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1月17日(月) 駅前街宣、阪神大震災、上京、会計士、調査士、天安門

今年初の「おはよう730」
 
車窓からの夕日に映える赤富士

今日は7時半から、恒例の駅前街宣「おはよう730、民主党です!」に参加し、30分ほど話しました。阪神淡路大震災からちょうど10年。あの朝、地元で地震直前に目が覚め、大きな揺れにびっくりしました。直後のテレビのニュースでは、数人が怪我をしたという程度で、神戸が壊滅したとは全く分かりませんでした。昼から上京の予定だったので、念のためと思って飛行機を手配。結局、新幹線は走らず、午後のフライトで上京しました。その後、ニュースの都度、見る見る被害が拡大して行きました。

この日、社会党から一群の国会議員の皆さんが離党することになっていました。山花貞夫さんや本岡昭次さんたちです。しかし、それどころではないと頓挫。政治の流れをも止めてしまう大震災でした。

復興は、まさに市民の力です。さまざまな形での市民の努力がありました。ボランティアのまとめ役だった草地賢一さんの献身は、その後も休まぬボランティア活動で命を縮めたこともあって、忘れられません。彼の家に泊めていただき、現地を見て回りましたコープこうべが市民社会の土台になっていることも、特筆すべきことです。

その後、倉敷市議選が気になりながら、若干の挨拶まわりとデスクワークをして、新幹線で上京。車中では、パソコンで代表質問の原稿書きに取り掛かりました。

18時から、日本公認会計士協会の新年賀詞交歓パーティーに出席し、挨拶。民主党が総支部に至るまで外部監査を受けることを紹介し、支持を求めました。19時から、日本土地家屋調査士会連合会の新年交礼会に出席し、挨拶。ADR(裁判外紛争解決手続)での役割発揮をお願いしました。

趙紫陽・元中国共産党総書記が死去しました。1989年の天安門事件の責任者です。私には、自由への渇望を圧殺したこの事件を認めることは出来ず、以来21世紀に入るまで、北京には行きませんでした。しかしその間に、中国は大変貌し、日中関係は、「政冷経熱」となりました。関係再構築が必要です。


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