、蒸して塩に漬けた「南京ダック」が強調されていました。13時前ころに、孔子の廟のある「夫子廟」の地区に到着し、水路の両岸に広がる小雨に煙る老街を、40分ほど傘をさして見て歩くのですが、古い文化を感じさせるなかなかの風情でした。

南京料理の昼食
夫子廟 - 龍
同 - 老街

 次は14時半ころに中山陵に着きました。バスを降りて大きなプラタナスの佇立する並木道を歩くと、雨のせいか空気がきれいに感じられ始めました。孫文の遺言に基づいて、首都であった南京に建立された孫文の墓陵で、当時の民国の人口3億9,200万人と合わせた392段の息を切らせながら登り、孫文の像や自筆の「天下為公」の額を拝見しました。周辺には巨大なヒマラヤスギも多く、「雪松」と呼ばれる南京市の木だそうです。

中山陵 - 全員集合
同 - 孫文自筆「天下為公」
同 - 陵全景
同 - 392段を上って

 15時半過ぎにバスに乗り込み、16時前に発って高速道を蘇州に移動しました。19時過ぎに200年以上も続いている有名な「松鶴楼」に着き、全員で夕食を楽しみ、21時前に無事にホテルにチェックインしました。

「松鶴楼」

2015年12月24日(木)

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