江田五月活動日誌 2014年5月 >>日程表 ホーム総目次5月目次前へ次へ

5月15日(木) 北京の朝、木寺大使、CPAFFC60周年大会、習近平主席、中日友協夕食会

日の出

 今日は、北京のホテルで5時半ころ目が覚め、窓からの日の出を見ることが出来ました。快晴だと思うのですが、太陽の輪郭はほのかに見えるだけで、残念ながらやはりPM2.5の影響があるのかもしれません。

 もう一度寝て、8時から朝食。辻元清美さんも来ていました。9時前から30分ほど、外を歩いてみました。槐や白松など緑が鮮やかな街路樹が多く、公衆便所の屋根にはソーラーパネルが備えられていました。空は春霞かPM2.5か、うっすら煙っていますが、陽射しはしっかりしています。この後、木寺大使と昼食をご一緒し、15時から1時間強、中国人民対外友好協会設立60周年記念大会の予定です。

辻元さんと
ソーラーパネル

 11時20分にホテルを出て、12時前から1時間強、日本の木寺大使、三上・遠藤両公使と昼食懇談をしました。難しい日中関係の第一線で、大変なご苦労をいただいています。日本では、今日も西沙諸島で大勢の死者まで出した中越衝突の報道が注目されますが、中国ではフィリピンとの衝突の方が人々の関心を集めているそうです。

木寺大使らと昼食

 15時から、中国人民対外友好協会(CPAFFC)設立60周年記念大会が開催されるので、私以外は別のバスで先に発ち、私は14時15分にハイヤーで人民大会堂へ。世界各国から選ばれた20人余の代表が控室に揃い、暫く歓談。15時になり、案内されて記念写真を撮影するため別室へ。2列に勢揃いしたところに、CPAFFCの李小林会長に先導されて習近平国家主席、王毅外交部長らが入場し、私たちが紹介されて握手。私も一言、「お会いするのは2度目です」と述べましたが、通じたかどうか。国家主席就任以後では、お会いした現職国会議員は私が最初のようです。その後、皆さんが所定の位置につき、記念写真を撮りました。

CPAFFC60周年大会 - 控室で

 15時15分ころ、約50か国400人の海外参加者と200人ほどの国内参加者の拍手に迎えられて大会会場に入りました。私の指定席は2列目で、中日友好協会の唐家璇会長の隣でした。やがて李会長の司会で開会となり、李会長が主催者挨拶で、CPAFFCのこれまでの活動を振り返り、天津と神戸の姉妹都市縁組が地方交流の始まりだったことなどを紹介され、主要な参加者の紹介で私の名前も出ました。次いで、習主席が15分ほどの挨拶をされ、エドガ・スノーの「中国の赤い星」などを引いて中国革命の経過に触れながら平和への決意を述べ、そのために民間や地方など多方面の人の交流が必要と強調し、来年が世界中を巻き込んだ反ファシズム闘争に勝利した70周年に当たるので、改めて世界の人々とともにあの悲劇を繰り返さないことを誓い合おうと呼び掛けました。

同 - 唐家璇会長と
同 - 正面
同 - 呉瑞鈞さん
同 - 集合写真

 続いて、太平洋諸国のトンガ王国王女、アジアの鳩山由紀夫元日本国首相、ヨーロッパのサンマリノの元執政官、アフリカのAUの元主席とアメリカのニクソン元大統領の孫がそれぞれ挨拶を述べ、16時半に李会長が閉会を宣しました。会場を去る途中、旧知の中日友好協会の呉瑞鈞さんや王效賢さん、松山バレエ団の皆さんなどとお会いし、言葉を交わしました。ホテルに戻ると、日本の記者の皆さんのテレビカメラを含むぶら下がり取材が待っていました。

同 - 松山バレエ団の皆さん
同 - 王效賢さん

 自室でデスクワークを済ませ、17時45分ころにロビーに出ると、日中友好議員連盟枠で参加の辻元さん、橋本さんと伊佐さんが居られ、暫時談笑。18時過ぎから2時間強、中日友好協会の王秀雲副会長、関立彤秘書長、王占起政治交流部長らと夕食懇談会を行い、青少年交流の今後の進め方などに関し、活発に意見交換しました。例えばホームステイの仕方につき、具体的な知恵が次々と出てきました。ホテルに帰り、明朝がきわめて早いので、荷物を整理して出しました。

同 - 辻元さん、橋本さんと伊佐さん
中日友協夕食会 - 乾杯
同 - 記念写真

2014年5月15日(木)

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